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六波羅蜜寺

 夫との二度めのデートに行ったのは京都の六波羅蜜寺だった。変わったとこに行くなって思った。まあ、初めての場所なんでいいかと思った。
 男には従わなくてはならない。向こうも言いなりにならないといけないと思い込んでいたので、お互いにのどの渇きを我慢していた。もう、夏になった日だった。言い争いがあった。ほんとに幼くて情けない男女だった。
 
 その時見たのが空也上人の立像だった。まだ、むき出してお堂にあったと思う。記憶違いかな。あまりの不気味な迫力に圧倒されてしまった。芸術の力は強い。こんなとこに連れていくの面白いやん。ずるずるとそれで夫婦になってしまった。なんの理由も示されなかった。行ったことあるから。
 なんでか、たぶん、彼が誰かに連れられて思いついたんだと思う。近くに任天堂のカルタ工場のあとがある。彼の親戚の一人がそこに勤めてたりして近所に住んでたらしい。
 
 昔は仏像は宗教的な存在とされていたので、結構お堂にむき出しでおかれていた。よく、引き倒されたりしなかったものだなって思う。いや、そんなこともあったのかもしれない。それでも力のある仏様、運のいい仏様は千年の寿命を保つのである。
 
 
 小学生のころ、奈良の興福寺に行って、宝物殿の阿修羅像を見た。たったひとりでお寺に行くって変わっていると思う。友達がいなくて親戚がくれたたくさんのお年玉があった。両親は自営で忙しく娘に興味がなかったのだと思う。

 興福寺の宝物殿でもむき出しの阿修羅像を見た。真っ暗な中で何体も仏像が無造作に置かれている中で、その像の清冽さにひかれたのだ。管理の老人以外だれもいなくて、息のかかるような距離で何時間も見続けていたと思う。
 なんどもお顔を確かめた。眉をひそめたいらいらした美しい少年の顔にひかれた。隣の憤怒の顔にひかれた。不自然な長い少年の棒のような手と手首のしなやかな返しにひかれた。
 お堂の中でB4ぐらいのお顔のアップの顔の写真を買った。それは長いあいだ部屋の壁をかざっていた。
 それが土門拳の写真だと知ったのはずっとあとだ。橋本治の子供時代の思い出を読んだ。近所のインテリ青年にみせられた代表作の「筑豊の子供たち」の話だ。そういった社会的な告発の写真を撮った写真史に残る人だった。その晩年に奈良の仏像をアップで撮ったらしい。
 興福寺は今も写真を売っているのかな。しかし、あんなむき出しの写真ではないだろう。
 私は国立博物館の阿修羅像の展示を見にいったが、ああいう内面をのぞかれるような体験はなかった。美しいとは思ったけれど。あの一瞬の体験なのだ。
 だからか、先日、東京の国立博物館で開かれた空也上人と六波羅蜜寺の展覧会に行きそびれた。もう、会えないかもしれないが。
 
 なんで、そんなことを思い出したのかというと、先日、大船の常楽寺でむきだしの運慶の仏様をみたからだ。さすがにお堂には入れてくれなかったが、仏はむきだしの外の温度のなかにいた。宗教とは何か改めて思った。

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