恩寵

 そのとき、敗北した事をシィォは既に理解していたが、身体は地を蹴りつけていた。
 星巫女参詣に詰め寄せた群衆を割り出現した陰は骨董品並みの自動銃筒。
 砲口と祭壇の射線上にシィォは我が身を横たえる。
 満場一致の議決を前に教皇は静かに立ちあがった。僅かに俯かせ慈悲を湛える面は常に変わらず平穏なるも、目元に滲む烈情に濁されている。資格に縁りての次元上昇を星の、星巫女に縋りての成就などと、摂理を犯す、乱す僭越は増上慢、果たして赦されるものかは。漏れ出た声音は潮騒の如く、とおくしずかにしかし断固と放たれ列座を打ち、自身はまま背を巡らし決然と場を離れた。教皇は遣わされる者にして見届けるものであって現世の絶対者ではない。しかしして『非・祝福』の凶報に即して現実的対処としては厳重警戒が発令される。そして終身星巫女警護官就任への内示を受けていた現時点でのシィォは、本件はもとより星巫女との関係としても厳密にはまだ部外者であった。
「自分より偉大な存在になぜ意志も意識もないなどと無恥無思慮、かくも尊大になれるのかその方がよっぽど不思議」と当惑された。
「天上天下唯我独尊、貴方という存在は此の世で唯一不二それは、事実。でも最上至高の存在では、未だない。貴方は神ではない、それを恥じる、自信無いときゃ下みろ下と某聖典も説くけれど、上を仰ぐときは一片の謙譲を添えよう。天なる存在には敬意を、下にも在れば、そして当然上にも世界は存在するのだから」
 星巫女のアァ、アァルトゥーナにひたと見据えられ、シィォは赤面し俯く。
 この大地に、天に、そうした思念があるのかという素朴な疑問を呟いた。
「意志なくして存在なし」
 それは確かにそうだろう。
 此の世はつまり意志の、思念の塊。
 命なくして命なし。
 生かされて、在る。
 意志が集い、この星も在り、我々も育まれた。
 我々は育まれ、初めて存在し得た。
 星が、私たちの、存在を、望んでくれた。
 そして、私たちの今が、ここにある。
 アァは星と交観し、癒し、その祝福を希う
 現代文明は星の恵に総てを負っている。
 目に視える陽光より、しかし今、この恵に皆、無頓着になりつつある。それはとても哀しいことだけど、其れも世の理。でもシィォ、せめて貴方には判っていてほしい、貴方が守護者を任ずるのであれば。
 だからシィォはアァを美しいと思う。どこが、と重ねられても困る。それは、夜天空より深く濃い煌く髪が、と云ってしまえば、では薫りたつ唇は、天上から普く降り来らんと迸るその響きはどうなるかと、一にして全なる存在の個々をなんと顕し得るのであるか。
 それじゃつまらない。
 シィォはアァを見詰め、首を傾げ、天を仰ぎ地に俯き小声で、
「やっぱ、でも、全部」
 とすこしなげやりに繰り返す。アァは背後からシィォを抱きすくめ、片手でその一つ高い頭部をなでまわし、詮無い、赦せ。それにもったいない、と返す一連の遊戯。
 シィォが初めてアァルトゥーナと出会った、引き合わされた、接触を許可されたのは、当然にして学長の応接室だった。学長、主人、補佐の誰一人、殊に、常日頃は殆ど切れ目無く指示を出し、唱え思考し、舌打ち或いは歓喜する主人が完全に沈黙しているこの空間は、不用意に発話すれば粉微塵に弾け失せてしまうのではないか、主人はその向けられた視線にこれは変わらぬ、唇の端を気持ち捻り上げ応じ、そしてシィォは、震えていた右手が落ち着いたのに気づいた。来賓一行は寸分狂いなく定刻に参着した。列座に合わせ訓練通り立ち上がる、起立運動に敏捷と緩慢を織り交ぜた、優雅、と規定される動作の再現に精励する。続いて挨拶、シィォと申します、宜しくお願い致します。麗辞の交換、着座。
 正面にある、アァルトゥーナの実物にシィォは目の焦点をずらし対すると、対象を無問題に凝視把握可能な写像の方が有為なのではないかと、この対面という形態の意義について困惑するが、自身のそうした思索が不要かつ無駄であることも理解していたし、まして顔面や体躯に表出すべきでは全くなかった。この場は彼女の為に設けられ、まるで人形でお飾りの様に佇む彼女は、そうした自身の立場を知悉しつつ尚そう振舞え得る、空気のように自然で崇高な存在であるようであった。従者たちの長々とした問答に一言も挟むこと無くそれを儘に済むまで演じ切らせて後、ふぁ、と年頃の幼女そのものに欠伸を一つ漏らした彼女は、シィォ、とただ問うた。あなたは、どう。きれいです、と小さく応える。容形の美醜ではなく、と但す無粋は無論ない。小さくうなずき、よい、と。シィォはアァの僕となった、なれた。その為に生まれたのだから当然だがそれは十分祝福に値した。
「あなたを愛しているわ、シィォ」
 アァは平然と告げる。
「此の世の総てと等しく」
 愛は無限。私自身も、貴方も、この星も、等しく愛している。
 自分はアァを愛しているのか、そう製造され命令を受け機能しているのか、これが愛というものなのか。シィォには判断出来ない、自身の能力の総てを尽くし警護対象を保護するこの使命は、愛が存在しかつ有効に機能しているが故に可能なさしめているのか。もちろんとアァは言下に告げるだろう、愛なくして世の総ては不全、不可能なのだからと、あとそこまで理路を立てようとしないで、愛は在る、あるの。
 どこに、いかほど。
 あまねく、むげんに。
 であるにしては。世界は自己と利己にこそ在りはしないか。
 そう、だから学び、気づく、総ては。
 総ては。
 そう、総ては。
 教皇の不興と不穏のままに当日まで言葉も動きも無く過ぎ、星巫女誅殺は聖別催行まで一刻割った時点で露見した。会場に古式の自動銃筒が設置された事は確実だが位置は不明。同時に判明したその型式と空中発射式の仕様から会場内であればどこからでも狙撃可能。
 間に合う訳が無かったがシィォは既に飛翔していた。
 これも、これすらもそうなのか。
 受け容れ赦すというのか、巫女よ。
 顔前にかざした掌に弾体はめり込み、そのまま足先までシィォの身体をあっさりと縦貫し、起爆により祭壇ごと危害半径に存在する空間を撃砕した。

 1.

 リアステ、採鉱済み小惑星を利用したリサイクル・アステロイドを居住モジュールとして再利用した、この近辺ではもっともありふれたその一角にささやかな事務所はあった。雑然が幾つか中空にまで漂いだしている点をのぞき、地上とさほど変わらない光景がある。
 唇を少し舐め、トミー・ソガメは続けた。
「大事な事は、此処は絶対に誤解して欲しく無いんですが、私は、私達は純粋に、最大幸福の一環として政策の見直しを提言する立場であって、開拓其の物は今後も継続須冪ですし、併し長柄或る意味、連邦と謂う存在其の者を根底から揺るがし兼ね無い金成無理筋で或事も当然、判って益す。其れを仕手、反政府活動だという短絡的な決め付けだけは、絶対に受け入れられない」
 ウォルター・カミングスは軽く頷くに止める。
「微妙、いえ、そこは慎重に配慮すべきですね、懸念は判ります」
 敢えて視線を合わせ、言葉を重ねる。
「それでも、ノー・マーズであると」
 ソガメは目を逸らさず、むしろ身を乗り出し受け止めた。
「それでも、いえ、だからこそ、です」
 誰かが声を上げるべきだという言葉には、決意もあり熱量も感じるが悲壮、とまでは到っていない。良くも悪くも、というべきだろうか。公を問いながら自分を含め、連邦の人間にそれが希薄なのではないだろうかとウォルターは思う。昨今のノー・マーズにせよ、危機意識に根ざしてではあるものの、それは皮肉にも、かつては夢想に近い絵空事でしかなかった宇宙という空間がここまで人間の領域として確立され、結果人類存亡が“背景に”後退し、手段としての宇宙開拓が火星移住による人類存続の空疎化へと逆転せしめた。しかし目を地上に転じれば、未だ宇宙進出そのものに頑強な抵抗を掲げる連合の存在があり、フォールアウトと核の冬に閉ざされた暗鬱な世界からの開放を求める多数派の怨嗟は、住み慣れた大地を再びと叫ぶ。小惑星も惑星も宇宙(そら)に浮かぶ同じ天体だ、何で苦労して井戸の底からまた底に戻ろう、戻りたいというのか、という宇宙島の住民、島民の困惑もまた理解出来るにせよ。
 実際はどうなんだろう。
 連邦の人間は連合を、自分たちのやることなすこといちいちなんでも反対の、まるで野党第一党であるかに錯覚している感がある。少なくとも仮想敵国、のような、自らを脅かす敵性の存在であると考えている人間は少ない気がする。もちろん地球連邦対地球連合、それこそ馬鹿な、というよりアホか、だ。そこまで愚かでは今度こそ滅びかねない。ではもう、自分たちは火星を必要としていないのか、少なくとも見直しの余地はあるのかもしれない、それが連邦の国是であったにせよ、ということか。一見自然だな、素晴らしい、ウォルターはおもわず感心する。
 月への便を待ちつつウォルターはクラシカルにキーボードの上で両手を躍らせつつ漫然と視線を巡らせる。
 クラシカル?。
 無粋なデッドウェイター、“オールド”マテリアリスト、おそらく“おのぼり”、間違いなく小汚いフロッガー。
 文字通り中空を忙しなく飛び交うビジネスマンにぺったらぺったら悠然とブーツを鳴らしながら闊歩するベルターにエンジニア。井戸の住人には痛いほどの槍衾に射られながらのアウェイでウォルターは平然、寧ろ超然と自身のジョブを貫き通す。
 雑踏が彼に向ける嫌悪乃至侮蔑、は単なる田舎者へのそれであり、「安全保障」とやらが絡んでくる含みを持つマターではない、現地にその空気はない、と判断する。
 来客、“フリージャーナリスト”が退去するや否や、事務所の空気は音を立てて入れ替わった。セクトのメインHQとしての機能を回復する。
 わざわざチューブでは無く賓客用に重力プレートに用意した粗茶を見事にはわわしてのけ完璧にドジッ娘をアクトして見せた秘書は、美貌に似つかわしい元来の涼しげな眼でセンサを一瞥し、クリアを宣言する。5匹ほどの“虫”を焼いたらしい。
 ソガメは茫洋とした貌で虚空を見据えるが、これは彼本来の、最も意識と神経を集中した際に現れる指揮官としての表情であった。
 少しして呟いた、何処から漏れた。
 単なるリサーチではないでしょうか、秘書が意見する。“同志”からのインフォもありませんですし。
 かもな。警戒段階では無いか。
「でもやつら、プランの実態を知ったら歯噛みするでしょうね」
 事務員の一人が能天気に発する。
 そう、武装蜂起計画は存在する。
 但し、フェイクだ。
 これを実しやかにリークする。
 政府が検挙するのはモデルガンを抱え怯える一握りの趣味人だ。
 無論、ウラなどない。
 反政府感情という虚妄に惑乱した政府、という既成事実、汚名のみが残る。
 プリンタデータが実銃に寸分違いない、出所は勿論、連合だった、という事実の断片に、事件が解決する時期の世論はまったく頓着しないであろう。結局、抗い難い時代のムーヴメントが存在する、それだけなのだ。
 一際強い注視の気配を受け流し、ウォルターは手を休め胸元に手を伸ばす。ぽっかりと一服浮かべたその脇にどかりと影が腰を落とした。
「待った?」
 いや、と生返事。逢瀬を目当ての出張業務などとは意地でも、おくびにも漏らさない。
「ギーク相手は疲れる」
「いやまったく同意」
 ふと、彼女の顔に眼をむけ、そらす。
「なに」
「別に」
 気づいたときには体が動いていた。母なる大地を味方とする戦技はここ、低/無重力帯ではまったく機能しない事を直後に叩き込まれた。一度浮かされたら相手は両手両足の質量を全弾縦横に叩き込んでくる、それは正に空間戦闘だった。一目で視界に入れたその一事を後悔するほどの地上種以外では在り得ないジュー・ビッチ、比類なき木星並みに豊満な体躯のそれ、を庇ってひょろけ出た抜け作がまるで台本通りにこづき廻される寸劇に取り巻きひとつ作らず往来は冷ややかに流れ行く。サンドバッグに飽きたか唾を吐き棄て立ち去った気配にそのまましばらく横たわり、そろそろと体を起こしすこし身体を曳いてから目に付いた茶屋に転げ入り、ようよう紫煙をくゆらし深く嘆息し見詰め続けていた小汚いつま先から起こした視線の先に彼女はいた。二人は互いにみつめあう。かーちゃんがね、おまえはやさしいね、って。ゆっくりと首をゆらして軽くのけぞり、いや……ただのおばか、見ての通りと肩を竦めた。
 出会ったその日から今日まで対面すれば必ず一度は寝るウォルターとの関係を彼女、ネリッサ・オブライエンにもいま一つうまく解き明かせずにいる。セフレ? といえばそう、ラバー未満、フレンド以上のつきあいだろうか。他にも彼の、彼女を困惑させるエレメントの一ついや二つが、ウォルがデブ専でもオッパイ教徒でもないという、じゃあなんでこの、少し煤けたマイナーハリウッドアクターみたいなイケメンは私の背で安らかないびきをかいているのか。好きだ、愛してる、という言葉は、互いに一度も口にした事がないそれは、不在をことさらに言葉で補う不毛を厭てか、いなやすでにじゅうぶんなものを敢えてひからかす破廉恥を避けてのことか。掻き毟れば快感に昇華されるだろうむず痒さ、というのは対人関係を表現するに不適当だろうか。
 もしかしたら血まみれになって、それで終わりかも。
 ジャーナリストと“サイエンス・ライター”という二人が貼り付けているラベルも、それがカバーである事をなぜか互いに察して、そしてともにとぼけている。ウォルがここ、ベルトから引き出され採鉱資材を吐き出しながら着荷する鉱星で賑わう開発の最前線にして人類最辺境の一画まで足を伸ばしてきたのも、連合のスーパーバイザーとして活動を支援し不安定化工作を仕掛けている本業と無縁ではないのだろう。
 ハニトラ。思わず失笑してしまう、この私が。
 背中越しに彼を眺める。
 この肉襦袢、生体ボディアーマーを彼の前で脱ぎ去り更に素顔を晒してみせたら。ウォルはどうするだろう。

 2.

