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「あるクラシック音楽入門新書のできごと」

こちらは2011年に出版されたクラシック音楽入門者向けをうたった新書「人生が深まるクラシック音楽入門」の内容のおかしなところをリストアップしたものです。(正確には間違いと、そんなことを堂々と断言していいのとか、俗説なのに本当みたいに教えていいのとか、不正確なんじゃないのとか、いろいろですから極めて主観的なことを先にお断りしておきます)
先だってnoteに公開した「アインシュタインとヴァイオリン」の間違い一覧に続いて、こちらの件についても発端から流れを説明しておきます。

兼ねてからユニークな音楽関連の発言に興味を持って、著者のツイッターの発言や著書を読んでいたストーカーな私wwwは、ついに著者が新書をそれもクラシック音楽初心者向けのガイドを出すってことで期待をして買って読んだところ、一瞬でわかるような間違い、誤記がいっぱいあって驚いた。。。ただ、この本は著者が語ったことを編集者がテープ起こしして書籍化したものなので、ミスは編集段階でのチェックが杜撰だったってのも多そうだとは思った(もちろん、それでも著者はゲラをちゃんとチェックしてないんかい!とも思った)。そこで、ブログの記事としてアップすると同時に、ツイッターで著者の担当編集者を見つけたのでほぼ同時にミスが多いのでメールをお送りしたいことを連絡して、問題と思った内容を連絡した。この時、他の方のアドバイスを聞いて、明らかな間違いと個人的な意見として不正確ではないか、と思われるものの2種類に分けて伝えた。編集者には著者と相談の上、直せるところは直すなりしてください、とおまかせ。
その後も、再度読んで、記憶だけだとあやふやだけど、ちゃんと調べると不正確なことがさらにぞろぞろあることがわかったけれど、もう出版社には連絡したしなぁ、と思っていたところ、著者のツイッターに以下のような発言が並び出して、ちょっと怒っちゃったわけ。

「テープ起こしから下原稿を作って戴いた過程で紛れ込んだミスを気づかず残っているご指摘を戴きました」
とか
「僕は文字のミスというものにやや過敏で、原稿など人任せに出来ず細かく直して来たのですが、本業のスケジュールが押す中「語りおろし」併用するようになると、どうしても細かい内容にはミスが残る事があります」
とか
「僕としては書くことのありえない誤記混入の経緯についてご連絡を頂きました。」

とか、言い訳優先な態度がちょっと嫌だったわけです。もちろん編集側の問題もあるでしょうが、物書きというのはもっと謙虚で、ミスが著作にある場合自分に責があることをまず明確にするものでしょう。それを、明らかに原稿読んでないんか!と突っ込みたくなるようなミスが多いのに、この言い草だったので、この内容のおかしさがそんなレベルのことだろうかということで第2弾もブログを書き、さらに編集者にも追加連絡しました。
その後も結局、特になにかあることもなく今でも本屋でもamazonでも手に入ります。。。

「アインシュタインとヴァイオリン」にせよ、この本にせよ、出版や編集担当者にも連絡してわかったことは、内容が人権侵害、誹謗中傷であったりしない限り、まぁ、版が変わるまではどうでもいいわぁ的な扱いしかされず、何年後でもそのまま本屋にもネットにも流れるってことですね。出版社のどこにも正誤表が出るわけでもなく、、、www
もう一つは、聞き書き編集の本は怖いってこと。編集側に知識があまりなく、話し手を信用し、チェックもいい加減だと、すごく適当なものが出来上がってしまうということ。世間の聞き書き本がすべてそうとは言わないけど、この本を体験してから、特に歴史的な証言などの聞き書きの本の内容ってどうなんだろうと頓に思うようにはなった。編集者が細かに信憑性をチェックしてればいいけど、それができない内容のこともあるだろうし。。。

