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母の鮭おにぎりとおでん

室温23.1度だって。
急に寒くなった。
だから実家の母に「おでん食べたい。週末つくったら、ください」とメールをおくった。
1週間後くらいに母から、
「週末におでんつくるよ。食べにくる?」と連絡があった。
忙しかったから「はい」とだけ簡素に返した。

実家におでんを食べに行く日がきた。
朝起きると、クライアントさんから深夜に届いたメールにはひとつの案件がFIXになったと書いてあった。
『すごく面白かった。修正したところもよりよくなった』というたぐいの、あたたかい言葉が書かれていて安心した。
「おもしろかった」って言ってもらえるとほんとうに嬉しい。

今日は急ぎの仕事はないので休むことに決めた。
掃除をして、猫を観察したり本を読んだり、ゼルダやったりしようと思った。うれしくて、気分がよくて、母に「今日、鮭おにぎりも食べたいです」とメールをした。
すぐに「はい」と返事があって、もっとうれしくなった。

けれど。
日が暮れて。
出かける前に、なにげなく見たネット記事で、『わたし以外の人は、みんなうまく生きている。うまくやっている。みんなはほぼすべて順調で、不信感と虚無感で上手く書けなくなってしまっているものはひとつもないに違いない』と未熟さと卑屈さが全開になるようなものを見てしまい、心がぺしゃんこにつぶれた気分で雨のなか傘もささず自転車で実家にむかった。

玄関をあけると実家のにおいがした。
言語化できないにおい。

母は、いつも大きなアルミ鍋でおでんをつくる。
具は、はんぺん(普通)、結びしらたき(大好き)、さといも(きらい・食べない)、ごぼ天(普通)、餅きんちゃく(大好き)、大根(大好き)、牛すじ(きらい・食べない)、タコ(好き)、こんにゃく(好き)、厚揚げ豆腐(普通)、たまご(大大大好き)、赤棒(きらい・食べない)、ちくわ(きらい・食べない)、出汁用の大きな昆布(でかい・食べない)が入っている。

子どものころから、変わらない味。シンプルなおでん。
わたしが食べたいと言ったから朝から買いものに行き、具材の下処理をして、ぐつぐつ煮てくれたのだろう。

確実に愛情がこもった、大切な料理だ。
すっきりした気持ちで誠実に食べたかった。
でもあんなに楽しみにしていたおでんを食べてもそうおいしいと思えず、
気もそぞろで、話しかけてくれる母の顔もほとんど見ずにふわふわした会話だけをする時間にしてしまった。

鮭おにぎりは4つもつくってくれていた。
2つ食べた。
「海苔つけな」と言われたけれど自分のためにおにぎりに海苔をつけてあげる気力が湧かなくて「いい。めんどくさいよ」とそっけなく言ってサランラップをぺりっとめくってそのままかじった。
すごくおいしかった。
母のおにぎりって何味でも世界でたったひとつの味がする。

「おでん、いっぱいあるから持ってかえりな」と言われたのでそうすることにした。
いつも自室でマイペースに食事をとる父がキッチンにおりてきて、「そのタッパーじゃ小さいよ。そっちのタッパーのほうが大きくてたくさん入るよ」と言ってくれた。
わたしは大きなタッパーにおでんを詰めこみ、残ったおにぎりも持ってかえることにした。

実家を出るとき、母に「ごちそうさま。鍵、閉めてね」と言った。
母は少しお酒に酔った優しい声で「はーい」と言った。
このまま子供にもどって、実家で眠りたいなとすごく悲しい気持ちになりながら玄関のドアをしめた。

なかなか大粒の雨が降る寒い夜道を、自転車でふらふらと帰った。

ひとりで暮らす部屋のドアをあけたら猫が玄関まで出迎えにきていたから「ただいま。ごはん食べた?足汚れるよ」と声をかけた。
猫はいつもどおりとくに返事をせず廊下の奥の部屋へと駆けていった。
ごはんはしっかり食べていた。さいきん2匹ともでっぷりしてる。

脱いだ靴をきちんと棚にしまい、リビングに行き、
シンクにおでんとおにぎりを置いた途端に呼吸がぐっと喉につまって、
両目から涙がぼろぼろあふれてきた。
顎先まで一気に流れてぽたりと垂れるくらい大粒の涙が。

気持ちが沈んでいる時に母と父に会い優しくされると『わたしはいくつになってもこんな人間でごめんね』という、とほうもなく悲しい、寂しい、苦しい気持ちになる。

母と父は愛情深く、まともな大人で適度にユニークで個性的、柔らかく自由にわたしを育ててくれた。
けれど育ったわたしはどうだろう。
他者も自分も上手く思いやることができず、いつも物事の悪い面を強く心にとどめ、それを頭の中でこねくりまわし、毎日を自分で生き辛くしている。

