2024.07.17の日記

17(水)

昨日は雨が降ることが予想されたため、大学に傘を持って行ったが、持ち帰ってくるのを忘れた。傘を忘れることは日常茶飯事(体感15%ないくらい)で、忘れるとたびたび思うが、この世で最も忘れ物として多いのは傘だと思う。たとえ、雨の日にしか持ち出されないバイアスがあろうとも。誰か統計を取って欲しい。傘には持ち主に忘れられるように脳に特殊な電磁波を送られている、そんな事実に気づいてる"気付ける人"はまだまだごく一部の様子。

水曜は2限目だけの1限で、ゼミの授業。
この授業は特別で、要は卒論なにやろっかなー、て考える授業。本人もよくわかってない「研究」と名ばかりの意味のわからんものを考えてるフリをし続けてる。最近わかったが、この教室で考えてるフリをしてる人は少数派っぽい。この授業では頻繁になんらかの発表を他の受講生の前でさせられるが、今日は自分の発表の番だった。
研究内容を発表する旨の稚拙な資料を行きの電車内で仕上げた。電車内で資料を作ることは昨日の夜YouTubeを見ながら決めた。この授業で発表をするのは2度目(自分だけやり直しを喰らって3度目)だが、その度に資料を作らなければならない。他の授業の履修判定はテストばかりだが、この授業はこの資料が履修判定に使われる。なんてだるい授業なんだ。今朝起きた時一番に、「資料作る」タスクが脳裏によぎり、自分がいかにこれをやりたくないかを再認識した。ちなみに昨日の自分を恨むようなことは最近めっきりない。なぜなら、こーゆうのはそのイベントが終わった後、結局後回ししてもなんとか乗り越えれんじゃん、と後には満足できるのを知ってるから。
以前オモコロチャンネルの人生相談に答える回で加藤亮が「後回しにする自分が嫌い」という相談で、後回しにする性格は直るものじゃない、ギリギリにやり遂げる能力が付いてくる。と言っていた。
自分も期限があるものはギリギリにやるのが当たり前だが、まだその能力は付いないと思うし、多分これからも付かない気がする。
自分がもしその相談をされたら、なんて言うのか。
ちょっと考えたのちに「ギリギリでよくない?そういう人はそっちの方が前もってやるよりトータルのストレス低そう」って言うと思う。
もしギリギリでやって失敗したら、自分に「ざまぁみろ」でいいし。
「ざまぁみろ」って言葉はかなり好きだ。ちょうどいい悪口で、語感もなんか気持ちいい。
特に自分に心の中でいうのが気持ちいい。その一言だけでその件が片付くのが気持ちいい。

今日の発表は自分ともう1人の子の2人だった。彼は先生から渡される説明に使う、指す棒を発表中に杖のように使っていたらしく、発表が終わったら先生から「それ杖じゃないからね?」と言われていた。自分が彼のようなタイプの人種がかなり好きだ。この感情が相手に伝わることは一生ないが。
あと、デスクトップの壁紙が二次元の美少女5人で、happy new year 2024!とあった(happy new yearだったかは朧げ)。
何のキャラかは分からなかったが、ちょっと面白かった。バカにする面白いではなく、また視聴覚室で一瞬民放が映るような面白さでもないが、その手のイラストの中でも年を祝うものを選んでるのが面白かったんだと思う(しかも正月衣装ではない)。
自分は気取ってしまって壁紙はいつもデフォだ。そういえば、高3くらいからスマホの壁紙やら、ラインのアイコンに拘らなくなった。それまでは2ヶ月に一回くらいはラインのアイコンを変えていた気がする。デフォはデフォで気取っていることに間違いはないのは確かだが。アイコン、壁紙に正解ってあるのだろうか。これだけはいくら歳を取ってもわかる気がしない、本当に。
今日駅で炭治郎、ヨルフォージャーのストラップをつけたリュックを見た。鬼滅とSPY×FAMILY。王道すぎて、例え一番好きな2作品だとしても自分はそんなの絶対に付けれない。まさにこれを書いてる最中で、何かメッセージ性を感じられずにはいなかった。

昼休憩の後に就活のガクチカ書き方ガイダンスがあった。感想は、chatGPTにやらせよう。面白くなかった。

夜テレビではいだしょうこが出てた。親の若い頃にすごい似てた。ちなみに祖母はロッチの中岡に似ていて、これは小学校からのある友達には鉄板でウケるネタ。

日記の1日目だけあって、とりあえずあったことと思ったことを忘れないうちに書きまくってしまった。文字数が多すぎる。これじゃ読み返そうと思ってくれた未来の自分が可哀想。そもそも日記の方針が決まってない。もし続くとしたら、もっとわかりやすく、箇条書きで書かないと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?