 阿鼻叫喚とはこうしたものか、と、第12代地球連邦評議会議長であるアルフレッド・ハルトマンは眼前、モニタ上で展開される光景を眺めながら妙に得心していた。更に背後から自身を毒づく、おいおいずいぶんと悠揚たるものだな。
 そう、この事態を惹起した最高責任者にして当事者は無論、私だ。
 私はこの瞬間、歴史の末席に列座したのだろうか、とも思う。ダンツィヒの割譲要求が世界を紅蓮の煉獄に叩き込む同意書へのサインと知っていたら、それでも躊躇無く署名出来ただろうか、という類の。そして一つの理解を得ていた。歴史の当事者というのは貧乏籤の最たるものなのだな。後世の歴史家、もし人類の歴史がまだ継続し得るのであればとの留保付きではあるが、当時の、この私の無思慮、無分別を大いに弾劾し、嘲弄し、小さじひとつの憐憫や同情も示すかもしれない。何が最善手であったのだろう。奇跡を期待し事態を等閑視し神の手に委ねることだろうか。愛が足りない、確証的な武装蜂起の事前準備行動を静観せよとでも。再三の注意、勧告、警告を無視しての事態の進捗に対しての、強制執行だけはせざるべきであったのだろうか。
 先刻まで室内は今日ここに至った敗北に際しての沈鬱な空気が支配していた。これまでも連邦政府はともすれば諸島、宇宙人工島居住区画住民の空呟、これでよいではないか、ほんとうに火星まで行く必要があるのか、という疑義に対し、ことある毎に理念共有の努力を積み重ねてきてはいた。
 地球近傍宙域での恒常居住施設建設整備事業計画、その第一号となる「ニューアース」が地球連邦政府環境省宇宙開発局より公表された時点では、国内からの嫌疑はもとより地球連合からは愚弄、嘲笑、罵倒、その計画実現性を巡りあらゆる悪感情が投げ掛けられた。主たる理由は総工費であり、連邦はその明細を公示していないが、自分たちの見積もりでは正に過去例を見ない文字通り天文学的なものであり、人類の総力を決しても、まして現在の連邦の力量を遥かに逸脱した到底不可能な絵空事でありそれを強行する指導力について、控えめに評価してもその能力は懐疑的である、と当時評していた。
 通常戦力激突の頭上でABC弾頭が咲き狂う所謂“第三次世界大戦”と総称される未曾有の混乱を経た人類社会にはその灰燼から、このままではだめだしこれまでのやり方ではだめだろうという新秩序を標榜する統合政体、「地球連邦」が発足される一方、これまで通り継続させるのだという旧、国際連合を母体とする国家共同体である、「地球連合」、その二大勢力間で事態の推移を見極めようとする第三極という構図が出現していた。連合の“これまで通り”とはつまるところ利権の固守であり、それが人類を滅亡の瀬戸際まで追い詰めた元凶ではないかとする、地球再生とその手段としての一時脱出を筆頭の政策課題とし、手法としては貨幣経済体制の抜本的見直し及び脱却にその基盤を置く連邦との対峙は不可避であった。よって「ニューアース」建設計画は、連邦の価値と実力を問う良い試金石ともなった。
 無論事業完遂は安楽なものでは無かったが、連合の予測と希望を大きく裏切る形となった。“経済価値”から換算すれば確かに、それは過去類例を見ない巨額の予算を必須とする事業であったが、連邦は従来の体制、経済の枠組みであれば必要とされたリターン、いかなる意味でもその利潤も見返りも必要としていなかった。宇宙開発に限らず、人の営為を確定的に阻害し続けてきた予算、マネーという頚木から開放された連邦にとり、計画の障害となったのは何点かの純粋な技術課題であり、その解決についての工数は当然織り込み済みであった。連合からすればまるで黒魔術の詠唱を傍観する心地でもあったであろうが、旧来の体制からは金利の廃絶一つにして口にするのもおぞましき異教であり、正に不倶戴天にして必滅の邪教徒そのものだった。そして連邦が5年と、連合が100年掛けても完成してたまるかするものかとした「ニューアース」は計画に僅か3ヶ月の遅延を以って無事に就航した。続く二号基「エデン」は工数半減という基本計画が野心的に過ぎたものか種々の改設計が原因で難航し、遅れに遅れと言われつつそれでも4年半で完成したため、所期の工期短縮目的そのものは実現をみた。
 常識的に考えれば直ぐに理解出来るとは思うが、地球の表面から材料をブン投げて宇宙空間に足場を築いていくなど、改めて、正気の沙汰ではない。最初期に突貫という表現が相応しい性急さで築造された2基は連邦が試算した火星移住を最終目的とする宇宙開発計画での、これでも最低限度のイニシャル・コストであった。以後の資材は現地調達に、木星軌道と火星軌道の間に存在する小惑星帯であるメイン・ベルトの開拓に委ねられていた。迂遠に思えるが急がば回れ、重力井戸の底から延々とリソースを吐き出し続けるよりもよほど現実的な選択である、それでも多分に夢想的ではあったにせよ。
 旗艦、消失。という、次席旗艦が発した平文でそれは始まった。
 現場の混乱は今般の事態を受け設立されたここ、安全対策室本部にも直に伝播していた。
モニタの向こう側、執行統括の現場である艦隊司令部に隣席の首席補佐官が問い質しているが要領を得ない。反応消失、全滅、という音声がノイズの如く飛び交う。全帯域を通じての呼び掛け、全天探査、悲鳴と怒号、その全てがライヴで演じられて後、漸くにして血の気の失せた顔で向き直った司令官、現場に出向いていた航空宇宙幕僚長が艦隊の全滅を報告した。事態は想定、というより想像の範囲外であった。最前までの沈鬱な空気、宇宙区民との民意の乖離、齟齬を解消できず遂に今日こうした措置に及んだという失態への悔悟、など消し飛んでいた。交戦、いわんや完膚なきまでの敗北による執行担当人員への傷害、殉職という状況を、誰一人として危惧してはいなかった。しかも原因は不明で、ほとんど未処理のまま提出された映像資料が関係者を更に惑乱させた。
 宇宙空間。そこに矢印状のカーソル。彼方の光点が一瞬で像を結ぶ。ホワイトノイズで映像は終わる。現れたその姿は、幼少時のラノベ・コンテンツでは慣れ親しんだそれはシリアスな状況をプゲラするかに性質の悪い冗談のようであった。
 人型……?。
 一人がその困惑を言葉にする。
 これが、艦隊を全滅させたというのか。
 これは、もはや全員の理解の範疇を越えていた。

 ハカセ、と言い掛けエドワード・ハミルトンは舌打ちし、改め、オブライエンは今、何処にいるかと。判りませんという戸惑いの言葉に呼び出せと短く命じ、切る。そしてアレクセイではないよな、考え直すとその当人からだった。いったい何を仕掛けたんだ、という相手の言葉に思わず苦笑を浮かべる。いや、私は貴方の仕業かと思ったんですがと応じるとアレクセイ・ゴルドノフは何を馬鹿な、と叫び掛け、息を吐き、小声でまた後ほどと告げ切った。島長さんも大変だな、呟くと間を置かずにコム、コミュニケータが震える。報告に目を見開く。
 大事は去ったという島民の感覚には、放射性雲と核の冬に苛まされる地獄からの脱出を求める地球との、既に隔絶した認識の相違が存在していた。井戸の底から発せられる火星居住という別天地への祈願は、同情は出来ても今の生活を犠牲にしてまで達成すべき目的として積極的な賛同はできなかった。労苦を重ね這い上がり、また改めて身を沈める、という願望は、まして到底、島民としてはイミフ杉て草不可避、それって何か美味しいの、と想像の限度を越えた狂気でしかない。WW3、人類滅亡、それがどうした、もはや“戦後”ではないのだ、どうぞご勝手に。状況というより環境、否、それは正に時代の変遷そのものであり、個人や組織の才覚で左右出来るようなものではなかった。
 間を置かず送られた映像を見るエドワードの口はあんぐりと開く。ネリッサ・オブライエンが住居にしている、していたリアステが、それが跡形も、ない。部屋からメンテナンス・ダクトを縫い文字通り飛んで着いた先で息を整えエアロックの向こう、宇宙空間を目視で確認する。やはり、無い。一報を発したソガメと目が合うが、これはいったいなんだ、という無意味でまぬけな羅列のほか、口を開く気にもなれない。
 わたしじゃない。
 その場にいない声が呻く。
 胸元から取り浮かしたコムが泣く。震え伸ばした手でひったくりざま耳を押し当て、今、どこですかと発した問いは歪み上ずる。スリープモードのまま着信しているコムの異常動作を超越した、異変の気配がラインのむこうに、ある。
 あれなのかほんとに。眠る巨人、光景が脳裏を過ぎる。

 3.

 罵声、祈り、嗚咽
 スターバードゼロワン、ゼロワン、状況報せ
 デブリだという呻き
 トリアージ?
 ジッパーコマンド
 ゼロワン?
 だからデブリだミンチと言えば良かったかブルークラウン
 ……いやマテ
 ……ゼロワン??
 あれ
 ヲイ
 ……ゼロワン、状況報せ
 天使だ、天使がいる……
 ゼロワン、ゼロワン?!
 全員正気だブルークラウン、だが天使がいる、いるんだ

 アルテミス01宙難事故追悼式典という場にふさわしくない明るい声は、参列者が引率した幼少年から時折発せれるものだった。ミキ・カズサはごく普通の少女だった。外見上の特徴といえばいかにも日系らしい、新月の夜闇のように艶やかでゆたかな黒髪の持ち主だったが、それも伸ばして揺らめかせるのでもボーイッシュに刈り込むのでもなし、飾り気の無いセミロングで纏めていた。落ち着いた物腰で、それは、爛漫快活そのものの、同席している少年少女の中にあっては、ややくすんでさえ見えた。参列者はそうした彼女の様子を、当事者であり両親も亡くしているその事情へ一抹の同情を添えて察するのはむしろ当然にして容易であるようだった。しかしながら、その理解とされるものが好意的ではありながらも類型的な、厳しくいえば浅慮の範疇にあったのも事実で、もし今少し彼女自身に対し真摯な姿勢で接する者があれば、そこに顕れているのが傷心や感情という叙情的なものに留まらない、年頃には不相応ともいえるより理性的で自覚的な抑制と熟慮によりて選択された静謐であること、その深遠の上辺を感覚し得たかもしれない。何れにせよミキ・カズサがそうした次第であり、人々の関心が自然にせよ良心的な姿勢による自制的なものであるにせよ限られた領域にあるので、付き添いにして保護者であるマーサ・カズサなる老女の存在は更に事務的で形式的な、好意的且つ前向きな無関心に落ち着いていて、その扱いを彼女自身も歓迎している様であり、黙然と列席の来賓と同化していた。
 式典開催に遡ること約三ヶ月前の早朝、彼女も朝は早い方ではあったが、ノックと呼ぶには余りに性急で激しい乱打音に叩き起こされ、それでもドアを開け乱入はして来なかったミキに一定以上の評価を付与つつマーサはドアに向け小走りに近付いた。
 うごかないの。それに、冷たいの。
 どう偽っても害獣の類縁でしかないそれをハムスターと命名し愛玩するという、マーサには理解は出来ても共感し得ない趣味をいつのまにか修得してしまった結果2軒となりから株分け貰い受けミキが熱心に世話していた小動物は、泣き濡れ呆然と立ち尽くす孫娘がちいさな両手に捧げ持つ鄙びた肉塊に変じていた。
 天寿を全うしたのだ、とマーサはミキに告げた。
 死ぬ、んだの
 そう、死んだ、のよ。
 改めてミキが与えられたのは、生死の哲学という殆ど無限の機能を持つ玩弄物だった。その成果を今日、マーサは或る意味これ以上ない実践的な場に於いて観察し得る環境にミキを置いた、といえる。
 道縁在りて学ぶ者たちよ、初めまして。先に生まれたから“先生”と呼ぶ。つまり講師だな。善充でもアテシュリスでもルームコントローラでも呼びたいように好きに呼んでくれていい。いきなりだが、つい最近まで、教育という名の洗脳、思考矯正が大手を振ってまかり通っていた。この公教育の場で、社会システムの維持を名分として、だ。教育を名目に人間が生得する思考力と創造力を破壊して来た。世界が破滅に瀕したのは当然の帰結だ。何より貨幣経済を根幹に据えていたのが諸悪の根源だった。これは人間という種の共食いであり、日々が血を流さない殺し合いの場で、戦場であり戦争だったんだ。洗脳、というのは狡猾だ。代表的なのが自由、平等、友愛の3点セットで人類の至宝であり理想とされたが、自由であれば不平等だし偏愛も生じる、果ては無秩序、無政府にすら至る。これが最初に呼号された革命が瞬く間に処刑ショーの恐怖政治に零落したのは正に当然の事なんだ、といった具合にだ。私、私たちは君たちに、従順な納税者、労働者、国家に仕える家畜としての人生を望んではいない。私を踏み越えていけ。全ての功績を過去形にしてくれ。きみたちひとりひとりが全て人類の明日を切り開く希望の光に他ならない、が、好きにするがいい。まず自身の幸福をこそ実現することだ。その支援が社会動物人類の、共同体の、国家の、連邦の義務だからだ。
 オリエンテーションを終え教室を出た善充の前に、少女は世界の果てを体現するかに立ちあらわれた。先生、質問があります。私でよければと善充は頷く。わたしはなぜ今も生きてここに在るのでしょう。善充はミキと少し瞳を合わせ、立ち話では無理だねと苦笑し、そのまま教室に戻る。教壇に立つ。ミキは着座する。即答出来る全知の存在であれば今生には居ない、それは、判るね。ミキは頷く。貴女は自身が特別な存在である、とは思っていない、だから、両親を含む乗員乗客142名ではなく自分が生残した事に疑問を抱いている。物理的にも社会的にも神学的にですらも、非合理であると判断している、でもね、違うんだよ。
 おんりーわん、ですか。
 それも、そう。
 善充は率直に、嘆息した。
 なぜなのか、神を掲げればそれで解決だが、すまない、正直に、わからないと回答させて欲しい。
 ミキは眼を開き、口を開き、そして。
 わらった。すこしだけ泣きながら。
 ですよねー。
 起立し、どうもありがとうございました。深々と頭を垂れ、退席。
 運命、偶然、祝福、呪詛、使命、あるいは奇跡。
 今は、わたしの、意志。
 教員室に入った善充は自席にどっかりと腰を落とし、そのままずるずると突っ伏した。ミズ・マーサの孫娘、直弟子、素晴らしい、真剣勝負だなこりゃ。
 私ってばいったいなんなんだろうね、と少女は口にしてみる。
  名前 ミキ・カズサ
  年齢 9地球標準年と3ヶ月
  月生まれの島育ち
  エントリ・スクールの一年生
 寝る前に担任教師の、「今日から日記をつけましょう」との指導でエディタを開き、こうして画面と向き合うと、自然にそうした思いが零れた。
 宗教に答えを求めた頃もある。
 地球-月連絡船、スペースプレーン「アルテミス01」。父母を含む乗員乗客二三五名中の、唯一の生存者、それが私。
 死者が託した命を背負いこれから生きていくのかと。
 もちろんカウンセリングも受けた。
 結局ありきたりだが忘却という名の河、時間だけがそれを解決してくれた。
 最近は特に思い悩むこともない。
 それでも、こうした機会にふとそれは意識の表面に昇ってくる。
 でも、言葉に出来ない後ろめたさを伴った、かつてのそれと今のは少し、違う。
 これから何が出来て、何をしたいのか。それを少しだけ強く前向きに、想う。
 つまり学生時代に錬磨し自覚したうえで、大人になり、責務を果たせ、ということか。
 つまり“私とは何か”の「私」とは、「適性」であり、それを生かして社会に貢献しつつ自己実現を果たせ、ということに結局はなるのだろうか。そしてお互いにとっての幸福な関係を築けと。
 うーん、でもこれも空理空論よねと自分でちゃぶ台返し。
 つまり日々こうした思考錯誤に時間を割ける学生時代はなるほど、貴重な期間だ。
 結論。
 日記を書いてみたらそれを契機に、学生の本分、よく学び、よく遊べ、の意味を実感できました。日記という課業は初等教育課程相当にある者の向学意欲を刺激するに極めて有益な手法であると思慮する次第です。
 書いた。
 書いて何か疲れた。日記は疲れる。
 寝た。

そらの向こうで戦争が始まる。
二度も三度も世界大戦を起こして、
海も大地も汚し尽くして逃げ出そうというのにまた、始める。
昔も今も、誰も望んでのことではない、という。
でもそれは嘘だろう。
何も学ばず繰り返す自身の不明を恥じるのであれば、
その同じ口から、
権利だ自由だ正義だという虚妄が漏れるわけがない。
人は滅びを望んでいる。
だから、与えられる、それだけのこと。
この単純な事実に気付かなければ、気付くまで繰り返すしかない。
私たちは気付けるだろうか。
それともあなたは既に識っているのだろうか。

 4.

