仇討(あだうち)・Ⅱ

 二日後。午前十時をすぎている。
 本所深川にある武蔵屋藤兵衛の別宅まえで、二台の人力車がとまった。
 司法省警保寮・探索掛の二等巡査、月殿彦四郎が、小文と咲良を案内して、やってきたのである。二人が、どうしても事件現場を見たいというので、上司には内緒で連れてきた。
 彦四郎は、巡査の制服である。銀線を巻いた桶型つば付の制帽、六つボタンの紺色の上着、サーベルを腰に下げている。
 姉妹は、いつもの、丈の短い薄物の着物の上に女袴、草履という姿である。
 三人は、表通りで人力車を降りて、通りに面した格子戸をくぐり、玄関まで石畳のうえを歩いた。玄関の右手は台所へ通じる狭い通路。左手の枝折(しおり)戸からはいると、土蔵のある庭へ通じる。
 彦四郎は、枝折戸をあけて、姉妹を中へ招き入れ、庭のほうへまわった。彼に、この殺人事件の担当を命じたのは、神保信之一等巡査である。
「夜おそくに、突然、勝さんが来たよ」
 神保が言った。
 勝海舟は、彦四郎を事件の担当にしてほしい、と頼んだらしい。彦四郎が、これまでに何件もの難事件を解決したことを、警保寮で知らない者はない。
「死因は、腹部の刺傷による失血死らしい」
 彦四郎は、死体発見現場である庭へ、姉妹を案内した。
「凶器は、細長い鋭利な刃物で、かなりの深手であったと聞いている」
 彦四郎の言葉を聞いたとたんに、妹の咲良が、両手で顔をおおい、声をあげて、ワッと泣き出した。
 姉の小文も、ふるえる咲良の小さな肩に、そっと手をのせながら、着物の袖で、涙をぬぐった。
「つらければ、戻ってもよい」
「だいじょうぶです」
 咲良は、涙を着物の袖でぬぐった。
「わたしたちに、なにかできることはないかと、居てもたってもいられず。できることなら、姉さまとわたしで、犯人をみつけたいと思ったんです」
 気の強いところは、小文も咲良も、幼いころから変っていない。ふたりとも、おとなしそうにみえるが、一度こうと決めたら、梃子でも動かない。
「傷口の大きさから、凶器は細身の刃物ではないかと。傷は、背中まで貫通していた」
「匕首(あいくち)のようなものですか?」
 小文が聞いた。
 匕首は鍔のない短刀である。押し込み強盗などは、殺傷用に、この匕首を使うことが多い。
「もっと刃の細い、軍隊で使う銃剣か、あるいはサーベルのようなものではないかと、検視役人は言っている」
「では、犯人は、軍人と言うことですか?」
 咲良が聞いた。
「軍人なら、サーベルか銃剣を使える。ポリスなら、私のようにサーベルを所持しているが、まだ断定はできない。町人のなかにも、治安の悪い東京で、護身用に、杖にみせかけた仕込み杖を所持している者がいる。武士の刀剣よりは、刃が細い」
「犯人の目星はついているのですか?」
 小文が聞いた。
「まだだ」
「通りの角で、怪しい人を見かけましたが」
 咲良が言った。
 それを聞いて、彦四郎は、思わず、笑った。
「あの男は、角袖(かくそで)だよ」
 角袖とは、事件の捜査をする刑事巡査のことである。文字通り、角袖の着物に股引(ももひき)、草履という格好で、事件の捜査をする。(刑事のことをデカというが、由来はこの角袖からきている)。
「犯人は、おときさんを殺害して、土蔵の鍵を一本、手に入れたが、土蔵を開くには、鍵が二本必要だ。もう一本は、武蔵屋が持っている。探索掛では、犯人がまた戻ってくる可能性を考えて、角袖に張り込みをさせている」
 彦四郎は、庭を横切り、白壁の土蔵の前まで姉妹を連れて行った。
