見出し画像

21世紀ですが人間って生き物は19世紀と大して変わらないと思うんですよね、ぶっちゃげ子孫繁栄ちゅう点に関しては。

ハフィントンポストの記事を読んで「んん〜〜・・・なんか違うんだよなぁ・・」と感じたので久々にnoteに書いてみようかと思った次第。

てか、note息してる? 大丈夫かな??

お金がなければ恋愛できない社会。

上記記事を読んだ時に、モノすっごい違和感を感じたのですよ。それは何かというと、人間を社会的動物の観点からしか考察していないのではないか?という点なんですよね。そこでふと、長澤まさみさんの言葉を思い出しちゃったのです。

長澤まさみ、独自の恋愛論熱弁「女の人は子宮で考える」

私は長澤まさみさんの足が大好きですが、彼女のこの恋愛観もわりかし納得が行くというか好感を持ったんですよね。あ〜〜生き物だなぁ、ってね。

または、最近読んだマンガにも多少なり影響を受けたんじゃ無いかと思う訳ですが、それはコチラ↓

乙嫁語り 1巻 

男性が女性を選ぶ基準は、私が男性で有りながら今イチよくわかってない部分も多く、結果として「ビビって来たから」くらいの事しか言えないのですが、女性が男性を選ぶという事に関しては、長澤まさみさんの言葉や、乙嫁語りの中で度々でてくるような“生き物的観点における何か”に基づき、自分の産むであろう子孫が末永く反映する事ができるオスかどうか?という事を、各種チェック項目を設けて判断しているように思う訳です。そのチェック器官がもしかしたら子宮なのかもしれない?!的な。

とすると、お金に余裕があるという点は現在の人間社会における強烈な子孫繁栄の可能性を有している訳で、これは20世紀だろうが19世紀だろうが、金銭があらゆるモノを得るための重要な役割を担っている時代に於いて、チェックポイントになるのは必定と思う訳です。

同じように、猿山のボス的なカリスマ性を有していると言うことは、人間社会における地位を得る事に他ならず、それは社会的動物における上位に位置する事を決定づけるため、重要な要素になりえると思う訳です。

これって、20世紀が21世紀になったって、もしかしたら22世紀になったって大して変わるような事じゃ無いように感じるんですよね。それこそ人間の有史以前から生物が培ってきた、遺伝的に優れた種を残すための取捨選択の儀式なんじゃねーのか?と。

<引用> 何が言いたいのかというと、「経済的な豊かさは失われたのに、男女交際の作法やプロトコルは、豊かだった時代の名残りを引きずっているのではないか」ということだ。</引用>

ハフィントンポストの元記事で要点として纏められていた一文なのだけども、どーーーも私は「プロトコル」という言葉を使いたかっただけじゃないのか?って感じてしまうんですよね。プロトコルって何か使いたくなるしね。アメリカのドラマとかで出てくると私もついつい使いたくなっちゃうし。

しかしながら、最も私が違和感を感じたのは実はその隣の文章で「豊かだった時代の名残を引きずっているのではないか」という点なのでず。引きずっている・・・?? 違うなぁ・・・それは違う。違和感MAX!!!

何故か? それは、名残を引きずっているのではなく、元来人間が生き物として優秀な子孫を残そうと努力を怠らずに活動を続けているとするなら、時代背景に基づいて、女性の男性に対する評価基準は変化し続けるものではないのか?という観点。そして、その評価基準は短い時代の変化で考える事ができない現象であるように私は感じるからです。

例えば、狩猟時代からの男性に求めらて来た評価基準を超単純化して整理してみるとこんな感じになるんではないでしょうか?

腕力 → 体力 → 知力 → 対話力 → 統率力 → 財力

居住区の近くで狩猟が成立していた時代は、狩り場も近くそこでいかに獲物を獲得できるのか?という腕力に期待がかかりました。そして居住区近くに獲物が居なくなると、遠出をして獲物を得るために腕力と体力が求めらるようになりました。

そのうち、自分たちで追いかけて狩猟するよりも罠をしかけるという方法や、農耕し安定的に食料をえる工夫を始めました。より大きな収穫や、収穫の分配を決定するのに対話力が必要になり、または皆の方向性を纏めるための統率力が必要になりました。

高度に文明が発達し、狩猟や農耕の善し悪しで男性の価値が決まる時代では無くなったとき、財力が次の基準として台頭してきました。現代における「その男性の子孫は末永く繁栄する可能性があるか?」といった、生物的な女性の観点に、財力の項目が加わったわけです。また財力項目は加わって久しいため、既に多くの女性が基準を有しているといって過言では無い、というのが現状だと思う訳です。

最後に断っておきますが、「お金が無ければ恋愛できない社会。」に違和感があるというのが本記事の趣旨ですので、改めて違和感の根源と指摘するとしたら、それは「社会」として定義した事です。お金は、けっこう昔から女性が男性を品定めする時の判断基準だったし、これからも社会がお金をつかって生活していくシステムであるなら、変わらないと思います。

恐らく22世紀になったって変わらないと私は思うんですが、鬼がマジで笑いそうなのでこの辺で。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?