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非常口が怖い話

小学2年位の頃、自分は唐突にマークにハマった。

いわゆる標識とかピクトグラムとかのマークである。

そのひと目でわかる美しいデザインに加え、日常生活のあらゆる所に存在しているマーク。本で学んだそれらの「答え合わせ」が身近で出来るのが楽しく、図書館に行ってはマークの本を読み漁っていたものである。
(完全に余談だが、筆者の「日常に溶け込むものに惹かれる」起源かもしれない。初投稿記事参照です)

筆者の好きなマーク達


非常口ももちろん好きで、各施設に行く機会がある度にチェックしていた。デザインは時代によって結構違いがあるためそこら辺も楽しくなるポイントだった。例えば古いと青く変色しているものがあったり、技術の進歩によって長方形から正方形寄りになったりしている。マニアの方のサイトがあるので是非とも確認してほしい。


時が経ってつい最近、ふとしたことからこの非常口マイブームが再来した。忘れていた間に訪れた施設にどんなレアものがあったのかと後悔しつつ、ピクトさんを目で追う日々である。
そんな中、過去になかった感情が芽生えた。非常口マークへの「恐怖」である。
私が忘れている間も含め、ピクトさんはあらゆる所にいる。そりゃあ無い方が問題とはいえ、彼が居ない場所の方が珍しい。そしてそれをわざわざ認識する人はごく少数であろう。高いところにあるし、私含め知っているのに見ない人達がほとんどなのでは無いのだろうか。
それはなによりシンプルで溶け込むデザインに加え半世紀近い普及の結果であるし、わざわざ確認する非常時ではないという喜ばしいことではあるのだが…同時に怖さを感じてしまったのもまた事実である。
よく都市伝説に挙げられる交通標識や警告が示された⚠️マークなどももちろん怖い。しかし見る都度我々に注意を呼びかける性質上、意識に上がりやすい。それらと異なり非常口は通常時我々の意識に上がってこないのだ。

普段気づかないが、彼はどこにいってもいる。海外にもいる。誰もいない場所でももちろん光っている。深夜の古めかしい公民館なんかを想像すると今すぐ走り去りたくなる。そして逃げようとしても、いや逃げようとする先に非常口はあるのだ。なんせ出口なのだから…。


こう思った背景にはピクトさんが採用される背景の火事について知った事も原因の一つかもしれない。かなり凄惨なものであり、あのサインが背負う重みを実感せざるを得ない。穏やかに見える緑色の光もまた、炎のなかで最も見やすいから採用された経緯があるのだ。
ピクトさんになる前の漢字の「非 常 口」もなかなか圧が強く、同様に感じた人がいたことがピクトさん採用理由の一つである。(他の理由はグローバル化など)なぜ漢字は怖いのか…そしてピクトさんになってからも怖いよ!と言いたくなる。

この恐怖心は無くなるとまずいものであろうから、折り合いを付けながら日々を送るしかない。そして何より火の用心が重要だと記し、この記事を締めたい。

閲覧ありがとうございました。


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