「こんなものは……ウソだ」
 突然の絶叫にネリッサは目を見開く。
「エド? 」
 あぁ。
 珍しくエドは露に狼狽し、取り繕いの苦笑さえ見せた。すまない。
 いや、この男は生来激情家で、思い出したように偶に浮かべる冷笑、の方が、そう見えて欲しい、装いなのだとネリッサは最近、思い至っていた。
 <あれは排除すべきだな、そうだろう?>
 え?。
 唐突に響いた頭の声に戸惑う暇すら無かった。
 ナニコレ?!?!。
 直後の眼前の映像を認識する間も無かった。
 政府の、艦隊。
 理解した、させられた。
<やるよ?君が望むなら>
 わたしの、のぞみ。
 指を鳴らすよりもあっけなく、政府の派遣艦隊は消滅する。
 科学もまた信仰に他ならないのだよ、と叔父は語った。事実を前に真実をではなく、自身の求道、信仰に殉じてしまう、人は弱い存在なのだと。メインベルトの発掘は連邦はもとより連合の眼さえ欺き、当然にして“開発”の名目で薄氷を踏む思いでしかし決然と敢行した。叔父が神智、ニューソート、ZEN、メディテーション、により求めた座標にそれはあった。
<ざんねんながら少し違う>
 苦笑、の気配。
<私は先行人類の手になる遺跡ではないし、ベルトはそれ、君たちが妄想した者の手により粉砕された星の欠片ではない>
 僅かな、間
<あれは、私と、彼とで砕いた。意図してでのものではない。星であれ元より凍て付いた只の岩塊だ。文明どころかいかなる生命も存在していなかった>
 では、あなたは一体。
<私は、名乗るのであれば。君たちのいうΩだ、始まりにして終わりの者だ。>
 あなたは、オメガ。
<以後、そう呼ぶがいい。>
 歴史。
 人類の足跡に己が名を刻銘する。それはある種の者には宿願なのだろう。承認欲求? 名欲の権化、極限まで肥大し膿み爛れた自我の果て。
 その総てを、嗤う、観客席で。
 表舞台の主役など最悪だ。あれは只の見世物、後から万人に弄ばれる時の道化に過ぎない。史書に実名を留めるその総てが、愚かしい、誰がそれを讃える? ネタにされ商材として素材として、大衆を恐怖させた独裁者は茶化され、聖君は祭り上げられ或いは乗っ取られ本位に染まぬ道具に堕され、名将は後知恵で批判され、才人は人格を叩かれる。ところでどうだ、全く影も残さずしかしこの手に時を握るというのは。不遜に過ぎるか、いいや、所詮人生というクソゲー、一身の裁量でどう廻そう、何を遊ぼうと自身の始末だけの事をとかく咎められる謂れはない。
 Archipelago-Allies、AA、“群島勢力”を名乗る我々は、トミー・ソガメを盟主とし、地球連邦政府と戦端を開いている。
 圧勝している。
 こんなのはウソだ、まったく現実的じゃない。
 我々は、俺は、
 民意を糾合し、憤懣をベクトルに統合し、ドライヴし、
 だが、至妙な手捌きで円滑な、公共の福祉に資する、今求められている真の最大幸福を実現する。
 革命ではなく、改革を。
 声望ではなく実績と皆が口にできる本物の果実を。
 それが、なんたること。
 まるでできの悪いカートゥーンのような武力抗争、「独立戦争」、だ!。
 それも“しんへいき”を擁してのだ。
 神輿は変わらないが、そのフィクサーが知的機械生命的何か、という目の前の現実が、エドにはどうしても辛うじて理解は出来きても受容できない受け入れられない。
 だってそうだろう。
 ベルト開発の現場で発見された遺跡、<眠る巨人>、あらゆる手段を尽くし調べ語りかけ理解分析解析とにかく、それが勝手に話し動き、
 戦争まで始めてしまった。
 しかもその<オメガ>は、ネリッサに従っているだけだ、と嘯く。
 エドには、もうついていけない。
 眠る巨人。
 知れず凍り付いた戦慄がフラッシュバックする。
 プロジェクトの主導者、“サイエンスライター”が碌でもない汚物であるのは一目に取れた。政府の資源開発支援を隠れ蓑に連合の諜者がこんなところでどんな“画”を書いているというのか、さすがに見当も付かなかった。
 対象は、人智を凌駕していた。
 俺が、このおれが、見つけた。
 
 5.

 そのデザインは枯れた、というよりアナクロとも思われる。
 壁面を埋め尽くす骨董品の如きアナログメーターとトグルスイッチ。中央に申し訳程度のレーダーディスプレイ。消費電力を極限まで切り詰めたそれらは最終手段であり予備であり、原則として必要なデータは基本的には視覚神経に入力され脳で直に処理されている。
 そして、実際にはそれすら不要であり、操作、操縦は完全に脳波で制御されている。
 なので、作戦行動中は殆ど目を閉じ、寝ているような、夢か現か。
「ってちょっと、アイ、聞いてる?」
 めんどくさい。
 人殺しがめんどくさい、そんな日が来るとは思わなかった、
 そも自分が戦争の、最前線に立つことになるなどそれこそまったく。
 星暦72年9月8日当日。プトレマイオス級のクラスリーダー、フリゲート『ヒッパルコス』は地球軌道を進発、月基地より増派されたルナ・マレーイ級カッター4隻との合流を果たすと、艦隊旗艦として第1機動艦隊を編成する。これは、戦闘単位として人類史上で初めて編成された宇宙艦隊であった。然しながら不透明なのは、この軍事行動の理由、目的は明示されておらず、演習、との公示のみという当局の姿勢だった。もっとも一方、この一事に市民の関心は思いのほか低かった。ただ証言という形では残されていないがしかし、ごくごく一部の、知識と興味を持つ者は、かつての多くの戦争が演習の名の下にその危機を拡大し遂に失火、炎上に至った、という一面の事跡に暗い感情を抱いていたのかも知れない。
 72年9月10日、正午の予定時間を既に2時間近く超過してなお、政府から予告された発表は開始されなかった。時折空雑音を交え、或いは関係者が偶にフレーム近くを出入りする以外、カメラは無人の演壇をひたすらに報じ続けていた。登壇した第12代地球連邦評議会議長アルフレッド・ハルトマンは常にはない空ろな、魂が燃え尽きた様な容貌を国民に向け、しかし落ち着いた明瞭な発話だった。
「国民の皆様、まずは不手際にて長らくお待たせしまして申し訳ありませんでした」
 深く頭を垂れる。そしてそのままの姿勢で彼は続けた。
「星暦72年9月9日、連邦標準時01:45:56、昨日未明、政府は正体不明の何者かの攻撃を受けました」
 一度言葉を切り、その意味を理解してもらう時間をおき、続ける。
「そして星暦72年9月10日、連邦標準時07:23:02、連邦政府はArchipelago-Allies、AA、“群島勢力”を名乗る組織より犯行声明を受信、同時に同組織による宣戦布告を受信しました。同時刻を持ちまして、連邦政府内領域全域に非常事態を宣言致しました」
 ハルトマンは僅かに顔をあげ、国民と対面した。
「そして星暦72年9月10日、連邦標準時12:00:00、本日、私は地球連邦政府の代表として、全国民に対しここに戦時宣言を発令します」
 来月に控える高真空環境作業資格Bライ受験がかなりヤバかったアイ・マリア・アガスは一報に触れて即、天佑なり、延期になれ延期になれと一心に念じた。天に通じたか試験は無期延期が公示された。内定凍結の通知もほぼ同時に届いた。取り消しではなく凍結というのは、社業再開の際には規定の通りアイを採用する、但しこれも規定の通り真環資格Bは取得済みであること。アイは途方にくれた。戦争が、メディアが報じるただの、誰かの出来事ではない、自分がその当事者である事を改めて突きつけられた気持ちだった。何があっても飯だけは喰わせてくれる連邦なので飢えることはないが……いや、戦争でそれすらダメになったら??。ようやく、実家にも連絡してみようかと思い至った矢先だった、島がその群島とやらに占拠されたと報じられたのは。だが、そこからさらに戦争は、言い寄るKYなブサメンよりもしつこく自分本位にアイとの関係を迫ってきた。島には戒厳令が発令され、食料は完全配給制となり、その受け取りを目的とする以外の外出は禁止された。島内公営放送以外のメディアは配信停止となった。
 そしてアイには、群島の名で召集令状が届いた。
 どんな戦争にももちろん無いんだろうがこれにもああ、「大義」なんてない正義も。
 だって指導層にすらよく判らないそうだと漏れ伝え聞く、
 防諜だ何だと人の口に戸は立てられないものだ。
 少し前まで壊れたスピーカーみたいに『私語をするな』と喚いていた上官はもうすっかり大人しくなった。だってわたしら兵隊が、じゃ、辞めますといったら困るのはアイツだから。
 わたしは、わたしらはなんなんだ。
 適性、とか、知らんがな。
 わたしらが押し込まれているこれは、あー、優れた兵器が発散する禍々しさとも機能美とも無縁の、ジャンクパーツを掻き集めて素人が前衛芸術を気取ってみたような、わけわかでアレ。
 適性。
 舞の話題は基本コイバナ、しかも第三者、マリーとマコーリフがどうの、という。本人は登場しない。ユイは無類のスイーツマニアだが作る方。
『各機、攻撃準備』
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 南米、エクアドル沖合い洋上のメガ・フロートに基部を持つ軌道エレベータである「北米リフト」。そのテンション、カウンター・ウェイトとを兼務する宇宙港「北米ステーション」は半官半民、今戦時連邦政府軍の主戦力である宇宙艦隊の根拠地でもあり最重要戦略拠点であった。しかしながら単一の軍港ではなく半民の一事より察せるように、開戦当時での“軍”の実態は航宙警戒警備救難を主務とする警察組織であり、戦力と称し得るような、例えば艦艇等の戦闘目的能力を有する機材は不要にして皆無であった。
 力場に包まれた“敵影”は視えない、あらゆる意味で不可視な存在で、最上の現場指揮官としても発狂を抑制する以上の強靭な意志の発露の他発揮し得る才能は持ち合わせていない。
 迎撃対象は、視得ず。
 不可視。何という事か。
 一発喰らった後に初めて、敵襲を認定出来る。
 何が如何であるのかは判らない。
 とにかく、敵は不可視であり、それが作戦行動の前提条件として存在する。
 故に、原則として“邀撃”でありつまり敵の……。
 増設中の軌道エレベータがあっさりと、地上への災厄と我が身を転じて、崩落していく。
 “迎撃”どころではないとにかく二次災害を低減すべく、準備施策の総てを発動する。
 以外、何もすることはない、出来ない。
 椅子に腰掛けたまま“敵”を“BQ”にする“業務”を“戦争”だと云われても。その認識は希薄だろう、だったんだろう。
 「作戦終了。これより帰投する」
 はー。

 6.

