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バイクに乗る人・乗らない人の境界線って何だろう?

#本と珈琲とときどきバイク #バイクと出逢うための本屋 #バイク乗りと繋がりたい #バイクと一般人とを繋げたい #バイクに乗る乗らないの境界線

今回はかなり長文です。所要時間約15分ほど。

バイクに乗る人・乗らない人の境界線って何だろう?
今まで誰も真剣に考えてこなかっただろうこの境界線。ネットで「バイクに乗る理由」とかで検索しても、半ばネタのような名言&迷言ばかりで、乗っている側からすれば「あるある」と共感や笑い話になるのだけれど、乗ってない側からするとピンとこないどころか、そんなこと調べようともしない。だってバイクに興味すらないのだから。
バイクに乗る乗らないを分けるのは、バイクを知るきっかけが大きな理由なのではないかというのが僕の仮説。そんなん人それぞれやろ!と言ってしまうのは簡単だし実際そうだとも思う。一方で、このままでは新しい潜在的なバイク乗り候補生を見つけることができないとも思っているので、これから本屋というかたちでバイクとの出逢いをお手伝いしたい身としては、この話題に一度向き合ってみる必要があると考えたのでした。
そんなバイクに乗る乗らないの境界線、、、どこかあるようでない、ないようである、しっかりとした輪郭はないけれど、確かにそれはある気がします。この境界線について、漠然と僕が思っていることがあるので、ここに記したいと思います。ここでは既にバイクに乗っている人に目を向けるのではなく、バイクに乗っていない人にどうやったらバイクにアンテナが向くかということを主目的にしていますので、そこらへんご容赦を。

一般的にバイクに乗るイメージとして、「危険な乗り物」「免許が必要」「お金も必要」「不便」「野蛮」と一番シンプルな心理的&物理的問題がまず挙げられると思います。バイクに乗ってない人に聞いたら、ほぼ誰もがそう答えるだろうと予想。このハードルの高さが一般的にはネックだと思われていますし、それが乗る乗らないを分ける境界線だと、僕も表向きには同意します。
ところが「本当にそうか?」という疑問がずーーーーっと頭の中にありまして、、、もっともっと深く潜っていけば、そのハードルの向こう側に「本当の境界線」があるのではないかというのが、僕の見解です。
一定の年齢以上(40歳半ば以降くらい)であれば、日本のバイクブームを経験しており、生活の中に当たり前にバイクがあった時代。今と価値観は違えど、バイクの魅力がスムーズに伝わる世代だと思います。
子育てが終わった年齢あたりから、しばらく乗れてなかったバイクに再び乗り始めるリターンライダーが年々増えており、実際その層が日本のバイク文化を支えているのは事実。(これはこれで語る部分多いですが、ここでは割愛します)
今回フォーカスしたいのはその世代層ではなくてこれからの若者たち。20代半ば以前の若年層はどうやってバイクを知り、バイクに乗る乗らないを分けるかということ。

ただ、前提としてどうしても「危険な乗り物」というハードルは、人の性格上、どうやっても乗り越えられないものだとは思います。例えるなら、絶叫マシン苦手なのに、克服しようと無理に頑張る人はそうそういないはず。
そう捉えると、男50人女50人の計100人のバイクに興味ない若年層にバイクを勧めても、少なくとも半数程度は「危険な乗り物」が一番の理由で乗りたくないと即決する人が多いのではないかと感覚的には感じます。やはり「怖い&死にたくない」という感情は人の性格上敏感な人もいれば鈍感な人もいるので、生理的なもの。そこはどうあがいても簡単に突破できるものではありません。そこまで無理してバイクに乗る必要もありませんし。すると50人ほどが残る計算になります。
あとは「いろいろ面倒くさい」「とても乗りこなせそうにない」というコメントもありそうです。第1関門としてはそういう人たちも含め、100人中50人ほどは頭からバイク乗り候補生には入ってこないだろうと思います。

