見出し画像

雫の轍 始巻

私が、目を再び開けて

最初に目が合ったのは、人でも動物でもなく


どす黒い色をした、魔物でした


荒い息、真紅の目、研ぎ澄まされた鋭い爪と牙

創作の世界で見た魔物そのものだったのです

 

私以外に、それを見ていた人はいました


しかし、その人たちは何もできないようで

諦めたような口調でこんな風に話していたのです


“おい、こんなの出るなんて聞いてないぞ…”

“俺もだよ… 何だこの化け物は”


手に負えない


そう一人の呟きが空気に放たれた時


魔物は前足を大きく上げ、爪でその二人を攻撃しました


“展っ”


二人の人はそう叫んで、人差し指と中指を立てた手を

下から上へ振り上げていました


青い直方体の何かが二人を包み

その直方体が、魔物の爪を防いでいました


しかし、魔物はまだ力があるようで

もう一度前足を振り上げると、さっきよりも勢いをつけて

前足を落としました



何かが割れた音が辺りに響き渡って


二人の人はうめき声を上げながら弾け跳びました



そして、魔物の目は私を捉えたのです


月明かりがあったわけでもありません

声も上げていません


ただ、一度目が合った


それだけなのに…

魔物にしては少しだけ知能的だと思いました


いや、今そんなことを冷静に考えている暇なんてないのでした

どうにかして、ここから逃げないと…


ただ、生憎私の体は震えて逃げられそうにもなさそうで


辛うじて動くのは、首から上と利き手のみ


正しく万事休す…

ここで命が絶たれるのか…

ここで得体のしれない魔物にやられて死ぬのか…



そんな中、土壇場で閃いたのです

さっきの人達のように、あれをしてみようと…


私にできるかなんて、そんな悲観的な事を言っている場合じゃないのです


死ぬか生きるかの瀬戸際


望みの薄いものだとしても、やれるだけやってみる


親友の口癖を思い出しながら、私は真似をしました


“展っ!”
 