 土蔵のむこうは、板塀をこえれば、平久川である。武蔵屋は、ここに石造りの小さな舟着場を築いてあった。このあたりは、水路が縦横に走っていて、商品の運搬や、人の移動に便利らしい。武蔵屋は、日本橋浜町の店から、水路を利用して、おときのもとへ、かよっていたという。
 姉妹は、土蔵を見上げた。屋根は切妻(きりづま)で、重い日本瓦をのせている。入口の庇(ひさし)のうえに、やはり小さな庇のついた小窓がある。一階の観音開きの漆喰(しっくい)戸とおなじ戸で、奥に鉄格子がついている。  
 妻側には、火伏せ(防火)の意味をあらわす龍の文字。土蔵の入口は、三枚の扉から構成されている。 外側は左右に開く厚い漆喰塗りの「戸前」という扉があり、その内側に網戸がある。
 この二枚の扉の間にもう一枚、裏白戸(うらじろど)と呼ばれる引き戸があり、 厚板の表面に刻みを入れて、厚く白漆喰を塗って作られている。
 観音開きの戸の前の石段に、水で洗い流した血痕が、まだうすく残っていた。小文と咲良は、その血痕を見下ろして、そっと両手を合わせた。この場所に、おときが倒れていた。
「これは、阿波錠だ」
 彦四郎が、入口の戸につけられた、頑丈そうな錠前を指した。
 犯人が無理やりこじ開けようとしたらしく、錠は傷だらけで、その周辺の漆喰壁には、いくつもの小さな穴ができていた。
 江戸時代、錠前といえば、安芸(あき)錠、阿波(あわ)錠、因幡(いなば)錠、土佐(とさ)錠が有名であった。なかでも阿波錠は、からくり錠とも呼ばれ、頑丈なつくりと複雑な仕掛けが全国に知られていた。
 たとえば、鍵は一本だが、錠に鍵穴がいくつかあり、差し込む鍵穴の順番を間違うと開錠しない。あるいは、鍵穴はひとつだが、鍵が何本かあり、使う鍵の順番をまちがうと、開錠しない。また、鍵穴が、本体のどこかに隠されていて、それをみつけても、鍵を回す方角を間違うと、開かないように鍵爪に細工がしてあるという具合である。ただ、からくり錠前は、作られる数にかぎりがあって、江戸では使われなかったという。
「このからくり錠前は、ひと月ほどまえに、武蔵屋が取り替えたそうだ。ただ、取り換えたのは、正面の扉の錠前だけで、ほかの場所の錠前は、そのままらしい」
 
 彦四郎は、土蔵の前から縁側にかけて、点々とついているうすい血痕をたどりながら、縁側へ靴のままあがり、
「履物のままでよい」
 小文と咲良を、居間に通した。 
 六畳の居間は、事件当時のままである。畳のところどころに血が沁み込んで、どす黒く変色している。しかし、小文と咲良は、気丈にも、眼をそむけることなく、部屋の中を見回していた。
「おときさんは、ここで、毎日、旦那さんの來るのを、待ってたんですね。わたしには、とても耐えられない」
 小文が、つぶやくように言った。
「親孝行の娘と言っていいのかどうか。しかし、貧乏御家人の娘として、それ以外の選択肢がなければ、やむをえない。おときさんは、ここで刺されて、まだ息のある状態で、土蔵まで引きずられたようだ」
 居間のやや中央に、ケヤキ造りの長火鉢が置かれている。その横にある茶箪笥は、高級な仙台箪笥で、鮮やかな紅色。やはりケヤキである。開き扉の下に、雲形の棚板、小抽斗(こひきだし)、そして片開きの扉がある。
「この小抽斗のなかに、財布と土蔵の鍵が一本入れてあったが、土蔵の阿波錠は、鍵が二本なければ開かない。その二本がそろっても、どちらの鍵を最初に使うのか、それは武蔵屋しか知らない。おそらく、犯人は、小抽斗にあった鍵を使って、土蔵を開けようとしたが、開けられず、おときさんを土蔵までひきずって、なんとか扉を開けようとしたのであろう」
