『ファン』としての『わたし』
ファンってなんだろうな
最近よく考える。
怒涛の芸能界結婚ラッシュ。それと共にSNSではファンが荒れる。
好きな芸能人が結婚してファン怒るのは傍から見ればお門違いかもしれない。
でもぶっちゃけ、こんなに好きにさせたのはそっちがわざと『思惑として』やってきたことだろう。事務所は私たちから愛を集めて、集めて、集めているのだから。
彼を愛し、愛し、愛しても結ばれるわけがない。どころかただの一歩すら近づくことができない。言葉はおろか、目線すら交わすこともない。こっちの想いがどんなに大きかろうと、どんなにお金を使おうと、何年かけて愛そうと。それがファン。一線を越えたらただただ辛いだけ。
一線を越えたら辛いだけ。
だから超えないようにしよう。一歩引こう。少しいひいた所から、彼を見よう。あまり、入れ込まないようにしよう。
意識的にそう思うようにしていた時期が少し。少しだけ、ありました。
でも最近、それは違うなぁと思うのです。
私は彼に近づきたいわけではないし、彼のために生きたいわけではないのです。
そしてきっと、おそらく、彼も全くそれを望んでいないのです。
私は、私が私らしく生きるために彼がどうしても必要なのです。
私は彼を勝手に好きになり、彼の輝きに触れることで勝手に背中を押されたように感じ、私は心動かされ、実際に一歩踏み出すことができるのです。
その踏み出した一歩だけは、紛れもない事実。そんなものが幾重にも重なって、ふと振り返れば私はかなりの距離を進んでいました。
思い返せば、彼によって私の日常は今までよりも更に彩り豊かになっていて、輝き増していたのです。
結局のところ、ファンという立ち位置をどう捉えていいのかわからないけれど、そんなのどうでも良くて。
いろんなことを含め、結局彼に対して抱く感情は一つしかないのです。
心からの最大級の感謝。
それだけ。
やっぱり、ファンになるって、人を好きになるって、素敵なことだ。
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