次の理由としては「免許とお金」問題。これはまだ生徒や学生ら若年層は、親からの自立がまだできてない層が多いので、自分で決められないことが多い。例え自分が「バイクに乗りたい!と思ったとしても、貯められるお金はアルバイトの範疇なので、できることは限られます。となると親を頼るわけですが、一般的な親はバイクよりも車の免許のほうを取らせたがるでしょう。実家暮らしであれば、車の免許と車本体まで面倒を見てくれるご家庭もありますが、県外や都会へ下宿している人なら、免許含め車は「頑張って自分で買って」と言われるのが関の山ではないでしょうか。よほど都会でもない限り、何をするにも車が必要な現代なので、仕方がないと言えます。ましてや親が「バイク反対派」だった場合、なかなか親を頼るのは難しい。そもそも「バイク賛成派」の親の方が少数派なので、一般的には、自分の子供にバイクに乗らせるという選択肢は親にはないと思ったほうがよいでしょう。
周囲の友人知人にバイク乗りがいた場合は、バイクに触れる機会も自然とあるだろうとは思います。そういう環境だった人はバイクに乗ることを選択する傾向にあるのは確かですが、「周囲が乗っていたから」とか「周りに合わせたくて」といった受動的な理由は、正直あまり良く思っていません。私個人としては「自分の意思でバイクの魅力に気づき、乗ることを選択すること」があくまでベストだと思っています。そこにこそ、これからのバイクの未来を担う、新しい潜在的な素敵なライダーがいると私は予測しています。
少し脱線しましたが、生徒や学生の身でバイクに乗るということは、アルバイトをがむしゃらに頑張るか、家族に理解があるか、よほど経済的な余裕がない限り、バイクに乗るという選択肢が出てくる可能性は低くなるのが必然だと思います。当然、若年層は勉強に恋にファッションなどの流行も押さえないといけませんから、バイクが好きだとしても、バイクのことだけ考えているわけにはいきません。若年層も日々忙しいはず。
となると、さきほどの残った50人の内、それでもバイクに乗りたいと思ってくれる若者はいったい何人残るのでしょうか。さらに半分かそれ以上にまで減る気がします。都会と地方、地域でも差が出てくると思います。ここでは多く見積もって20人としましょうか。内訳は男16人、女4人くらいの感覚ですかね。この100人中20人はなんとか免許を取ってバイクに乗ろうとしている貴重な層になってくるかと思います。そこからさらに受動的ではなく、自分の意思でバイクを選択するとなると、10人にも満たないだろうと思っています。
受動的にバイクを選択した層は、すでに周囲にバイク乗りの先輩がいるでしょうから、敢えてこちらからバイクの魅力を伝える必要はないでしょう。一方で自発的にバイクを選択した層は、周りに頼る人もいないし、バイク仲間もいません。周囲のバイク乗りは怖そうだし、、、(乗ってる本人たちはそうじゃないにしても、世のバイク乗りは威圧感がスゴイという自覚がなさすぎる気が、、、)基本はネットで調べるか、ショップ店員が情報源。

最後に「不便」問題。そうやって20人ほどがバイクに乗ろうとしてくれると予想しているわけですが、若年層は不便だろうが若さで環境に適応していく力があるので、不便は不便だけど、ここまできたらバイクの不便さが魅力の一つだと自ずと気づくはず。
ところが社会人になった途端、バイクに乗らなくなり、手放すケース。それは会社員であれば、平日は電車通勤やマイカー通勤が基本。バイク通勤している方は珍しいのではないでしょうか。かといって土日も必ず乗るわけではありません。雨や雪の日は乗りたくないし、次第に結婚し、子どもが生まれ、とてもバイクに乗る時間などなくなっていきます。駐輪場問題や、車検も必要。この頃になってくると、バイクは完全に生活には不便で、不必要な存在になっていきます。免許は持っていても子育て期間はバイクを手放し、子育てが終わればまたバイク生活を復活させるというステレオタイプができてくるのは必然。乗り続けるのも意外と難しいもの。社会人になっても乗り続けるケースは20人中4、5人くらいじゃないでしょうか。
ただ、この「不便」問題はバイクに乗っている人なら当然のこととして、そこも魅力の一つという認識があるので、乗る乗らないを分ける境界にはなりにくい。「不便」によって乗る乗らないが分かれる場合は、「生活上仕方なく」という枕詞がついてくる気がします。

