カリギュラ
人は、正直すぎると破綻する。
だから皆、大人になる過程で嘘を学ぶ。
よってこの世界は、嘘と妥協で満ちている。
幸福は、嘘と妥協に寄り添っている。
この公演が物語っていることは、「真実を求める者は、幸福を求める者によって殺される」ということだ。
カリギュラは、ドリジュラの死をきっかけにこの世界の真実の片鱗を見た。人は死ぬ。そして人は幸福ではない。
自分の周りにあったものがいかに嘘まみれであったかを知り絶望した。そして嘘を憎んだ。憎まずにはいられなかった。信じていたものが崩れ、何を信じていいかわからなかった。きっとそんな時に空を見上げ、真っ直ぐに輝く月を見たのだろう。
カリギュラは人々が真実の中で生きることを望んだ。周りの嘘で塗り固められたものを壊し、人々をそこから解き放ち、自由にしてやろうと踏み出した。
重要なのは、カリギュラは生粋の暴君ではなく、「暴君を演じる皇帝」であること。
そこには意図があり、目的があった。
それと共に、苦悩も。
だがそれは生や幸福を望む者は全く望んでいない、それどころか考えることすらできないことだった。
【真実】や【正直】【自由】は、【幸福】や【安寧】とは正反対のところにある。
だから妥協しなきゃいけない。この世界が嘘にまみれていることに。
カリギュラは純粋すぎて、繊細すぎて、それができなかった。
彼は嘘を嫌った。真実を愛した。
だから、安寧を愛するものの虚栄心に殺された。
ケレアは言う。カリギュラの言う論理はわかる。ただ、私はその論理の中に入る気はない。あなたは【厄介者】であると。
カリギュラ「安全と論理は両立しない。」
ケレア「確かにそうです。これは論理的ではありません。けれども健康的です。」
実に的を得ている。現実に生きる人々もおおかたそんな感じだろう。
カリギュラは死してもなお私達から目をそらさない。なぜなら現代もその通りだから。
カリギュラはまだ生きている!
菅田将暉さんはカリギュラを「現代にこそ必要な芝居」と言った。その通りだと思う。
カリギュラはまだ生きている!
「月なんて手に入れられるわけがないだろう」
心の奥底で誰もが思う。
冒頭のカリギュラの台詞が刺さる。
『何も分かっていない。最後までそれで通さないから、何一つ手に入らない。最後まで理屈を通す、それだけで、たぶん充分だ。』
その言葉が、きっと全て。
追記: シピオンについて
彼とカリギュラは鏡のようだ。
自然を愛していて、純粋で。
ただし、汚れを知らなかった。
「血が欠けている」
血もまた、この世の真実であるというのに、シピオンはそこから(無意識に)目をそらして詩を書いていた。
シピオンにとって、これほど傷つく言葉はないだろう。
親を殺され、カリギュラにこの言葉を突きつけられ。彼は真実に少しだけ近づき、そして自分の中にもカリギュラと同じものがあると知り、苦悩した。
シピオンがカリギュラに別れを告げたあと、どんな道を行くのか、きっと彼はカリギュラにもなれるし、カリギュラと真逆のものにもなれる。
彼の行く先が、とても気になる。
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