 そのときの光景を、想像したのか、姉妹は、着物の袖で、何度も、涙をぬぐった。
 彦四郎は、居間から納戸を通って、台所へ行った。そこで、
「事件の翌日、おときさんの世話をまかされていた、女中のおせんが」
 と言いかけたとき、彦四郎の言葉をさえぎって、小文が、
「彦四郎さま、これはなんでしょう?」
 土間の上がり框(かまち)に、接するように付いた、何かの痕跡を見つけた。かなり、薄れていて、よほど注意しなければ、気づかないであろう。 
 咲良が、その痕跡をみて、
「靴底のあとでしょうか?」
 と言った。
 彦四郎は、その痕跡をたしかめると、すぐさま、台所にあった米とぎ用の籠をみつけて、靴跡と思われる痕跡に、すっぽりとかぶせた。
「いままで、気がつかなかった」
「犯人のものでしょうか?」
 小文が言った。
「重要な手掛かりになるかもしれない。お手柄だ」
 ひょっとして、おときに、愛人がいたかもしれない、と彦四郎は思ったが、姉妹には言わなかった。
 しかし、小文は、勘のするどい娘である。
「この家に出入りの者は、下駄か草履ではありませんか。これが、靴痕だとすれば、おときさんに、旦那さん以外の、懇意にしていただれかが、いたのでしょうか?」
 彦四郎の心中を見抜いたように、小文が言った。
「だれかが、ここで靴をぬぎ、居間へあがって、おときさんを刃物で刺し、茶箪笥から財布と、土蔵の鍵を盗みだしたのでしょうか?」
 咲良が言った。
「しかし、わざわざ靴を脱いで、土蔵破りをするような悪党がいるとも思えない」
 そう答えたものの、彦四郎には、別の推測がうまれていた。

 居間に戻ると、小文が、
「土蔵には、なにが入っていたのですか?」 
 と聞いた。
「武蔵屋の話では、先月、香港から、横浜のジャーディン・マセソン商会へ届いた英国製の洋服生地が少々と、ほかに生糸が、すこしばかり納めてあるとのことだ」
 武蔵屋藤兵衛は、もともと八王子で生糸を商っていたが、横浜開港後、これからは洋服の時代になると予測し、輸入服地を扱うようになったという。「舶来屋」と呼ばれる洋服店を横浜の南仲通りにかまえ、東京・日本橋浜町には、生糸を扱う店をだすほどになった。
「洋服生地は、高く売れるのですか?」
 咲良が聞いた。
「舶来物だからね。よい生地とよい裁縫師がいれば、よい洋服が手にはいる。盗んだ生地をどこかのテーラーへ持ち込めば、かなりの金になる」
 旧幕府時代に、横浜の運上所という税関で、警備についていた彦四郎は、そういう事情には詳しい。
「水路づたいに、仙台堀川から、隅田川へでられるということは、事件の夜、犯人がここから、出入りしたんでしょうか?」
 咲良が、平久川のほうを見て言った。
「小文さんが、台所の土間で、靴の痕跡を見つけるまでは、犯人が、舟でここへきて、人目につかずに、家のなかへ入り、犯行後もここから、舟で逃げたと推測していたが、別の可能性もでてきた」
「犯人は、舟ではなく、徒歩か人力車で来たのでは?」
 小文が言った。
「彦四郎さま、事件の夜、この家に、靴をはいた人が来ていたと仮定して、靴をぬいで盗みをする押し込み強盗など、小文は、きいたことがありません。もしも、犯人が、徒歩で、この家までやってきて、犯行後も、徒歩で逃走したとすれば、どこか途中で、行き帰りに、人力車を使ったとは考えられませんか?」
 ポリスでは、水路に捜査を集中していたため、陸路への捜査はほとんど考慮されていなかった。しかし、台所の土間の靴跡が発見されて、彦四郎は、
