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昔は苦い「游相日記」

私が「ほんとに歩く大山街道」という本で知った古い本に游相日記というのがある。
渡辺崋山の1831年の本だ。渡辺崋山、誰だ。
彼が出てくるところを読んでいて、この人は教科書にのっている江戸時代の絵を描いている人だと気づく。
図書館で見つけて借りすぎだなって思ったけど、見つけた時がご縁だからと借りてきた。

なんで印象に残ったのかというと、彼が仕えた貧乏大名の跡取りの母を訪ねる旅日記だからだ。彼女はお銀さまといい、息子を産んで一年で実家である綾瀬市の農家に返される。お腹様、そういう存在の実態を知った。
その本の中で再婚したお銀様は老けて貧しく、訪ねてきた崋山にむしろをすすめるのである。
そうか、貧しい農家の娘を搾取していたか。若い日に彼女に淡い思いを感じていた崋山は困惑し、お互いに涙を流す。そのあと、失望した崋山は厚木宿でうさばらしをしたと続く。

しかしながら、これは「大山街道」の作者の感情が現れた記述で、訪ねてみたお銀さまの墓は美しく整備され、大切に郷土の歴史として保存されている。彼女は、蘭学を研究していて蛮社の獄という幕府の罰で死んだ渡辺崋山より長生きして、79歳で死んだらしい。訪ねる人が多かったらしい。
ほんとのところはどうなのだろう。この本をいつか読んでみたかった。

この本によると厚木宿で当地のインテリたちにあった崋山はいろんな人と語り合う。
その中で酒井村の駿河屋彦八という人がいる。この人は、厚木を搾取する大名に耐えかねて、幕府に訴えて天領に村をしてもらったらしい。
相模は後北条が滅びた後、譜代の大名と旗本と天領に分割され悪政が続いた。彼は大名の家老であった崋山に大名がいなくなって、みんな天領か旗本にしてもらったほしいと言い放ってらしい。きつい人と書かれていた。
大名家は飛び地だったので、好き放題で当地の相模川の堤防を悪い業者に任せ、そのために洪水で多くの人が亡くなったりしたらしい。

人には限界があるのだな。崋山は憤慨する。旅の途中、武士として偉そうにふるまう。お銀様の家族に金をやったりする。
なるほど、この本は今では読まれんな。古い価値観にあふれた本なのである。

しかし、この本が郷土の人に大切にされているのは当時の現実を描いた唯一の本であること。のちに崋山がお銀様一家ににそそいだ支援、跡取りさんを蘭学者に育て上げた愛情はほんものの情だったからだ。
彼は新しい日本を目指していたひとりだ。

これは21年の改訂版で渡辺崋山の記述は消えているかもしれません。2007年版は地元ではまだ健在です。読み物としてはこっちが面白いかな。

三谷幸喜の愛読書。私は読んだことがありません。
一番詳しい渡辺崋山の話があるそうです。

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