チー牛になろう

積極的チー牛と言う概念を提唱する

私は「積極的チー牛」という新たな概念を提唱したい、まずその「積極的チー牛」とは何なのかという事についてだが、そもそものチー牛の定義については今回はあまり詳しくは解説しない。
まず一般的に「チー牛」とはネガティブな意味で使われる言葉である、チー牛になりたくてなったという人はいないという人も少なくないだろう、私はそのような一般的なチー牛を「消極的チー牛」と呼ぶ、その対義語が「積極的チー牛」である。
チー牛であることに満足しており、幸福や誇りすら感じているようなそんな人々のことを指す言葉である。

積極的チー牛など存在するのかという疑問について

私は積極的にチー牛であるという人に対して、多くの人は「強がっているだけ」とか「ネタw」と言ってくるだろう、しかし私はまじめに言っている。
少し私自身の話をしよう、私は中学生までどちらかというと陽キャのような生活をしていたが、楽しくなかったのだ、別に陽キャを否定するつもりはないが、私個人的にはああいう生き方は合わない、「楽しくなかった」ことだけが原因ではないが、中学生の途中から実質不登校だった。
高校生の途中から、反ポリコレ・共産趣味・政治・変態糞土方・ボイロ・二次元のエロいイラストなどチー牛的な文化や思想に染まり始めた、二次元に関しては今思えば小学生の頃にすでに二次元に性的感情や恋愛感情を抱くフィクトセクシャルの素質があったように思える。
また、現在では二次元のキャラクターと結婚したいと思っている。
少し前に、ネットで中学生ぐらいかと思わしきオタクが東方Project関連のイベントで旭日旗とソ連国旗を振り回しながら踊っている動画を見たときに、「楽しそう、俺もこういう事がしたかった。」と思った。


少し身の上話が長くなったが、チー牛は意外と楽しい、チー牛でいいではなくチー牛がいいという人は実在する、読者も「積極的チー牛」という生き方を試してみてはどうだろうか。


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