ということで、ここでは、ブログで2回に分けたものをまとめ直してあります。(でも表現は基本、ブログ掲載、出版社へのメール時のままです)
また明らかな間違いと、おそらく主観的な意見、難癖もあると了解していただきたい。今回、読み直しても私の意見の方が強すぎるかも、というのはいくつかあるしw
それにしても、クラシック音楽入門の本といいつつ、これほどデータがいい加減で一冊から90カ所に及ぶつっこみどころのある本を出せた出版社と編集もすごいと言わざるを得ない。そんなずさんな編集者&出版社と仕事したら、できあがった本も、それを読んで信じてしまう読者もかわいそう。間違いのレベル自体瑣末ではないかという考えもあるかもしれないけど、入門書でデータが間違ってるのは論外だし、音楽以外の点で間違っていてもそれを見つけた読者はその本自体の信頼性を減ずるのではないかということを考えれば、やはり問題多しと思うのですよ。
ちなみにブログに書いた時はその内容に興味を持って本を買った人が5,6名いたようなので販促にもなったかもw
ぜひ、本を片手に間違い探しすると楽しいよ!個人的には間違い探しやつっこみながら読むにはこの本を、著者が自分の履歴を語っていかにたくさんの有名な人と出会い仕事をしたんだと言いたかったんだろうなぁ、と、ある種、日経の「私の履歴書」自慢版のように読めるのがNHKブックス「なぜ猫は鏡を見ないか−音楽と心の進化誌」の2冊をオススメしておりますwww

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<全体的な欠点>

話が脈絡なく飛びすぎる。(インタビューから原稿を作った人の責任)

表記の統一性が悪くて読みにくい。作曲者の姓名表記、姓のみの表記がどういう基準かわからないし、どういうときに太字なのかも全然わからず、読んでて逆にうるさい。

<個別の問題点>

p.25 「たとえば、バッハのカンタータやオラトリオなどの教会音楽は「死」を正面から見据えてつくられています」
→ 著者は後の部分でもバッハは教会音楽に身を捧げたとか、なにかすごくバッハの音楽を教会や人生観的なものに偏って述べているようにみえます。ご自身がクリスチャンとのことですが、そのせいにしてもバッハの作品に限らず、この妙にキリスト教にすべて縛り付ける書き方は不思議ですし、初心者にはいらぬ先入観ばかり与えるように思えます。

p.31,46の2箇所でバッハのゴールドベルク変奏曲が不眠症の貴族のために書かれたという記述がありますが、これはフォルケルの著書にある有名な逸話で、単なる俗説で真実とは今はされてません。

p.38-40 ドイツを際立たせるための説明としての「ラテン語文化圏」という区別は基本的にありません。それをいうならドイツも「ラテン語文化圏」だったわけですし。さらに、古代ローマと神聖ローマ帝国とが直接つながって、文化的にもすべてその影響下にあるような考え方は正しくありません。そのような歴史学書はないでしょう。

p.39 「ナポレオンのエジプト遠征でピラミッドやオベリスクなどを持ち帰ってきます」
→ さすがに、ピラミッドまでは持ち帰っていません。

p.40 「ブラームスはベートーヴェンの後継者という意味で新古典派とも呼ばれていました」
→ この後にも何度かブラームスは新古典派という表現がでてきますが、当時「新古典派」という言い方はなく、そのようにも呼ばれませんでした。さらにドイツ音楽の後継者として古典派、新古典派というつながりにしようとしていますが、新古典主義的なロマン派の音楽はブラームスだけでなくフランク、サン=サーンスといったフランスにも大きく広がっているので、ドイツ中心という道筋の根拠には全くなりません。

p.42 ドイツ音楽を最高と示すために作られた国策オーケストラがベルリン・フィル
→ 楽団分裂によってできたオーケストラにすぎないし、5年後には一度資金が集まらず協会を解散したオーケストラなのに??

p.42 「1842年、神聖ローマ帝国の都ウィーン」と記述されてますが、この時点では神聖ローマ帝国がすでに存在しないので、「神聖ローマ帝国の都だったウィーン」が適切かと思います。

p.42 1842年神聖ローマ帝国の都ウィーンに、シュトラウス一家の率いる民間楽団としてウィーン・フィルが誕生した
→ ウィーン・フィルにシュトラウス一家は一切関係ない。シュトラウス一家がウィーン・フィルに指揮にさえなかなか呼ばれてないのに。

p.42-43 上の2項に関連して「ウィーン・フィルの源泉はウィンナ・ワルツ」「ベルリン・フィルは国策の統率力、ウィーン・フィルは楽友協会の民間らしい自由」といったオーケストラの性格付けからすべて根拠が間違った展開がずっと続いている。

p.43 「プロテスタントが合理的なら、カトリックは瞑想的、あるいは神秘的」
→ 宗教学にくわしい人は驚倒することでしょう。全般的にキリスト教、特にカトリックに関する記述が極めて主観的かつ一般的な宗教学上の認識とは異なるように思います。