「人力車夫に、訊く必要がありそうだな」
 小文の推理に、苦い顔で応じた。
 武蔵屋藤兵衛は、事件の日の朝早く、品川ステーションから横浜へむかい、横浜の外国人商人と取引の話をし、そのあと、同業の野澤(のざわ)屋、不入(いらず)屋に顔をだしてから、最終列車で東京に戻る予定だったが、その最終列車に乗りおくれた。東京にもどったのは、おときの遺体が発見された日の朝であった。
(この事件は、単なる強盗殺人事件ではなさそうだ)
 そう彦四郎は、思いはじめている。

 彦四郎は、すぐさま、部下の巡査たちに、おときの、近所での評判を探らせる一方で、洋装、和装を問わず、靴をはいた人物の出入りがなかったか、念入りに調べるよう命じた。
 この当時、和装に革靴という和洋折衷姿で外出する男は、珍しくはない。洋服を着た男だけが、靴を履いているわけではなかった。
「人力車夫に当たって、事件の夜、武蔵屋の別宅まで、人力車を利用したものがなかったか、調べよ」
        
 彦四郎は、遺体の第一発見者である武蔵屋の女中おせんを、ポリス屯所に呼び出した。
 京橋坂本町にあるポリス屯所へやってきたおせんは、かわいそうなほどおびえていた。彼女にとって、ポリス屯所は、江戸時代の牢屋と同じくらい、恐ろしい場所であるにちがいない。
 彦四郎は、取調べのために用意された小部屋へ、おせんを通して、ほかの巡査を立ち会わせずに、一人だけで、おせんを取調べた。
 板床の部屋の奥に、一段高い板間があり、畳が一枚敷いてある。おせんはそこに座った。
「たしかめたいことがある」
 彦四郎は、やさしい口調で言った。
「はい」
 縞の小袖の袖口からのぞかせた、ふっくらとした浅黒い両手を、ひざのうえで、きつく握っているおせんは、安堵と不安のいりまじった表情である。
 彦四郎は、南向きの窓の障子をあけ、風を入れてから、入口を背にして、板床に置かれた椅子へ腰をおろした。開け放った障子窓から、入ってくる涼しい風が、おせんの髷のほつれ毛を、かすかに揺らしている。
「おときの遺体をみつけたのは、何時頃であったか?」
 彦四郎が訊いた。
「朝の十時ころかと」
「いつもその頃に、おときの住む武蔵屋の別宅へゆくのだな?」
「はい」
「まちがいないか?」
「はい」
 おせんの眼に、かすかな不安が浮いたのを、彦四郎は、見逃さない。
「そなた、おときの朝餉(あさげ)を用意するのが、つとめときいたが」
「は、はい」
 おせんは、あきらかに動揺した。
「いつも、朝の八時ころに、おときの家へゆくのではないのか?」
「……」
 おせんの顔色が、みるみる蒼くなる。
「おせん、正直に話してくれれば、糾問所へ連行しなくてすむのだがな。糾問所の取り調べは、このように優しくはないぞ」
 糾問所という言葉をきいて、おせんはふるえあがった。観念してうつむいたまま、両手を畳について、かろうじて上体を支えている。
「もう一度訊く。そなたが、おときの遺体を発見した時刻は?」
「朝の八時ころでございます。いつわりをもうしました」
 おせんは、泣きながら、深々と頭をさげた。たたみに額をつけんばかりに。
「どうしていつわりを申した?」
「旦那さまから……」
 ポリスに訊かれたら、そう答えるようにと、主人の武蔵屋藤兵衛から指示されたという。
「そなたは、朝八時ころ、おときの家へ到着し、遺体を発見したが、ポリス屯所へではなく、日本橋浜町の店に戻った。そうだな」
「はい」
「そなたは、主人藤兵衛が、横浜から帰るのを待ち、ふたたび、主人藤兵衛同伴で、深川大和町の別宅へ行った。まちがいないか?」