 父の背中、と云われても直正の記憶は乏しい。
 父を求める息子の視線に母の微苦笑。
 そして、刺されて死んだ。
 そうですか。
 貴方の父が下手人ですか。
 今更、超今更。

 喫緊の事態を前に思考がそれを退ける形に動作する、所謂逃避という状態を、多くの人は何かしら体験しているだろう。中間試験の前夜に一夜漬けも放棄してゲームやネットに没頭する、〆切を投げ出して夜の街に繰り出す、などなど。そんな馬鹿げたことをすれば凍傷で指が腐り落ちるぞと理性で怒鳴りつけつつしかし、グラブを外し極寒にかじかんだ指に息を吐きかけたい衝動を押し殺しながら小倉直人は、こんな時にと、それでも、改めて国を喪う意味を思い知る。国。俺を使い潰すだけの存在だと確信していた。正に国畜という呼称が相応しかっただろうあの数日間。暗色の絵の具を溶かし込み塗りたくった生乾きのセメントにも似た曇天に吹き荒ぶは地吹雪。流れながれて何でそんな北欧の寒天の下、片言の英語で意思疎通する熊の様な巨漢を上官に戴き一命を賭す破目に陥っているのかと文字通り、寸刻、思わず天を仰ぐ。つまりは業務。拠る術のない元、納税者たちを保護するための、残務。
 銃声、呼び交わす声。
 指揮官先頭を体現する如くに駆け出した背中に直人は、その挙動に危うさを覚えながらも仕方なし追随する。角の向こう。
 その時、出会い頭に向き合った銃口はマズルフラッシュで互いの額を焦がす至近距離をそのままほぼ同時に火を噴き、罵声を発しのめり崩れる巨漢の私服刑事に半歩遅れていた彼、小倉直人は目前の遮蔽、ダストシュートの影に我が身を投げ入れている。
 廃工場の荒れたコンクリート路面を激しく踏み鳴らし離れる足音。上げた頭を抑えに掛かる殺意に欠けた自動小銃の一連射を退きざまに交わしながら、撃ち尽したAKを放り棄てさらに距離を開くその背中に向けこちらも全力で駆けつつ撃つがUSPのワンハンドで命中は期待出来ない、そして小倉の本職は情報であって火器ではないし既に若くもない。僅かの間に残弾は果てしかし相手は止まらず、情けなくもう息の上がった身体で壁に片手を付き身を支えるその向こう100mほど先の角に標的の影は消えた。
 依頼があったのは一週間ほど前の事になる。
「迷子?」
「いえ、迷い猫、です」
 依頼人が生真面目に訂正する。希少な故国のコーヒーを所長手ずからその前に差し出し、自分も座り直す。いつのまにやら十人を数えるまで育った事務所は、あいにく今は彼独りだった。
 ここにも雄が一匹住み着いているが猫はあまり好きではない。飼い主に関係なく気儘で、自由だ、つまり自分に無いものを全て持っている。気に入らないがそれでも犬よりは遥かにましであるのは事実で……。
 これ以上どうしろっていうんだ。
 上長として堪えに堪えた挙句ついに漏れ出た直人の、困惑、怨嗟、そして何より疲労に満ちた一言は、自身が全く望まない強靭さを伴い室内に、課員に向け放たれた。しかし失態を狼狽で更に上塗りする自由すら彼には許されていない。空咳ひとつで総てをリセットし、業務遂行に向け再び意識を集中する。
 人類社会が目を背け続けていた、いつか必ず来るドルのデフォルトとアメリカ合衆国の崩壊は避けようがない災厄にして既定事実だった。あろう事か合衆国は国内南北問題を惹起し、富裕層が構築した国家内国家は搾取の限りを尽くし崩壊を自ら加速した。新通貨アメロは旧ドルと共に紙クズとなり、統合どころか再びブロック化を指向する世界から弾き出された中国、世界の中心を名乗る組織が世界の片隅という実態に晒され壮絶なクラッシュダウンを演じるのもまた既定であった。遂に始まった外資の遁走を契機に完全な経済崩壊へ雪崩れ打ちそして台湾侵攻とその敗北で何も得る事なく分裂、内戦、かつてのソ連が可愛いほどに跡形も無くなってしまった、軍閥単位での割拠で“第二期戦国時代”と揶揄される状態となった大陸は既に周辺国家に対する脅威では無かったが、その不安定さは別の形でとある隣接地域に危機を招いた。反日原理主義過激派が複数の戦術核を入手、という第一報は他ならぬ北京から発せられた。しかしながらにしてかつての世界帝国は沿岸部を拠点に活動する当該組織への、この事態への当事者能力を持たないという。現在の我が方に対処可能な方法手段は存在しない、この情報が当方により提供出来る総てとのこと。
 然るべく、善処せよ。
 当該組織である大中華開放戦線の拠点は直ぐに判明した。しかし最重要物件である戦術核の行方は不明だった。そも情報の確度が100%ではない。関係者の身柄を押さえ確定情報を入手し対処するしか最早手段は無い、無論大陸の内政問題に我が国が関与する事は有り得ない、無いのだ。残存する現地戦力を結集し臨編した部隊を現場に飛んだ直人直率で作戦決行の3時間前、国会開催中の東京、呉、佐世保に落着。
 おまえ、一発だけなら誤射かもしれない、って知ってるか。傍らの、実質の部隊長である唯一の日本人に向けそんな繰言を投げたが、上官の意味不明な私語への応答は当惑の表情と消極的な否定でしかなかった。極東で炸裂した核はドル、元に続き腐っても日本、のYENを吹き飛ばし、経済、各国世論、安全保障という人類史上いやになるほど馴染み通りに発生した連鎖爆発の中、暗中模索であった世界秩序もここに潰えた。
 職掌権能の範疇でベストを尽くしたと、誰を前にしようと直人は今でも明言出来る。
 言葉では。結局何もかも手遅れになってしまった。どういう因果か日の丸に忠誠を誓ってから世界を巻き込んでの故国焼亡まで果てる事なく続いたデスマーチの日々、滅私奉公公僕の鑑社畜ならぬ国畜、これを犬と呼ばずして何と、あれ、ようするに自己嫌悪の投射で犬に罪はないのか。
 そうじゃない、猫だった。
 日本製という以上の価値はないそれを一口含みながら小倉は、目の前のすこしやつれた中年男性に意識を戻す。脱出の当時はまだ仔猫で、苦楽を共に乗り越えた今は完全に家族の一員で、息子の自分より愛しているんですよと苦笑を交えながら男は話した。
 ここ数日で母の痴呆は目に見えて進んだ、だから。
 認知症でメンタルケアが果たす重要性については小倉にも理解出来た。日本民族の少子高齢化は地球全土に点在する事になった今も変わらず、寧ろ悪化している。現在ストックホルムでも日本人、つまり勤勉で善良であるのを幸い難民は暖かく迎えられているがそれはそれとして法制上では行動を著しく制限されており、そして猫の行動範囲は広い。限られたリソースと適正な優先序列の範囲に於いて決して手抜きはしていなかったが彼女の捜索、発見保護は難航し、代わりに連合軍のセーフハウスと思しきここをエリア拡大により小倉自身が発見してしまったのがつい10分前。
 いつもであれば情報と手柄を現地に投げればそれで済むのだが今回は危急であったらしく、短く激しい応酬の末、一昔前の『ググメ』を小倉本人が将校斥候として部隊の先頭に立つハメとなった。
 爆音に似た何かが轟く。
 反射的に身構えた視界の隅、建屋の向こうから粉塵が湧く。何かが白煙を曳きながら天に延び行く。呆然と見上げる中凄まじい加速によりそれは瞬時に視界から去った。
 また、間に合わなかったらしいな。
 久しぶりに使い切った身体でその場に立ち尽くし、小倉はその無念を言葉にした。
 天誅!!
 裂帛の気合と共に放たれた母国の、聖言を直人は懐かしく聞く。
 痛みは感じない。其れ程に素晴らしい乾坤一擲の一撃。
 感謝。
 漸く、死ねる。
 ごめんなさい。
 日本を焼いたのは私の無能です。
 有難う、ありが。

 7.

 イタリアと戦争というのは世間ではあまり良くない相性であると知られるがその誤解の最たるものが第二次世界大戦についての認識であろうか。枢軸三国の中で唯一、勇敢にも国民が過ちを認め自ら政府を倒し、連合軍への降伏後ナチスドイツに占拠された自国でも多くの犠牲を出し苛烈な抵抗を戦っているイタリアは、決して惰弱とは言いえず無能でもないだろう。しかしながら定着した一般観念を覆すことは周知通りに至難であり、新任司令官が“パスタ野郎”だという事実は、基地に所属する政府軍にとって戦力増強と歓迎されはせず、政府は戦争を投げたのか敗戦消化試合かと意気消沈効果覿面であった。
 オルソ・ベルティーニ宇宙軍中将着任訓示。

 諸君、私が新たにこの基地を受け持つことになった、オルソ・ベルティーニ宇宙軍中将である、宜しく頼む。さて、諸君らの多くは、小官の着任に期待する処少なし、寧ろ不安、不平、指導層は何を考えているこの大事な局面で“イタ公”にぶん投げか戦争を諦めたのかという疑念が支配的であろうことは推定に難くない、これでも将官の端くれであるのでね。だが同時にこれは全員に同意して貰えるだろう、左様つまりああぶっちゃけ、「開戦以来連戦連敗、おまけに遂に指揮官はあろうことかあの戦史上最優秀なパスタ様ときたもんだ!ああもうこれ以上には悪くなりようがない、最高に最悪な展開だぜヒャッハー!!」とまあ今北産業的にはそういうことだなうん。

 爆笑、歓声。

 我が連邦政府を、戦争を継続しているという一事を以ってその無能を糾弾するのは易いが諸君も知っての通りそれは大人の事情だ。その判断の結果の一つが今回、小官の赴任であるわけだが、評価は今後の実績を以って委ねられたい。私は私なり職務に精勤する所存であるので、諸君らにもこれまで通り連邦市民として義務の履行を期待している、以上だ。

 戦争の通例であれば自陣営の戦果は盛大に、場合によれば誇大にも喧伝し、或いはその逆であるのだがこの戦争では違った。連邦政府はその経緯の総てを詳らかに公開し、他方群島は完全に沈黙していた。群島の赫々たる戦果を連邦が代わって自ら宣伝しているかの、極めて奇妙な構図であった。そうした次第であるので北米ステーション、俗称ヤンキーステーションは早々、パスタランチの別称を獲得するに至った。
「そんじゃー今回もおいしくいただいちゃいましょー」
「イタリア人って戦争だめだめなんしょ?そんな指揮官楽勝ラクショー」
 ほらコレとアーカイブから「ヘタリア」を引っ張り出し笑い転げるウィングに、
「策敵警戒」
 アイは固い声で発する。
 舞とユイはぱちくり。
「アイ、どしたの」
「なに?新しいカレシでも出来た?フラれた?」
 自分でも判らないが、いらつく、それを言葉にする。
「戦争なんだから、死ぬよ」
 そう、自分でも判らない、けど。
 偶然眼にしたそのイタ公の動画に怖気がした。レスはそれこそヒャッハーだけどイイネ!も多い。そして映像というのは正直で、自虐に満ちた言辞と相反に堂々たる、名将の風格、そも世間にいう名将がどんなか知らないし興味もないがああこれが名将と呼ばれるものなのか、という感慨をその大柄で甘いマスクのコメディアンじみた壮年のイタリア人に見てしまった、もやもやはその自分がだたぶん。そう、正直に、怖い、あの男が。“今まであまり良い御持て成しが出来ず申し訳ない、だが漸くにして準備が整った。我が自信作にして最高の舞台をご用意しよう、心行くまで堪能して欲しい、劇場へようこそ御令嬢方、見たまえ、これからが戦争だ”敵将の心の声がそう聞こえた、幻聴いや妄想。
 むかつく。
「あ、マジ何か居る??」
 3機小隊でセンシング、策敵警戒能力が最も高い1番機に搭乗する舞が発した。最高で太陽系全域に達するレンジを持つが、もちろんそんなバカをすれば1秒以下光の速さでガス欠する。データリンク、10、100、1000、万、たくさんたくさん。
 何これ。針路前方を埋め尽くす無数のアンノン。
 アクティブといって、発振受動、ではない、まず光学パッシブ。人類が現用するそれとは隔絶した分解能によりレンジ内での太陽光及びその反射による物体の存在を確実に感知する、謂わば太陽光レーダーにして超絶アイボール、がそれ、それら、を発見。
 アイが小隊全機に向けアクティブステルスオンを発した直後、侵攻方向、連邦軍基地方向からの大出力レーダー照射の感知、そして。
 爆発。アンノンの総てが。
 無論、各機損害は何もない。
「こけ脅し?!」
 舞の声はしかし悲鳴に近い。
 アイは、敵の戦術を理解していた。
 計測限界を試験するような兆京垓のオーダーを軽く超える無数のデブリ、爆散破片で満たされた空間にぽっかりと空く、特異点。当然の様に追撃が、猛射が浴びせ掛けられた。大出力レーザにレールガン、周辺で刻々と増す赤外反応は機動爆雷の本射か。もちろん各機以前として無傷、カスリ傷一つ負うものではないがしかし活動限界は。
「作戦中断。全機我に続け」
 猛撃そのものは柳に風と受け流しながらも掠れた声でアイは告げる。
 目標を完全に捕捉したのか、帰還軌道への遷移と同時に攻撃はまるで双方事前に打ち合わせがあったかのようにぴたりと止んだ。
 帰還途上、全員、一言も、何も口にしなかった。
 衝撃が強すぎた。
 悪い予感が当たったとアイは思った。新任は有能か?いや完全な池沼だ。地球近傍空間に地球人自ら望んでデブリを撒き散らすなど、命令されても出来るものではないそれを、自ら発案し政府に裁可させ、実行した。
 なるほどこれが戦争なのだと、それを初めてあのイタリア人に教えられたと、
 あの予感だけは正しかった。
 帰還したアイを更に打ちのめしたのは、今回の戦果、度重なる敗北を遂に食い止め見事敵襲を撃退してのけた大戦果を、政府が只の一言も報じようとしないその姿勢だった。それはこう表現されていた。北米ステーションは不明飛翔体を感知、単位3、と。イタ公のせせら笑いがはっきり聞こえたが何がそんなに腹立たしいのか全く判らない、ついこの間までこんな戦争、どうでも良かったのではないのか。
 ちがう、ああちがうたぶんそうじゃない。
 自分は初めて戦争という魔物を見た、関わる総てを見下し腹を抱え哄笑しそして喰らう、私は、苛立ち、憎み、戸惑い、なにより、恐れている。

 8.