p.44-45 子供時代に聞いたLPについて述べられますが、相当記憶違いがあると思われます。カール・ベーム指揮ウィーン・フィルのLPで「運命」と「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のカップリングのものはありません。このカップリングはベルリン・フィルとのものです。ですから、ベルリン・フィルとウィーン・フィルの比較例としては残念ながら成り立ちません。(単にベームとカラヤンの比較をしてたわけですね)さらにショルティ指揮ロンドン交響楽団による「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」と「弦楽セレナーデ」のカップリングされたLPもありません。これはイスラエル・フィルによるものだけが存在します。ですから、サクサクした演奏はロンドン交響楽団によるものではなくイスラエル・フィルによるものだったことになります。

p.46-47 「バロック時代までは音楽は教会、王侯貴族のもので、民衆に身近だったのは民謡や舞曲であり、芸術音楽は貴族などごく一部の人たちが楽しむもの、そこから革命後、一般コンサートが広まった」という歴史観
→ 今時この歴史観の主張はありだろうか?ピープスの日記に描かれた一般市民が楽器や楽譜を買って楽しみコンサートへ行く様子、ロンドンやアムステルダムでの一般向けの楽譜印刷の繁栄、テレマンのコレギウム・ムジクムやハンブルクでの一般コンサートなどを無視できる瑣末なことんだろうか??

p.48 モーツァルトの神童ぶりを積極的にアピールしたのは、教会と貴族が相手だったバッハの時代とは違って一般市民の人気を得るため
→ レオポルト・モーツァルトはそれこそ宮廷売り込むためにウォルフガングを連れ回して宮廷で演奏しボローニャの教会で資格をとらせたのであり、宮廷への就職をあきらめきれなかった。一般市民への人気なんて全く視野になかっただろう。

p.49 彼(モーツァルト)は36歳で亡くなりました。
→ モーツァルトが亡くなったのは35歳。

p.49 いまでは哲学者として知られるカントも、大学では物理学の教授で、星雲の研究など天文学の仕事が本業でした。
→ カントは星雲説の論文を書いたけれど、私講師で様々な講義をさせられたうちに数学、物理学があるだけで、哲学の教授であり、哲学者が本業。さらに天文学の論文もわずかでそこに重点があったわけでもない。(ラプラスと混同?)

p.51 トルコ軍楽器を第9を利用したのをカトリックへの反骨であるように記述してますが、ベートーヴェンの交響曲の50年以上前からヨーロッパではイスラム文化 やトルコの軍楽がエキゾチックなものとして大流行しています(モーツァルトの有名なピアノソナタ「トルコ行進曲付き」や、実際にピアノにその音を模すためにシンバルのような音がなる仕組みをつけた例を持ち出すまでもなく)。プロイセンやイギリスだけでなく、著者がカトリックの国の都ウィーンと指摘するオーストリア にもトルコ軍楽隊が所有されていました(それを所有することがかっこよかったのです)。ですから、カトリックへの反旗なんて大層なものであるはずもなく、流行に則った音楽としてシンバルなどを使っているにすぎませんし、使ったからカトリックから睨まれるわけでもありません。

p.56 「イエス・キリスト本人が優れた歌い手でした。彼は文字の読めない大衆に、美しく歌いながら布教をして回りました」
→ キリストが優れた歌い手で歌いながら布教した、という根拠はどこにあるんでしょう??「最後の晩餐」で賛美歌をみなで歌ったりしてることからの類推なのでしょうか?でも優れたとか美しくとかいえるほどの根拠でしょうか?

p.57 「<アンブロジウス聖歌>と呼ばれるもので、一部は現在でも歌われています」
→ 明確にアンブロジウス聖歌が伝承している証拠はなく、今歌われているものがオリジナルとは証明されていません。

p.57 「カール大帝の時代、現在のイタリア、フランス、ドイツを中心とする西ヨーロッパが一つにまとまって、それが後の神聖ローマ帝国になりました」
→ 地理的に全く間違っています。西ヨーロッパに広く領土を広げた古代ローマ帝国と混同してると思います。神聖ローマ帝国はたかだが、ドイツ全域とフランスのわずか、イタリアの一部、東欧の一部しか支配しておらず、西ヨーロッパが一つにまとまるような帝国になったことはありません。

p.61 「12世紀に入ると、フランスのパリを皮切りに、高さが30-40mもあり、横幅も広いゴシック大聖堂が次々とつくられ始めました」
→ 少し細かいけれど、パリが皮切りというわけではない。シャルトルやランなどブルゴーニュ、ノルマンディー地方で大きな大聖堂建築は始まっていて、単に代表的建築になったのがパリのノートルダム大聖堂に過ぎない。

p.62 グレゴリオ聖歌から、ゴシック建築によって和音が発生し、それが中世、ルネッサンス期で、バッハというジャンプが1ページでなされ、中世、ルネッサンス期の音楽内容、作曲家、作品が1つとして取り上げられないのが「クラシック音楽の通史を語っている」というのにふさわしいか??