こうやって考えてみると、バイクに乗る乗らないを大きく左右する分岐点は小中高の生徒時代や専門&大学生時代にバイクに出会えるかどうか。そしてどう出会うかも重要だと気付かされます。
さらには社会人になってもバイクに乗り続けたいと思ったり、友人知人や異性などのパートナーにもバイクを勧めたい意思を持つかどうか。この感性を持つことも未来の素敵なライダーを増やす上では欠かせないでしょう。

そのポイントとして僕なりに気づいたことがありまして、、、
それは「好奇心・感受性・美意識」の3つの感覚の豊かさが乗る乗らないを分ける大きな要素なんじゃないかと考えています。
まずは好奇心。これは単純に何かに興味を持つアンテナが多いかどうか。いろんなことに無気力な人はバイクには絶対乗らないし乗れないと思います。「あれが好き・やってみたい・なんか面白そう」いろんなモノ&コトにアンテナを向け、そういうポジティブな感性を持つことが、自ずとバイクに出会える大きな一歩かと。
続いて感受性。これは何かを受けた時に感じる感情の豊かさを表します。一般的には「喜怒哀楽」。他にも「美味しい・綺麗・怖い・ヤバイ・暑い・寒い・眠い」などなど、、、いろんな感情が人間にはあると思いますが、それを感じる力。バイクにはこれらの全てが揃っていて、乗ることでほぼ全ての感情を全身で感じることができ、自ずと洗練されていきます。バイクは感受性増幅装置と言っても過言ではないと思います。この時代を豊かに生き抜くヒントがここにあると僕は考えています。ただ、バイクに出会うまでにこの感受性をどう磨くかが重要。
最後に美意識。これは隠し味。自身が「何を好きで、何をかっこいいと思い、何に憧れて、何がイヤで、、、」などの美的感覚の積み重ねのこと。すでにバイクに乗っている方を見るとなんとなくわかるように、ライダーたちはこだわりがかなり強い生き物。100人ライダーがいたら100通りのルールがあるくらい皆さんこだわりとクセが強い。どれが正しいとか間違っているとかいう話ではなくて、各々こだわりを持つほどに、物事に対する感度が高いということ。その背景には、皆さんいろんな経験をして掴んできた好奇心や感受性があるわけで、それを積み重ねていった先に自分らしい美意識&世界観ができあがるのは自然なこと。つまりバイク乗りには自分らしく生きる美意識を持った人が多いということ。この窮屈で生きにくい現代において、バイク乗りの皆さんはなんだか楽しそうですよね?それは心が豊かな証。
以上の3つの感覚を若い頃から積み重ねている人は自ずとバイクという選択が人生に現れてくるはず。それでもこの見解に当てはまる人は100人中10人にも満たないとは思いますが。

バイクを通して体験できる様々な物事は、とても美しく唯一無二です。少なくとも僕にとっては、バイクに乗るというだけで世界が美しく見えるトリガーなのです。この窮屈な時代を豊かに生きるヒントが、全てバイクにはあると強く信じています。


偏見もあると思いますが全て僕の持論です。以上が僕の視点によるバイクに乗る乗らないを分ける境界線だと考えています。ここまで書いても、その結論はハッキリと輪郭があるようでない、まさに抽象的。
直接的にバイクと出会わずとも、若い頃に「好奇心・感受性・美意識」を磨くということがバイクとの出会いを左右する大きな境界線であると僕はそう断言したい。