「はい」
「そなたが、藤兵衛に知らせたのは、武蔵屋の女中として当然であったかもしれぬ。だがなぜ、藤兵衛は、おときの遺体を確認してすぐに、屯所へ知らせなかった。屯所への通報は正午すぎであったときく。すこし遅くはないか?」
「それは……」
「おまえが話したことは藤兵衛には、内緒にする」
「じつは、居間の茶箪笥の小抽斗には、財布がそのままでした」
「金は盗まれてはいなかったのか?」
「はい。訊かれたら、盗まれたことにするようにいわれました。そしてその財布を、あたしに……」
 くれたという。銀貨で五円はいっていた。女中のおせんには大金である。
「なぜ財布を、盗まれたことにしたのだ?」
「小抽斗には、いつも、おときさまの財布と土蔵の鍵が一本、はいっていました」
「土蔵の鍵だけが、なくなっていたということは、つまり、押し込みの目的は、金ではなく、土蔵の中身だったというわけか?」
「そのあと、旦那さまは、家の中をすみずみまで調べてから、ポリス屯所へ、訴えでたのでございます」
「土蔵は、破られていなかったのか?」
「土蔵の錠前には、鍵が二本あります。そのうち一本は旦那さまが持っています。二本そろわねば錠前を外せません。もう一本は、押し込みが持って逃げました。そのとき、旦那さまが、このほうが安全かもしれぬ、とおっしゃいました」
「このほうが安全かもしれぬ、とはどういう意味か?」
「あたしにはわかりません」
「おせん、おときに、懇意の男はいなかったか?」
 彦四郎が訊いた。
 おせんの表情が、かすかに動いた。
「旦那さまのほかに、ですか?」
「うむ」
「そのような方がいたとしても、あたしの来る時間はきまっていますから、それを避ければ、顔をあわせずにすませられます」
「じつは、台所の土間に、靴底の跡がわずかに残っていたのだ」
 彦四郎の言葉に、おせんが、かるく頷いた。
「気づいていたのか?」
「別宅に出入りの者で、靴を履く人はおりません。台所では水を使いますから、土間はよく濡れています」
 そのため、ときどき、台所の土間に、靴跡が残っていたことを、おせんは気づいていたという。
「藤兵衛は、その靴跡に気づいていたか?」
「旦那さまは、台所へは来ませんから、たぶん、気づいてはいなかったと」
「その靴の主が、おときを殺害した犯人ではないかと、ポリスでは考えている」
「お会いしたことはありませんが、匂いを」
「匂い?」
 彦四郎が、椅子からたちあがって、おせんのそばへ歩み寄った。
「旦那さまの使うような髪油ではなく、とても香りのいい」
「舶来物の髪油か?」
 おせんはうなずき、
「おときさまのお布団を干すときに、ときどきおなじ匂いが。旦那さまとはちがう匂いです」
 
 おせんの証言は、そのあと屯所に戻った探索掛の巡査たちの報告と、一致した。
「武蔵屋のこない夜などに、しばしば、洋服を着た男が、泊まりにきていたようです。それも、徒歩の時もあれば、別宅裏の平久川づたいに、舟でくることもあったとか。出てゆくのはいつも夜明け前」
「人力車のほうの調べはどうか?」
「いつも、別宅の近くで降りる客があったと。靴を履いた洋服姿の男です」
「男の似顔絵は、作ったのか?」
「それが、車夫の記憶があいまいで」
 似顔絵は、つくっていないという。
 犯人は、おそらく、水路ではなく、陸路をやってきたにちがいない。人力車で。その男が、武蔵屋の別宅に出入りしはじめたのは、二か月ほど前の七月頃だという。
                              つづく