p.66 よく響くイタリアの教会のために作曲したヴィヴァルディ
→ ヴィヴァルディの作品は特に教会に特化されてないし、慈善院や音楽院、屋敷での演奏が相当多かったことがわかってるのですが。

p.67-68 ヴィヴァルディとバッハの協奏作品を比較して、イタリア音楽の転調の少なさや、イタリア音楽はソロに頼っているかのように書いているが、ヴィヴァルディの多様な編成の協奏曲群や他の作曲家たちの合奏協奏曲群をどのように考えているんだろうか?

p.68-69 ドイツ音楽は低音も複雑で旋律と平等に扱われてる所がプロテスタント的だと述べているが、そもそもドイツ音楽の代表としてバッハを例にとっているのが適切だろうか。かなり特殊な作曲語法だと思うのだが。これがテレマンでも同様に強く主張できるんだろうか。

p.70 「周波数が1対2になる関係(倍音)」
→倍音自体は1対2のときだけでなく1対Nになるときのことです。ですから1対3も1対5も倍音ですがオクターブ関係ではなりません。「この関係になる音には同じ音名がつけられオクターブと呼ばれます」とはなりません。

p.73 バッハが平均率を追求したかのような記述は正しくないと思う。調律を追求した結果、音楽の構造そのものも確立したわけでもない。

p.75 「バッハは生涯をひたすら教会の音楽に捧げた人でした」
→ 宮廷勤めも長く、宗教音楽外の器楽曲も大量に作曲した人に対してこの評価は正しくないでしょう。

p.75 「長く天動説を捨てなかったカトリックに対して、プロテスタントは地動説と相性のよい宗派です」と述べたあと、航海上のポルトガル、スペインの凋落とオランダの勝利が宗派と地動説の関連で述べられる
→ 地動説がどの程度の迫害対象だったか、また宗派によって違いがあったかに関して明確な論拠がない。いささかステレオタイプな古典的な視点だと思われる。さらに羅針盤の精度がカトリック国側は低かったように書かれるが、実質改善されたのは18世紀であり、オランダ海上帝国の成立とは直結しない。

p.76 「(ケプラーは)太陽系の調和をオクターブで説明する理論を大真面目に考えました。(中略)「水金地火木土天海」という8つの惑星(当時まだ冥王星は発見されていませんでした)は、「ドレミファソラシド」と同じ原理で並んでいるのではないかと、彼は考えました」
→ ケプラー当時は6つしか惑星は知られていない。天王星も海王星もない。惑星音階は作ったけれどオクターブとの対応を考えたわけでもない。

p.77 「クラシック音楽はキリスト教抜きに語ることができません。もちろんクリスチャンでなくても音楽を楽しむことはできますが」
→ まさに著者自身がクリスチャンであることとだからこそクラシック音楽を語ることができることを特権化したい深層心理が見える文章ということができましょう。

p.77 「音楽が持っている宗教的、精神的な背景を知ると、音楽の世界はただ聴いているだけのときとは比べ物にならないほど深くなります」
→ それは正しいが、上記のように間違った情報を覚えて聞いたのではまずいだろう。

p.78 「(バッハは)カトリック教会からの作曲依頼も受けました。なかでも一番有名なのは「ロ短調ミサ」でしょう。」
→ 「ロ短調ミサ」は依頼されたものではない。そもそもカトリック教会から依頼されるという作曲スタイルではない。

p.81 「ソナタという言葉は「ソーノ sono」音というイタリア語に由来するスタイルの名前です」
→ 間違いとは言い切れないけれど、toccataがtoccare、concertoがconcertareと動詞起源と考えればsonareに由来するとした方がよい。この入門冒頭に皆川達夫氏の逸話を引用してるなら、氏の著書でもsonareが由来って書いてあるし。

p.83 「ハイドンは生涯に104曲、モーツァルトは41曲の交響曲を書いています」
→ 今時、番号付きの交響曲の数をそのまま交響曲の曲数にするのはちょっと。百曲以上、四十数曲とかにしなかったのが不思議。

