ぱちんこ屋営業の歴史資料について

昔、40年位前に始めてパチンコ屋に入ったのは、小学2年のときだった。同級生のお父さんがラーメン屋の親父でランチ営業のあとのアイドルタイムに連れて行ってくれた。

床に落ちた玉を20個拾う。自動販売機に入れるとジュースが出てきた。それから小学2年の僕らは、玉を拾いジュースに変えることに夢中になった。

3日目、パンチパーマのお兄さんに「子供は子供だけで来てはいけないよ。お父さんと一緒に来なさい」といわれ、出入り禁止を食らった。

私とパチンコ屋の出会いは、このように結構早かったのですが、当時から、夢中で時間をつぶす大人たちの真剣な顔は、ものすごく印象深いものでした。

令和2年になり、おそらく日本中のパチンコ屋の多くが廃業すると思われます。勝手な予測ですが、今の時点で1万軒弱《全国の中学校の数に匹敵》ありますが、来年には、数千軒が廃業または、業態転換をすることになりそうです。

パチンコ屋は、いつ頃からどのような人が関わりどのように発展し、成熟し、衰退して行ったのか?公的な記録があまりないので、「想像を加味して」ですが、調べた事を書いていこうと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?