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ざっくりな自己紹介


どうも
♾はじめまして♾
ナリです

【自己紹介】

学生時代までに起きたこと

ざっくり書く

下の名前は 『 成仁 (なりひと) 』
  だから、『ナリ』

 令和天皇 → 徳仁 (なるひと)
 僕はただの庶民 一般ピーポー
 天皇にはいろいろ思うところあり

幼い頃から奇想天外な人生を送る
 ドラマみたいな人生とよく言われる
 だんだん分かってきた自分の人生の意味

◉本人は明るく元気 でも闇も知っている
 中庸、バランスが大切だと思っているし
 恐怖や不安とも直視したり内観するタイプ

 偶然が好き 計画された偶然
 自ずと何かしらに出会う 偶然はサイン
 直感で生きるとラッキー多い(^^)

 自然や人との出会いが好き

 人間は嫌いだなぁと感じることも多かったけど
 好きな人と繋がることが多くなったので
 考え方変わった

 ヒッチハイクや山の中で住み込みバイト
 沖縄から埼玉までチャリンコ野宿旅も

 2,000㎞走って
 最終目的地で出会った女性にビビッときて結婚

 9個上の年上女房
 幼い息子を持つ父親でもある

 切り拓いて自分の道を作っていくことが好き
 その人らしく羽ばたく瞬間を見るのが好き
 ポンコツと呼ばれた人達が才能出して
 仲間と笑い合っているのを見るのが好き

 自分と関係ない子どもでも
 子どもと親が笑っている場面を見るのが好き

 観察タイプでもある

 知識も身につけたりするが
 それよりも直感や感性を大切にする
 時には知識を捨てることも

脱サラ後、医療の道へ

◉今は精神科訪問ナースとして働く
 雇われ所長 基本ポンコツ 時々ミラクル

◉『不思議』『怪しい』と時々言われる
  数秘術も使うから尚更怪しく見られる
  
 

シャーマンの祖母と詐欺師の祖父の存在

 両極端な二人の遺伝子を引き継いでいるから
 何か滲み出ているのかも胡散臭さとか笑
 

 うちの家系は複雑というかヘンテコリン

◉父親は元極右 着メロは君が代だった

産みの母親と血の繋がらない母親
 二人の母親の存在


血の繋がりなんて関係ないと思っている

琉球の血を引く

担当の患者さんが撮影してくれた
お気に入りの写真たち
感性豊かなカメラマンの作品
遺影候補にしたい一枚(^^)
まだ死ぬつもりはないけど覚悟して生きている
生にしがみつくつもりもない
いや、こっちを遺影にしてみるか
最期はふざけたい 笑顔で逝きたいと思うし
周りの皆も笑ってて欲しい(^^)


