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『何目指してんの?』と100回聞かれた男のコレマデとコレカラ

エンジョイライフ!

マイケルたいがです。

このnoteは、  僕が、アフリカで鉄道に閉じ込められ『暇な時間』が出来た事で自分と向き合い『エンジョイライフ』が自分の軸だと気付き、今までの経験を振り返ることで夢を抱き、実際に夢を叶えるために行動してるというお話です。


自分自身を振り返り描くオナニー(自己満)記事ではありますが、ロックダウン中、STAY HOMEする上で何かのきっかけとなれば嬉しいです。  

序章
~アフリカでの大移動~

畳半分くらいのスペースに、
インターネット環境のない空間、
サウナにいるんじゃないかと感じさせる暑さ、

そこはアフリカのタンザニアとザンビアを結ぶタンザン鉄道と言う列車の中。  

鉄道の遅延が続き72時間この空間に閉じ込められた。

こんな空間だからなのか、
暇すぎてこれからをどう生きていくのかを考えていた。

少し過去を振り返ってみようと思う。

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第一章『エンジョイライフとの出会い』/タンザン鉄道の中で過去を振り返る

エンジョイライフ!!

高校生活の最後に僕は「イップス」と言うスポーツの病気にかかった。

(イップスとは精神的な原因などで、突然自分の思い通りのプレーや意識が出来なくなる症状のことだ)

テニスをしていた僕は大学生活もテニスに注ぐつもりだった。
イップスを克服出来なかった僕はテニスをやめる事にした。

テニスが大好きだった。
体を動かし、自分自身の頭で考えてプレイする。
なによりも、目標に向かって全力に生きる日々が好きだった。

テニスをやめたことによって出来た心の穴を埋めたのが『旅』だった。

はじめての旅は高校3年生の時に東京から富士山までテニス仲間とママチャリで行った時。

この時達成した喜び、
ママチャリに秘められた可能性を感じたのを覚えている。

僕にとってスポーツと旅は似ていた。

どちらも自分自身が主人公となり、目標を達成していくプロセスがあるからだ。

テニスを辞めてから、僕は旅に没頭した。

夏休みに島で生活をしてみたり、
ディズニーランドに1人で行ってみたり、
世界一周航空券のもらえるプレゼンコンテストに挑戦したり、
世界一周の旅に行ってみたりなど、

今までの固定概念が崩されるような挑戦を始めた。

そして必然的に出会いが増えていった。

イップスにより落ち込み、周りが真っ暗で全てを失った感覚に陥ってしまったが、

「人生は今にフォーカスして楽しみ続ければ光が差し込んでくる!」

と、多くの人と出会い、挑戦を重ねていく事でそう強く感じるようになっていた。

「エンジョイライフ!!」

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第二章『旅での大きな気づき』/『お金』と『幸福』の関係について

~2つの関係性~

世界一周を通して、2つの基準がこの世界にあるのだと強く感じた。(きっと、もっと沢山ある)

『お金』と『幸福』だ。

多くの人がこのどちらかを軸として生きている事がわかった。

大体80%の人が『お金』を軸に20%の人が『幸福』を軸に生きていた。

この資本主義社会において『お金』は切り離すことの出来ないものなのだろう。

アフリカに住む民族からドバイの大富豪まで多くの人達に出会ってきた。

『お金』の使い方次第では素敵なアートが完成する。
その逆に使い方を間違えると人を殺める武器ともなる。

僕自身が『お金』を持たずホームレスとなり世界を旅した事により『幸福』の軸について深く考えるようになった。

出会う人の中には何者にも囚われず『幸福』を追求している人もいた。

そこで気付いたのが、

『お金』に対する格差は外見で見分ける事が出来るが、
幸福に対する格差は外見では見分けがつかなかった。

お金には共通の基準があるが
幸福には共通の基準がない。

この2つの格差の違いは、
意識を自分の外側に向けているのか、内側に向けているのかにあるのだと感じた。

自分自身が幸福と感じる瞬間、
友達が幸福と感じる瞬間は別である。

ただこの幸福の感覚が近い人と友達、恋人になっているなと感じる。

僕自身が人間として魅力があるなと感じる人は、自分自身の幸福を理解し追及している人だった。  

アフリカに住む民族、山奥に住む仙人のような人、ドバイに住む大富豪もそれぞれの幸福の基準は違い、自分の幸福を満たしている人達は輝いていた。

『お金』で自分自身をデザインしすぎると自分の心までをもデザインしてしまい、『幸福』の心が見えなくなってしまう。(子供心を忘れてしまう)

