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英語または外国語ができるとは?(その1)

まず、はじめに断っておきたいのは、どのように話が転ぶかはわかりませんが、それでもここに書くのは、こうすれば語学ができるようになるとか、語学ができるとこんな素晴らしいことがといったことではないないということ。そんなカッコよく偉そうなことは私には語れませんw
ということで、スタート地点は私の語学経験から入っていきたい(あまり読んで面白いものではないでしょうけど)。
私は強い語学コンプレックスがある。というのも、中高とずーーーっと英語ができなかったから。唯一、赤点を取ったり取らなかったりだった科目だったし。そんなにできなきゃ勉強すりゃいいのに、単語とか覚えれば覚えられるもんだ、と思いつつ、覚えないもんだから(ヒドイ、、、
そのうえ、周りの家族はみんな語学ができるときてるもんだから、なおさらコンプレックスはひどくなる。父は海外の研究所にいたことがあるし、歳の離れた兄は海外留学してたし、結婚後もやはり海外のポストに一時期ついて、夫婦、さらに甥と姪も幼少時に海外暮らし。母は私と同じで、短期間の海外滞在しかなかったけれど、それでも父のところに一ヶ月程度はいったことがある。成人になるまで海外に一度も行ったことがない私は、全く家族の中でもドメスティックな人間だった。。。
そんな私も、なんとか英語はコミュニケーションに使えるかどうかにはなったわけだが、それは外資系で働いて、外国人と話さないといけない機会が向こうからやってきたから、ということになるだろう。そういう意味では、必要に迫られてパターンだったといえる。

まぁ、私がどうやって英語ができるようになったかというのはここでは問題ではないと思う。(単なる文字数稼ぎにはなるかもしれないけれどw)それよりも、英語または外国語でコミュニケーションできるとは何か、その必要性とは何か、というところに話を持っていきたい。

そもそも、この記事を書こうと思ったきっかけは、TVでスキージャンプの高梨沙羅選手が英語で答えている姿を見たからだった。高梨選手は選手活動をするためにさっさと大検を取ってしまうほどの勉強家ということもあるかもしれないが、シンプルながらわかりやすい英語を話していた。これからますます流暢になるんだろうけど、発音もネイティブのようというより、日本人英語的なものだ。それを聞いてこれで十分だよね、と思ったわけ。
たとえば、テニスの錦織圭選手も英語で普通にインタビューに答えているけれど、錦織選手の場合は十代前半からアメリカでトレーニングして試合にも出て、ということだから英語が流暢なのは当たり前だといえる。逆に日本で知られて日本でインタビューとかが流された当初、日本語が微妙にイントネーションが不思議だったりしてたよね。あ、そういえば、朝ドラの「あさが来た」でブレークして、五代ロス現象まで起こした、ディーン・フジオカ氏も日本人だけれど、ずっと台湾やシンガポールなどの映画、ドラマで活躍していたこともあって、日本語の発音が少し違うような気がするんだけれど、あれも日本語環境から離れていたせいなのかな?

まぁ、それは置いといて、日本人で外国語に馴染んでいない人々がそういった日本から出て行ったスポーツ選手が外国語(多くの場合は英語だったけれど、最近は特にサッカー選手がヨーロッパ各国で活躍するので、ドイツ語だったりイタリア語だったりで受け答えしているのもみかけるようになった)を話すのをみて外国語ができてすごい、と思う場合の「英語ができる」と、一方で世間で英語教材宣伝やこれからは英語ができないとダメだといった言説の中で語られる「英語ができる」はダブルスタンダードな感じの違いがある。

当初から例に挙げているスポーツ選手で話を進めていくとすると、日本人選手に限らず、英語がネイティブではないスポーツのトップ選手が、オリンピックや世界選手権やグランドスラム、4大大会といった舞台で英語で話していることがある。日本でそれは字幕がついていたりするので、本人たちが立派な英語を話しているかのように錯覚してしまうわけだが、けっこうブロークンだったり、相当いい加減、変な英語のことだって多い。(字幕はちゃんと通じる日本語にするから(翻訳者も困ってるかもしれないが))これって、英語がネイティブでない人も英語を話せる人はちゃんと話せるかのような錯覚を生みかねない。彼らは別にインタビューを受けることが仕事ではないし、とりあえず「今日はよかった。もっと頑張る」(ちょっと極端だけどね)くらいのことが言えれば用が済むのである。だから、そういう人々が外国語を話していることをすごいと思うのはちょっと変で、私がここで言いたい「英語(外国語)ができる」とはどういうことか、とは違う。スポーツ選手は「外国語でメッセージや意見を伝えることが主」な人々ではないからだ。つまり「英語(外国語)ができる」というのは、「外国語でメッセージや意見を伝えることが主目的でそれができること」ということになる。じゃあ、世間でいう「英語ができないとこれからダメだ」の「英語ができる」と私の意見は一致しているかというのも、ちょっと違う。
それについて明らかにしていきたい。

といった、なんだか前振りだけでえらい分量になってしまった。ということで、この項目については次回に続く。

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