p.84 「(交響曲は)チャイコフスキーも6曲、マーラーもあれこれ合わせて10曲強、シベリウスも7曲しか書きませんでした」
→ マーラーを10曲強(「大地の歌」含めてますよね)というのなら、チャイコフスキーは7曲(マンフレッド交響曲含む)、シベリウスは8曲(クレルヴォ交響曲含む)といってもいいのではないでしょうか。きわめて恣意的な曲数の決め方ですよね。

p.84 「95歳の長寿だったシベリウス」
→ 92歳で亡くなってます。

p.84 ハイドンやモーツァルトがたくさん交響曲を書けたのは一定のパターンを持っていたから、という論述ですが、正直なところマーラーやショスタコーヴィッチの交響曲全体の音符の数はモーツァルトよりはるかに多いのではないでしょうか。曲数が多くないのは純粋に創作量の問題だったのかもしれません。

p.88 「山田和雄先生」
→ どうして一般的な山田一雄でないのだろう。本名にこだわる理由があるのならしかたないですが。

p.94 「重要なのは妖怪も魔法使いも、キリスト教の聖書をいくらひっくり返しても、登場してこないことにあります」
→ 「妖怪」がどのようなものを指すかによりますが、黙示録の獣とかは違うのか、どうなのかきになります。

p.94 「魔女裁判で毎月何人もの人が火あぶりの刑に処せられていたのです。ところがフランス革命によりキリスト教の権威が失墜し、その影響がヨーロッパ各地に及んで魔女は排斥される存在ではなくなりました」
→ フランス革命より1世紀以上前当たりから魔女を死刑にする風潮はなくなっています。統計的に調べることが可能です。

p.94-97 ロマン派の意味を説明したいがために、ロマン派にいたって、幻想的な題材が一般化したと述べ、バロックや古典派は例外はあっても妖怪や魔法使いのようなもの、非キリスト教的なものには不寛容だったと主張し、「ロマン派の時代にはカトリック圏でも非キリスト教的な音楽が生まれました」とまで書いている
→ 神話的作品はバロック期から大人気だし、非キリスト教的題材の作品なんて山ほどあると思うのだが。たとえばグルックのオペラ作品を並べれば、どこがキリスト教的要素が濃くて、幻想的でないといえるのか不思議なくらい。

p.97 ヴェルディの仮面舞踏会は舞台をヨーロッパ以外にすることでローマの上演許可がおりたことを、同じく地名や人名を仮にして作られた「仮名手本忠臣蔵」と同様だとし、「ヴェルディが活躍したのは日本で言えば幕末から明治にかけてなので、時代的にも重なります」と書かれている。
→ 仮名手本忠臣蔵は18世紀半ばの作品でそれ以降繰り返し、文楽、歌舞伎で再演され続けた。だから、ヴェルディとは全く時代的に重ならない。(ヴェルディの時代にも「仮名手本忠臣蔵」も上演されていたでしょうが、初演が1世紀程度違う)

p.99 「ベルリオーズはカトリック圏のフランスで、大革命のさなかに生まれました」
→ 1803年生まれなので大革命が終わってから生まれています。

p.100 「(横溝正史は)五十数冊あった角川文庫は読破したのですが」
→ おそらく小学生時代に出ていた全部ということなのでしょうね。著者の中学時代まで入れれば80冊程度は出ているので、読破といわれてもね。

p.110 「国民楽派を代表するイーゴリ・ストラヴィンスキー」
→ ストラヴィンスキーを国民楽派に含めるのは初めてみたのですが、そのような分類もあるのでしょうか?

p.111 「マーラーもまたフォン・ビューローの副指揮者を志望しましたが自作の第二交響曲の一部を演奏したところ、酷評の上、落とされてしまいました」
→ このような事実はありません。第2交響曲をビューローの前で演奏して批判されたというのは有名な逸話ですが、この前年からハンブルク歌劇場の指揮者としてビューローと仕事をしており、病身のビューローの代役、そして後任となったのがマーラーです。(この10年近く前に一度ビューローに弟子入りしようとして失敗はしています)

p.112 「(リヒャルト・シュトラウスは)戦後は戦争協力を断罪されて、失意のうちにこの世を去りました」
→ リヒャルト・シュトラウスは戦争被告にはなりましたが無罪でしたし、80才を過ぎていくつもの優れた作品を戦後の亡くなるまでの数年に書き、演奏もされ、顕彰もされていることを考えれば「断罪されて、失意のうちに」と書く根拠が不明です。

