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音楽ができる、楽器ができる、って何だろう?(佐村河内守を描く森達也「FAKE」を見て思ったこと)

今回はけっこうプリミティブな問題をちょっと考えてみるネタにしてみたい。
これを題材にしてみようと思ったのは、最近話題になっているドキュメンタリー(といっていいのかも曖昧な作りになっている)映画、森達也「FAKE」をみたから。

▶︎まずは映画「FAKE」をなぜ見たか

話題になっているのは知っていたけれど、当初この映画を見る気なんてなかったんですよ。今更、佐村河内守氏のドキュメンタリーとか言われても、それに森達也氏だとまたけっこうキワモノ(いい意味でも悪い意味でも)でどきつさがあって見ててしんどいだろうな、と思って、、、

でも、noteで小室敏幸氏が書いている記事を読んで俄然見に行く気持ちになった。
その記事はこちら。
「もうひとりの宇崎竜童」としての佐村河内守

この記事を読んで、ある意味、ネタバレしてしまっている最後の方の部分について、最近考えていた「音楽ができる、わかる、批評する」、っていうこととリンクするなぁと思ったから。

この映画については、様々な批評や感想がネット上で見られます。佐村河内守氏の欺瞞を暴いたとされる神山典士氏は、極めて批判的な感想を書いてますが、それは佐村河内守氏を糾弾した側としては当然でしょう。ただ、私としては、正直その糾弾した「ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌」にしたって、全然食い足らない半端なノンフィクションだなぁと思ったのだけれど。(NHKの特集番組とかテレビ周りに対するツッコミは全然不足しているしね)

で、私が確認したかったのは、とにかく佐村河内氏が何を話すかと言ったことではなかったし、新垣隆氏も嘘をついていたのか、といったことでもない。単に、佐村河内氏側または、佐村河内守氏が映画の中で音楽家としてどのような音楽に対する行動をとるのか、ふるまうのかだった。

▶︎「FAKE」を見て思ったこと

で、今回のこの「FAKE」という映画は映画としてはとてもすごい、ひっぱりこまれる力がある、それはまさに森達也氏の力だと思うけれど、ドキュメンタリー、ノンフィクションとしてはなんだかごまかされた気分になる。

その点については、本論からずれるので書かないけれど、適切に分析してると思った評があったので、こちらを参考にしてもらいたい。
佐村河内守のウソの付き方が“まだら”なのがおもしろい 森達也監督『FAKE』をもっと楽しむ方法

上にも書いたけれど、この映画についてはたくさんの著名人を含め評や感想をネット上で見ることができます。そして、その時に佐村河内氏の方へ心情的に近づける人は(もちろん森達也氏の腕もあるのですが)、私が一番関心を持って見ようとした、音楽に対する行動を肯定的に評価したり、感じたりしたかではないかと思うのですよ。
そして、そこが実は今回の話題にしたい「音楽ができる」「楽器ができる」ってどういうことか、個々人どういうあたりで線を引いているのかに関係するのではないかということ。

▶︎特技「楽器」ってなんだろう?

いつものごとく、突然話が飛んで申し訳ない。
たとえば履歴書や何かのアンケートで特技や趣味として「楽器」と書く人はそこそこいるんじゃないでしょうか。
芸能人やアイドルなんかのプロフィールでも、特技サックスとかフルートとかあったりして、でも実はけっこうヘボヘボなことだってあるよね。趣味って言われるとまぁ腕前は無関係だろうけど、特技といわれたら、どの程度できたら「楽器」って書いてもいいと思いますか?
これって、その楽器をやっている人と、音楽にあまり縁がない人が持つイメージとはけっこう違ってそうな気がするんですがどうでしょう。

最近、TVで音楽バラエティと称したもので、ピアノやヴァイオリンで、いかに正確に課題を示したテンポで演奏できるかとか、芸能人が腕くらべする番組ありますよね。ああいうのを見聞きして、すごいという感想を持てる人というのは、正直音楽をやってない人と思っていいのではないでしょうか?

少なくとも、プロはあそこでよほどヘボなことをしない限り、勝とうが負けようが高く評価されようが、それがすごいこととか大したことは思わないでしょう。参加してる人だって、出れば認知度が上がるとか、営業レベルのことに過ぎないと思います(そうですよね?w)。
はっきり言って、あんなテレビでやっているレベルで、少々正確に演奏できたからといって、それが演奏家としての評価優劣にそれほど直結してはいません。

でも、音楽にあまり縁がない人は、正確に弾けることや、速く弾けることが、すっごーい!と思う人もけっこういるのかも。。。

さっきの楽器ができる、できないにしても、ちょっと知ってるメロディを弾ければ、素人レベルとしては、すっごーいなのかもしれないし、それで「楽器ができる」認定されるかもしれません。
でも、一方で楽器をやってる人は、このくらいの曲が演奏できないとか、表現がなぁとかやたら敷居を高く感じてもいるのですよね。このギャップが面白いというか、さっきのバラエティ番組を含め、滑稽な事態を生み出してもいるはずです。まぁ、笑って楽しめばいいだけなんでしょうけど。

