日本のゴルフについてうんちくを少々

#ゴルフを語ろう

ゴルフって、ハンデがあってうまい人の下手な人も一緒に楽しめる面白いスポーツです。おばあさんと高校生が一緒に熱くなれる遊びでもあります。僕は、ゴルフが好きでしたが、最近は、あまり熱心にやらなくなりました。練習は行くけれどラウンドをしなくなりました。休日の8時間9時間使うのがもったいないように思い始めて、練習だけやるようになりました。ラウンドが一番ですが、練習でも十分楽しいです。

ここからは、日本のゴルフについて少し時代をさかのぼって思うところを書いていきます。

日本におけるゴルフは、悪く言うといけ好かない金持ちのスポーツでした。私の師匠の一人は、丙種で徴兵検査に落っこちた昭和17年が一番ゴルフが当たっていたそうで当時でハンデ8だったそうです。その後、エイジシュートが狙える年齢までゴルフをやられましたが結局、エージシュートはなりませんでした。この方は、金持ちでしたがいいおじいさんでした。

ゴルフが日本に輸入されて、しばらくは、第1次世界大戦で成金になった赤星一族や、明治維新で成り上がった元下級武士の貴族、あるいは、お寺のお坊さんだがゴルフ好きだった大谷さんなどいろいろな人がかかわりました。イギリスのゴルフを大谷さんが学んで、赤星さんはアメリカのゴルフを学んだようです。この赤星家は、息子を番号で呼んでいました。四郎とか六郎とか。この親せきでもう一人面白い人がいて、ブラックバスを日本に輸入した人もいます。赤星鉄馬が持ってきたのは、ノーザンラージマウスバスです。芦ノ湖に放流して、釣り人を喜ばせました。ちなみにブルーギルは、上皇陛下が一碧湖に研究のため持ってこられました。

ゴルフ場には2通りあります。

まずは、伝統的な有名なゴルフ場。関西では、広野、東京では、昔駒沢公園にあり、それから和光樹林公園あたりに移って最後埼玉の狭山あたりにて現在も運営されている東京ゴルフクラブが伝統的なゴルフ場と言われています。関東では、その隣の霞が関、千葉の安孫子、高野台、神奈川の相模、東京の小金井などただ高額なだけでなく紳士クラブ的な閉鎖的なゴルフ場が結構あります。ほかに軽井沢にも新、旧ゴルフ場と言われる伝統コースがあったり、西武が合併した元ホテルオークラ系列では、川奈ホテルがあったりします。あと、箱根もありますね、伝統的なゴルフ場は、ほぼ持ち回りで日本オープンなどJGA主催のゴルフ大会の会場になることが多いです。

一度は行ってみたい。伝統コースですが、行ってみると、その接客態度の悪さにびっくりします。コース整備はしっかりしてますが、キャディさんは、商業的にゴルフをやっているユニマット(貸金業)とかアコーディアやPGM(パチンコメーカー)あるいは、太平洋ゴルフ(パチンコ店のマルハン傘下)のほうがずっと快適です。

もう一つ、実は伝統でないけれど楽しいゴルフ場は、バブル期に作られて、今花開いたゴルフ場たちです。何とか維持しながらでしょうが、バブルのころに設計者が意図した植栽の大きさ(木が茂った)になって、いいゴルフ場が増えました。しかも安い。セルフスタイルで、整備は、完璧でない場合もありますが、まわって楽しい安いゴルフ場は本当に増えました。

日本のゴルフの歴史は、貴族っぽい金持ちと貴族が明治大正時代に始め、植民地の台湾にも淡水などいいゴルフ場をつくったりしました。ちなみにゴルフのほか釣りも好きだった人がいたようで台湾にヤマメ、アマゴを放流したのも日本人のようです。当時は、プロゴルファーは、見下されていました。

