見出し画像

歩けば知らないことばかり/お母さん       ① 熊野古道1日目

  旦那と2人、団体旅行で熊野古道を歩いた。
 団体といっても参加者は6人。添乗員さんが1人、2泊3日の旅のはじめから終わりまでついていてくれる。
 羽田から大阪の伊丹空港まではひとっ飛び。何故か大型バスでお出迎え。和歌山県田辺市に向かう。
 古道ガイドは T さん。6~70代と思われるいかにも誠実そうな方だ。
 初日は田辺市の主に「大辺路(おおへち)」とよばれる道を行く。
 最初に案内されたのは、合気道の創始者、植芝盛平(うえしばもりへい)生誕の地だ。植芝盛平は、様々な武術を会得、更に修業を重ね、大正末期から昭和初期にかけて、心身の修養を主とする合気道を創りあげた。
  敵と闘うためではなく、相互に敬意をもって鍛えるもので、和の武道とされているのだそうだ。合気道って、私が感じていたものよりずーっと崇高な精神のものだったんだなあと改めて思った。
 生誕の地は特に何もない家の跡なのだが、道筋には「植芝」という表札が何軒かあり、親戚かなあなどと想像しながら歩くのも楽しかった。
 その後、出立王子(でだちおうじ)のお宮や龍泉寺(道成寺の清姫ゆかりの寺)、浄恩寺(備長炭の備中屋長左衛門の墓がある)、弁慶の腰掛け石などの史跡をまわった。
 町中には、昔何十軒もあった蒲鉾屋さん。今は数軒になったとのことだが、「南蛮焼(なんばやき)」という大判で分厚い蒲鉾が名物として売られていた。
  買ってみたら食べきれないくらいボリュームがあり、物凄く美味しかった。
 また、新宿のゴールデン街を新しく整備したような「味行路(あじこうろ)」という路地裏の飲み屋街も店の多さに驚いた。

 世界遺産の闘鶏神社もとても落ち着いた雰囲気の立派なお社である。印象的なのは、神さまと仏さまを一体のものとして一緒に祀っていることだ。もともと日本の神さまは、おおらかで、仏教の仏さまも敬意をもって受け入れていた。現在の熊野三山では、その伝統を誇りをもって受け継いでいこうとしていると感じた。
 闘鶏神社の境内には、熊野三山と熊野水軍を率いる熊野別当という役をつとめていた湛増(たんぞう)と、あの武蔵坊弁慶が親子としてならびたつ銅像が建てられている。
 私の故郷は岩手県で平泉に近く伯母もいたことから、しょっちゅう遊びに行っていた。義経や弁慶は、小さい頃からとても馴染みのある歴史上の人物である。
 しかし、田辺が弁慶生誕の地とは全く知らなかった。しかも、弁慶にお父さんがいるなんて、考えもしなかった。
 というわけで、親子の像をみて、単純にびっくりした。田辺市役所には移設された弁慶産湯の井戸もあった。日本の各地に弁慶や義経ゆかりの地があるが、田辺でも大切にされているんだなあと知った。
 1日目の最後は、海辺近くの武道館そばにある植芝盛平の銅像だった。
 「植芝盛平のことも合気道のことも、全然知らなかった!」
といったら、大学時代合気道部にいたというガイドの T さんの
「田辺にくるまで、私も知らなかったですよ」
との言葉を聞いて、思わず笑ってしまった。
 天候にも恵まれただけでなく、真面目で丁寧な解説をしてくれた T さんのおかげで、知らなかったものに数多く会えたような気がする。

 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?