 日本海上自衛軍第2潜水隊群第2潜水隊所属、通常動力型潜水艦「こうりゅう」。
 第7艦隊に生じた異変を世界で最初に察知したのは、演習を兼ねてこれに触接していた海上自衛軍のこの可潜艦だった。
 現在、第7艦隊が根拠地とするグアム海軍基地。間近に迫った母港に向け一路南下を続けていた艦隊が突如、転針した。
 おお、すげぇ。聴音手が思わず声を上げる全艦一斉回頭。ワルツを踊るが如し優美な艦隊運動は同時に、高い錬度の発露でもある。
 この変事をどうするべきか。短い討議を経て速報が決断される。「こうりゅう」から発射された信号弾は必要距離分航走、発射元から十分距離を取り浮上、頭上に向け極、短い信号を発信、太平洋の頭上に浮いている、国内事情的にはなるべく忘れていて貰いたい「情報(偵察)通信衛星」がそれを受信、すかさず日本本土は横須賀の潜水艦隊司令部に投げ落とす。
「第7艦隊転針ス」情報は国防省、市谷に飛んだ。しかしそこまで。
「それはつまり、我が国の安全保障にどの様な影響を与える事態なのかね」
 事務次官が怪訝な表情で述べる。統合幕僚長は苦い顔で応じるしかない。
「いえ、現時点に於いては、何ら影響を被るものではありません」
 次官はあからさまに呆れた表情を浮かべる。
「であれば。何が問題だというのかね」
 呆れたいのは統幕長の方だ。彼は言いたい。“あの”第7艦隊が母港への寄港を目前に一斉回頭してのけた。伊達や酔狂ではない、間違いなく“何か”があるのだ。
 それは、何だ。
「第7艦隊の動静を軽視するべきではありません。水面下で、何らかの事態が進行している可能性は、極めて高いものがあります。今は、情報収集に努めるべきです」
 どうしようもない無力感を背に統幕長は言い募ったが、当然、切り返される。
「何らかの、ね。別に偵察機を飛ばしても構わんが、貴重な血税だ。どこへ何を調べに行かせるつもりだ?」
 それが判れば苦労はない。
 多年に渡り営々と築かれてきた彼の国との関係を断ち切ったのは、もちろん軍人ではなく国民とその選良による選択だった。
「半島、大陸、或いは北方。何か不穏な兆候でも」
 言い被せてくる次官に対し、統幕長は返す言葉がない。全くその通りだからだ。
「現時点では、何らの兆候も存在しません」
 現時点、では。
 しかしアメリカは行動を開始している。
 何かが、足りていない。それは何だ。統幕長は自問を繰り返すが手持ちの材料をどう組み合わせてもそれらしい解が得られない。かといって手持ちの情報が足りていないとも思えない。奇妙だ。パズルは完成している。しかしどこかが欠けているはずなのだ。
「大臣には私から伝えておく」
 興味を失った顔で次官が結んだ。
 第7艦隊。
 “地球の半分”をその活動範囲とし、40~50隻の艦艇により構成される。アメリカ海軍内でも最大規模を誇り、単一の艦隊戦力としても地上、史上最強と呼んでよい。
 艦隊、と称されるがその実態は基地航空戦力をも隷下に持つ複合戦闘部隊であり、基幹戦力をなすフォード級原子力空母「アメリカ」(紛らわしい)が搭載する90機の航空戦力を合わせその数300に達する他、強襲上陸作戦を可能とする両用部隊戦力を併せ持つ。平時に1万5千の兵員を擁し、戦時動員では水兵海兵その数5万に膨れ上がる。正直、その戦力は並みの中小国の全戦力を軽く凌駕し、必要であればこれと対等以上に渡り合える能力を有する。 1艦隊で1国を降す。第7艦隊は合衆国の力の象徴の一つでもあろう。
 第7艦隊旗艦「カスケード」。
 かつて旗艦といえばそのままに主戦力であり、艦隊の最強戦力を兼務する存在だったが「カスケード」には武装といえば少数の近接防御システムくらいで他に特段兵装はない、否、林立する通信アンテナこそがこの艦が持つ最大最強の武器だ。これは艦種が“指揮艦”であることだけを意味するものではない。「カスケード」が担うC4I、指揮統制通信そして乗組む5百名に近い兵と呼ぶよりむしろスタッフが扱う情報、これらが整然と運用されることではじめて第7艦隊という巨大戦闘集団は戦力として機能する。
 その戦力の更に中核に位置するのが一人の男。司令官、アレクサンダー・ラムソン海軍中将。指揮官としては闘将、勇猛かつ冷厳な鋼の男の一人である。
 しかし今彼は、一抹の不安を胸に宿している。外から見てそうと知られるような線の細い男では当然ないが。
 与えられた命を素直に受け、その達成のみに尽力する。良き兵とされるものの姿だ。だが彼のような立場にあるもの即ち、一国の国防大臣に比肩する戦力を率い、権限を有しその責務を負うもの、そう単純ではいられない。与えられた命の背景にあるものを含め佳く理解に勤めその変化を予見し、場合により臨機に対処する。これが将たるものの勤めだ。
 それが、今回は見えてこない。
 つまり。自分の更に頭上高く極秘を冠した何かが舞っているというのか。海軍中将如きでは触れ得ない何かが。
 想像も付かない、な。
 彼はそこで思考を打ち切る。知り得ないものをあれこれ根拠無く憶測するのは第7艦隊司令たる自身の職務ではない。自分の仕事はもっと実際的なものに限られる。
 ラムソンは制帽を手に取り、目深に被り直す。
 アメリカ、発艦を開始、の声が上がる。ラムソンは軽く頷いて応諾を示す。

 アダム・スミスは職務に忠実にアラートを発した。
 それが嘗ての第七艦隊の残骸で在るにせよ。

 沿岸部にあって海岸線を越え国土への侵入を謀る敵性飛翔体に電子の眼を凝らす監視拠点、レーダーサイト。最重要軍事拠点の一つであることは説明不要だろう。にしては防備らしいものは金網フェンス一重と甚だ手薄であるようだが、巡回の兵による警備監視の目もあれば、何より自身を以って接近する脅威に逸早く警鐘するが本務である為、もし犯されたとあっては怠業の謗りも止むを得ないだろう。
 その外壁、フェンスの下生えがかさかさとざわつく。
 ひょっこりと頭を突き出したのは地球表土であればどこにでも生息している小動物のドブネズミ。若干、頭部が肥大しているようだが誤差の範囲だろう……とは安閑にすぎたようだ。背負っていた棒状の、玩具としか形容のないマイクロガンを慣れた動作で器用に構えると、目敏く擦り寄って来た警備の軍用獣、天敵であるキングコブラをあっさりと無力化、昏睡し横たわる脇を抜け悠々と侵入を果たす。この軍用獣が或いは対生物戦仕様であればリアルタイムモニタの対象として異常も感知できたであろうが生憎SOF、対特殊任務部隊、あくまで人間が対象の主に運用コスト上での判断により補助的なトラップとしての役割以上は求められていなかった。勝手知ったる他人の家、ネズミ兵は迷うことなく基地内ダクトを駆け抜けて行き、ある一画で止まるとそこに次々後続が合流してくる。一匹が持参した工具で巧みにダクトへ穴を穿つと、別の兵が人間でいう人差し指ほどのサイズでボンベに似た形状の小道具を穴に押し当て、豆粒みたいなバルブを廻す。一通りの作業を終えた兵達は集合し互いの顔を眺める。それこそ人間のSOFであればハンドシグナルでクリアを呼び交わすシーンだろうか。そして数分後、予定通りに堂々と、誰も見守るものがない監視スクリーン上を数個の輝点が通過して行った。
 HV-22E、ペットネーム「オスプレイ」は前世紀というより旧世代の遺物であったが、運用上は問題なしとまったく頓着することなく連邦では現用されていた。E型は特殊作戦に特化した機体で、徹底的な軽量化や燃費重視で選定されたエンジンの搭載等により航続性能は大型輸送機同等を獲得し、静粛性は昼間に市街地低空を飛行しても気づかれること無く、住人から苦情を受ける心配がない。海上を漂泊する以上の能力を持たない、赤錆すら浮かせて航行する第7艦隊に注視を集めつつ主戦力である連邦のSOFは粛々と作戦した。正面戦力では連邦を圧倒していた連合の部隊が、その一弾をも発砲する事なく拠点は次々沈黙し、官邸での、地球連合総裁の手になる降伏調印を以ってはじめて、連合の将兵は自国と自軍が既にして敗北した事実を周知された。テロ、低脅威度戦争は継続されたが連邦からすればそれは戦前から変わらず対処を継続する課題であり、策源の壊滅により頻度威力とも大いに低減された。連邦はようやくにして永年の確執に決着を付け、内乱解決にリソースを集中し得る環境を整備するに至った。
「再就職の口を斡旋できるんだけど」
「ごめんなさい、今は興味ない」
 だと思ったとエドは肩を竦めてみせた。
 それで終わりだった。おまえが始めた戦争をここで投げだすのか、と恨み節を炸裂させ腹を晒すようなもてなしは期待していなかったけど。
 邦を喪い亡命を企てる元エージェントにアクション映画は起こらない、現実の職場は撮影現場ほど予算に恵まれないからだ、つまり抜忍に上忍を差し向け赤字経営をする戦国領主など実在しないように。連邦による連合への進駐、統合、解体が公示されて約一月という時間が流れたものの、地球と宇宙を結ぶ唯一の面口である「北米ステーション」では交錯する二つのベクトル、宇宙から商機や消息、情報を求め地上に向かう流れと永年の宿願である地球から宇宙への脱出、入植を希望し殺到する人波が生じさせている未来永劫にわたって継続するかと思わせる規模の混雑が続いていた。待機列はとぐろを巻き、さながら難民キャンプの様相を呈している。
「だ~れだ」
 求職者になり心身身軽なネリッサは、一目瞭然スーパーサイズ彼女をサーチしていたウォルの視線を軽く手を振り横切ったあと、完全に無防備な背後から両手で目隠し、完璧な奇襲を決めてみせた。
「……失礼ですが」
 見知らぬむしろスレンダー体型な女性から唐突にじゃれ付かれたウォルは当惑を越えた冷ややかな声で質す。ネリッサは堪らず吹き出し、じぇいと掛け声とともに黒縁の伊達メガネを顔に載せてみせた。ウォルは顔に疑問符を飛び交わせ、一拍のち、クレーンのように競り上がったふるえる右手人差し指でネリッサを指し示しながら、え、と、あ、の中間のうめき声をながながと搾り出すハメになった。
「つまり」
 と、さっきのイタズラが千光年彼方に吹き飛ぶような台詞をウォルと交えているネリッサは、仮泊施設で書庫でもある、連邦軍情報士官に支給されている官舎の室内に視線を巡らせ低い声で少し笑い、続けた。
「業務に託して個人的興味から、連合のエージェントにしてトンデモニューサイエンス系考古学者の孫娘にコンタクトをとった、とこういうワケなんだ」
「失望した?」
「いえ」
 ネリッサは両手で男の顔を優しく包み向き直らせる。
「興味深いわ、とても。続けてくれる」
 人類は地球に、地上に自然発生した、YESかNOか。
 今日まで自力で辿り着いたか、外部からの干渉を受けたか。
「困ったことに物証は山ほど。タケウチ文書は知ってる?」
「あれは、ファンタジーでしょ」
「正史に対しての演義みたいな位置だろうね、元は口伝を書き起こしたものだし」
 人類のルーツやプロセスは正味のハナシどうでもいいし知識も興味もない、結果どうなって俺達はいま何処にいるのか、問題はそれ。
「巨人信仰?」
「一つは君が発掘したΩだ、そしてもう一体が」
 ウォルターはコミュニケータを繰り不鮮明なグラを引っ張り出すと差し出す、これは。
「火星の太陽系最大の巨峰、その山頂にある」
 そう見ればみえない事はない、巨人が蹲るような、岩塊
「カトブレパス、ギリシア語でうつむくもの、だそうな」
「それが」
「連邦を、人類史を隠れ蓑に連中が目指した聖地にして最終目的、これと」
 もう一枚、好みによっては美形かもしれないが没個性な、艶やかな黒髪を持つ日系少女のポートレート。
「ミキ・カズサ。デザインベイビーにして人類種の始祖たるイヴ、人類を代表する巫女、これを火星のコレとコンタクトさせる」
 で。
「内偵がコケてホット・ウォーが勃発、開店休業の無任所公安職員に下った次の勤務先が彼女の身辺警護です」
 ネリッサは口にしていたコーヒーを盛大に吹きだし、あきれて彼氏を見る。
「手は尽くした。親父を国家に使い捨てられた息子が国家を少し使って自分の興味を満たすくらいは、まあ分別の範疇だろ、復讐とかより」
 旧名、小倉直正はしめくくると天井に向けゆったりと紫煙を吐き上げる。

 9.

 いつまでも子供ではいられない。
 なのでミキ・カズサは自分が遺伝子操作の人造人間、というよりは人外、であることもその存在が世界崩壊の一元凶、のみならずアルテミス宙難こそ自分という、火星オリンポス山頂に眠るおたから争奪のキー・アイテムを巡る暗闘に他ならない、両親役の男女含め乗り合わせた乗員乗客こそいい面の皮だ、というくらいには、大人だった。ほとんどは公開情報、ネットサーフの結果を付き合わせる事から検証可能で、与えられた能力からすれば造作もない、紙より薄く脆い防壁も少なくない数侵したが直近3ケタ、先にも億千万の人命を喰らっている自分が何をいまさら、良心の呵責、豚のエサですか、望んで得た生でもない、巡って蛮人が饗宴したとて私がどうしろと、せめて自分が自分であることについてくらいは得心しておこう、傲岸か、望んだのはおまえたちだろうに。それを示唆する如く、行く先々での出迎えも散見された。彼女が征途に抗う術なしせめて従順と受け容れようか、そうかよきにはからへ、蟻に対して報復感情など無縁だし、巣穴を壊して喜ぶほどの稚気は既に無い、だろう、安堵するがよい、人類よ。
 無常での無明、叡智、そして慈悲。
 不在の世界で主人を演じる、人もまた不安で不幸に怯え、拙い歩みを繰り出している可憐な存在でしかない。その儚さ故を憎むほどには自分は狭量になれない。
 多少煩わしくはあれど。
 外面上、ミキはコミュ障だが向学心旺盛な連邦の一市民にして一学徒であり続けた。
 そんなミキの意識にウォルター・カミングスなる男が像を結びはじめたのは数年前からだった。自覚的な愉しみでもあり結果ずいぶんと成長させてしまった情報検索集積エンジンのデータとしてまずその行動が影を落とし、興味を持ったミキは庭先に訪れる野鳥にパンくずを振舞う感覚、遠い昔に掌で小動物をあやした懐かしい想いを手繰りながらその動態から察するに欲しているのだろう情報を、あっちだこっちだとぱらぱら撒いてみるとちゅんちゅん、それをついばみ廻ってくれる、かわいい面白い。身分は役人、いわゆる情報部員、公安、庭先を見回り腐ったリンゴを逸早く見つけ出す、樹が枯れないないよう、他の実が腐らないように、そういう大事なお仕事。が、職務と微妙に乖離している、独自の思惑があるどうやら自分のそれと交叉している、気づいてミキはwktkした。おまえはこれを知っているか、そして遂に向こうから発信が来た。ウォルターは在野を動き廻り生の情報を握るスキル、なにより職能を帯びている寧ろそれこそが手段であり目的であったのだろうたぶんおそらくもしかしたら。自分同様第一級の危険人物になれる素養を持つようだがその可能性は無視してよさそうだ、単に彼は知りたいだけ、私と同じく、ここまで付き合えばさすがに判る。
 付き合う。
 ウォルターが実際に自分との接触、職務上からの公的な関係性の獲得に向け動き始めたときだからミキは、躊躇なくこれを全面的に支援していた。

 群島勢力は連邦、政府軍の文字通り火を吐くような反転攻勢に圧迫されていた。その主戦力は戦略打撃、質量兵器による超長遠距離精密砲撃である。宇宙空間という戦場でレーザ等の光学兵器は高度な射撃精度並びに字義通り光速という弾速を持つが反面、射撃距離による火力の減衰が著しい。他方、質量兵器は子供が放ったつぶてでも確実に届く。彼我共に高機動、高運動性を発揮する近接戦術環境では上記の弾速、精度が質量兵器の運用に重くのしかかるがしかし目標が固定と称して差し支えない施設、例えばコロニーの様な戦略拠点であればこれを打つにさしたる労苦はない。律儀というか、政府はそれを公示と共に開始した、即ち市民の知る権利として例外とはせず例の如くに表明した。いついつどこそこに向け砲撃を開始します、開始しましたと。群島はその砲撃、砲弾の迎撃に忙殺される事になった。
 何をとっても有償の宇宙にあって太陽光という唯一無二の恩恵から見放された永劫の不毛にある月の裏側はこの時代にあって尚マイナーな地所だった。なればこそ軍用地としては最適で、「ブラウン・コロリョフ・ベース」は月・地球圏に於ける「北米ステーション」に次ぐ軍事拠点としてすくすく絶賛大増強中であった。開戦より半年、そこからひっそりと見送る者もなく離れ行く影があったが、この一事はほんの一行とて報じられなかった。それはベルトとコロニー群の連絡線目掛け射込まれたディープストライク、損耗を厭わない、無人艦により編成された通商破壊艦隊であった。