▶︎佐村河内氏は音楽ができるのか

で、話は戻ってきました。
「FAKE」では、佐村河内氏はシンセサイザーや鍵盤楽器を演奏するシーンが出てきます。そしてそこからなんとか曲を作ろうともします。そして言葉では、自分は新垣氏と共作したのだと主張します。

あの姿を見て、事件当時、あそこまで非難されるほどではなかったのではないか、佐村河内氏は音楽をある程度は作ってたのではないか、と思える人は、きっと音楽を作る、というプロセスをわかってない人に多いのではないか、音楽バラエティ的な視点でいえば、ちょっとメロディが弾けたらすごーい、と思ってしまう評価軸にいると、私はどうしても思ってしまうのです。
そのようなギャップが存在する中で、やはり「音楽ができる」「楽器ができる」という概念は単純に説明可能なものでなく、みんなが納得するように説明するのは一筋縄ではいかないんだろうな、ということを確認できた気分になりました。

たしかにポップスやロックの世界には、楽譜を読めないことを公言しているミュージシャンはたくさんいます。楽器やキーボードを爪弾いて、簡単なメロディやコードを覚書のように書いたり、人に書き取ってもらったり、今なら録音する人も多いでしょう。そこから、コツコツ作る人もいれば、メロディとコードのイメージできれば、あとはちゃんと音楽ができて楽譜も書ける人に投げて、そこから仕上がってくるものに自分のイメージや意見を付け加えて作る人もいるでしょう。
それでも楽曲はその人が作ったことになりますよね。

一方でクラシック音楽ではそんなことは全くないですよね。一音までゆるがせなく固定させるのが作曲家の仕事(もちろん、写譜とか少々の手伝いをする助手を使うことはあるかもしれませんが)で、メロディやイメージだけ作って、それで自分は共作だったなんて主張は多分通りません。その点で、佐村河内氏はクラシック音楽側から見れば、映画の中でいくら鍵盤を演奏してメロディを作り出そうとする姿をいくら見せても、作曲した人とは認められないでしょうし、音楽ができるのかさえ疑わしい、と言われるに違いありません。
それはあの映画の中で佐村河内氏が弾く鍵盤の拙さからも言えます。もちろん、鍵盤楽器がちゃんと弾けないと作曲ができないというわけではありませんが、少なくともあの様子ではそうかどうかさえ気づいてないと思うのです。他方で、あの様子を見てあれなら実際に作曲してた、できると思う人(あえて断言しますが音楽の素人)もいて、そういう人たちが佐村河内氏の方へ肯定的に引き寄せられるのではないでしょうか。

ポップスやロックみたいに作るノリでゲーム音楽からスタートして、そこから誇大妄想的に交響曲うまで作ろうとしたための悲劇と言っても良いのかもしれません。でも、今でも、そういう作り方の世界ではない、ということが理解できずに、あの映画の中のような振る舞い、演技をするなら、やはり佐村河内氏は悲劇の作曲家を演ずる一種の道化、音楽家もどきということになりそうです。

▶︎で、ほんとに音楽ができる、楽器ができるってなんなの?

佐村河内氏についてはそれでケリはつきそうですが、じゃあ、大元としての「音楽ができる」「演奏ができる」については簡単に決着はつきそうにありませんね。。。

きっとプロの演奏家の中でだって、あの曲も弾けないのにプロかよ、とか、あんなに音域狭い声しか出なくてプロかよ、とか、ないとは言えなさそうですしww
まぁ、プロかどうかはそれで仕事が来るかどうかだけかもしれませんけどね。そして仕事が来てるなら少なくとも「演奏ができる」認定はしてもよいとか。

ここで憎まれ口を聞く人なら、プロでも「音楽ができてない人はいっぱいいる」とか言いそうですし、、、

「音楽ができる」については極めて抽象的、精神論的にどこまでも行きそう。
ただ、そんなに単純ではない、ということはたしかなので、(悪い言い方をすれば)素人相手にすっごーいって言わせてればそれはそれで幸せな状況なのかもしれません。

でも、音楽を作るという場面においては、上でも書いたように、クラシック音楽系では全てを作曲者作るのが常識なのに対して、絵画や彫刻だと、工房で分担して書いていた時代もあるわけですし、マンガなんてアシスタントが相当部分を担うわけですしね。小説だって編集者がハードエディットしてしまうことをあることを思えば、クラシック音楽系だけ、異様に潔癖主義なんですよね。。。面白いことです。

で、いろいろごたごた書いてきましたが、みなさんは、「音楽ができる」「演奏ができる」とはどのように定義、線引きしていますか?

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