高難度アセット2

現在中華系のパチンコホール運営会社の首都圏事業の中核店舗となっている店とその隣地の地歴が実に複雑なことをオブラートに包んで紹介します。

昔、都心部で多数が死傷するホテル火災がありました。今では、死亡保障に特化した外資系の生命保険会社のビルが建っていますが、バブルの頃は、ずっと廃屋でした。時に派手なスーツを着た角刈り頭のかたが耳と尻尾を切ったドーベルマン数頭を従え巡回していた事もあります。

ホテル運営会社は、経営者を含め火災の責任を問われました。運営会社の系列のボーリング場やパチンコ店などを営む商業ビル会社は、全盛期に政治にも強い力を発揮し時として自社所有物件の都市計画にも容積率緩和など荒業が効いたようです。しかし、社会的な責任追及の中でその会社は、どんどん資産を減らし、創業家に残ったのは、山の手地区のスーパーの底地と件のパチンコ店の底地くらいになりました。

パチンコの底地には、以前ボーリング場とパチンコ店の入居する複合商業施設が建っていました。地面は、九州のパチンコ店経営者から中華系のパチンコ店経営企業に転々と譲渡されました。

九州のパチンコ店運営企業は、なぜ底地の開発が出来なかったのか?には諸説がありますが、一番信憑性が高いのが現在中国系の第2地銀出身の方に伺った説です。底地にもともとあった複合商業施設に入居していたパチンコ店は、家賃を払わずに営業をしていた。景品交換所も然り。という話しもまことしやかにささやかれていました。よくない筋のひとたちに食い物にされていたのです。

新しいオーナーが建物を取り壊し、あたらしくパチンコ店を中心とした商業施設を建てたくとも引っ越し代とか1坪借りているだとか、その筋をにおわせた方々の行列が出来てしまったようです。

結局九州のパチンコ店経営会社は、その土地を別の地域の中華系のパチンコ店経営企業に売却し、そこの店舗開発部の尽力で、今でも首都圏で稼動数が指折りの繁盛店にすることが出来たようです。

結論だけを文章にすると、たいした量になりませんが、実際に委任状を持った数十人の反社会勢力かもしれない方々と対峙するはめになった九州のパチンコ店経営会社の方は、大変な苦労があったと思われます。それにしてもすごいのが中華系のパチンコ店運営会社の事案解決力です。人的な力、組織的な力の結集した問題解決に向けた総合力が素敵です。

間違ってもこのような事案には関わりたくないと心底思いました。



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