自分自身が旅を通して助けてくれた人の多くは、自分自身の『幸福』を理解し『お金』というデザインを美しく身につけてる人がほとんどだった。

どう生きていくか考えた時、

自分の『幸福』は自分だけではなく人を楽しませている時であると感じた。

友達と笑いあったり、
家族で食卓を囲み、話したり、
旅先で出会った、国境を越え、生まれも育ちも全く違うけど、その瞬間を、共有する時間。

周りの楽しそうな表情が、僕を幸せにする。

そして、僕に夢ができた。

第三章『夢を抱く』/未来の娯楽を創りたい/誰もがエンジョイライフを感じる場(テーマパーク)

~未来の娯楽を創りたい~

「未来の娯楽を創る」

将来は今ない1000年続く娯楽、テーマパークのようなモノを創り上げたい。

正直この娯楽に対しては、これといったものはないが漠然と言うなら世界中に「ワクワクする空間」を創り上げたい。

この漠然とした夢はおそらく子供の頃に描く「仮面ライダーになりたい」「プリキュアになりたい」と変わらないのかもしれない。  

それで良い。

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漠然としている方が燃え上がる。

かといって夢だけを語る人間にはなりたくない。

どう生きれば娯楽を創りあげる人間になれるのかを考えた。

まずは今の時代を生き抜く力が自分には必要だと感じた。

社会の仕組みを理解し、人々を楽しませて『お金』を稼ごうと決意した。

第四章『夢を叶えるプラン』/夢を叶えるためのプロジェクト実行/帰国後の行動→バイト禁止

バイト禁止

当時共に旅をしていた相方と話をしていた。

「バイトは帰国したら禁止にしよう」

バイトをしてしまうとお金を時間で考える概念が生まれ、
なりたい自分から遠ざかってしまうからだ。

バイトをせずにどうしたら人を楽しませてお金を稼ぐことが出来るのか。

思いついたアイディアが『カーボーイ居酒屋』だった。
店員が全員カーボーイで合言葉が「ヒーハー」

飲食店で働いた経験はなかったが、
相方が元々居酒屋の客引き経験もありお客さんを集める自信はあった。

どうしたらお客さんが来たくなるような空間になるのかをひたすら考えた。

こうして、鉄道に72時間閉じ込められ、自分のマインドに目を傾けたら夢ができた。

アフリカの次の国はドバイにした。

理由は居酒屋をやる為の資金調達であったが、これは失敗に終わった。

この時ドバイの大富豪と出会った話は別の機会に。

1ヶ月後日本に帰国した。

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第五章『失敗』

~ムチャぶり酒場~

「お前これからどうすんの?」

帰国後、「世界一周どうだった?」の次に多く聞かれた事だった。

全員に「未来の娯楽を創る人間になるために居酒屋をやるんだ」と答えた。

帰国し数日たったある日友達から電話がきた。

「居酒屋の経営者募集してる人がいる」

伝えてくれたのは中学時代の友人だった。

募集内容は3年間赤字経営の続いているお店を3ヶ月で黒字にしてくれないか、というようなものであった。

早速、自分と伝えてくれた友人、世界一周を共にした相方、そしてもう1人頭のキレる友達と共に応募した。

内容は、『カーボーイ居酒屋』ではなく、『ムチャぶり酒場』と言い毎月コンセプトの変わる酒場をテーマに応募した。(中身は、ほぼ同じ)

