仇討(あだうち)・Ⅰ

仇討(あだうち)

 ある晴れた、九月初旬の早朝。東京市・本所深川大和町。平久(へいきゅう)川ぞいにある、閑静な町家の格子戸を、いつものように、日本橋浜町で輸入服地をあつかう、武蔵屋の女中おせん(十七歳)がくぐったのは、午前八時前である。
 つぶし島田の髷(まげ)に結い、縞の木綿の単衣(ひとえ)を着たおせんは、玄関右脇の錠のかかっていない木戸をぬけて、石畳の通路を井戸のほうへ歩き、その手前にある勝手口から、台所の土間へはいった。
「せんでございます」
 土間から奥の間へ声をかけたが、返事がない。下駄をぬいで、板間へあがり、
「おときさま、せんでございます」
 もう一度声をかけるが、やはり返事がない。
 武蔵屋の囲われ者であるおときの、食事や身の回りの世話を、おせんがまかされていた。
「厠(かわや)かしら?」
 縁側の雨戸はあいている。縁から、障子を開けて、居間をのぞいたが、おときの姿はない。いつもなら、長火鉢のそばに座っているのだが。置きランプは消えていた。居間の奥にある寝所にも、おときの姿はなかった。
 おせんは、縁のつきあたりにある厠へゆこうとした。
 そこで、ちらと、左手の庭に目をやった。
(ん?)
 二十坪ほどの東向きの小庭である。平久川に面して、板塀がたち、その手前左側に、白壁の土蔵がある。傘と台に青黒い苔のころもをまとった石灯籠が、右側の隅にあり、そばに、南天の木が一本。
 縁側の沓脱(くつぬぎ)に、庭下駄はある。が、土蔵のほうをみて、おせんは、息をのんだ。とっさに裸足で庭へ飛び降り、苔むした石灯篭の脇をかすめるように走った。
「おときさま」
 おせんは、土蔵の戸前、二段の石段のうえに、うつぶせでたおれている浴衣姿のおときのそばにしゃがみこみ、抱きおこそうとして、はっとなった。
 戸前の石段に、べったりと血がついていた。銀杏返しの髪がつぶれている。白地の浴衣の胸元が、赤く染まっていた。
 息はしていない。おせんは、あやうく悲鳴をあげそうになったが、なかなかのしっかりものであった。
(押し込み強盗?)
 おせんは、裸足のまま居間へもどり、おときの上掛けをもってきて、青白くなったおときの顔を隠した。それから、一散に、日本橋の店へむかって駈けだした。
          
 日本橋浜町の武蔵屋藤兵衛(四十九歳)から、本所入江町にあるポリス屯所(交番)へ、
「妾(めかけ)のおときが、死んでいる」
 と、知らせてきたのは、その日の正午すぎである。
 屯所から、巡査一名と検視役人が、深川大和町にある武蔵屋の別宅へ急行すると、土蔵のそばで、女が死んでいた。
 女の名はとき。本名・多賀登喜子(たがときこ・二十一歳)、浅草御米蔵(おこめぐら)の役人であった貧乏御家人の娘だが、明治維新のとき母親を病気で亡くした。職を失った旧幕臣の父親のために武蔵屋へ奉公にでて、藤兵衛の囲われ者となったらしい。

 江戸時代、浅草には幕府の御米蔵があった。両国橋に近い、隅田川の西に、一番から八番まで、六十二棟の米蔵が立ち並び、幕府の直轄領からの収穫米や買付米が、舟で運び込まれた。
 その米は、領地をもたない、徳川家の家臣である旗本や御家人の給料として支払われるのだが、むろん、米では、日常生活に必要な品物は買えない。そこで、札差(ふださし)と呼ばれる商人が、その米を、手数料を取って現金化する。 
 この御蔵米(おくらまい)の管理収支のために設置されたのが、勘定奉行支配の「浅草蔵奉行」である。
 月殿(つきどの)彦四郎(二十三歳)の父・陣右衛門は、御蔵奉行の御蔵御門番同心であったが、幕末の大混乱期に、病に倒れ、辞職を余儀なくされた。
 彦四郎には三人の兄がいた。父の親友で、幕府の高官であった勝海舟が、それぞれ職を見つけてくれた。彦四郎は、当時十六歳であったが、横浜居留地の外国人を警護するために組織された「別手(べつて)組」の一員となった。
 明治維新の国内戦争で、上野の山に籠った幕府の旧臣たちで編成された彰義(しょうぎ)隊と、新政府軍の間で戦端が開かれたのは、彦四郎が、横浜に駐留中のことであった。三人の兄たちは、彰義隊に参加して、全員戦死した。
 江戸幕府が倒れ、明治政府が成立し、彦四郎は任務を解かれたが、すでに、両親、兄弟は亡く、彦四郎を迎えたのは、家人の桐戸(きりと)半蔵と妻のおしまだけだった。 
 