魔物の動きは聞こえません

どうやら、止まったようです


恐る恐る、死ぬことを覚悟して閉じていた瞼を開くと


大きな直方体に包まれていました


先程の人達よりも大きく


蛍の光がより幻想的に魅せる直方体に…



できるんじゃん、私


と自惚れていたのと束の間


目線の先で、魔物がこちらに向かって体制を整えているのがわかりました


状況を推測してみると

あまりにも大きすぎた直方体に、魔物が頭を打ったような感じがしました


実際、私の真上にあった大木の太い枝が直方体の上に落ちているのです


つまりは、さっきよりも凶暴化している可能性があります



まずい、今度こそ死ぬ…


そう本能で感じ取ったのです


そうしたら


心臓の音がゆっくりになり

汗がとても冷たく感じ


息を吸うのも遅くなり

つばを喉が拒絶する



これが、死を感じ取ること

走馬灯の表れなのでしょうか…



私は、ここに来るまでの出来事を見ました


一つの映画を見ているかのように



美月:ほ〜ら、帰るよ久保


史緒:わかってるよ、山下


塾帰り

コンビニに寄った私達は、頑張ったご褒美にって

小さなスイーツを買った


その時、私がスポーツ誌に目を奪われていたのを

小学校時代からの長い付き合いの親友は呆れたように注意した



美月:もう、ほんとに久保は野球に目がないんだから


史緒:ごめんって


いつもの公園までの道を、二人で話しながら歩く


美月:いや〜、あの先生の数学はわかりにくいわ…


史緒:だね…
  教え方にクセがあるというか、何と言うか


美月:でも、それに付いていってる久保はすごいよ


史緒:いやいや、私なんてそんなすごくないから



山下は私を褒めながら、ソフトクリームを食べる


その姿は、街灯に照らされてどこかドラマのワンシーンを思わせる姿だった



山下:ん?どした、久保


史緒:あ、いや…なんでもないよ
  私もアイス食べなきゃ


素直に思ったことを言えず、誤魔化すように

私はアイスバーの袋を開けた



山下:あと、久保
  こんな時間まで付き合わせちゃってごめんね


山下はある程度ソフトクリームを食べた頃に私に謝った


史緒:いいのいいの
  私だってやりたいところあったし


山下:そう?
  でも、門限うるさいのにごめん、ほんと


山下は再度私に謝った


史緒:大丈夫、大丈夫
  ちゃんと連絡はしておいたしさ


アイスバーの冷たさが、私の口内を支配していく

少しだけ汗ばんだ体にはちょうどいい


山下:あ、そうだ久保
  学校の課題のやつさ、とりあえず名前書いてくれない?


山下は公園についたときに、学校から出されていた二人以上でやるレポートの名前を書いてくれと言ってきたんだ


正直、私は山下くらいしかそうやって一緒にやれるような人がいないから

喜んで名前を書くつもりで


リュックからペンケースを取り出した




その時だった


季節外れの冷たい風が吹いたかと思うと


アイスバーの袋を、風が飛ばしていったんだ



史緒:あぁ…ちょっと


私はその袋を追いかけて、小さなお社の敷地に足を踏み入れました



そこで袋を追いかける拍子に、ペンケースを落としてしまったのです


史緒:あぁ…もう…


私は苛立ちながら袋を追いかけます


山下:久保〜、あんま遠く行かないでよ
  私も怖いんだから


史緒:わかってる!


私が暗いところが苦手なのをわかって、半分心配

半分からかう意図で言ってきた山下に


苛立ちのまま返事をした



やっと、袋を追詰めて取れると手を伸ばした時


不意に、鈴の音が聞こえた



史緒:鈴の音…?


それを言葉を出したのが、後々いけなかったとわかった



??:この音が聞こえるかい…


どこからか、少しだけ若い声が聞こえてきた

女の人の声だった


史緒:誰なんですか
  もう、私ここから出ていくので声をかけないでください


暗闇の中で声をかけられたことに恐怖心が極限に近くなった私は


急いでアイスバーの袋を拾って、そこから立ち上がった



しかし、ふらついてしまって

また地べたに手をついた


史緒:なんで…
  早く、あっちに行きたいのに


??:そうか…
  なら、叶えてやろかね


またあの女の人の声が聞こえた

そして、私の体に目が回っているという感覚が出てきた時


持っていたアイスバーの袋も

背負っていたリュックも

ポケットに入っていたスマホも



消えていた


そして、闇の中を仰向けで降りていく感覚が次に感じた




ゆっくりと

何かの中をすり抜けていくように


ゆっくりと、降りていく…




形容するなら

雲の中を降りていく感覚

に近い




そして、背中に衝撃が走り

私は気絶した




そして、目が覚めてみると

あの魔物がもうすぐ近くにいたのです



私が、今ここに至るまでの走馬灯を見て

死を覚悟したときです



一瞬、


本当に一瞬なのですが

 

魔物が恐れたような顔をしました


それは、月の明かりなのか

それとも他の何かなのかはわかりません



その時の魔物はとても可哀想に見えたのです



しかし、また私に狙いを定めその爪を

その前足を降ろそうと振りかぶりました




今度こそ死ぬんだ

友よ、家族よ


さようなら…


と心で唱えてその時を待ちました


しかし、またしても何も起こらないのです


そして、私の近くに人の気配を感じたのです


感じたときには、魔物のうめき声が聞こえていました



先程の二人とは違う


明らかに自信と、力に満ち溢れた気配



恐る恐る目を開けると



黒い羽織に、なんとも形容し難い色の糸で鶴を刺繍された物が見えました



??:お、お嬢さんかい?
  このどでかい結界を張ったのは


私が目を開けたのを確認すると、その人は

気さくに私に話しかけてきました



優しい、若い

男の人の声でした



史緒:は、はい
  先程まであそこにいた方々の真似をしたのです


??:ふむ…
  真似ねぇ…


前を向いたまま、私の言葉に首を傾げる男性



史緒:あ、あの
  目の前の魔物はどうにかなさらないのですか?