p.117 「(葛飾北斎の)神奈川沖浪裏に強いインパクトを受けたドビュッシーは<海>を作曲します」
→ これも俗説の類です。たしかに絵を所有していたこと、初版のスコアにこの絵が使われたことは確かですが、この作品に影響を受けたかどうかに関しては発言も文献も何も残っていない、確証のないことです。

p.117 「(交響詩「海」には)メンデルスゾーンにとって大切だった様式感、すなわち最初の主題が最後に回帰してくる、といった音楽のつくりがドビュッシーにはありません」
→ 従来のソナタ形式のようなものとは異なるというのなら正しいですが、この表現では全くそうは読めないでしょう。
「海」の第1楽章でも最初に提示された主題が最後に戻ってきて終わります。そもそも、この曲は循環主題の曲なので、出てきた主題が何度でも戻ってくるのです。この説明だけで「海」を聞いた人は回帰してくる主題に驚くでしょう。

p.118「ドビュッシーには貴族のパトロンがいました。フォン・メック夫人という大富豪です。フォン・メック夫人はかつてはチャイコフスキーのパトロンでした」
→メック夫人はドビュッシーを娘のピアノ教師として雇って旅行したときにも、同時にチャイコフスキーのパトロンでした。ドビュッシーを雇うのをやめた後もずっとチャイコフスキーに多額の資金を提供しています。つまり「かつては」ではありません。

p.120 「ベラ・バルトークのピアノ協奏曲第2番なども、ペトルーシュカなしには書かれることはなかったでしょう。」
→ 「ピアノ協奏曲第2番」と「ペトルーシュカ」の共通性は私にはわかりませんが、「中国の不思議な役人」がつながりがあるというのならまだ納得できます。もしピアノ協奏曲とつながりがあるという話があるなら知りたいです。

p.123 「(フランス音楽六人組に)共通するのはシンプルな作風です」
→ 「カルメル会修道女の対話」や「火刑台上のジャンヌ・ダルク」といった作品名をとりあげて「シンプル」といっていいのだろうか?

p.123 「非人間的な戦争に抗う人間性を高く謳い上げる(プーランクの)ピアノと木管楽器のための六重奏曲」
→ 間違いなのかどうかわからないですが、六重奏曲はそういう作品でしたっけ??

p.124「兄貴分のマーラーはその強すぎる癖のためかフォン・ビューローからもブラームスからもいまひとつ芳しい評価を得られませんでしたが」
→たしかにブラームスはマーラーの「嘆きの歌」を落選させ、ビューローは「交響曲第2番」をわからないといいましたが、作曲家としてのマーラーの評価は芳しくなくとも、両者とも指揮者としてのマーラーはとても高く評価している言動が伝わっています。一面的すぎる記述といえるでしょう。

p.124 「初期のシェーンベルクは、弦楽合奏のための浄められた夜や・・・」
→ なぜ、「弦楽六重奏曲」ではないのだろう?「初期」と書いたら「弦楽六重奏曲」でないと合わない。(弦楽合奏に編曲されたのはずっと後だし、この後の記述を見ても、弦楽合奏曲として認識されているようなので、勘違いだと思う)

p.125 「音色旋律という考え方を創始しました。こうした斬新な思考からつくられた、月に憑かれたピエロは・・・」
→ 音色旋律の代表例にしていいのでしょうか?

p.126「シェーンベルクは、これでドイツ音楽300年の優位が保証された、と語ったと伝えられます」
→ヨゼフ・ルーファーに言ったとされるのは通常「100年」で「300年」は多すぎます。。。

p.128 「ヴェーベルンは日課にしていた散歩中に米兵に誤って射殺されてしまいます」
→ 戸口に出てタバコを吸って射殺されたのが正しい。

p.129 「(メシアンは)音列の考え方をリズムやアクセントなどにも拡大する、新しい音楽の考え方を創始します。彼はその後、ドイツ軍の捕虜となり・・・’
→ 時系列が逆で捕虜体験後に音価など含めたセリーを作ります。

p.130 「(ダルラピッコラは)オペラ<夜間飛行>やオラトリオ<囚われ人>で知られます」
→ おそらく「囚われ人の歌」と混同している。オラトリオでなくオペラが正しい。