 その日、浅草の米問屋・森屋伝兵衛の娘、小文(こふみ・十九歳)と妹の咲良(さら・十七歳)が、彦四郎の屋敷へやってきたのは、もう日も暮れようとする時刻だった。
 屋敷と言っても、もと御蔵奉行所の役宅で、さほど広くはない。旗本が、前将軍に従って静岡へ去ったため、東京には、旗本の空き屋敷が、たくさんあった。明治政府は、旧幕臣でも、政府に出仕する者には、屋敷と俸給をあたえると触れをだしたが、応募する者は少なく、東京市内の旗本屋敷も、そのまま放置されている。
 彦四郎も、広い旗本屋敷へ住むことはできるのだが、三人暮らしには、この旧役宅がちょうどいい。
 彦四郎は、書院で、政府高官の暗殺事件に関する捜査報告書に、目を通していた。小文と咲良は、武士と町人と言う身分のちがいはあったが、父親同士が、役目柄親しくしていたため、両家とも交際があった。
 やってきた小文と咲良は、小袖姿ではない。この時代、女性は小袖姿がふつうである。しかし、和服は、動きにくい。洋服を着たいのだが、女性用の洋服がない。
 そこで、丈の短い着物のうえから、襞のついた女袴(スカート)をはくという服装を、小文と咲良は外出着にした。この服装は、のちに女学生の制服になる。靴は高価なため、姉妹は草履である。
 髪型も、桃割れとか島田髷(まげ)ではない。日本髪は、手入れが大変で、洗髪は月に一度である。姉妹は、その不衛生さを嫌い、西洋風の束髪にしていた(三つ編みに近い)。
 小文と咲良は、月殿家へ米をおさめていた関係で、日ごろから、月殿家に出入りしていた。
「彦四郎さま、じつは」
 小文が、襖を開けて、廊下から言った。
「お米なら、先日、店から届いたが」
 彦四郎は、読んでいた捜査報告書を文机に置いて、姉妹のほうへ向き直った。二人は、部屋に入って、丁寧にあいさつし、
「じつは、お願いしたいことがあるのです」
 小文が言った。
「なにか?」
「数日前、本所深川で、おときさんという人が、亡くなったのです」
「その事件については、報告をうけている。知り合いなのか?」
「お武家の出なのですが、家庭の事情で、二年ほど前に、日本橋の武蔵屋さんへ奉公にでました。そこで、ご主人に見染められて、別宅に住むように」
 なったのだと、咲良が言った。
「わたしたちにとって、一番うえの姉のような存在でした。だから、なんとしてでも、犯人を捕えてほしいのです」
 小文が言った。
「犯人の目星は、ついているのですか?」
 咲良が聞いた。
「いま、捜査中である」
 しかし、明治政府が成立して、間がなく、全国各地で、治安が悪化する一方だった。東京の治安維持を担当する、司法省警保寮の探索掛も、人手不足のため、市内ではさまざまな事件が頻発している。
 警保寮では、いま、政府高官の暗殺事件を捜査中であった。警保寮にとっては、それが最優先事項である。
「警保寮は、人手が足りないのだ」
 彦四郎が言った。
「押し込み強盗に殺害された、商人の囲われ者の事件に、人手を割けないとおっしゃるのですか?」
 咲良の声に、棘がある。
 小文も咲良も、正義か反正義で行動しているわけではない。二人は、江戸時代に生まれ、明治時代に育った。正義が、その時々の政治状況次第で、変ることは知っている。だから、二人は、つねに自分の良心に従って行動する。
 ポリスとしての彦四郎には、法が正義である。そこに良心の入る余地はない。ただ、法の正義も、いまは、政府の趙法規的な判断次第で、ないがしろにされることが、少なくない。
「私は、この事件の担当ではない。担当の掛(かかり)に伝えておく」
 彦四郎は、そう答えるほかなかった。
 突然、小文が、さっと立ち上がった。
「ポリスのほうで、事件が解決できないというのであれば、わたしたちが、犯人を捕えます」
 小文は、言って、廊下へ出た。
「咲良、帰りますよ」
 咲良が、あわてて、姉のあとを追う。
「姉(あね)さま、いいのですか。彦四郎さまに、お願いしなくても」
「いいのです。ポリスは、人手不足のようですから」
 小文の声が、廊下から聞こえる。
 彦四郎は、苦笑しつつ、ふたたび、文机のうえの捜査報告書に、目を通しはじめた。