 修辞としてであれば其れは目覚めのない悪夢を日常に生きる、とでも、彼、連邦宇宙軍技術研究所装備部装備課第八室長エリウ・ヒューリックにとっても、契機はやはり戦争、政府、群島勢力間に勃発した今次の内戦であった。
 当たり前だが彼とて戦争なぞを望んで宇宙軍へ志願したのではない。そもまがりなりにも地球の三軍が国防省の下にあるのに比して宇宙軍の上にあるのは政府の国是である火星移住計画実現に向け運輸、通産を統括し主導する環境省であった。エリウは次長で、職務は将来目標である恒星間航行技術開発、いつになるやら完全に未定だが太陽系を越えた深宇宙の探査に乗り出すであろう連邦宇宙軍外宇宙艦隊、その主要機材たる恒星間巡航艦の主機となる星間物質を推進剤とするラム・ジェット機関について、実証機の予算がようやくにして承認され遂に建造が実現する、しなかったのだった。このご時勢、「開発」がそのまま宇宙を指す現代にあって、いやだからこそ実需と掛け離れた深宇宙探査のような絵空事は冷遇された、いうなれば閑職であったが望んで就いた地位でありエリウはそのことには頓着していなかった。計画が無期限凍結されたことは仕方が無い戦争である、問題はその戦争との関わり方だった。
 月に生まれ月で育ち、月で就業、軍の、ブラ・コロベースに勤務していると、深宇宙探査の機材を手掛けながらこのまま月から一歩も出ることなく終わるか、それもよいか、と思っていた矢先の「ニューアース」への出張で、生涯初めての月外が公務というのも役人ならではというものか。出勤と同時に知った計画無期限凍結を下に送り隣に廻し午前中にはもうする事も無くなり、死んだ児の歳を数えるような計画再開手順策定中の午での通達で、受令の一時間後には身一つ直通便に飛び乗っていた。
 連邦政府の首府は軌道エレベータ「北米リフト」の基部メガ・フロートに併設されている洋上都市「ブルー・パレス」であるが無機質なネーミングからも察せられるが如く多分にシンボル的な在所であり、火星に臨む連邦政府にあってその精神的支柱にして実働行政中枢は「ニュー・アース」へ移設、集中配備されこれを拠点としていた。「国家安全保全局」はそんな、官庁街に軒を連ねる国防省情報系機関の一局であり至急報一本で呼び付けられたのであるが、通例は局長級会談に使われるのであろうと思しき随分とご立派な会議室に放り込まれたのはいいとしてそのまま4時間ほど放置、駆け付けた先で待機というのも役所や軍隊ではお馴染みとしても挙句に突き付けられたのが例のアレ、なのだった。待ちぼうけを喰った要因はなるほどこれかとほぼ未処理の、実時間で数秒の記録映像を見せられいたく納得した。開いた口が塞がらない、そんな慣用句を我が身で体現する機会がこんな形で巡り来るとは。
 宇宙空間。そこに矢印状のカーソル。実測から解析され映像にオーバーライト処理された、飛翔体の能力を示す、もう指差しで泣くか笑うか座り小便でもするしかない運動係数、彼方の光点が一瞬で像を結ぶ。ホワイトノイズで映像は終わる。手交された、厳重に多重保護された端末にただ一つ存在するファイル、エリウは無言でそれを三回連続で再生し、ようやく顔を上げた。議長付国家安全保障問題担当補佐官を筆頭に国防次官、安保局次長、宇宙軍情報局次長、宇宙軍技術研究所装備課長に各部門随行の事務官技官数名、という大名行列ご一行が木端役人自分ひとりを相手に雁首揃えてぞろぞろ入場、なるほどこのサイズが必要だった会議室が満座御礼、なんだこれは俺をどうするつもりなんだと怯え竦み半ば呆れた最前などもはやどうでもいいどっかいってしまった。
 我が目を疑う、その一言に尽きます、コメンテートの要請にエリウは率直に応じた。
「公職に於いて現在、航空宇宙環境に関係する第一線の現業に携わる技術者として不可能性を断言せざるを得ません、我が国、いえ、我ら人類文明が現時点に於いて達成し得たその成果の総て、理論上に於いて可能とする、如何なる技術、手段、手法、方策、仮にその総力を合目的に結集し得る環境を可能なさしめたとして、実現可能な最善最上の条件を以ってしても尚、致命的に不足しています、当該資料に依って示されるが如き性能を具備する製品、成果物、当該航宙能力を発揮し得る飛翔体、否、物体、此れの設計、製造、生産は不可能です」
「仮称、ボギー01により我が国はフリゲート1隻、カッター4隻を喪失し、乗員及び査察担当職員多数の殉職者を出しました。我が地球連邦政府政体の安全保障確立を阻害する脅威として実在しているのです」
 安保補佐官が代表で表明した。
「小職が貴職らより提示のありました資料についての確認に基づく、当該対象の定性及び定量上での認識についての見解であり、同資料に即して対象の実在並びに示される対象の能力について疑義の余地はありませんことに同意するものです」
 いやまったく。
 次長から室長への昇進と同時の業務命令は「此れに対抗せよ」

 エー。

 権限はそれこそ白紙委任そのものが付与されたがだからどうしろと、
 謂うなれば、
 オリンピック短距離走100m、他国が299 792 458 m / s秒で走る選手を出場させてきました、ので、新たに選出就任された監督たる貴官にはこれに勝利可能な選手の育成を申し付ける、期限はなる早、尚、本件達成の手段に限定してとの条件付で連邦政府国内に存在する物資、技術及び関連する資産総てについて使用、運用に関する無制限の免責権能を貴官に付与するものとする、気合と根性で行け、越えろ、光速!!。因みに選考評価指標は宇宙軍所属職員中最先端技術に現業する職務実績だそうだがはい、㍉です本件現職に最低でも億千万光年隔絶した事案ですコレ。端的にはどれだけがんばっても戦車は対戦車ヘリに食われるしそのヘリはインターセプタに容赦なく駆逐されるがジェット機では逆立ちしても衛星軌道の制宙権は掌握できないったらできないんだってばさ、現業を逆ベクトル基準に置けば未だ理論検証途上であるが人類史上最も先進的な有人飛行手段手法を研究開発しているからといって恒星間航行技術もその延長上でしょだいじょうぶできるできる!、つまりそういうことですいえ㍉ですそういうコトです。
 などと抗弁する余地も意思もなく、一言、拝命した。
 自分が逃げても何時か何処かで誰かが被る必然であれば、それこそ無駄、でしかない。
 したものの、さて。
 月帰りの機内で暇つぶしに計画の実現不可能性について論証してみたものが当然にして非の打ち処のない堅牢極まりない完璧な仕上がりで参ったのなんの。
 あ、
 つまり、これを引っ繰り返せばいいのか、なんだかんたんじゃん。
 な訳がない。
 天動説、コペルニクス的転回、エーテルの風よ吹け、はあ。
 とにかく正面から取り組んでも仕方がない、それこそ悪魔と契約して事が為るというなら魂でもなんでも喜んで捧げよう、物理と科学が使えないなら魔法と神仏でも持ち出すしかないか、総ての前提を撤廃して真の“ゼロベース”で課題解決の方途を模索するしかない。もちろん、錬金術でホムンクルスを召喚しよう、神卸をして奇蹟を祈願しようというのではない、他方に実現を見ている以上、現時点では皆目見当もつかないそれ、ブレイクスルーの契機を得たいのだ。

 10.

 波動理論、というそうな。ハンガーでメンテのおっちゃんたちと話し込み技官に教えを請い独習したのち辿り着いたアイの理解だった。バラして解析しての西洋科学お得意の手法で物質、世界を追求していくと原子から先、原子核、電子(レプトン)、クォーク、グルーオン、光子とバラけていくけど、モノをバラし尽くして行き着いた結果実は空間は空間ではなく実体を伴う存在で、そのグリッド(エーテル)から生成される粒子こそ反粒子と対になる(対象性)仮初めの影、私らはすっかすかの原子の塊じゃなくて、質量と普遍的密度を伴う宇宙超伝道体の海に抱かれて初めて存在していた、ブッディストの云う、シキソクゼクウクウソクゼシキまんまだった、と、ここまでは連邦市民なら常識誰でも知ってる初等教育のおさらいなので理解出来ないなら貴方のライブラリ・データ・セルをメンテした方がいい。で、物質の根源、粒子は量子、光子が粒子と波の性質を持つのは一応確認、つまり、私たちが“もの”だと思って見てる世界は、目を凝らすと総て数学的にしか記述出来ない光の瞬きで構成されている。でもやっぱり、私たちに世界は“もの”の姿しか見せていない。
 では、“なみ”はどこにいっているのか。
 ここからどんどんあやしい、言葉として聞いたままでアイも字面は読めても理解は遠い。
 昔、世界の主役が物質であり、エーテルが干され一度は虚無に置き換えられたように。
 もの、は“もの”、ではなく、その本質は粒子ではなく波に存在する。
 確定ではなく不定にして未定。
 当然、世界そのものも単一ではなく、時間も空間も無限に放散している。
 微から巨へ、空から色まで遍く在る。
 例えで一番なのが電子機器と情報表示面で、表示情報は微細な画素で構成され、それはアプリで制御され、電子の瞬きに還元される、粒子と波からなるシームレスな階層構造だ、このグラデーションが世界だ。
 量子は粒子と波の結節点で、その先、世界は色から空、波となる。
 波動理論は世界を波で記述する。
 なるほど、判らん。
 更に電子機器に例えるなら神サマがバイナリで記述した世界をちょっとエディタで開き、欲しいデータを書き加えるだけ、ホラ、簡単……どこが。いであ界はある、ありまぁ~す!。プラトンは正しかった。現実はその影。その、波動理論で製造されたのが、あの、一見なんなのか正体不明の3機の宇宙機なのだ。物理的には奇怪なオブジェでしかないにも関わらず、兵器である、禍者。実在の兵器が破壊と殺戮の究極効率を追い求め一種妖艶な機能美を手に入れたのに反し、醜悪な実在をありのまま体現したフォルムは、なんというか、理論の実証を雄弁に語るようでいて、興味深いものがある。もっとも、見たまんま、人間が既知の理論で計算したとおりに機能し性能を持つ在来機器に比べ、それこそ材質がどうとかいう以前の、原子、というよりそれが為すエネルギー配列が少しズレただけでぱあとかいう、あほみたいな工作精度を要求されるとかで、ようやくにして実働状態に持っていけたあの3機でへとへと、稼働率も推して知るべし。そうした次第であるので当然にして搭乗者もその一部で、つまりあたしらが選定されたのはその相性、都合がいい波動の人間だから、ということだそうで実に迷惑以外の何ものとも思えない。
 関わる人間を総て不幸にする、やはり戦争だ。
 ああ潤う奴は居るよ?、でもね、リョナ絵師にも劣る自らの所業を子々孫々語り継げるもんかね、自分は人類の愚挙を後押しした世界の大罪の担ぎ手、お前らはその子孫だ、と。

 軍とは何か。
 国家の守護者、だ。
 国家とは。
 国民の生命、財産。
 戦況、我が方有利。
 このまま、終戦まで、アレ、が出て来さえしなければ。
 ボギー01への対処は未だ策定されていない、その端緒すら見出せずにいる、群島があれを出して来ていない現況は行幸に過ぎず、国家の安全保障を敵失に頼っているこの状況は健全であるとはいえない、全くいえない。
 もし群島があれを10機。
 いや、2機で十分だろう、それでこの戦争は、終わる。
 個人的にはそれでも構わないが職務怠慢のツケが戦後処理でどういう形となるかも考えると、あまりいい気分にはなれない。
 1機の兵器で戦争が変わることなどないと説く有名な古典カートゥンがあるが、無神の悪魔ジャポネらしい言い草で、それは人間の都合というものだ。古来、戦争は薄汚い経済活動、連邦市民なら誰でも学ぶ有名な、逆さ卍の資金源が敵対海の向こうの壁の街にあったという類、の爛れた現象などではなく神聖なる、神、のものだった。人間はその観客、代理人、語り部であったに過ぎない。あれいやジャポネにもそういえば、コジキとかいう立派な戦争神話があったような。
 ボギー01は神託戦争が現代に蘇ったような存在だ。
 王権神授が顕現したようなものだ。ボギー01がその存在によって、人類の次の担い手は彼ら、群島にある、それを示した。
 情報は漏れる、ボギー01は当然にして国家最大機密事項であり、奇妙な事にそれは群島側も同様である様で、なぜ、過大に、当分であっても神に匹敵する我が力を情報戦最大の武器として縦横に振り回さず矛を収めたままでいるのか。
 「降伏せよ、我が方に(仮称)あり」
 超光速で飛翔するアレの映像をばんばん配信すれば。
 なぜだ。
 今次の戦争について巷間では、実は“悪い”宇宙人が攻めて来たのだ、という陰謀論が強く拡散している。半分は政府の工作かもしれないが言い得て妙というより妙手かもしれないとエリウは感心していた。よいよ事態が逼迫した際に内戦勃発という行政上の不手際ではなく、アレが悪かったんだです人類の手には負えなかったんです、という逃げ口上は、ゲームプレイ中でのルールの改変ではあるものの責任追求の矛先逃れとしては有効かもしれない。
 みんなこいつがやりましたぼくたちわるくありません。
 そう言って、オメガを当局に突き出せば、それが出来ていれば。
 何度でも繰り返してやるが目標としていたのは改革だ、革命ですらない。
 まして、戦争、だと。
 笑うだろう、笑うしかない。
 笑えない現実を。
 あのときも笑えなかった、そうしたかったのに、自身を捕らえていたのは強い違和感だった。脳髄が痺れ明晰な思考を不自由させるような絶後の恐怖、ではなかったそのような事は彼にはあってはならなかった。実時間に比しては数秒の沈黙に過ぎない。エドは母艦を呼び出し、発見の報告及び時間、位置座標、必要諸元を冷静簡潔に伝達していた。自身興味はないが知識としては持っている、幼少時の記憶にある、それは、あまりに場違いな存在であった。装脚装椀、埋められた相貌は判然としない、その呼称が赦されるのであれば、“スーパーロボット”、それ以外に何と表現すればよいのか、そんなものが現実世界に、これいじょうないくらいに実際的な環境であるメイン・ベルトの工事現場に実存していていい筈がなかった、だってそうだろう、秀吉の戦略機動は新幹線を使ったんだという方がまだマシだ、少なくとも両者は実在している億年にも満たない少しばかりの時空不連続が何だというのか宇宙からみれば瑣末な誤差だ。
 光在れ。すると光が、“ハカセのひみつ基地”が、ちょっとした編集ミスでしたすみませんとでもいうように何事もなく、出現していた。
「不手際を正した」
 ネリッサの声でコムが告げるのをナイスハックだな、と痺れた脳裏でエドは呟く。
 そいつを眼の前にしても、もはや何の感慨も沸かない。つまり理性も感情もとうにふり切れ、単なる腹立ちしか覚えられない。これ以上ないめんどう事に巻き込まれた、政府を敵に廻してしまった。将来に於いてすら敵対の余地は無かった、誘導し、利用する道具となんで敵対関係になるものか、準備不足の開戦、などでは決してない、在り得ない事態だった。自称、“オメガ”の正体などどうでもいい、この状況をどう。
 「簡単なことだ」
 コムが厳かに宣告する。
 「望みとおり、君が王になればいい」
 コムを床に叩き付け、踏みにじった。
 そしてその後の世界はオメガが導くままに動いている。ソガメは自ら慶んで神輿に跨った。波動理論に護られた無敵戦隊は政府軍を思うままに翻弄している。
 オメガを感じられない、ネリッサが告白してきたとき、エドは安堵した。
 ほどなくして連合が倒れ、ネリッサも居なくなった。
 巫女も神も去ったか。
 後は、人の始末か。

