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世界に規範はあるのか?作れるのか?(宗教を超えて)

今回の話題は、バングラデシュのテロを受けての話。
ISのようなイスラム系過激派に限らず、世界は宗教がらみのテロや対立が目立っていますが、それを超えてなんらかのルールは作れないのかという話です。

一方で、現在なんらかの宗教(それも一神教)を信仰している人には腹がたつ内容かもしれません。その点は先に謝っておきますというか、怒らないでね、ごめんなさい、という感じです。

▶︎私の宗教的スタンス

私は正直、無宗教だと思います。

家はずっと浄土真宗だったようで、菩提寺には先祖代々のお墓があったりもしますが。
さらにいえば(信じがたいかもしれませんが)幼稚園から高校まで14年間はミッションスクールでした。なのでキリスト教、それもカトリックは一番身近な宗教だったといえますし、その点では一番シンパシーを持てる宗教かもしれません。でもま、信者になろうなんて一度も思ったことありませんが。

さらにさらに、西洋文化はもちろんキリスト教がなかったらないようなもんですし、クラシック音楽、それもバロック音楽、宗教音楽なんてキリスト教なしには考えられないし、その知識はたんまり必要でもあると思えば、信じてるどうこう以前に知ってなくちゃいけないことはたくさんあるともいえます。

もちろん、私は宗教を否定しません。というか、神の存在も否定はしません。
ただ、私の立場としては、存在するかどうか人間ごときがわかると思ってないし、存在してもしなくてもいいじゃないと思ってますし、さらにいうなら、神の存在を信じる信じないと存在するしないは無関係じゃないかと思ってるだけで。

極端なことをいえば、神様の視点に自分が入ってるなんて思うのが人間の傲慢だよね、という感じ。そんなこと知ったこっっちゃないよ、神様にとっては。

キリスト教などを信仰する人には噴飯物もしくは単に信仰薄い私が勘違いしてるだけ、というのかもしれませんが、私から見れば、宇宙に他の宇宙人がいたとして、その宇宙人も同じ神様を信じてるし、その神様が人間も宇宙人も守ってるなんてのがナンセンスだろうと思ってしまうし、将来、人間とコミュニケーションを取れる宇宙人と遭遇することがあったとして、その宇宙人の方が精神文化が先にいってるのに、宗教?神様?なに原始的なこと言ってんの、とか言われたらどうするんだろうと、どうでもいいことまで心配してしまったり。。。

▶︎宗教を人類に必要なシステムだった(過去形)

個人的には、宗教は人類に必要だったと思います。
意識を持ち、言葉を持ち、文化を育み、進歩していくうえで、未知の自然と付き合うために、その中で過酷な環境に晒され、場合によっては命を落としてきた人類が進歩するときの精神安定剤として当然、そして効果的なシステムだったのではないでしょうか。

しかし、明らかにキリスト教以降の宗教たちはそれを超えて、人々をその教義と組織によって人質にして支配するシステムと化したといえないでしょうか。

まぁいえば、現実世界の生活が苦難に満ちていた大衆のために薔薇色の来世を約束してみせたこと。現世が苦難に満ちているほど、必ず訪れ死の後なにもないなんてことなら、なんのための生だったのかって感じで、もう釣るには万全です。現世で満足してたにしても死んでチャラになるのはいやでしょうから、やはり来世を約束されるのは嬉しいでしょう。

この「人間の死(及び死後)の恐怖」をうまく餌にしたということが、宗教の最大の武器でしょう。

で、私はそのシステムから抜けていくことは必要なのではないかと思うのです。もちろん来世があってもいいし、ただそれを見たことないのに勝手に縛られるシステムから抜けた方がよいということです。

▶︎脱宗教、または宗教を超えて、人類の規範は作れるか?

人間が「死とは何か」「死後の世界はあるのか」といったことへの興味が尽きることはないでしょう。最近は最新科学でも臨死体験とかいろいろ科学的に究明しようとしてますしね。

でも正直なところ、人間は誰も死んだあと戻ってきた人はいないわけですし、他人が死ぬのをどんなにたくさん見ようとも自分が死ぬのがそれと一緒なのかわからないですし、死んだらそれもわからないわけで、興味は尽きなくても、それも思想的に縛る道具にするのはナンセンスに思えます。

そして、現実世界は地球環境が悪化してると言われたり、生活環境の格差がひどいといった現実問題は山積しているわけです。

そのように考えると、もし脱宗教していくとするなら、

自分の家族や次世代にいかに良好な地球環境や生活環境を残せるか努力してそれに満足して死を迎えましょう

という現世でクローズするシステムとに変化させちゃうことです。

そうすれば、宗教のルールとして異教徒をどうこうする、といった形の暴力性を少しでも減らせればいいのですが。少なくともこれによって、考えるとものの土俵がより近いものになれば、すれ違いも問答無用も減ると思うのでうが(逆にその分、ある程度わかる分、憎悪が深くなる可能性は否定しませんが、、、

そして、そのような脱宗教化に向かうとしても、そう簡単にできるわけないので、それまでの基本ルールとしては、

問題の解決に人の生き死には使わない

が必要でしょう。

これは、個人間の殺人から、異教徒の排斥、差別によるもの、戦争に至るまで、すべての問題に制約をかけるためのものです。

書くのは簡単で、これが実現することは極めて困難ですが、宗教が人の死の概念をベースにしていると同様、人を死によって排除することが究極の手段だという認識が物事を厄介にしているからです。この延長線上には死刑も存在しなくなるのはあきらかでしょう。

ここで挙げた2点だけでも、少しでも個人レベルだけでなく、組織、宗教、国家レベルで強く認識できれば全然変わるはずなんですけどね。

まぁ、人間はってどうしようもないですねぇ。

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