アメリカでも、イギリスの貴族然としたスポーツマンシップを真似て、プロゴルファーは、見下されていましたが、アーノルドパーマーの時代にそれが変わりました。

日本では、敗戦後の高度経済成長の時代に、ゴルフ人口が増えて、ゴルフの大衆化が進みました。競技人口が増え、また、従来の日本のおけいこごとのようにお師匠さんが偉いと大衆は思うわけで、プロゴルファーの地位はぐんぐん向上しました。しかし、いままで目下に思っていたプロが急に偉そうになったのを見て面白くなかったのがJGAの面々です。貴族然とした金持ち(エスタブリシュメント)、と元貴族です。

元貴族でいうと江戸時代地方の藩の藩主の直系だった方が、当時ポニーテールで人気だった女子プロゴルファーのトレードマークのポニーテールをパーティ会場でみんなの前で断髪するような、無礼な行為をしたり。

そんな貴族然としている嫌味な連中の世話を最後までやっていたのが、ジャンボ尾崎の前の世代のプロゴルファーです。貴族になった大倉財閥のホテルだった川奈ホテルで修業をした地元の人や台湾から来たプロゴルファーが中心です。商業的に成功していたのは、ビッグすぎこと杉本英世氏など。ただ、杉本氏のアマチュアへの指導などは、偉そうで好きでないですが。

また、ジャンボ尾崎前後にアマチュアのボビージョーンズの再来と言われかけた極洋捕鯨の御曹司がいました。中部さんです。ブルジョアが親の金でゴルフしてうまくなって、なんで尊敬されるのか?正直私には理解に苦しみますが、ゴルフライターとか、ネタに困ったスポーツ記者の類が勝手にアマチュアイズムのシンボルのようにあつかっていました。ご当人は、どう思っていたかわかりませんが、私は、ゴルフがうまいだけで尊敬はできないと思います。

石油会社が日本に油をかわすために当時最強アマだったジャックニクラウスを日本に連れてきたエキジビジョンで中部さんはプロをあきらめたと何かで聞いたことがあります。それから、どのくらい会社を大きくし、経営者として社会に貢献されたのか?そこがいつも明らかにならないので、ただゴルフがうまいだけの方という表現になってしまいました。

似たようなお金持ちの息子さんでポパイといわれた倉本さんは、プロとして大成されました。今も活躍されています。

松山英樹さんまでの日本のゴルフの歴史を大急ぎで書いていきます。

誤字脱字は、今度直します。

ビッグ杉の後はジャンボ尾崎、青木、中島の時代になっていきます。だんだん面倒くさくなってきました。敬称略します。

尾崎、青木の凄いところは、自分の金でゴルフを学んだところがすごいです。キャディーをやったり、プロ野球選手だったりして自分で稼いで、技を身に着けた。中島は、お父さんのスパルタ。

みんな味のある選手でした。

青木は、奥さんが英語を話す人だったのとキャラでアメリカで活躍しました。全米オープンでニクラウスが最後に優勝した時にすごいしのぎあいをしたので人気がでましたね。

バブル経済とともにゴルフ場も増え、ゴルフをするおじさんも増えました。また、経済的に成功した人は子供にゴルフをさせましたのでジュニアゴルファーも増えてきて、ジュニア出身のプロゴルファーがジャンボ尾崎、中島、青木のあとの主役になっていきます。渡辺司、宮部博文などがおそらく最後のジュニア出身でない選手で強かった選手かもしれません。

もう一度尾崎に戻ります。バブルの時黄という闇カジノのオーナーのWOSSというパターと使用契約をし尾崎は、長年つきあってきたブリジストンと契約を切りました。また、バブルの時の不動産投資の焦げ付きなど経済的にも大変だったようです。表経済のブリッジストンをやめて、闇カジノオーナーのパターメーカーと契約してしまうあたり世渡りがあまりうまくありません。

しかし、尾崎の凄いところは、指導力です。ジュニアも、プロも尾崎に教わってあるいは、尾崎主催のジュニアの大会で活躍しチャンスをつかんだ人はたくさんいます。おそらく日本のプロゴルフのレベルを引き上げた最大の功労者は、尾崎と思います。

