うまずしてなにが女性か という発言について

「うむ」のは知事であり、子供ではない

この発言は、知事選候補者を応援する場面のものであるため、そもそも子供のことを言っているわけではない、という主張があります。
確かに、ここでうむべき対象は知事であり、子供ではないです。
しかし、なにが女性か、というように、女性の本来的役割としてうむことを想定するな、という話なのです。
〜せずして、なにが……という発言は、……ならば、当然〜するはずだ、ということです。
そうであれば、うむのが知事であれ子であれ、うむことと女性を結びつけるな、という批判は当然でしょう。
ですからこの観点から擁護するのは不可能です。

「うむ」であり、「産む」でも「生む」でもない

この発言で言われている「うむ」とは、(日本語としてはおかしいですが説明のため……)知事を発生させよう、という意味であり、子供を産むやら命を生むというものとは無関係であるという主張があります。
しかし、その直後に、なにが女性か、と言っており女性と「うむ」が結びついているのは明らかです。そうであれば、「産む」か「生む」とするのは当然だといえます。
そもそも、問題となっているのは発言内容のはなしです。元はひらがなで記載したものをマスコミが勝手に漢字にして報道した、という話ではないのです。
発言者はここをひらがなとして表記されるように発言した、と擁護するのは無理でしょう。常識的に考えて。

「うむ」ことと女性を結びつけること

現代において、一般的に産む(生む)ことができるのは女性です。しかし、それを女性の役割や義務だとすることは大きな問題があります。
なぜなら、産む(生む)ことは個人の自由だからです。その選択を役割や義務だとすることは、個人の生来的な自由を大きく傷つけるものです。
また、そもそも身体的に産む(生む)ことができない人も多いです。そういった人たちのなかにも産む(生む)ことを求めていた人もいるはずです。
この発言はそういった人たちを傷つけ、役割を果たさなかった人たち、という偏見に晒すものと言えます。

まとめると

このように、多くの擁護は無理筋なものです。
個人の自由を阻害し、他人を傷つける発言を大臣がすることは適切でしょうか?
撤回が当然であるように思います。

※内容を変更する可能性があるが公開する。発言は不当であり撤回は妥当である、という結論に変更なし。


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