見出し画像

物質界だからこそ一期一会が有り難い

見知らぬ他人が出会えるという物質界の謎

シルバーバーチを色々学んでいて最近ふと思うのは、霊格や愛情の波長が合わないと霊界・幽界は見知らぬ他人とは基本出会ったり会話することすらない(※私個人の理解度での考えです)のに、なぜこの物質界は見ず知らずの人同士が出会ったり会話することができるのか。

また、物質界では人が任意の動物や植物・鉱物と接触できるのが当たり前なのに、霊界ではたとえ生前愛情を注いだペットであっても中長期的には霊格の違いのためにそれぞれの世界に分かれてしまうという霊訓の記述がある。

参照:
・スピリチュアリズム入門 > 霊界の界層―霊的成長レベルによる厳格な住み分け
・続スピリチュアリズム入門 > 動物の死後の様子と霊的進化

霊格レイヤーの結合された世界という仮説

物質界には「霊格のレイヤー階層」が存在しないという特徴があるように感じる。
仮説として、物質界には「霊格」という次元のレイヤーが結合されていて、霊格の違いを無視できるとして考えてみる。

  • 「霊格(次元)レイヤーの結合」された世界=物質界

高さレイヤーでの考察例

これを無理やり3次元の「高さ」の概念に言い換えて考えて見る。
例えば以下の存在がいるとする。

  • モグラ

階層状態の高さレイヤー

これらは通常住んでいる高さのレイヤーが異なるため、その生活圏では出会うことがない。

仮に「高さレイヤーの結合」が起こった世界に連れて行かれた場合、そこは2次元(高さがない平面)の世界となる。この場合の次元の世界では鳥、人、モグラ、魚とも同一のレイヤーに存在するため、接触することが可能になる。

単一階層の高さレイヤー

3次元から2次元になったため情報量や表現力は圧倒的に劣ることになる。実写映像とドット絵を比較したような状態に似ている。

仮に2次元の世界の人に「ジャンプする」とか「空を飛ぶ」という概念を伝えようとしても、身近に似たものがないため理解ができないだろう。
これと同様のことが、霊訓でよく語られる「物質界の知識や言語では理解・表現できない」ことに似ている。

同様のことがスピリチュアリズム研究ノートにもあるので以下引用する。

C:地上世界は相対性・両極性の世界
地上世界は霊的に見て混在した世界であるため、本来の住処である“霊界(狭義)”では出会うことがない人や体験(→直接体験、間接体験)に遭遇する。

困った隣人がいれば手を差し伸べる“愛にあふれた者(→被災地に率先してボランティアに出向く者)”がいる一方で、我が子をマンションの一室に閉じ込めたまま食事も与えずに恋人がいる鹿児島に旅行に行く者や、自分の快楽しか眼中にない利己主義者がいる。いわばこの世は本来の住処では絶対に出会うことがない霊(→肉体をまとった霊)と、日常的に出会うことができる(→直接に又は報道を通して間接に)、両極性に満ちた世界となっている。

スピリチュアリズム研究ノート > 3.『シルバーバーチの霊訓』講座(2020年~)、その2 > 第1講:生き方としてのスピリチュアリズムとは <講義用ノート> > 5.個人や社会の意識を変える運動 >  ③.生き方としてのスピリチュアリズムとは
 > イ)地上世界

まとめ

物質界というのは、「霊格の違い」という次元を無視する世界なのかもしれないと考えてみたがどうだろう。
縁のない人や可愛いペット、森や花の植物、水や土や石の鉱物。これらは霊格も進化段階もバラバラで通常霊界では出会うことすら難しいケースがあるのではないだろうか。

でもだからこそ、地上での『一期一会』の出会いがなおさら大切に思えてくる。
そう考えると今自分の出会う人や動植鉱物に対して、文字通り存在し難いこと、『有り難い』ことと思えてきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?