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母として 和泉式部

百人一首に小式部内侍の和歌として

大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天橋立

という歌がある。大歌人の和泉式部の娘でまだ10代である小式部内侍がある貴族にあなたの和歌はお母さんの代筆でしょうとからかわれたとき歌った和歌だ。

丹後の任地に夫とともに向かっている母は今、京都の端っこの大江山を越えて福知山の生野あたりでしょうか。まだ、便りはありませんが。丹後の天橋立辺りまで行ってないでしょうが。
和泉式部は大江家の人だ。そして、歌枕である大江山、いく野、そして天橋立を読み込んでいる。

彼女は、和泉式部が親に決められた幼なじみの夫と赴任先の因幡で結婚したときに生まれた。
和泉式部はその後、都で不幸な境遇の天皇の皇子に見初められた。彼が亡くなったあとその弟とも付き合った。彼らと対等な恋愛をし、堅物の親に勘当され、夫にも最終的に捨てられた。

持って生まれた歌の才能と魅力で藤原道長に「浮かれ女」と言われるほど男が寄ってきた。しかし、歌を研究した人によると最後まで最初の夫と娘との生活を懐かしんだらしい。
うん、そんなもんらしい。自分に振り回された人だ。

でも、彼女は藤原保昌という大金持ちで伝説の武人で理性的な男の妻として宮中を去る。残された娘に人々が意地悪したとき歌われたのが百人一首の歌らしい。


その後、和泉式部は娘を若くして失う。
母に似て魅力的な女性だったのだろう。
彼女は藤原道長の息子を始め高位の貴族たちに振り回され、誰かの子供を生んだ際に亡くなったそうだ。その時の彼女の絶唱。

とどめおきて 誰をあはれと 思ふらむ 子はまさるらむ 子はまさりけり

子供を心配して娘は亡くなってしまった。この子がどんなに心配だろう。親子の縁は強い。私も娘を亡くしてこんなにも悲しい。

彼女は愛の深い女性だ。どんなに男に愛されてても、娘に愛されても、生きる不幸はのしかかる。そのことを深く感じられる人らしい。


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