2023年3月下旬

今書かないと書けない気がする。
いや、書けないわけではない、いつだって書ける。
だけど今の気持ちはこの瞬間しか書けないからやっぱり今書くしかない、文章ぐちゃぐちゃでも。

先週、チームの同僚が亡くなった。
亡くなる数日前まで一緒に会議をしていたから信じられなかった。というか今も信じがたい。

WBC決勝の日。
久しぶりに出社して、会社には偶然、同じチームの、今となっては唯一の、同僚と私の2人だけだった。
通勤途中のバスの中からWBCを見ていた私はラジオ感覚で片耳にイヤホンをつけながら黙々と仕事をすすめていた。
村上が単独ソロホームランを打った、テンションがあがる。その少しあと。
PCの作業画面の右下に出てきた、from上長のメールのポップアップの件名と途中までの文章に胸がざわついた。
イヤホンから流れる音も、斜め前で同僚がキーボードを打つ音も何も聞こえなくなった。
ポップアップ画面を開く。言葉が出ない。

仕事をすすめている同僚の名前を呼ぶ。どうしたの?と言われる。
亡くなった同僚の名前と「今のメール」という言葉だけ告げる。
メールを見た同僚も言葉を失う。

体感的には10分くらいに思えた。どうすれば良いのかわからず、言葉も出ない。
そんなとき、また上長からのメール。毎日の数字の進捗。
こんなときまで。と腹ただしくも、そういえばあと3時間後に月次の数字の報告があった、さっきまでその確認をしていたんだ、と改めて思い出す。

驚きとつらさと戸惑いを抱えながらも、一方で冷静に仕事を進める自分に少し恐怖を覚える。でも、訃報を知っているはずの人たちからも通常通りメールや電話がある。そんなものなのか。たしかにお客様は待ってくれない。

わたしとしても、亡くなった同僚の体調がわるくなり、2営業日前から引き継ぎを全く受けないまま一時的に引き受けることになった仕事は既にプチ炎上中という状況。立場的に動けるのは私ひとり。やるしかない。

そのあとも、通常に業務をした。
たまたまその日設定されていた上司とわたしの1on1では、まるでそんな事実なかったかのように、明るい会話もあった。
どこかで、良いのかな?と思いながらもほんとうにすくわれた。
イレギュラーなことばかりの1日の中に、「通常通り」があって。
家にひとりじゃなくてよかった。考えるひまなんてなくてよかった。

3日間はあっという間だった。
今でも、outlookのスケジュールには亡くなった同僚の予定表が固定されたままだし、いつもいろいろありがとうね。という彼の言葉にハートのスタンプを押したまま動かないチャット画面は、私が連絡したらいつも通り返信をくれるんじゃないかと思わせる。

普段なら対応してもらえないような配送トラブルを、熱い言葉で本社を説得して対応してくれたのが最後のやりとりだ、と何度も語るセールスの言葉を聞いて、そういえばわたしも3週間前に長文メールの応酬のやりとりの中で褒めてもらったの嬉しかったな。と思い出した。

いままで、少しやりとりが面倒だな、論点がずれているな、など思うところも正直あったけど、それ以上にユーモアに溢れて、周りに気を遣わせないように心配りをして、後輩にも気を配る人だった。
そしてうちの会社のこと、仕事が大好きな人だった。びっくりした。

死ぬ間際までまっとうしたい。と思える仕事に出会えて羨ましい。
会社員でも、そういう思いになれるんだ。という発見と、引き継いだ仕事をそんな高いモチベーションでやっていけないだろうことに対する申し訳なさと、私なりにがんばろう。と思う気持ちと。

わたしは死ぬ間際、最後に何を記すんだろう。
後悔がないように、生きよう

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