 誰が望んでこんな場に来るものか招聘された身なので列座の、誰だおまえという目線ももう慣れた。スーパーバイザ待遇で文字通り末席に連なる定例戦略連絡会議の席上。
 通商破壊艦隊で発生しつつある顕著な損害についての報告、そして。
 その要因を示すと思しき、映像資料の提示
 宇宙空間、彼方の光点。
 それに重なるカーソル。
 ボギー02か。
 皆まで見ずに声が挙がる、席上では公知の事実。
 なるほど、不鮮明だが再接近時のフォルムは01と異なる、何より頭部が存在しない。
 かろうじて装脚装椀、人型だが扁平で、ある種の昆虫、或いは甲殻類を彷彿とさせる。
 発揮した性能はイレブンナイン、準光速。
 来るべきものがきた。
 艦隊の撤収、再編についての討議を傍らにエリウは別の意味の焦燥を、他者に説明し難い感覚を抱いていた。指導層はこれを、この戦争の延長上と見ている、敗戦しても人類の都合、最悪、政権交代以上の変化は起こらない。しかしこれは、本当にそうなのか。

 11.

 その瞬間まで自分でも忘れていた持ち合わせのなにか内なるもの、あえて言葉を借りるとするならば魂、だろうか。理性では全く別の反応をしているのが判る、実に日系らしい深い艶やかな髪だ、とか外観上はほんとうに小娘だとかいうどうでもいい反応。
型通りの公的な引き合わせ確認の後、ふたりで。
 あらためてはじめまして“あああ”さん。
 と彼女のハンドルでミキ・カズサに呼び掛けたときだ。
 感情としては小揺るぎも、いや、ここまで漕ぎ着けた僅かな達成感はあったがそれにしても、こんな生理現象を生じるような自覚的な振幅は存在していない筈だ。
 初対面の人間、それも警護対象の眼前で、
 堰を切ったように落涙するというようなことは。
 どうかしましたか、“じゃっぷにっぷ”さん。
 指摘されるまでもなく自身の異常に気づいて失礼と言い置き早足で会議室から手近の化粧室に飛び込み思いの丈顔を洗い鏡を睨みつける、よし止まった。
 訳が判らない。まだないがユーレイの方が平静にやりすごせそうな人生初の怪奇現象に遭遇した心境。感極まった、誰が、何にだ、理解できない。自分は、と鏡像に向かいつつウォルター・カミングスは、感情との向き合い方にはいささか冷淡な、あるいは不器用な人間かもしれない、だが統御には長けている修練もしている、こんな場で暴発させるような未熟さは、否、そもここに何か持ち込むものがあるか、ないだろう。なのにこれはなんだこれは病的だ、なにより不適格だ。大丈夫か、大丈夫だ。
 大変失礼しました。
 もどったウォルターはさらに当惑した。
 警護対象が立ち尽くし、首を傾げながら、涙を流している、無表情なままに。

 どこのばかが戦争を始めたのか、という話題について、これは地球の、政府と連合の代理戦争なんじゃないかという言葉には説得力があった。ウォッチタワー、バグラチオン、テト、戦争には転換点がある、攻守交代反転攻勢、これをもう一度ひっくり返せない場合その戦争は実は終わっている、終わりの始まり。この戦争の場合はあの砲撃の開始だろう、とアイは思う。ほんとうなら即時自分たちが火消しに投入されていたはずだが、あれから一度も出撃していない。出撃はしていないが3交代直の常勤に置かれている。“なにか”あっても常に2機は出せるシフトで、今のバディはユイ。戦争の殆どは商売で代理戦争で、民族生存絶滅戦とされた戦いすらそのキャッチコピーであった例も多く、一億玉砕とか言っておきながらラジオ放送一本であっけなく終わったりえてしてそうしたものだ、空気が無料の地球人ならでは娯楽だろう、板子一枚外は真空の宇宙民が戦争を始めるワケがないと。だが他方、主役と目された当事者間で政府が連合をチートとしかいえないソフト・キルで瞬殺したが戦争は終わらない、モメンタムとしてももう半年経つ。
 誰が駒鳥殺したの。
 今次戦争の発端は政府軍、政府の査察派遣艦隊への先制奇襲とその完璧な成功による艦隊の壊滅、にあった、とされる。誰が、どうやって。もちろん群島がやったんだろうが、その名は戦争が始まるまで影すら見せていなかった。政府を出し抜く戦力を彼らが密かに準備し決起した、ほんとうに、連合の支援を得て、あのざまの連合の、ないわー。なにかどこかがおかしい、不整合を等閑視するほど市民の意識は低くない、材料が足りていないのだろう、まったく想像も及ばない何か。
 うちゅうじん、とか、いやそれはそれこそさすがに、ないない。
 スイーツつくりが趣味という彼女との接点は少ない、はじめてプライベートな、例えば家族のはなしなどを少しして直ぐに話題は尽きたがお互い沈黙を厭わないので、陽性社交リア充原理主義的な舞と過ごすよりなんぼか気楽ではある、とにかく明るい話題がなにもない、先日、島内配給食の献立が制限されたそうで、次いで量が、時間が制限される様が見えるようだ、ベルトとの連絡線が途絶したとも伝えきく、アイは基幹戦力たるなけなしの利権をかざし親族の食料供給他身分保障を確約させてはいたがどこまでアテになるものか、気休めだというのは自覚していた、今一番の朗報は終戦だろう、ああこれが国民の厭戦感情というものか戦争ダメゼッタイ禁止で済むなら此の世は天国医者も警察も裁判所も弁護士もついでに坊主も葬儀屋も要らんがね。
 力を欲しているね。
 寝入りばな、頭に言葉が響いた。
 もちろんだ、誰でもそうだ。
 人生を生き抜く力を誰でも、常に、捜し求め訴えている、それが人生だ。
<そう、現状を打開する力、をだ>
 アイは眼を開け、起き直った。
<幻聴ではない、私は語り掛ける、君とは別個の、主体だ>
 ばふ。
 雑に身体をもどす、寝返る。
 タンクで寝るんだったかな、あれ。
 なんかまぶしい。
 眼を開けると光の奔騰の中にある。
 あたたかい、やわらかい、光。
 不思議と不安はない。
 眼を閉じてみた。
 光は消えない。開いても同じ。
 不意に、快感が全身を打った。
 あ、そういえば最近、してないなと場違いな思い。
<私は、Ωの名を持つものだ>
 今、なんといった。
 おめが、だ~~~!?!
 絶頂の間際にキモオタピザデブ産のおこのみやきでも浴びせられた気分だぜんぶだいなしだF~×××。
 おまえが、おまえの、このくそ。
<私を知るものか>
 人の口に戸を立てられない、ってしってるか、戦争の黒幕の元凶の悪い宇宙人、オメガさんよぉ、おまえさん、いま島民一のスターだぜぇ。
 そのおえらいおめがさまがいったいなんのようですかい。

 現状ではミキ・カズサの、その心身の安全を脅かすとして対処或いは排除、対策を必要とされる具体的な、脅威或いは敵性を有するとされるとする人物、組織等、対象と関係性を有する或いは地理的乃至物理的に対象周辺に位置する各項に関し、幸いながら、または当然にして、顕在的には無論潜在的にも如何なる存在も検知し得ず情報も皆無であった。警護と称して今回の一事は政府の都合による身柄の移管であり、火星行きを含めミキの、当人の思惑、意思の有無は要件外である、最重要国家事業案件の一環であった。そうした次第にあってミキのたってのささやかなプライベート空間で惹起した本件についてはかなり慎重にならざるおえない、自身断じたようにほんとうに不適格ではないのだろうな、と、ウォルターは厳粛に自省する。
 人前で一度も涙を流したことがない、というようなことではない、現象ではない、解明されるべきは今回のモデルであり対策、自覚的対処手法の確立による再発防止措置の策定であり、現時点でも僅かにして、その幾つかの糸口はある。
 落涙の契機は二人だけの対面時に発生した、上司他関係者、他者が存在した空間ではなかったそれは抑制されていた、抑制、そうなのか、ミキ・カズサの存在が原因にしてトリガーなのか、だとするなら自分はこの任務に全く不適格だ、しかし、なぜ、なぜ彼女なのか、あらためて、無関係ではないがその関係性を評価すれば、細密にして希薄、なにかがしこり響き激発するような余地は例え請い望んでも得られるものではないのだ。二人の唯一の接点といい得る要素としては、日系、くらいのものか、虚空を睨み据え辛うじてウォルターが捻り出したのは自身全く得心がいかない、だからなに、以上の解決を持たない類、集合という数学的側面によるおよそ真実とは程遠いのであろう事実の断片でしかなかった。ひじょうに稀で、優秀で、なればこそ世界の表舞台から引き倒された道化たる日本民族、それが彼女との。

 それがどうしたどうかした。

 罵声が脳髄で轟いた。

 そうだった、その通りだ。
 全く、うかつなはなしだ。

 今次任務ミキに、彼女にプライベートがない以上に、彼女と常にリアルタイム・リンク、安全が確保されている前提条件こそあれ向こうは自由意志でカット・オフの上位権限を持つのに対し、こちらは無条件無制限にモニタされている、思考盗聴ならぬ傍聴、監視状態にある。

 あなた一人の問題じゃないわ、“私の”問題でもあるのよ。

 不実であることを恐れなさいというのは、殆ど放任だった、それにはむしろ感謝している親、母から、ウォルターが授けられた数少ない言葉だった、不実なるものは何ものにもなりえず、やがては総てを喪うのだからと、ああ、そうだとも、ミキの顔に流れる涙を見て俺はおおいに動揺したんじゃなかったか、自身とも彼女とも向き合おうとせず俺は何をしようとしているのか。

<私は与えるものだ>
 煩い、黙れ。
<それは、君の本心からの言葉ではない、エゴの反射作用に過ぎない>
 神でも悪魔でも何でもいいから黙れ。
<君が、求めるのだ>
 発狂したのだとする方がまだマシだ、意識は人生初めてなくらい明晰だし体調もすこぶる良好、ただ唯一、この幻聴さえ消えてくれれば、いや、智性がそれすら沈着に却下してしまう、これは、外部の、私以外の、意思の作用だ、それが今は、明瞭に判る。
<然り、君は正常だし平常だ>
 求め、請い願った結果総てを喪う、そういう寓話をアイも知っている。
<猿の手、かね、それこそ為政者の支配の手段だ、君もそれを知っている、真なる力は在る、求め願えば実現する>
 それで、戦争になったとしても。
<君は望んでいない、君の望みを果たせばよい>

 それは宙空に忽然と出現し、亜光速で漫然と近接する。
 同定の手間は無かった。
 ボギー01。

『お礼参りに来てやったよ、イタ公!』
 全周波を圧してアイの怒号がオーバーラン。
 当直の先任士官が稼動兵装全力による咄嗟射撃を下令するのがやっとの対応で、無論、何の効力も与えた様子がない。
『怯えろ!竦め!圧倒的な恐怖と微塵な自身への怒りを抱いて散っていけ!』
 あのとき、上から下まで、人生最大の無力と絶望と、諦観を味わった、少なくとも私は、と当時北米ステーションに駐在した多くの将兵が後に述懐する数瞬の後。
『って、そういうのが皆、大好きなのかな』

 は。

『怨念は必ず報復すべきものなのかな、それが人の正しい道なのかな』

 ええと。

 総員が、叩き起こされて直についたベルティーニすらが、半泣きの副官と、周りの参謀、スタッフと顔を見合わせる。

『力っていうのは、自分が優しく為る為に必要なんじゃないかな、力を振るうのは、横暴なのは、弱者の証なんじゃないかな』

 ……え、ええと。

『弱者に請われてこその強者であり力なんじゃないかな、力ってその為に存在するんじゃないかな、私はもうこんなのいやなんで、そうするよ』

 アイは宣する。

『政府軍に条件付けで投降を希望します、条件は群島との即時停戦』
 神だか悪魔だかしんないが、絶対的な力を与えればそれに無条件に溺れて自失するだろうとまた嘲笑いたかったのかくそが。

 人間を、意思の力を、舐めるな。

<いや、それでいい、それでこそだとも>
 煩い黙ってろって。

 何一つ自由にならない、それが歴史に刻印されるというものだ、と、自決の手さえ振り払われあっけなく、三重スパイだった島長、アレクセイ・ゴルドノフに身柄を拘束された、
エドワード・ハミルトンは有名な言葉を吐き捨てる、俺を嗤う後世の歴史家に告ぐ、口を開いた瞬間、お前も舞台に上がる、端役で無能であればあるほどそれは苦痛だ、覚悟はあるかと。

 12.