見事自分達のアイディアが採用されお店を始めることになった。

当時の経営状態は月に50万円の赤字を出し続けているという悲惨な状態であった。

そんなこんなで世界一周帰国して3ヶ月後にお店をオープンさせた。

お店自体は席数が40席、立地は神保町駅から徒歩10分程かかり良い場所とは言い切れない場所にあった。

とは言ってもはじめはテスト経営ということで1週間に1度の経営を見て、
売り上げが上がっていきそうな場合にお店を任せてもらえることになっていた。

初月のコンセプトは『フレディーマーキュリー酒場』と言い、店員全員が Queenのボーカルフレディーマーキュリー、

そして掛け声は「えーーーーーーーーーお」

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お客さんは友達が来てくれたり、道で集客をし店内は賑やかで、ものすごく楽しかった。

お客さんが帰り、売り上げを計算すると利益が上がっていない。

次の週も、また次の週もお客さんはいるのに利益が上がらない。

理由は2つあった。

1つは客層が学生で、学生に対して元々のお店自体が小洒落た日本酒酒場の空間でメニュー自体に学生が手をつけられるものが少なく、お通しや席料ももらっていなかったので単価が1人あたり1000円程であった。

もう1つは空間を楽しみ居座れる空間だったので回転数も17時から23時営業で多くて2回転程だった。

結局『ムチャぶり酒場』はなくなってしまった。

バイトをせずに人を楽しませてお金を稼ぐ。

そう決めていたが蓋を開けてみると、

営業日数はほんの数日間だったが会議や視察など入れると3ヶ月ほど活動し稼げたお金はチップとしていただいた735円であった。

僕はこの735円を一生忘れない。

第六章『先生との出会い』/反省

~先生との出会い~

学校にいる人が先生なのか。

そうとは限らない。

僕の”先生”は突如現れた。

酒場を通して自分自身には知識がなさすぎると痛感した。
お金のことなんて知っているようで全く知らない。
経営についても何もわからない。

痛みを痛感し勉学に走った。
本を読み大学の授業を受けて学びを吸収していった。

しかし逆に幅広く学ぼうとしすぎ何を学べば良いのかわからなくなっていった。

このままじゃダメだと思っていたある日、
都内にある高級住宅街へ自転車を走らせていくと一軒の大きな家に目が泊まった。

真っ白なお城のような大きなお家だった。

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天から声が舞い込んできた。

「いくんだ!!」

門が少しあいておりそこに2人の人影が見えた。

気がついたら声を上げていた。

「こんにちは!どうしたらこんなに大きな家に住めるんですか?」

そして、自己紹介を述べると家に招いてくれた。

その方は某有名不動産会社の最高顧問、そしてその会社の会長の方だった。

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最高顧問の方の人生が映画のようで面白くこの方を自分の先生にしようと決意した。

先生からは社会が作り上げた『お金』の正しい使い方やビジネスの基本を学んでいった。

それからは学びを深めたいと思った時は先生の元へ足を運ぶようになった。

第七章『師匠との出会い』

~師匠との出会い~

先生の元で話を伺っていると経営者の集まりへ招待していただいた。

その会は毎月某ホテルで行われる定例会で、そこには各企業の名だたる会長や社長がきており自分はそこで何かを残そうと思い自分で作ったTシャツで挑んだ。

良い注目なのか悪い注目なのかわからなかったが視線を感じた。

するとそこに不思議なオーラを宿った全身真っ黒の怪しい魔法使いみたいな人が現れた。

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何者なんだろうこの人は。

するとこの人の周りに人が集まっていく。

周りの人から話を伺うと彼は天才のマーケターだった。首相のブランディングを行ったり、1人で合計200億の売り上げを作り上げ、自殺者を救うサイトを立ち上げ2万6千人ほどの命を救ったりなど、

自分の知らない世界で活躍している人物だった。

会の終盤に先生が僕のことを紹介してくれた。

するとどういう流れか歌を披露することになった。

歌には自信があるので十八番の「上を向いて歩こう」を披露した。

会の終わりに天才マーケターの方に

「歌は下手くそだが良かった」と言われた。

第八章『企業スタート』/壁にぶつかる(コロナ)

