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ROMANTIQUE '16

(イントロ)
今朝見た夢の中で僕が呼びかけたらあの娘は屈託のない、はにかんだ笑顔で振り向く。
でも夢の中でもそれが夢であることは分かっていて目覚めたら本当に夢であることに絶望した。

ボサノバを歌う。あのボサノバを歌おう。
少しぐらい泣いたって良いよ。ねえ、あのボサノバを歌おうよ。

(1番)
朝食を摂ってからいつものランニング。
コースの後半には公園があってそこには必ず立ち寄る。
そして池を眺めて生とか自然のことをぼんやり考える。
今日、水面はガチョウに占領されていて亀の姿が全くなかった。
最近の冷え込みでもう冬と勘違いしたのだろう、冬眠した亀達には春までもう会うことはできない。
また今年も彼らなしで冬を越さねばならない。

ボサノバを歌う。あのボサノバを歌おう。
少しぐらい泣いたって良いよ。ねえ、あのボサノバを歌おうよ。

(2番)
もう20年以上通っているイタリアンに20年以上食べ続けているペスカトーレを頂きに行く。
先日店員がfacebookに常連が描いた移転前の入り口の絵をいただいたことを投稿していて僕はコメントしていた。
店員は多分今週来てくれると思っていました、と言った。
その絵を見ると今の店舗には昔の面影は引き継がれているがやはり別物であることを実感する。
だけどペスカトーレの味は変わっていない。

ボサノバを歌う。あのボサノバを歌おう。
少しぐらい泣いたって良いよ。ねえ、あのボサノバを歌おうよ。

(3番)
男と女公開50周年デジタル・リマスター版を恵比寿で観る。
リマスターでノイズを除去しても海のシーンでの水粒は残る。
イントロからの10分間の圧倒的な美しさにまたしても息を呑む(一体今まで何回そうなんだ)。
兎に角、ジャンもアヌークも煙草を吸いまくる。

(インプロビゼーション)
中央線沿いのジャズ喫茶に立ち寄る。
大きめの音量のジャズに囲まれて朝の夢のことを考える。

僕は果たして恋をしていたのだろうか。

知れば知る程彼女の心の中は無数の糸が複雑に絡み合った塊でそれを解くことなど不可能ではないかと途方にくれた。
でも時間をかけて僕はその糸を1本ずつ解いてその始まりと終わりを確認していった。
その作業は必ず自らも傷つくことに繋がり時にはもう立ち上がれないのではないかと思う時もあったが、実はまた必ず今まで自分が知ることのなかった人間の感情とか生き方に気づく経験にもなっていた。
多分僕は彼女の全ての糸を解けばゴールにたどり着けると信じていた。
でもそれは的外れな方法論で他のどんな女の子とも一緒で彼女はただ自分を守ってくれる、自分だけを愛してくれる人を求めていた。

僕は果たして恋をしていたのだろうか。

(4番)
青山にあるジャズクラブで同い年の天才女性ピアニストの公演を見る。
今年リリースされた傑作アルバムを再現するという趣旨のライブで、再現不可能と言われていた難曲達を彼女を含めた実力派ミュージシャンが目の前に奏で出してくれていた。
彼女は最終曲の最後の一音を弾き終えると振り返って大笑いした。
思わず自分も目を見合わせた錯覚と共に声をあげて笑った。
最後にはプロデューサーに導かれて満員の観客は彼女の帰還をステンディング・オベーションで祝福した。

ボサノバを歌う。あのボサノバを歌おう。
少しぐらい泣いたって良いよ。ねえ、あのボサノバを歌おうよ。

(エピローグ)
帰りの山手線で僕の目の前の席に座っているうりざね顔の娘に気を取られた。
年齢とは若干不相応な子供っぽい服装なのだが、バックだけは高級なものを抱えている。
やがて駅に着き僕はこのまま降りたくないと思ったが、後ろ髪を引かれながらも降車してホームを歩き出した時に気がついた。
うりざねの頭の形があの娘と瓜ふたつだったんだ。

ボサノバを歌う。あのボサノバを歌おう。
少しぐらい泣いたって良いよ。ねえ、あのボサノバを歌おうよ。

昨日のサンバは少し明る過ぎる。

ボサノバを歌う。あのボサノバを歌おう。
少しぐらい泣いたって良いよ。ねえ、あのボサノバを歌おうよ。

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