p.130 「ベンジャミン・ブリテンは、ベルクの元に留学したいと切望しましたが、当時のナチス・ドイツとイギリスは緊張関係にあり」
→ ブリテンがブリッジなどの勧めにより留学を検討したのは1933年ころで、やっとナチスが政権を取る前であり、まだイギリスとも緊張関係になる前です。

p.130 「結局ブリテンは生涯、ベルクよりは、はるかにシンプルで平明な作品を数多く
遺すことになりました」
→ きわめて主観的だから正しい正しくないではないけれど、ブリテンの作品はシンプル、平明だろうか。

p.133 「バルトークは民謡の素材を黄金分割に基づく独自のシステムで変形、構築して前人未到の音楽世界を作り出しました」
→ バルトークの黄金分割システムは曲構造に関わるもので、素材レベルを変形するようなものではありませんし、そもそもレンドヴァイが主張した黄金分割システム自体が今では受け入れられてません。

p.134 「(バルトークの)最後の数小節を残して亡くなった遺作<ピアノ協奏曲第3番>」
→ 瑣末ですが、17小節なので数小節ではない。

p.137 「池ノ内友次郎門下の」
→ 池内友次郎

p.140 「(ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番は)作曲されたのは戦時中ですが、当局の批判を恐れて発表は戦後まで控えられました」
→ 作曲は戦時中でなく1947-48年で、ジダーノフ批判を恐れて1955年まで発表されなかった。

p.141 「ショスタコーヴィッチの交響曲から選べと言われれば、交響曲第14番「死者の歌」と最後の交響曲第15番でしょう。いずれも演奏すると人が死ぬなどの逸話があり」
→ このような逸話は聞いたことありません。

p.142 「ペンデレツキの60弦楽器のための<広島の犠牲に捧げる哀歌>」
→ 60でなく、52弦楽器

p.142 「シュニトケの作品ではエレキギター、エレキベース、ドラムセットと管弦楽のための<合奏協奏曲第2番>」
→ ヴァイオリン、チェロと管弦楽のための合奏協奏曲第2番。(たしかにエレキ楽器や打楽器目立つけれど)

p.145 「(アイヴズは)人生前半の長い期間、多くの人に知られることのない作曲家でした」
→ 「前半の長い期間」という表現自体意味不明ですが、亡くなる前最後の十数年(60代後半以降)にやっと認知されたといえるので、いずれにせよ正しい表現とはいえません。

p.146 ケージの「4分33秒」について、絶対零度に由来するかのように書かれているが、信ぴょう性のない俗説を断言していいんだろうか??

p.152「(平均律クラヴィーア曲集は)ピアノより少し古い鍵盤楽器「クラヴィーア」のために書かれたものです」
→「クラヴィーア」=「鍵盤楽器」という意味(つまり「鍵盤楽器のための曲集」)だとわかりにくく、「クラヴィーア」という楽器または楽器名があるかのように誤解されると思います。

p.160-161 ヴァイオリンの起源は馬頭琴であり、5度調弦は中国の三分損益と関連があると書かれている。
→ 馬頭琴は説の一つにすぎず、アラブから東西に伝播した説も強い。また馬頭琴は4度調弦である。

p.161「紀元前8世紀、周代の古代中国で考えられた「三分損益法」と呼ばれる調律」
→紀元前3世紀の書物には記載があり、それより相当古くから知られていたとは思われていますが、紀元前8世紀と特定できる要素はありません。古代ギリシャとどちらが先であったかも確証はありません。

p.165「歌っているのと同じ音程をリュートで爪弾いて、歌う人自身が音程を取りやすいようにするのが、(ルター)当時のリュートの主要な役割だったのです」
→ ルター自身は単旋律聖歌を書いているので、たしかにそのような使い方をしたかもしれませんが、ルター当時の16世紀初頭には、当時の流行している歌を リュートや鍵盤楽器で伴奏をつけた形で演奏できるような編曲集がたくさん出版されており、歌に対する伴奏譜も多くあります。ですからそのような貧弱な使い方が主要な役割とはいえません。

p.170「リストの超絶技巧練習曲<ラ・カンパネラ>やラフマニノフの<パガニーニの主題による狂詩曲などはこの(24のカプリース)を本歌取りしたものです」
→ 「ラ・カンパネラ」が含まれるのは「パガニーニによる超絶技巧練習曲集」であって「超絶技巧練習曲」とは別のものです。さらに「ラ・カンパネラ」は原曲が「24のカプリース」ではなくヴァイオリン協奏曲です。ですから本歌取りの元が間違っています。

