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教育とはチャンスを与え続けること(激怒した相手にチャンスを与えられるのか?)

このまえ久しぶりに仕事でカッと頭に血が上るほど腹が立つことがあった。

いい年だし、一応気を付けて行動しているので、うんざりしたりイライラしたりむかつくなーって思ったりすることはあっても、本気で腹が立つことって、あまり、ない。

だから、けっこう珍しいことだった。

仕事を頼んだ人(リーダーのご指名でその人に頼むしかなかった)が、理解が悪くプログラマーとしてのスキルレベルも至らなかったのだが、もちろんそんなことでカッとなったりはしない

どうもこの人、あまりにも仕事ができないために、
相手がへりくだっていると自分に非があることに気付けない、
それどころか相手が悪いと思ってしまう、という人だったようだ。

彼がどんな風に仕事ができてなかったかを説明すると、……

まず、私の仕事はシステム関連の仕事。
私が頼んだ仕事は、クライアントからの要件の技術検証だった。
その要件は、私達がそのクライアントに導入しているWebシステムで、あるチャットツールが使えるか、といったもの。

(実際はチャットウィンドウをこんな風に出して、こんなことができますか?みたいな複雑な要件だったのだが、ここでは割愛)

その要件はちゃんと最初から彼に伝えていた。
期待している動きとしては、
そのハイレベル(業務のレベル)の要件を自分で咀嚼して、
システム的に解決策をいくつか案出しをして、
それぞれ実際に動作するプログラムを作って検証し、
結果を報告する
、というものだ。

(技術検証ってそういうものなんだけど、
 それを彼は知らないのだと思う)

金曜日にクライアントに報告することになっていたから、
木曜日を締め切りにしたBacklog(タスク管理ツール)でタスクを依頼していたんだけれど、
出て来たのは金曜日の午後。

ここで大問題。

私達の会社のWebシステムで動く、ということを検証する必要があるのに、
ブラウザ(Chrome)の検証ツール(Chrome上で右クリックすると『検証』というメニューがあって、それで起動できるブラウザの機能。スクリプトを動かすこともできる)で手軽に確認しただけで動作確認して、
「技術検証して、結果『可能』でした」
って言ってきてる。

わかりにくいと思うので例えると、
「トヨタ・カローラで時速200kmから急ブレーキを踏んだときの乗客の安全性を実験してほしい」
と言われたのに、
「人力車で時速10kmで確認しました。安全です!」
って言ってる感じ。

つまり、相当ズレてる。

(うわ、まじかよ?!)

と思ったけど、ここは丁重に、
「私たちのシステムで可能かどうかを確認する必要があるので、システムの環境で簡単なプログラムを作って検証していただけますでしょうか?」
と依頼した。

回答。
「今日そこまでやる必要あります?」

(あるんだよ!無知め!)

と思ったけど、ここは丁重に、

「企画や仮説を立てる前に軽く検証する、という程度だったらそれでもいいのかもしれないのですが、今回はクライアントからの要件で、しかもいったんはできないと回答した要件にたいしてクライアントが「これならどうですか」と妥協して出してこられた要件なので、あとから「やっぱりできません」とは言いにくい状況です。お願いできないでしょうか」
と頼んだ。

回答。
そんなの聞いてなかったけどそれならやります。夜10時になります」

だから、定時時間内にクライアントにメールで「今日中に回答の見込みですが、夜になってしまいます」とお伝えした。

夜11時15分。
「できました」

Backlogを確認。
これこれこういうプログラムを作って検証したら『可能』でした、と記載されていた。

私も伊達に30年近くこの仕事をしているわけではないので、
作業した人が
「できました」
と言ったからといって、そのままクライアントに
「できました」
とは言わない。

受け入れ確認をする必要がある。
自分で検品したものしか出さない。

よし。プログラム1を動かし、プログラム2を動かし…

結果。

なんだ要件を実現できてねーじゃねーか!!

そう、彼に依頼した技術検証の結果、要件は満たせないということがわかったのである。
できなくても技術検証としては正しくて、
「不可能だった」
と報告があればなんでもない。
つまり、『この方法では不可能です』とクライアントに回答する、ということで良いのだ。

問題は、
『可能』
といけしゃあしゃあと答えて来ていることだけれど…

夜11時半にそんなことを指摘するわけにもいかないしな。
私はクライアントに
「申し訳ありませんが本日中に確認ができませんでした。週明けとさせてください」
とお願いするメールを出し、
とりあえず一晩、このタスクを寝かせることにした。

翌日。

画面を録画しながらプログラムの検証を行い、
Backlogに動画のリンクを貼り付けて、

「今一度ご確認いただき、要件が満たせていないという結論に結果を書き換えていただけますでしょうか。」
と依頼。

速攻で誤字だらけの回答
「N子さんがパワポで書いたとおりにできています」

(……お前は何をいっているの?)

私はプログラムを作ることを注文したんじゃなくて、フィージビリティを検証してくれって言ったんだから、
検証プログラムを作ったらから
「できました。可能です」
じゃないのよ。

そして極めつけは
「要件を小出しにされて工数がかさんでおりますのでご注意ください」

って書いてあったのよ!!!

うっわ、思い出すだけで血圧上がる。

(はぁあ? お前が、私の、時間を奪ってるんだろ!!この役立たず!!!)

って思ったけど、ここは丁重にSlackで
「Backlogでいただいた回答ですが、月曜日朝9時から打ち合わせを入れさせていただきましたので会話させてください。ご都合悪ければご連絡いただければと存じます。よろしくお願いいたします」
と提案。

もちろん、私、怒ってるよ。
激怒してる。
何にかって、理解が悪いから丁寧に何度も説明したのに、「要件を小出しにされて」いると相手の親切を捻じ曲げて自分の言い訳に使う耐え難いほどの卑しさよ。

タイトルに書いたように、
教育って、チャンスを与え続けることだと私は思う。
何かを教えるとか、ミスや思い違いを指摘する、というのは副次的なことで、本質はチャンスを与え続けることにある。
なぜなら、人は自分でやってみることでしか何も習得できないから。

彼に何度も説明をしたのも、出てくるものに丁寧に改善を求めたのも、その教育の精神に基づいている。

この人全然仕事ができないな~と思っても、
タスクを取り上げてこちらでやってしまう、というのは悪手で、
諦めずになんとか導いてやってもらうことで、
時間はかかっても人は上達し、またその仕事に対しての責任感も生まれる。

組織で仕事をするからには忍耐して取り組まなければならないのが教育というものだ。
辞めていく人もいて、経験の浅い人が入ることもあって、組織の新陳代謝がうまく行くためには経験の浅い人の成長が必須だ。

でも、ねえ、どうだろう?
ここまで腹が立った相手に教育なんてコストの高いことをしてあげることはできないよ。教育が私の仕事ってわけでもないしね。

今回の人のことは、敬遠しても、いいかな。
だって体に悪いよ、激怒するなんて、ほとんどないからね。

うまい具合にね。
上手に。


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