◉数秘33の僕は33歳になって
 生きる世界が変わった 流れが変わった

『(彼らから)数の力を取り戻せ』
というメッセージが頭に飛んでくる

◉人々から聖なるものを引き出すことだと解釈

 一人ひとりに与えられた
 数のエネルギーを紐解き

 自分が何者なのかを知るお手伝いをしている

 自分を本質や秘めた才能、使命、その他色々
 鑑定を通して伝える

 眠っている本来の力を引き出せた時
 幸せを感じるタイプ

 
 僕の鑑定は数の概念の話や数の流れも伝える為
 皆さんが数秘術師としても動けるかと思う
 

◉ご縁で繋がる人達のサポート

◉体調不良の人達をサポート

◉これから人類は大きな時代の分岐点を迎える時期に差し掛かる

 気付いている者、気付かぬ者
 道は別れ始めていて
 それはどんどん加速している

 次世代や地球の未来を紡ぐことを
 意識した仲間が自然と集まり出している

 自分たちの未来を創造できるように
 具現化するために動いている

 孤立ではなく、個立を目指す

【 僕の経緯 】

3歳の頃、産みの母親が憑依
 恐怖に怯えた僕は過去の記憶を封印
 それ故に断片的な記憶しかない

 それらが今
 時空を超えて点と点が繋がりつつある

 30年以上の月日を経て
 当時母親が放っていた言葉を
 2021年に父親や叔父から聞かされる

『悪霊の霊媒師だらけにしてこの世を滅ぼす』 
『我はヤハウェなり』

 
 宗教とは無縁な母親が放った言葉
 家族は誰もこれらの言葉の意味を知らない
 でも僕はなんとなく分かった

 きっと僕の記事を読んでいる
 一部の人達も分かったと思う

 皆さん、いろいろとよろしくです👍笑

◉3歳の時に両親は離婚
 父親に引き取られる
 シングルファザーは難しかった
 父親のもとを離れて祖母に助けられる

 父親も当時ひどく傷付いていたと思うから
 それでよかったと解釈 恨んでない

◉祖母は借金まみれでトラブル続きの
 詐欺師の祖父と離婚
 その後は内科医と再婚する

 血の繋がらない内科医とシャーマンの祖母に
 預けられて一緒に幼少期をすごす

 今でも僕にとっては再婚相手の祖父が
 育て祖父だと思っていて感謝している


◉産みの母親のことがトラウマになり
 しばらく僕の精神状態は不安定だったようだが
 家族の愛情をたっぷり与えられる

ライオンズの帽子可愛い
今の自分とはかけ離れている可愛さ
整形はしていない
一体ヒトはいつからホリが深くなるんだろうか


◉縁は切ったものの詐欺師の祖父の影響で
 祖母宅にヤクザが家に取り立てにくる
 皆で息を潜めて居留守使う

◉追っ手が来るので沖縄で生活を諦めた祖母
 →沖縄から避難することに
 幼少期はしばらく東京の八王子で生活する

◉父親とは物理的な距離が離れていたので
 父親は寂しかったと思う。
 だから僕を引き取りたいと言ってきた
 僕は沖縄に戻った

◉父親の横には知らない女の人がいた
 それが今の母親である

 出会った当初
 何と呼べばいいのか分からなかった

 照れ隠ししていたとも思う
 でも、とても優しい人だったから打ち解けた

 僕が高校生ぐらいになって聞いた話では
 育ての母親は元々婦人科系の病気で
 子どもが産めない身体だったらしい

◉お互い成るようにして成ったのかもしれない
 成るようにして成る 好きな言葉

★小学生時代★


 小3バスケ部に入部→父親がバッシュを購入
 初日にそれを履いていったら
 
 歩くたびにカカトがピカピカ光る 
 お父さん、あれバッシュじゃないです

 あと家族に医者がいるとどうなるか?
 医者を目指せとほぼ全員から言われた
 育ての母親だけは何も言わなかった

 スパルタ教育で勉強しないと
 遊びに行けなかった

 でもそれが普通だと思っていた自分
 (これを洗脳といいます)

 気が付いたら
 2年先の勉強まで一人でやっていた為
 学校の勉強は簡単だった

 でも一人ライバルが居た
 あだ名は『歩く人間計算機』
 彼は沖縄を離れて内地の私立の中学に行った



★中学生時代★

 野球部に入部
 ピッチャーじゃないのに肘壊す
 試合に出られないので
 監督の横でスコアブック書くように

 よって監督の太鼓持ちのスキル獲得!?

 段々とスパルタな父親に疑問を抱くようになり
 時々反発することもあった
 でも全て否定された

 怒り狂った極右の父親から
 『自衛隊に行くか、進学校には行くか
    どっちかにしろ』

 と謎な選択肢を突きつけられて
 近所にあった沖縄で有名な進学校に入学した

★高校生時代★

 親の敷くレールを歩くのが嫌になった
 勉強しなくなった

 0時限から始まるし、休み少ないし
 教員も学校のルールも軍隊みたいな場所で
 拘束や管理がきつかった

 僕は毎日イライラしていた
 無気力にもなった
 テストは白紙で提出することも
 生物は好きだったかな
 生物だけ学年一番をとったことがある記憶
 でも他全て赤点笑 最下位取ることもあった

 周りの同級生にも違和感を感じていた
 皆優しかったんだけど、僕は尖っていた

 女の子が多い学校だったので
 付き合っては別れることを繰り返した黒歴史

 学校サボることも多くて休んでゲーム三昧や
 一人で地元の海に行き物思いに耽けることも

 テトラポットの上で日向ぼっこしたり
 大海原と夕陽を眺めながら
 『生きる』『人生』
 って何なんだろうと考えていた

 自然を目の前にすると
 いろんなものを包み込んでくれて
 自然と涙が出てきてどうでもよくなることも
 自然は偉大だと感じていた

 当時は父親のせいに全てしていたし
 ずっと嫌っていた
 24歳ぐらいまで仲が悪かった 長い笑。

 勉強する意味も分からないし
 進学率100パーセントの高校で僕は浮く

親からの抑圧
良かれと思った過干渉や過保護

その結果
子どもはどうなるか

自分で思考できなくなる
人のせいにする人間になる
生きる気力を奪われる

子どもの人格形成
思考の歪み

そこに関係するのは
親だったり
現代社会に洗脳された大人達である

一人ひとりの人間が
被害者であると同時に加害者ともなる

何十年、何百年の年月をかけて出来上がった
見えない鎖で縛られていく悪循環でもある

でもいつまでも人のせいにしてはいけない
自分の洗脳を解くのは自分であり
自分で治す気持ちが大切だと思っている

僕は大人になって
自分で自分の思考の歪みを治していったのだけど

今はこう解釈している

数秘の世界でも皆さん傾向が出るんだけど
この世は二元論のようなもので構成されており

あることを体験するために
あることを学ぶために

全く正反対の出来事と対峙したり
状況に陥ることがある

おかげさまで大人になった今
僕は自分の意志は大切にするようになった
自分で思考する癖もついた
生きる意味を見出した

だからある意味父親には感謝している

自分にとっての課題や問題は
受け取り方を変えるとギフトになる


 当時の僕はその域には達していなかったし
 大学受験したけど、僕は結果を見なかった
 というかどうせ落ちていたと思う

 そんな僕は高校を卒業後、上京した

 つづく(気が向いたら書く)

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