いまも、編集とかめちゃくちゃですが、現在の尾崎やその弟子たちの練習風景は、ユーチューブで見ることができます。

青木氏はJGTOのトップできれいな仕事をしています。しかし、実は、JGTOをここまでの組織にしたのは、週刊誌などでエビジョンイルとたたかれた元NHKの海老沢さんです。営業マンとしての心得を選手たちに叩き込みました。JGTOの2軍戦でくすぶっている選手たちも海老沢さんがトップとして改革をするまでは、挨拶もできない生意気な金持ちの小僧みたいな子が多かったです。海老沢さんが彼らに商売の心をおしえ、日本風の法人営業の在り方を叩き込んだと思います。そのあと青木さんが、長嶋茂雄的にがんばっている。

ただ、日本のプロゴルフの在り方に厳しいのがタケ小山です。企業のスポンサーする試合ばっかりで結局試合が育たないことを危惧しています。USPGAの試合は、歴史のある地方のオープン協議会が沿革にあるものがけっこうあり、地元の人がチケットを買って参加します。賞金の原資が地元の人の買ってくれたチケットです。従ってプロは、賞金をくれるギャラリーを大事にします。日本だと、企業がスポンサーで、ギャラリーは障害物扱いとまでいきませんが、ただの野次馬あつかい。試合会場に足を運んでたのしくなかった思いをした人も結構いるのが日本のプロゴルフの試合です。小山のこの指摘は、日本の興行の根本を改革する話で、すぐにどうこうできるものではありませんが、今後のすべてのスポーツ興行で視点としては取り入れるべきものと思います。

ともあれ、松山英樹がマスターズで勝つまでには、いろいろな取り組みがゴルフ業界を挙げてなされていました。

松山英樹は、庶民の子です。親父さんは、釘師というかパチンコ店の店長のような仕事をしていたようです。愛媛県の田舎のパチンコ屋関係者、しかも雇われの店長。パチンコ屋は、いまでこそ儲からない商売ですが昔は店長は、銀行の支店長くらいの収入があったかもしれません。しかし、親父さんが毎日汗をかいて稼いだ金で息子さんのゴルフに投資しました。そして松山英樹のもとを作ったわけです。

松山英樹前の日本人メジャー優勝者は、女性で二入いました。樋口久子と渋野です。ふたりともすごいですが、ほかにも女性だと岡本綾子、小林浩美など賞金王になった全世代の人、宮里藍などちょっと前に引退したすごいチャンピョンがたくさんいました。みんな女性です。松山以外で海外で最強クラスだったのは、シニアで海老原くらいです。かれは、ヨーロッパの賞金王になりました。あと沖縄の友利もヨーロッパで数年戦いました。すし石垣も頑張って挑戦しました。アメリカでは、昔フジサンケイで勝った後明治大学の久保谷がいったり、丸山がいったりしましたがメジャー準メジャーですごい戦績を挙げたのは、1980年代の青木だけでした。PGAツアーメンバーであること自体がメジャーリーガー同様にすごいことなんですが、そのトップになれそうだったのは、40年くらい前の青木だけだったのが男子の世界です。

そんななかで、ついにマスターズで優勝したのが松山英樹です。親父さんの思いは、格別だったと思います。

あと、日本人が勝てないのに、毎年放映権を懲りずに買っていたTBSもえらいと思います。僕は、テレビを捨てたので、テレビを見ないのですが、昔テレビがあった時から毎年放映を続けていました。解説者やアナウンサーがゴルフをわかっていなくていらっとしたり、細かいクレームはたくさんありますが、松山英樹が優勝するまでずっとそのチャンスを待ち、安くない放映権を買い続けたのは、本当にすごいことだと思います。

今後、ゴルフ業界は、新しい客層の取り込みに成功しつつあります。実は、コロナがきっかけでゴルフに嵌った若い連中が結構います。その多くが純粋に自分の金でゴルフをやってさくっと家に帰るスタイルのスポーツタイプのゴルファーです。ゴルフの楽しさは、世代を超えます。ゴルフがはやって、ゴルフ場や練習場が繁盛し、道具メーカーも儲かるようになる日が来るのも近いと思います。



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