しつけや体罰や、さらに親子、上下関係で自分が思うこと

北海道での児童置き去り事件は6日経って無事に見つかってよかったですね。正直、活発な子供な分、けっこう冷静に対処できていたのかも。
この事件に対して批判が多いのは当然だし、しつけとしていかがなものかというのも当然、そして子育てにおけるしつけや体罰について再び思い起こすようなきっかけになった事件だったろう。
個人的にいろんな人の意見をみていて興味深かったのは、しつけと体罰を等しいまたはとても近いと思っている人もけっこういるのだなということ。

で、私としては、今回の事件から、しつけや体罰、親子における関係性、上下関係といったことについていろいろ連想してしまった。

▶︎しつけと体罰が混ざっちゃう子育て

正直なところ、今回の事件はこんな大事になってしまったけれど、親としてはそれほど重大なことになるとは思ってなかったのだろう。よくショッピングモールなんかで駄々をこねている子供に、そんなに言うこと聞かないんなら、あんたはそのままそこにいればいいでしょ、お母さんは帰るからね!とか言っているのと、ほとんど同じ感覚で、ちょっと置いていって懲らしめにしようとした程度だったのではないか。
ショッピングモールだと周りに人がいるから全然違う、という考えもあるかもしれないが、ちょっと子供の目を離したすきの連れ去り事件なんてのも起こることを思えば、リスクとしては変わらないともいえる。自然の脅威か人間の悪意の存在かの差であって。

そして親はそれがしつけなのか、体罰なのかというのを日常でそれほど明確に意識的に行動はしてられないだろう。力を振るわなくても暴力であるように、ヒステリーを起こして叱りつけているのだって、それは体罰のうちだとするならなおさら。

そう考えると、今回の事件で子供が見つかったことについて、こんなことをしつけと称してしてしまう親に戻していいのか、という意見はいささかナイーブ、または子育てにたいしてすごく厳しく理想主義的に見える。親の相当割合が子供を育ててはいけない人々ってことになりそうに思えるからだ。それは世間であれほどヒステリーを起こしたようにしかりつける親たちを見かけることを思えば、それと、今回のことを引き起こした親とを比較して後者の方がひどいといえるだろうか。結果としては、今回の件で(もし日頃からよほど子供にひどいことをしていたという証拠でもない限り)親の方も相当思い知っただろうと思うし。楽観的に過ぎると思われるかもしれないけれど、10年もすれば笑って話せるエピソードに親子の間でなるんじゃないか、なってほしいと思うのだけれど。

▶︎親子や学校でのしつけやら体罰やら

自分の子供の頃を振り返ってみると、私だって親からひっぱたかれたことくらいは何度もある。
それがひどいことだったとは全く思ってはいないけれど、一方で、よく体罰肯定主義者は殴られたり厳しくされたから自分はちゃんとなった、みたいなことをいうのにはやはり賛同しない
ひっぱたくことが、親がこれはひっぱたかないとダメだという冷静な判断によるものか、衝動的なものか判別がつかないからだ。そして冷静な判断だったからといってそれが効果的であることさえ保証のかぎりではない。

これは学校や部活での体罰問題でよく言われることにもつながる。
厳しい教師や部活での体罰問題が起きた時にOBなんかが、いい先生だったとか、愛のある体罰だった、といった擁護が起きることがよくある。
私はこの意見は、自分には効果があったという主張に過ぎず、すべての人に効果があることを示していないから、ダメだだと思うのだ。そしてもし、体に聞かせた方が効果がある人がいることを認めてさえ、じゃあみんなにやっていいことにはならないし、誰が効果があるかを正確に判断できない限り、やはり一律体罰的になることは避けなければいけない、つまり体罰はダメだと思うのだ。

これと似た関係性にあるのが上下関係ではないかとも思う。

▶︎親子関係と上下関係

親子でペアルックとか、特に母娘で仲がいい親子ってのがけっこういるという話を聞く。全然そのことはいいことだと思う。でも一方で私はきっと古いのだろうけど、友達のような親子ってのには抵抗がある。
きっとそれは私が受けたしつけのせいだろう。親にタメ口なんて絶対言えないというか、言える人が信じられないというか。ざっくばらんなことが話せても丁寧に話さないとダメだろ、という感覚が染み付いている。(でもだからって年下の人からタメ口をきかれてもなんとも思わないんだけどね)
だから自分が大学時代、上京先の身元保証人になってもらった方の家に行ったときに、そこの高校生の娘が、親にタメ口だったのには仰天したものだwww

そういう視点でいくと、私は親子における上下はすごく絶対的だが、一方で学校での先輩後輩、何かの仲間での上下みたいなのは、くだらないものだなぁと思ってしまう。
特にそれが延々と年を経てもひきづってる場合なんてのは、バカバカしいというか、そういうものには絶対近づきたくないなぁと思う。。。

そういう上下関係って本当にいいもんなんだろうか?
芸人やダンスグループなんかで、若手が、先輩の呼び出しは絶対で、どんなときでも呼ばれたから行きますよ、とか言ってるのをテレビなんかで聞くと、うわぁ、たまらんなぁ、と思ってしまうのだが。そして、きっとそれが当たり前な人は、自分に後輩ができたら呼び出すのが当たり前で、それで来ないような奴は嫌ったりするんだろうか、、、もっとやだなぁ、とか想像をたくましくしてまうのだがw

▶︎因果は巡る糸車

特に体育会系の部活で、先輩にひどい目にあわされたという話を聞くが、じゃあ、そのひどい目ににあった人は先輩になった時、後輩に優しかったのだろうか、それとも自分がされたことの復讐のように後輩に鬱憤を晴らしたのか、ということをぜひ聞いてみたい気がする。
そういうアンケートをとってみた人はいないんだろうか??

親に虐待された子供が親になったときにやはり子供を虐待することがある、という話もある。
これは親子間の虐待の連鎖があるか、ということを調べているわけだけれど、もう少し視野を広げて、子供が学校時代に教師から体罰を受けていた、または、部活で先輩から理不尽な要求を強いられたり暴力をふるわれたりした、という上位からの暴力にあった人が親になったときに子供に対してどうなのか、という関連性は誰か調べてないのだろうか?
さらにいえば、部活で愛のある体罰だった、と思っている人は、親になったときに子供への体罰の閾値が低いことはないんだろうか?
もし、そういう関連性が見られるなら、なおさら体罰や暴力はやめるべきだという話になると思うのだが。

とにかく、北海道の児童は見つかってよかったし、親もちょっとは反省して、この先も仲良く、そして将来、ちょっとすごいエピソードとして語れるようになってほしいと思う。

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