合戦は駅前であった
鎌倉殿の13人で畠山重忠は二俣川の合戦で殺されてしまうのだけど、昔のことなんで丘陵地帯な二俣川が出てくる。二俣川駅は神奈川県の運転免許の交付地なんで崖が険しいとこだなっていう印象があった。
行ってみたら昔がわかるかなと思って行ってみた。調べてみたら二俣川駅前に合戦の石碑があるみたいだ。
行ってみたら全然関係ない。地名だけの推測で地元の人が明治ぐらいに建てたみたいだ。むしろ、旧街道の分岐点であることが重要な場所だった。この旧道は面白いなって思って、本来の合戦場にある畠山重忠の首塚までの道のりを辿ってみた。
むしろ、こちらの石碑が重要。二つの道の合流点。横浜市旭区への地元の道。辿っていくと古い道が現れていく。
崖を降りていくと帷子川支流にたどり着く
そして川に沿って鉄線の線路をくぐるとと首塚がある。
伝説によくある首洗の井戸。昔は湿地で渓谷だったことがわかる。
水場で殺される事が多かったのかもしれない。
この場所は旭区区役所裏の駐車場で鶴ヶ峰駅そばでこんな駅前かと驚く。もう800年前なんだと実感する。
地図を見ると川が色々と合流していて川筋が落ち着かなかったことがわかる。そこに厚木街道と八王子道が合流している。
駅前にあるさかさ竹の石碑。畠山重忠が矢を突き刺して竹になることを祈ったとされる伝説があるそうです。
ここが実際の合戦場のようです。この川は堤防が高くなっている。
かなり治水が必要な土地でしょう。この石碑はまさに厚木街道と八王子街道の合流点にあります。
足が疲れたのでどうしようかなって迷ったのですが、一族が埋められたとされる六ッ塚まで行ってみました。これは行ってみてよかったです。その塚がある丘が鶴ヶ峰だったからです。
鶴ヶ峰に鶴ヶ峰神社というところがあったのですが、その丘から駅を見るとどこで合戦があったかわかります。そして、北条の大軍を見た畠山重忠の絶望も。
地図がわかりにくいですが鶴ヶ峰中学付近が陣があったところのようです。駅を挟んで陣ヶ下渓谷公園あたりに北条軍がいたようです。鎌倉頃は森林は土木や燃料でないのではげ山で丘陵地です。
そこから少し下がったところに六つ塚という畠山の戦死者を埋めた塚があります。
実際の塚跡です。
そこから鶴ヶ峰貯水池の跡。畠山重忠を追ってきた妻が籠の中で自害して籠ごと埋められたという駕籠塚があります。
元々は貯水池にあった大きな塚だったそうです。奇怪な話ですね。
何かが隠されている感じがします。
彼の妻は鎌倉殿の13人に出てくる足立遠元の娘と北条時政の娘なのですが、別の若い女性がいたのかもしれません。そばに古道の気配があります。
ここから彼らの故郷の秩父に至る道があったようです。
鶴ヶ峰駅に至る道です。この場所は昔から交通の要所であり、河川が集まる湿地であったのだと思います。駅前はほぼ戦場でその沼地をぬけて生き延びようとしてした跡が薄っすらと残っている感じでしょうか。歴史が重なっていて、ほぼ明治ぐらいの街の様子が残っているように思います。
赤でマークしたのが六っ塚です。古戦場は中学の裏手に石碑のみがあるようです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?