 小文と咲良の姉妹が、帰ってすぐ、それと入れ違いに、訪ねてきた人物がいる。夕闇が迫る時刻で、あたりは薄暗くなっていた。
 彦四郎が、文机のうえの置きランプに、火をつけようとしているところへ、おしまがきて、
「お殿様が、おみえです」
 月殿家で、お殿様といえば、父陣右衛門の親友であった勝海舟しかいない。
「お通してして。いや、お迎えにでる」
「それが、一緒にきてほしいところがあるから、呼んできてくれと」
 彦四郎は、いそいで着物を脱ぎ、ズボンをはき、白いワイシャツの前ボタンを留めながら、玄関へ急いだ。玄関わきに用意してある、護身用の杖を手に取って、下駄ばきで、門前へ出た。
 薄物の羽織を着た勝海舟が、人力車から降りて、風の中で、背中を丸くしながら、一人で立っている。新政府の高官だが、警護の者はいない。必要がなかった。海舟は、直心陰(じきしんかげ)流剣術の免許皆伝である。五十歳になるが、彦四郎でさえも、太刀打ちができないほどの腕前であった。
「どちらへ?」
「彦四郎、一緒に来てくれまいか。浅草寺裏の見世物小屋まで」
 海舟は、待たせてあった人力車に乗ると、車夫に行先を告げた。
 彦四郎は、護身用の杖を持ったまま、人力車のあとを追った。
 
 彦四郎の屋敷から、浅草の、その見世物小屋までは遠くなかった。見世物小屋の周辺は、やや薄暗くなりつつあるが、ところどころに灯りがともり、人通りも多く、繁華である。彦四郎は、海舟を、酔漢や遊客から守らねばならない。
 見世物小屋の手前で、人力車を降りた海舟が、小屋の陰に身を隠すようにして、少し離れた路上に眼をやった。
「彦四郎、酒屋の前に座っている男が、見えるかい?」
 彦四郎が、その方をみると、酒屋の板壁を背にして、地面に大きな風呂敷を拡げ、その上に、あまり価値があるとは思われない壺や硯、水盤などを、いくつか並べている。酒屋の入口にさがった提灯が、風が吹くたびに、その下にいる男の影を、左右に揺らした。
「骨董品を売っている人ですか?」
「多賀平左衛門、元御家人さ」
 場所柄、人通りは多いが、遊客ばかリで、買い手はいない。風にあおられた敷物が、ばたばたと踊っている。
 勝海舟は、徳川幕府が倒れたあと、将軍徳川慶喜の静岡行きに同行できず、東京に残った貧しい御家人たちの支援を、ひそかに行っていた。かれらの売り物を、人を使って、相手の言い値で買うのである。
 海舟から金を預かった彦四郎が、さほど価値がありそうには思えない、古びた硯を一つ、言い値で買い、釣銭をもらわずに戻ると、海舟が、満足そうに人力車のところへ歩きながら、
「多賀平左衛門には、おときという娘がいてね」
 彦四郎は、その名前に聞き覚えがあった。小文が話していた女のことだろうか。
「このご時世だ、武士の娘ながら、武蔵屋という商人のところで囲われ者になって、仕事のない父親の暮しをたすけているのさ」
 彦四郎は、武蔵屋という名前を聞いて、殺害されたおときのことだと、確信した。
「その娘のおときが、先日、武蔵屋の別宅で、押し込み強盗に、殺害されたのさ」
「報告を受けております」
「囲われ者の娘が、盗人に殺されたくらいでは、司法省の警保寮も、動いてはくれまいね」
 人力車が、屋敷の門前に止まると、海舟は、車から降りて、
「この一件を、お前さんの手で、調べておくれでないかい?」
 海舟は、両親と兄を失って、天涯孤独となった彦四郎のために、司法省警保寮への出仕を世話してくれた恩人である。海舟の頼みは、断れない。
「お殿様」
「なんだえ?」
「担当の掛ではありませんが、事件を調べてみます」
 彦四郎が言った。
 それは小文と咲良のためでもあった。
 海舟は、薄暗がりのなかで、にこりと、嬉しそうに笑い、
「たとえ、犯人が見つからずとも、いいのさ。それは、気にしなくていいからね」
 海舟は、懐中から小さな巾着を取りだし、彦四郎に押し付けるようにして、渡した。巾着には、小判が十枚と、政府発行の銀貨、銭貨が数枚入っていた。
「使っておくれ」
 そう言って、待たせてあった人力車に乗ろうとした海舟に、彦四郎が、
「お殿様、これから、氷川のお屋敷へ、おもどりですか?」
 と聞いた。人力車でも、屋敷のある赤坂氷川までは、かなりの距離がある。
「もう一人、会う人がいるのさ」
 彦四郎の手に、古びた硯をひとつ、のこしたまま、海舟を乗せた人力車は、暗がりの中へ消えた。  
                              つづく