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ウンベルト・エーコ死去

ウンベルト・エーコが亡くなった。

84歳という年齢は亡くなっても不思議はないにせよ、ウンベルト・エーコの突然の訃報には驚いた。
ウンベルト・エーコといえばなんといっても「薔薇の名前」がもっとも知られているだろう。あの分厚い上下巻の小説は読んでいなくても、ショーン・コネリー主演の映画版を観た人は多いに違いない。14世紀の修道院を舞台にして、起きる連続殺人事件を、キャラクター的にはシャーロック・ホームズ的論理性を持った修道士ウィリアムが見習い修道士アドソと共に推理し解決するという物語ですが、中世の宗教観、異端審問、宗教論争(さらにアリストテレスまで)といったものを見事に舞台を保ったまま現代化することに成功している希有なミステリーだった。

そういえば「薔薇の名前」は傑作の誉れが高くとも、いまいち読まれない理由はあのボリューム以上に、いつまでたっても文庫にならないことも理由にあげられるだろう。昔、一種の書籍の冗談に「アルジャーノンに花束を」「百年の孤独」「薔薇の名前」は文庫化されない三大作品といわれていて、これらは文庫化すると世の中が滅ぶというのがあった。でも、突然「アルジャーノンに花束を」が文庫になってしまい、実は世の中はその時に滅びてしまったらしい、とも言われているw
それを思えば、ガルシア・マルケスが亡くなってもいまだに「百年の孤独」は文庫になる気配はなく、今回のエーコの死によっても「薔薇の名前」が文庫化されないとするなら、世の中は二度目の滅びを恐れ避けているということになるのかもしれないw

エーコの長編作品は「薔薇の名前」以降も「フーコーの振り子」「前日島」「パウドリーノ」とすべて一定の過去が題材の中心となっており、そこにミステリーが内在するという仕組みになっている。主に長編作品が取り上げられがちだが、ここでは、エーコ本来の仕事であった記号学者としての著書「記号論」、短編小説集である「ウンベルト・エーコの文体練習」、美術史における表現をまとめた共編著の「美の歴史」「醜の歴史」、書籍についてカリエールと共に語りまくる「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」を挙げておきたい。

「薔薇の名前」以降の盛名のおかげで忘れられがちだが、エーコがこの作品を書いたのは48歳の時であり、それまでにすでに記号学者として世界的な存在であった。逆にいえばそういう学者が中世修道院を舞台としたミステリーを書いたからこそ、当時は注目されたわけだが。1960年代以降、意味論をベースに世界的な仕事をしてきたエーコが、自分の理論を元に記号論を総括したのが1976年に書かれた「記号論」だ。「意味作用」と「コミュニケーション」をキーワードに、意味論を絡めて詳細に記号論を検討、展開していくようすはすごいがなかなかついていけないw

長編小説が注目されがちなエーコだが、どれもけっこう長い。文庫になっていても読むのはけっこうしんどい。そんな中、短編小説集として文庫にもなっている「ウンベルト・エーコの文体練習」は最も手に取りやすいエーコの作品といえるかもしれない。「文体練習」と聞けば、レーモン・クノーのものが有名だが、こちらの文体練習も読んでけっこう笑えるものがいっぱい。「薔薇の名前」のずっと以前の1960年代の作品から1990年代に至る、まさに様々な題材、様々な古典的作品をベースとしたパロディ、様々な遊技に満ちた作品集映画のシナリオをいろんな有名映画監督を想定して書いてみたり、紙幣を書評の形で評してみたり、縮尺1/1の地図の解説書を書いてみたり、とにかく読んでみることをおすすめしたい。こんなばかげたことを書いてどうすんだ、って感じもするかもしれないが、これも文学の営みとしてはとても正当な作業なのですから。

「美の歴史」「醜の歴史」はうってかわって美術史における表現形を美醜という対照的な二軸で切って見せる作品です。私たちは美術作品の中に美を見いだすことは簡単ですが、醜についてはまり注目していません。そして美についてさえ、なにを美であるかをあまり意識してないのではないでしょうか。エーコはそれを相対主義的だけれど歴史の上に綺麗に並べて、その変遷、ポイントを明らかにして、それを作品を特徴づけるものとしてどのように表現してきたかを示します。この2冊に続いて出された「芸術の蒐集」では、今度は美術作品を様々な形からみたリストとして文学作品ともからめてカタログ化してみせますが、最初の2冊とはやや様相は異なります。

「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」はジャン=クロード・カリエールというフランスの作家、脚本家にして愛書家と共に、やはり大量の蔵書家でもあるエーコが題名に反して、紙の書物への愛、そして紙の書物と電子書籍やインターネットがいかに異なるのか、そしてなにによって存続しうると思うのかをインタビュアの問いに対して語り合う形で語り尽くす本です。語られる内容はあまりに広範囲すぎて説明しきれません。書物の歴史、本がどのように保存され、情報として使われてきたかといったところから始まり、現在の情報の扱われ方、禁書閲覧室の話などなど。。
この本の最後の章は「死んだあとの蔵書をどうするか」と題されており、自分の蔵書の一部を売却しなければならなかったときの話であったり、今、どのように蔵書を保存しているか、どのくらいあるか、死後どうしてほしいかといった話がされるわけですが、ここでかすかに感じられる自分のコレクションへの愛着やひとまとめにしていてほしい散逸させたくないという愛書家としての心情を感じられるところに、今となればこれも一つの遺書のようなものだったのかもと思ったりするのです。

で、音楽好きなのに私は全く知らなかったのですが、ウンベルト・エーコはバロックフルートとリコーダーを愛好していたのを海外の追悼のコメントで知りました。いろんな記事を読むと、リコーダーでファン・エイクやレイエを吹いて楽しんでいたそう。テレマンの無伴奏ファンタジーは難しすぎる、っていってたようw
こんな側面からも親しみを持つことがあろうとは(亡くなってからとはいえ、、、

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