むかし、部活で仲間外れにされたときも母と父に謝りたかった。
「大切に育てられているのに、仲間外れにされちゃうような子でごめんね」
「上手く世の中を渡れなくてごめんね」
「心配をかけてごめんね」

あのころからあまり成長していない気がする。
いつだって辛いとき、母のおなかのなかに戻りたいな、と思う。

父が車で大きな公園に連れていってくれて、元気に遊んだ幼い日にも戻りたい。
あの頃、父の車はたしか黒いセダンだった。

父はわたしと妹が公園で遊んでいるあいだ、よく缶コーヒーを飲んでぼんやりしていた。
ひとくち飲ませてもらったときにまずかった記憶がある。
わたしがかなり大人になるまでコーヒーに興味がわかなかったのはそのせいに違いない。

父の抱っこは高く、地に足がついていなくても100%の安心がそこにはあり、ほんの少し近くなった空が楽しくてしかたがなくてげらげらとお腹の底から笑った。

小さいとき、眠れない夜はたまに父の部屋にいった。
次の日は早起きして仕事に行く父をどれだけ深夜に起こしても、面倒そうだったり、嫌そうなそぶりをされた記憶が一切ない。
音楽をかけて眠る父は「どういうのが聴きたい?」といつも聞いてくれて、わたしが「森みたいな音楽」とか「水みたいな音楽」とか答えると本当にそういう音楽をかけてくれた。魔法のように。
そしてすぐに眠れた。

子供だったころに絶対戻れないことはちゃんとわかっている。
今からでも、もう少ししっかりとした人間になって、少しでも母と父の日々を穏やかなものにできる安定したひとつの要素でありたい。
すっかり自立したはずの娘がこんな文章を泣きながら書いていると知ったら心配するだろう。
自分が悲しいより母と父がわたしのことで悲しいほうが辛い。

そもそも今、生理終わりで。
わたしはPMSの症状が生理終わりがけのときにガツンとくるタイプなのでだいたいの心の揺れはそれが原因なのだ。
こんな文章を書かなきゃ感情が片付かないのも女性ホルモンの仕業で、1ヵ月ほど前にいよいよ観念して受診した婦人科で思いがけず「毎月、本当にしんどいんです…」と大泣きしてしまったすえに処方してもらった漢方薬は、多分効いてない。でも受診してよかったなと思う。先生は泣きじゃくる私に小さくてかわいい色の飴をくれた。

「そんなに泣くまで我慢して、よくがんばったね。生理がある女性みんなに起こりうることだからね。我慢なんてしなくていいことなんだよ。おいしいもの食べて、いっぱい休憩していいの。飴、特別にいっぱい持ってっていいよ」って。

大人だからいっぱいは遠慮して2個もらった。
すきとおったピンク色と蒼空色。
診察室で、飴。
先生は映画『死ぬまでにしたい10のこと』を観ただろうか。
あれはジンジャーキャンディーだったが先生がくれた飴は何味かよくわからなかった。ただただ甘い味。子供が食べるやさしい飴。

はあ。
書いたら心が落ち着いた。
涙もとまった。

ほんとうはみんないろいろあって、それぞれの事情を抱えてがんばっていることをちゃんと知ってる。

明日、朝起きたら鮭おにぎりをレンジでチンして、海苔あるからまいて食べよう。

(食べた🌼)

昼間は粛々と仕事をして、夜にはおでんをちゃんとあっためて食べよう。


(食べた🌼)

最後、玉子だけ残して、おでんのつゆのなかで2つに割って、まったりした黄身をとかしてつゆを優しいうぐいす色にする。
そこに土鍋で炊いたつやつやのごはんをいれて、なんちゃって雑炊にして食べよう。
おでん雑炊はくずれた大根の欠片とか、はんぺんのかけら、ラッキーなときはタコのかけらも入っていてめちゃうまい。味がしみしみ。
おでんのときは絶対にそれでしめる。
おなかいっぱい。
元気でる。

そしてタッパーをきれいに洗って母に返そう。
「すごいおいしかった。ありがと。またすぐにつくってよ」と言おう。
母は絶対「自分でつくりなさいよ」とめんどうそうにちょっと笑って返してくる。
その声音は嬉しそうで、自分の子供をあたりまえに愛し甘やかす奇跡みたいな、たったひとつの声なのだということを知っている。
わたしはいつも、その声が聞きたい。


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