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成り行きのディストピア

未曾有のコロナ渦が収まらず、世の中の生活様式が大きく変わった。
昨年2020年はエンタメが窮地に追い込まれ、不要不急の存在だと扱われた。

自分が主宰するFOX WORKSでは、演劇公演的な物としてはSPAC県民月間の企画、劇リンピック内での作品のみになった。

当初は通常通りの小規模な演劇作品を創作するつもりだったが、感染症対策により配信公演となり、接触を行わない。マスクを装着すると言った制約が追加された。

そこで、飛沫対策のためマスクを必須とする。台詞は録音という形式にした。
例え主催側でどんな対策要請が出たとしても、対応できることを第一にした。
しかし、そのままではただ録音した台詞に合わせるだけになってしまう。登場人物がマスクを着けたまま録音された台詞に合わせる理由は何だろう…。
その結果、予め決められた行動予定に従って生活する、ある種のディストピアの表現、そして役者が発している台詞と、彼等の本当の心情が異なるという物語の構成を作った。

逆境を利用して、新しい試みが産まれることもある。作品のクオリティや新進性はともかく、図らずも現代の社会の縮図のようになった。

ディストピアとはユートピアの対義語だが、その世界で暮らしている人々が不幸だという訳ではない。管理されること、理不尽であること、支配層の思惑通りに生きていくことを受け入れ、素晴らしい世界だと信じている。そして、その世界がおかしいと思う人物は異端とされる。

劇リンピックで公演した作品に対して、観客が今の社会に対するメッセージ性を感じ取ったのであれば、それは今の社会がディストピアに類似していると人々が感じているからではないだろうか。だとすれば、観客の多数は社会への違和感を覚える異端児であると言うことだ。本当は心の奥底で感じている言葉を、文化芸術という形で代弁してもらえたとき、人は共感し、危機感を再度確認できる野だと思う。

今の社会が違和感にあふれていることは、多くの人々が感じている。そうした人々の声なき声を代弁することも、演劇やエンタメの役割、力の源泉だと私は考える。

しかし大切な要素を忘れてはいけない。思いを代弁した後には希望が残せること。
フィクションがフィクションとして、現実の世界に影響を与え、希望に向かわせることも、演劇の大切な役目だ。

演劇でウイルスは倒せないが、ウイルスと戦い勝利した未来を目指させる力を失ってはいけない。

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