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情報弱者とはなんだろう? または、情報に振り回されることについて

わたしはオカルトが大好きです!
えっ、それが情報弱者とどう関係あるのかって?w
まぁ、憶測と偏見にまみれた私の思考回路ではちゃんとつながるので、もう少し我慢して読んでもらいましょうか。

で、私はオカルトが大好きです!
私が小学生の頃は、小学生向けの怪奇現象や空飛ぶ円盤やネッシーや雪男(今みたいにイエティやビッグフットなんてまだ言ってなかったよね)やら幽霊現象やら、心霊の手形をロウで採取したとか、念写とか、、、
黒沼健氏の書いた怪奇実録物とかいっぱいありました。きっと今でもあるのでしょう。

今のように矢追純一世代よりも後で、ビデオやCGも高度に発達し、ネットで映像も氾濫している状況では、小学生レベルではどのようにそういう情報を受け取るのか、人気があるのかわかりませんが。

で、これがどこから情報弱者という話につながるのかということですが、まずは情報弱者とは何か、ということになります。

▶︎情報弱者ってなんだろう?

一般的に「情報弱者」というのは、最近のようにデジタル機器、ネットが発達する中で、そのような機器や技術から縁遠いために、そのような媒体上で流れる(トレンドと思われる)情報に接しないために、知識が乏しくなる、時代遅れになる人々のことを言います。
で、私はここでもう少し幅広く考えてみたいと思うのです。「情報への接触乏しくて情報量が少なくなる」、という点に注目するなら、次のようなパターンはすべて「情報弱者」なのではないでしょうか?

1 デジタルデバイド的な面で情報にアクセスできない
2 元から情報に接すること自体に関心がない
3 情報に多様性があることがわかってないので偏った好みの情報に縛られる

1と2のパターンは環境的か、個人的なものか(そして結果的に両方が絡まることもあるでしょうが)はあるにせよ、情報が単純に欠乏した形といえるでしょう。
そして、私がここで問題にしたい(そして冒頭のオカルト好きとも無理につなげようとしてる)のは、3のパターンによる情報弱者であり、これが実はネット上ではけっこうたくさんいるのではないかというお話なのです。

▶︎多様性がわからない情報弱者とは?

とか、大層なことを言いそうですが、俗に言う情報リテラシーが低いんじゃない、とかいわれてる話です。情報の信憑性とかの判断が甘い人々、その結果、信じるものが偏る人々ともいえるでしょう。
これだけだともういくらでも言い古されたことだと思うのですが、私はこの根源は多様性のある情報に接してこなかったとか、妙に正しいものだけにしか接してこなかったせいではないか、という仮定をしてみたい。

というところで、やっと「オカルト好き」につながります。
別にオカルトに限らなくても良いですが、小さい頃から、そういう怪しげな信憑性が怪しい(まぁほとんどがウソなわけですが)情報にも接してきた人と、教科書的に正しい情報に接する割合が多い(ある種優等生的な)人とでは、新しくやってきた情報に対する判断、留保、感覚などのフレキシビリティが違うのではないか。後者の方が真偽の判断に固着しやすく、一定方向の情報に振り回されやすくなるんじゃないか?と思うのです。

▶︎鍵屋さんは泥棒なのか?

私はセキュリティのお仕事をしていたこともあって、個人的にも自宅のネットワーク環境やSOHOでの情報漏洩がないようにするには、どういう環境や設備が必要なの?といったアドバイスを求められたことがあります。
そういう時に、こういうパターンで情報が盗まれることがあるといった話をいろいろすると、
えっ!そんな風に情報って漏れることがあるの?!
と思われるだけでなく、
そんなことを考える奴がいるなんて信じらんない!
に至り、最後には
そういう手口を知っている私ももしかしたらそういうことできるんじゃないの?
みたいに思われかねない勢いになることがありますw

まるで、それって鍵屋さんは鍵に詳しいから簡単に人の家に侵入しそうとか、窃盗犯の手口に詳しい防犯アドバイザーは空き巣も得意なんじゃないか、と思われるようなもんですね。。。

つまり、こういう考えに至る人は、そのくらい世間の知(まぁ、ここでは悪事に関するものですが)が広いとか、それほど様々な知識があることに、普段あまり思い及ばせない、ということです。
普段生活するのに何も困らないでしょうが、そういう思い及ばせない情報が身近にやってきた時に、それをどのように判断するか、において弱点がありそうです。

▶︎ネット上の情報弱者から抜け出すには

今はネット上にもう多様すぎるほどの情報が氾濫しています。それは今回の地震についてであろうが、政治についてであろうが、安全保障についてであろうが、もうお腹いっぱいなほどです。
で、そんな中で情報に溺れずに済んでいる人はほとんどいないでしょう(私も溺れまくってます)。で、そこでいかに溺れずに済ますか、または上手に溺れる(?w)かだと思います。

果ては陰謀論にはまりまくる人、オカルト好きからオカルト信奉者になる人も少数ながらいるわけですが、まずは情報にはすっごく多様性があることを理解することが基本なのでしょう。その振れ幅に馴染まずにいた人たちが、妙なところである種の情報にはまりまくるのではないか。

たとえば、公式な情報よりも、本当はちゃんとした情報は隠されていて私が本当のことを知っている、みたいなのに惹かれやすい人(まぁ、素朴に考えて、なんでそっちの方が信じられるのかという根拠が薄弱だと思うのですが)、そういう系の情報ばかりSNSでシェアする人っていうのは、その情報が正しいかどうか以前に、すでに情報へのアクセスが偏っているという点で問題だと思います。
私たちは自分が信じるもの、望ましいと思うものに惹かれて、そればかり見て、やっぱり正しいんだ、と思いたがるものですが、それは情報へのアクセスとしては良くないと思います。常に両方の情報には目配りすること、そしてそれが可能なのがネット時代の最大の利点であるはずです。

この時の一つのルールとして有効なのは

すべての情報に対して常に一息は判断を留保すること

です。

自分の経験というか感覚でいうと、ある方向性の意見を自分が持ち、その方向の情報発信をしていると、発言をするというプロセスがますます自分の頭を固くし、その方向しか見なくなることを促進してしまいがちです。だから相当意識的にこの両方見続けるということはしないと、情報の偏った情報弱者からは抜けられません。

自分のSNSのタイムラインを見てみてください。いかに偏った(それは情報の正否を言ってるのではありません)、そして怪しげなレベルまでその方向に偏った情報をシェアする人がいかに多いかに気づくはずです(何度も言いますが、それは正否ではなく、単に情報の方向性の偏りの話です、自分と意見が同じか、違うかではありません)。
自分の眼の前に普段見えている偏り具合というのは、自分が一種の情報弱者であることを示しているのではないでしょうか?

私は、そういう何事もあるかもしれないし、それは本当かもしれないし、でも大抵は怪しいことなんだよね、といったことを小学生時代のオカルト好きだった時に学んだと思うのです。

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