p.178 「シェーンベルクの世俗カンタータ<グレの歌>」
→ グレの歌を世俗カンタータに分類しているのは見たことがない。そもそもカンタータに相当するか。

p.178「グレの歌の金管セクションはホルン10(うち4本がテノール・チューバ持ち替え)、トランペット7,トロンボーン7という編成です」
→ 「テノール・チューバ」でなく「ワグナーチューバ」です。さらに金管セクション全体を説明しているのであれば、コントラバス・チューバ1が足りません。

p.182 「19世紀オーケストラ音楽における管弦楽法の大家として名高い作曲家としてベルリオーズ、リムスキー=コルサコフ、リヒャルト・シュトラウス、ラヴェル、ストラヴィンスキーなどの・・・」
→ 20世紀での活動歴のほうが遥かに長いリヒャルト・シュトラウス、ラヴェル、ストラヴィンスキーを19世紀オーケストラ音楽に含めるの??

p.182 「ベルリオーズやリムスキー=コルサコフの音楽では、あらためて見直すと打楽器の利用は驚くほど控えめです」
→ 19世紀オーケストラ音楽ではあくまでも打楽器は一発ものの効果音だったという主張ですが、リムスキー=コルサコフの打楽器奏者6名がフルで使われる「シェヘラザード」や、大量のドラムやシンバルを要求したベルリオーズの「レクイエム」「テ・デウム」を控えめというのでしょうか。

p.183「コンサートホールの建屋自体を振動させるべく、舞台を巨大な木槌でぶっ叩く「ハンマー」などです」
→ マーラーは舞台を叩くような指定は一切していません。ハンマーとその叩いた音のイメージだけです。

p.184 ストラヴィンスキーの「結婚」の編成は「ティンパニ2」でなく「ティンパニ4」です。

p.188 「<4つのメフィスト・ワルツ集>とくにその第4番<無調のバガテル>など」
→ 現在、一般的には「無調のバガテル」をメフィスト・ワルツの第4番にはしない。

p.190 「シュトックハウゼンの<クラヴィーアシュトゥック>(全14曲)」
→ シュトックハウゼンの「ピアノ曲」は(シンセサイザーや電子ピアノ使用曲があるけれど)シュトックハウゼンの構想通りにいえば、全19曲。

p.196 「大半の音は電気的に増幅されたものをアンプを通して耳にします」
→アンプで増幅されたものを耳にするのでは?

p.204 テノールホルン、ワグナーチューバの用例として「展覧会の絵」の「ヴィドロ」が挙げられているが、本来フレンチチューバ。またバリトンチューバという名称はなくて単なるバリトンではないのか。

p.209 「デ・サーバタは稀代の歌姫マリア・カラスを育てた事でも歴史的に名高い音楽家です」
→ マリア・カラスがデ・サーバタの指揮で初めて歌ったときにすでにカラスは有名な歌手でした。たしかに、カラスとの「トスカ」の録音は有名ですが、マリア・カラスの評伝でもセラフィンなどの他の指揮者より明らかに取り上げられません。カラス自身の長い回想文でもほとんど出てこない指揮者であり、数回の共演しかしていません。どこに「育てた」なんていう根拠があるのか不思議です。

p.209 リヒャルト・シュトラウスのアシスタントから出発した指揮者カール・ベーム」
→ ベームは23才でグラーツ市立歌劇場からキャリアをスタートし、リヒャルト・シュトラウスと出会ったのは三十代後半です。

p.244 「聴力はほとんど失ってしまったけれど、ベートーヴェンは最後まで、自分自身の声は聴くことができた」
→ このことを証明する事実はありません。そうだったかもしれませんが。聴覚障害で聴神経が侵された場合は自分の声でも聞こえません。ですから、これが「コロンブスの卵のような事実」ということもできません。

p.252 あとがきでリスニングガイドについて「古代ローマ聖歌からブーレーズ、シュトックハウゼンまで一貫して個人の観点でまとめたガイドというのは、なかなか珍しいかと思います」と書いているが、中世、ルネッサンスに本文でも作曲家、作品一切ふれず、リスニングガイドでも1点も挙げないようなリストでいいんだろうか?

裏表紙カバー 「西洋音楽300年の歴史」、本文中に300年という時間概念がないので、これは「西洋音楽1200年の歴史」を漢数字を読み間違えたか、打ち間違えたのではないでしょうか。

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なんでもや

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