そして、

僕はそんなバイクとの出逢いを「本屋」というかたちでお手伝いし、バイク文化に貢献できればと考えています。
「好奇心・感受性・美意識」の3つを磨くのに最適なのは「本」から得られるいろんな言葉・写真・絵・情報です。妄想すること、想像すること、創造すること、考えること、感じること、美しいと感じる心、、、その他多くの感情を「本」ならいろんな方向から誰でも簡単に磨く事ができる。このご時世、子どもの頃から「あれしたらダメ、これしたらダメ」と何かと生きづらい社会ですが、本ならそのハードルは高くない。老若男女誰でもできること。そこにこそ未来の素敵なバイク乗り候補生が隠れていると信じています。


ここで少し触れておきます。若年層も中年層も、バイクのイメージとしていまだに先行しているのが「ヤンキーマンガ」。バイクには「不良・喧嘩・ヤンキー・男らしい・レース・度胸試し・ハードボイルド、、、」というイメージ、これが定番であり王道。世界的にもそうだし、日本のバイク全盛期をたどっても根強い背景として確立された文化。いまでもその文化に憧れてバイクに乗る若い層もいますし、リターンライダーはそこに習っている人もいます。
私見ですが、これはもう時代遅れなのでは?と感じます。バイクに乗る乗らないに関わらず、一般的な若者にはすでにカッコよく映らないのではないでしょうか。バイクへのネガティブイメージが拭えないのも、その文化に憧れがある層がいまだに一定数いて、このご時世社会的に悪目立ちするからでしょう。
僕が描いているのは、もっと静的で文化的な人にこそバイクに乗って欲しいという願い&ビジョンです。ゴリゴリの体育会系やオラオラ系にはあまり勧めたくないというのが正直なところ。そういう人は放っておいても勝手にバイクに乗りますしね。そういう感性を僕は持っています。僕は地味で大人しいマイノリティなバイク乗りを応援します。
勉強が好きな人だって、運動神経が悪くたって、インドア派だって、地味な性格の人だって、女性だって、子育て中のお母さんだって、背が小さくたって、非力だって、いろんなコンプレックスがあったって、、、そんな世の中のバイクイメージとは離れているかもしれない皆さんにこそバイクに乗ることを全力でオススメしたいのです。そのための本屋なのです!


余談ですが、調べてみました。
現在、日本のバイク登録台数は1000万台ほどだそうです。日本の人口が約1億2000万人くらいで、、、となると10%未満です。10人に1人も乗っていない。しかも登録台数だから実際はもっと少ない、、、数字で見てもさきほどの100人中20人というのはだいぶ多めではありますが、自分の感覚的な数字にも関わらず、当たらずとも遠からず。ちなみに2018年のバイクの売上台数は約36万台。バイクブーム全盛期の1983年は約360万台なので、まさに10分の1。2020年以降はコロナによる需要増加はありますが、社会的にはどんどんバイクの未来は先細り。都市部では乗れなくなるかもしれなかったり、、、
私の「バイクと出逢うための本屋」という挑戦は、そんな劇的にバイク乗りの数を増やすものではありません。せいぜい100人中10人バイク乗りがいるとして、それが11人になる、もしくはその10人の中で少しバイクへの考え方が変わるとか、そういった類の挑戦です。ただ闇雲にバイク乗りの数を増やしたいのではなく、あくまで「素敵な」バイク乗りを増やしたいのです。ただでさえバイク乗りがマイノリティな上、さらにそのマイノリティな価値を攻めるわけですから、かなり難易度は高い。それでも自分の人生を賭けてでも達成したいと思っています。
僕が、“永く続けることで美しくなるもの”と思ったのが本屋。好奇心・感受性・美意識を磨くのに最適なのも本屋。密になれない今だからこそ本屋。1人で120%愉しめるのが本屋。悩んだ時も本屋。頭の整理をしたい時も本屋。何かを探したい時も本屋。本屋って万能ですね。。。その本屋を母体として、人生を賭けてバイクと人とを本でつなぐプロジェクト。僕が80歳になる頃には日本のバイク普及率30%くらいを目標に、日々微力ながらバイク文化を支えたいと思います。

できれば100年続くバイクと出逢える本屋を目指したいものです。

長文読んでいただきありがとうございます。これはあくまで私見ですので、共感いただければ幸いの範疇です。
それでは今回はこの辺で。

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