私は少し不謹慎だと思いながらも、その男性に聞きました


すると、


??:ん、そっちが先か…
  よし、動かないでくれよ?


その男性は、私の張った

結界

というものをいとも簡単に壊し


新たに、白い

私の張った結界よりも、澄み切った空気を纏う結界を私を囲むように張ってくれました


??:まあ、形的に
  獣系だろうけど、何に取り憑かれてるんだ


何かを呟きながら、男性は魔物に近づいていきます


魔物が、男性を見て

大きく吠えました



しかし、動じることなく男性は懐に飛び込むように

魔物の巨体に向かって跳んだのです


魔物の爪が男性を切り裂こうとしたその時


男性の右手の辺りが

紫に光り始めました



??:天奉る斬罪の雷よ
  この手に導かれ迸れ


何かの呪文を唱えてすぐ、人差し指と中指だけを立て

魔物にその指を向け叫びました

“嵐行 鳴神の葡萄雷”


ナルカミノ エビイカヅチ 

という叫び声がコダマし


魔物は雷によって貫かれました



??:ふむ、意外と見た目より強度は弱かったようだな


男性は貫かれた魔物の近くに行き、体を触っています


どうやら絶命したようです



史緒:助か…った…


私は安堵の声を結界の中で漏らしました


??:あ、お嬢さん
  大丈夫だった?
  腰とか抜かしてない?


私の方に瞬足で戻ってきた男性は、結界を解除し

私に問いかけてきました


史緒:はい、大丈夫です…
  あの、お助けいただきありがとうございます
  良ければ、お名前を…


と丁寧に聞きました


すると、男性は


??:名かい?
  俺の名前は、安倍○○
  またの名を…


少しだけ胸を張って言っていた男性…

いえ、○○さんの言葉を遮ったのは



先程までいた、あの二人でした


男1:びゃ…白虎様!


男2:お、お助けいただきありがとうございます!


と二人の方は頭を地に擦り付けるくらい、深く頭を下げていました


○○:何、そんな感謝されることじゃない
  こいつは、特殊なやつだからな
  君たちで手に負えないのは当たり前さ


と労うように二人の背中に手を置いて優しく答えていた○○さん


そして、また立ち上がると


○○:とりあえず、勾陳の側には報告しておかないとだな…
  君たちも上役に話をしておいてくれ


男1:は、はい



…コウチン?


史緒:あの、今仰っていたコウチンとはなんですか?


そこで、二人の方から刺さるような視線が飛んできました



男1:おい君!
 今、何たる無礼なことを


男2:今すぐに勾陳様に謝りに行かせるぞ!


と顔を紅潮させて、私に言うのです


そこで、私とお二人の間に○○さんは入ってくれました



○○:そんなことより君たち
  早く報告しないと、上役に怒られるんじゃないか?
  何一つできなかったとなると…


悪巧みをしたような顔をした○○さんの言葉を聞いたお二人は


全速力でこの森らしきところから走り去っていきました




○○:ごめんね、彼らに悪気はないんだ


○○さんはそう優しく言うと、私に向かって真剣な顔になりました



○○:それにしても…
  今やさっきの言動
  加えてその服装


○○さんは私の体を見回して


○○:君、こっちの世界の住人じゃないね?


と言われました


史緒:こっちの、世界?


私は混乱して、言葉を繰り返すことしかできませんでした


○○:こっちの世界は浮世と呼ばれていて
  妖怪やその他物の怪たちの住む世界
  君のいた世界に、そんなものはもう居なかっただろ?


…そうか、やっと私は合点が行きました



この○○さんや、さっきのお二人の服装

そして、白虎や勾陳という言葉…



つまり、○○さんたちは


史緒:陰陽師の世界…ですか
  ここ、浮世というのは


○○:おぉ、よく俺たちのことがわかったね
  そう、俺たちは陰陽師さ



私は、どうやらあのお社から

陰陽師の活躍する別世界に来てしまったようです


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?