~起業したらコロナが来た~

気付けば師匠とは毎月会うような仲になっていった。

師匠はお坊さんでもあり、師匠からは歴史や人間としてのあり方、モノの売り方を学んでいった。

先生や師匠からの学びを得て、酒場を失敗してから約半年後に訪日外国人向けに晒しの販売を行った。

売れ行きは好調で5日間の販売で売り上げが400万円とそれなりの結果を出すことに成功した。

資金を元に何をするかを考えていた。

『娯楽を創る会社を創りたい』と想い起業することにした。

はじめのアイディアはスモールビジネスとして成功体験のある訪日外国人向けにお土産をつくり販売するといったシンプルなビジネスモデルであった。

その先はお金を貯めながら考えていくつもりだった。

しかしこんな馬鹿げた会社を共に創り上げようと五人の仲間達が集まった。

世界一周を共にした相方、元引きこもりニートのエンジニア、管理財務などのできる社会人経験のある方、北九州から来たリフォーム屋の息子、広島から来た俳優。

このメンバーと共に走り出した。

今年の1月から動き出し始めた。

事務所兼シェアハウスで多摩川近くにある団地2LDKで共に生活を始めた。

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1月は会社設立の手続きや、生活をする上での準備、これからの方針などで時間が消えていった。

1/31にようやく登記が完了した。

2月からはほぼ毎日営業で外を回った。

北は北海道、南はニュージーランドまで営業に回った。

営業のたびに自分達の未熟さを感じ合宿のような生活へと変えていった。

起きる時間、食事の時間や、勉強のインプット、アウトプットの時間など1人では継続ができない事を仲間と共に乗り越えていった。

そんな矢先にコロナウイルスがやってきた。

訪日外国人は来なくなり、取引先からも取引を剥奪されこれからの方向性を決断しなくてはいけなかった。

6人で話あった結果2つのアイディアにたどり着いた。

田舎でタピオカ屋をやるか、

田舎にこもりブログの記事を6人で書き企業に売る。

まずはタピオカ屋を考えた時に6人別の地方にいき視察をすることにした。

「明日出発しよう」そう決め準備を始めた。

しかし、ふと我に帰り一度タピオカを作ってみることにした。

あまりの不味さに全て無かったことにした。

次のアイディアでメンバーにブログで稼いでいた経験のある人がいたので彼から色々教わったとこ半年から1年間、6人ボウズにして田舎にこもり記事を毎日継続して行けば資金は貯まるという結論に至った。

正直この時あせりもあり早く動き出したい気持ちから、

佐賀に良い物件を見つけ内見まで行き、始めることを決意した。

(待てよ、、、資金を貯めることにとらわれすぎではないだろうか)

これは自分自身のビジョンとずれている。そう思い師匠に連絡することにした。

第九章『新たな道』/希望が見え、走り出した←今ここ 

~新たな道~

師匠に相談をすると、

世の中はモノであふれている。モノを人に届けるために広告ができ、マーケティングそしてブランディングがある。世の中には隠された良いモノであふれている。今時代が代わり、商売のルールが変わった。これからはこの新しいルールで戦わなくてはいけない。逆にチャンスでもある。まだ世に出ていない隠されたモノが人々に行き渡るチャンスなのだ」

「共にこの新しいルールで戦ってみる?」

答えはもちろんYESだった。

そこから佐賀の物件は、キャンセルをし、

師匠の下でメンバー6人全員で弟子入りをした。

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これからどうなっていくのかが本当に楽しみだ。

将来は今ない1000年続く娯楽、テーマパークのようなモノを創り上げたい!  

これからもまだ見えぬゴールを目指して走っていく。

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ここまで読んでいただきありがとうございました。最後になりますが、これはまだ夢を達成してもいない自分が描くオナニー(自己満)の記事です。振り返ってみたり、共有するのは今じゃないのかもしれません。ただ、共有することで自分自身の生き方に対する誓いになりました。そして、今の時期だからこそ誰かのきっかけとなり、モチベーションを高め合える仲間が生まれると嬉しいです。


今日も1日、エンジョイライフ!!

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