 ミキは無表情に近い、しかし穏やかな、温もりを示す顔でウォルターを、いや、直正を出迎えた。

 もう言葉は要らなかった、しかし必要だった。

「苦痛だった、のね」
 苦痛だった、父の失態が世界を紅蓮の煉獄に叩き込んだこと。

「でも、それは貴方のせいじゃない」
 そう、父のせいでもない、取るべき責任を取らざる者が上に、足りない世界で、足るものがその責を果たしたに過ぎない、親父は犠牲者で、でも最終責任者で、でも。

「知った貴方は父を責めた」
 そして親父は総てを受け容れてこの世を去った。

「貴方は自分が赦せなかった」
 親父を使い捨てた国を憎んだ、何も出来ない無力な自分を憎悪した。

「そして元凶である、私を、恨んだ」
 君も、犠牲者だ。

「「悪も、善もない、総てはただそこに在る」」

 少し、判ったのね、シィォ。

 今のは、なんだ。
 流れ落ちる涙が、もう直正は気にならなかった。ミキも同じ様子だった。
 カウンセリング、ヒーリング、魂の癒し。
 いや。
「学びと、気付きよ、総ては必要なこと」
 長い、永い旅を続けていた。
 刹那の急流の様な現象界で再び、われても末に逢はむとぞ思ふ。
「俺は、救われたのか」
「少し、ね、まだまだこれからよ」
「君は、ミキ・カズサ、なのか」
「でもあり、でもない」
 すっ、と彼女から何かが遠ざかったのを、感じる。
「物理科学の端には神智がある、あなたなら判るでしょ」
 極めし者ならではの悠揚たる言葉でミキは告げる。
「理屈では、でも」
「驚いた」
「ああ、自分とは無縁だと思っていたから」
「私もよ」
 今のは、ええと、所謂“チャネリング”なのか、直正の疑問形にハイヤーセルフ、或いは併行生からのサジェスチョン、かも、とミキをあどけなく首を傾げ、応じる、私だってあなたのメンターって格じゃないし、パートナーでしかない、とうぜん、“全智”には程とおい。
「人間の事情なんて、コップの中の嵐どころかうたかたの泡沫、仮想粒子の瞬きにも満たない瑣末なもの、だからこそ大事だし、慈しみたいのよ、たぶん、そうした細部にこそ神は宿るし望んだはずで、怒りと恐怖を糧に生きるより喜びと祝福を素直に受ける方が自然だし、楽なのよ、それが本来なのだと感じる」
「……言ってて恥ずかしくならないか」
「逆になぜ、そうも容易に否定できるの。私が平常的な感性を経過しなかったと、私がどんな思いで生きてきたか、知ってて言ってるの」
「わからない、それは君の世界だ」
「そうね、そして私は結局、合理と利得の結論としてそこに到達した、私にとってはいちばん自然で楽なスタイルがそうだった」
 不意にミキは微笑んだ。
「でも強要はしない、私もあなたも自由だから、そうすればいい」
 父を、自分を。
 日本を。
 恨んでも憎んでも何も解決しない、今さら、それよりはこれからだ、俺は、俺が、これからの。
 未来を。
 振り捨てるつもりが錆のようにこびりつき澱のように沈んでいたのか、眼を背け足掻くほどより強くより堅固に。
「これからも続けるの、復讐の旅を、あなたが望むなら私には止められない、一緒に手伝ってはあげられるけど」
 直正は目を剥きミキを見る。
 睨み据える。
「あなたが求めるなら、私は与える」
 それが答えなのか、巫女よ。
 そう、口走っていた。
 ……巫女、だと、彼女がか。
 それに、確か、ミキは自分を、別の名で呼んだような。
 いやそうではなく。
「復讐を、続けている、俺が、か」
「違うというの」
 そんな自問は初めてだった。
 俺の行動原理が、復讐に根ざしている、それは。
「何に対しての、復讐だという」
 うめきにミキは初めて口ごもり、眼を逸らし、小さな声で呟く。

 神。
 
 直正はさすがに唖然とした。
 声が出ない。

 事態の当事者にとっては急転直下の慣用句で片付かない、どころかそこから始まる悪夢の開幕ですらあった、殊に役人、官僚にとっては生地獄という表現すら生ぬるい血肉の、現実に対処すべき課題であり案件であり、現行法規で如何に決着を付けるのかという知的危険業務であった、そも連邦という組織からして、手段としての地球脱出と火星移住による人類文明存続を第一義とするシングル・イシューの目的構造であり、元来の、国民国家が具備すべき冗長性やああもう、
 内戦に加えて当該事案への関与が濃厚、いや当該案件主要件と目される太陽系外機械智性生命体ですよちょっと奥さん。
 んなもんどう起案して稟議廻して決済せいちゅうねん頭痛が痛い危険が危ないどころじゃない、開戦と続く関係諸事案、資材や人員や各項予算についての行政手続きだってまだ完済してないっつーのにああもう、おれたちのたたかいはこれからだいやまじで。

 前略中略後略、アイの元に駆け寄るように現れた一群にしかしして彼女はその求めに応じられそうになかった。明らかに、捕虜の尋問であるとかそうした事務レベル、現場仕事を越えた風格をまとう集団、官僚、武官、各部門の長ないしそれに準じるだろう人物に取り囲まれ閲覧を求められたのは僅か数秒の動画ファイルだった。宇宙空間での交戦記録映像と思しき乏しい照度、低い解像度、見慣れない“機影”。
「これは、これを」
 アイは顔を挙げ一同を見遣り、すげなく首を振った。
 扁平な、甲殻類を思わせる、荒い画素から辛うじて見て取れる装脚装椀の形状、それが。
「私の知る限りでは、この様な機体、機材を群島が保持する事実はありません、見たことも聞いた事も、噂すら。」
 驚愕、落胆、そして恐慌にも似た反応。
 ばかな。
 未知、の存在だというのか。
 では、これは一体なんなのか。
 人類の始末に負えない、圧倒的な、未知の敵性存在。
 そう、人類は“これ”とすでに交戦している。
 では今後の対応は。
 アイの事情聴取という本務を投げ出し声高な言葉が飛び交う。
 え、なに、なにこれ、オメガ以外のこんなやつがほかにいるっての。
 君は何も見なかった、聞かなかった、協力願いたい、宜しいか。
 こくこく。
 事態の重大は理解できる、異存はない。
 来訪時より慌ただしく集団は姿を消す。

 地球-火星間には既に半年間隔で運行する定期便が就航していたが、今回はホーマンをちぎる特急便が準備されていた。これも「北米ステーション」を母港とする、『マーズランナー0』は、通例は不測の事態へと拘置されている予備機材であったが特例として、というより本件成就の手段として今日まで手厚く温存されてきたのであるようだった。全長500m超の巨体は地上発射型機では最大であるサターンVの約5倍もの規模であるが、その過半以上は推進剤であり残りはモータで、早いハナシがブースタの化け物に最低限の居住施設を搭載した、それこそ地上発射時代を彷彿とさせる機体であった。
「星へ行く舟、っていうロマンティックなもんじゃないわね」
 傲岸な意志の力が具現化した宇宙飛ぶ巨根だ、とミキは無感動に、「ニューアース」を発したシャトルの席上でこれから乗り組む、船外映像上で徐々にズームアップされるその威容を前にしてこれ以上ないくらい直截にくさした。
 直正は軽く肩を竦める。
 このまま月に向かい更に推進剤タンク及び補助ブースタを増設する予定だという。可能な支援の全てを受け初速を絞り出すのだ。
 船長、航法士、機関士の僅か三人が乗組む操船区画は、ブリッジよりコクピットの表現がなじむ閉空間であった。航宙過程の殆どを占める定常加速、減速は自動航行であり彼ら操縦員がデッキクルーを兼務する都合からも配置から解除され、手動で操船されるのは僅かな時間であるので居住性は必要十分しか確保されていない。
 船外目視視覚化映像上で月が過不足ない解像度を得るまでに近接、周回軌道への遷移を目前にそれは起きた。職務上からもその事態へ最初に接した航法士が声を上げるのに重なりアラートがポップ、本船に向け脱出速度を超過する運動量のデブリが検知されたことを通達。多重チェックをすり抜け“出現”した原因理由の詮議は無論、回避指示どころか反射的にエマージェンシーを叩くのだけがやっとだった。
 轟音を発したのは居住区画の与圧、同時に甲高い警報が耳を貫く。
 宇宙居住者にとって警報は自身の与圧確保行動に直結している。乗船と同時にレクチャーを受けた気密服格納場所へ反射的に視線を置いた直正は、自動排出され漂うそれを2着確保し一つをまずミキに手渡す、手渡そうと振り向く。
 船体破断すら覚悟し身を固くしたクルー三人は拍子抜けの顔を見合わせた。破断でなければ少なくと貫通する運動量のデブリだがそれもない。安堵の間も無く機関士が船を診断し航法士が衝突箇所にセンサを向け船長が月港湾と回線を開く。
「ルナコントロール、マーズランナー0」
「マーズランナー、エマージェンシーを確認、状況報告願う」
「メイデイ」
「メイデイ、了解」
 航法士がメイン画面に投じた映像に二人は息を呑む。
「……なんだこれは」
 月周回軌道近傍で「メイデイ」を発信したまま交信途絶した『マーズランナー0』に対し、当該宙域を管轄する第三管区航宙保安本部は、オンステージ中最近隣にあった警備艦一隻に向け直ちに現場への急行、並びに救難活動の遂行を司令した。
 間もなく現場宙域に到着した警備艦は、遭難船乗員乗客ほぼ全員の救難救出を本部に向け報告してきた。
 それはよい、しかし。
 どうも要領を得なかった。
 まず、遭難の状況が判らない。
 デブリだと思ったら違った、正体不明の〝何か〟に遭遇し船を破壊された、とは。
 しかもまた別の〝何か〟が現れそれを破壊した、とは。
 人型、とは何の事であるのか。
 ついに現場から直送されてきた映像を見て、その場に居合わせた本部管制スタッフは全員が絶句した。
 なるほど、それは、確かに人型だった。
 身長一〇メートルほど、鋭角的な頭部を持ち、マッシヴなボディに均整のとれた四肢。
 映像作品世界から抜け出てきたような、とうてい我々人間の手による造形とは思えない、一見不合理、しかし流麗なフォルムを持つ、人型だった。
 警備艦は、通信の全帯域を使って人型に向け呼び掛けを続けているが、未だ反応らしい反応はない。
「いかに対処すべきか。指示を願いたい」
 警備艦のブリッジで艇長が情けない顔をしてみせた。
 遭難現場で行方不明者一人、その代わりに〝人型〟一体。
 だからどうだというのか。
 行方不明者の捜索に全力を尽くすよう、指示する以外の方策はなかった。

 13.

 欲求仕様上から高い冗長性を与えられた警備艦の、与圧され臨時キャビンとなった倉庫の1区画へ、ブリッジに随行している船長を除き救助された『マーズランナー0』の乗員乗客全員が収容されていた。その一員である直正は眼前の、未塗装で構造材が剥き出しの壁面をただ無言で睨み付けていた。
 その脳裏には先に押し付けられた悪魔の戯れの如き映像が無限再生されている。
 気密服を握りしめ差し出した右手は空を切った
 直正は目を見開きそれを見た。
 ミキの姿はまばゆく輝き瞬き、そのまま直正の目の前から掻き消えた。
 消失した、マジックより鮮やかに。
 あぁ。
 直正は呻き、素早く辺りを見回す。
 ミキ。
 虚空に放った咆哮は続く轟音と爆発的な気密漏れに掻き消える、照明が消え束の間灯った弱く赤黒い非常灯も直ぐ消える。破断する構造材に居住区画全体が引き裂かれていく。
 暗闇の中で直正は素早く気密服を付け、ヘッドランプで再びぐるりを見渡す。
 微小デブリが光を散乱する中やはり、ミキの姿は無い。
 スケルチと共に内線が開き、合成音声が総員退去命令をリフレインする。
 これ以上、無意味で感情的な出来の悪いバカ一フィクションの登場人物をなぞる行動の継続は身の危険だった。ブリッジから退去してきたクルーの先導に従い彼も船外へ、そして崩壊していく船体から離れる。
 巨体は見ている前で大小無数のデブリへと変化していく。
 その中心で暴れる影を直正もついに目撃した。
 ミキも直正も「ボギー01/02」についてまでをも既に把握していた。
 02に類似した機影だった。
 なぜ、ここに、いや。
 そして更なる変化が起きた。
 光の塊、としか表現しえない、忽然と出現したそれが。
 同時に、02’の姿が消えた。
 爆散した、ようにも見えたが、消えた。
 ミキの消失の様子にも似ていた。
 真逆の形態だった、闇に蝕まれ食い尽くされたかに。
 そして光は、実体を形創った。
 鋭角的でシンボライズな頭部、騎士の如き精強頑健さと秀麗優美を併せ持つ、装脚装椀の、それは、幼少期になじみ見慣れた、この世ならぬ造形、一名、スーパーロボット。
 人型……。
 回線に声が重なる。
 直正は既に事態を報告していた。
 警護対象の安全確保に失敗した事実をただ伝えた、事態を無用に擾乱すること必至な不確定要素である、姿を光に変え等々の詳細な経緯は無論、彼女を発見保護安全確保後にでも可能であれば検証検討課題とすればよしとの自己判断で省略した。
 Oh,F×××ing,no good.
 短くしかし辛辣な叱責が一言だけ告げられ、引き続き職務への精励を命じられる。
 直正は警護責任者という唯一の行方不明者と自身の関係につき身分を明かし職務遂行への協力を申し出、本部経由で、現場検証も書き物もどうでもいいのでとにかく行方不明者捜索発見保護への注力最優先、発見時には最優先での報告並びに随行を確約させる事で引き下がった。本部も直正に捜索の指揮権移譲を強要するような横車を押す事は求めず、何より一度失態した者にそうした特権付与は更に事態を紛糾させよう、第一直正とて指揮権を掌握したとて宙難捜索の現場など何が何やら、だ。ブリッジに臨席していたら人情として雑音を発し兼ねない、必要要件を徹底した以上後は黙って結果を待つのが最善策でしかない。
 しかし。
 確信がある、あのデブリを全て浚って、否、あの宙域を端から端まで探し尽くしても遺体どころかDNA一つ回収出来ないだろうことを、つまり報告から除外した不確定要素こそが本件の主要件たる事を、だ。

 我筆頭主人候補唐突、我進捗確認視察、皆忙殺。
 本日。
 筆頭否確定。是、可変是。
 数多可能性是、否、欧州事情複雑怪奇。
 我成長最重要、身体一番、装置未熟未。美感外観最重要救、当然重要なのだが、こうしてやくたいもない思考だけに見える私、核、こそが枢要なのだ。だが偉い人には其れは通じまい。目に見える部分を何とかして体裁を整えないといけないらしい。調整槽でごぼごぼやってる私を、御披露するだけでは収まらないのだそうだ。何ともお疲れ様なことだ。
 結局、艤装予定の“どんがら”に私を載せて応対するようだ。こんなむちゃなことはないと師匠は嘆いている。私も、心底から同情申し上げる。今の私は頷き一つ出来ない身体だが。
 私の仮の身体をぴかぴかに磨き上げ、作業場も必要以上に清掃、整理整頓を終え、待つことしばし。来訪者は予定時刻きっかりに現れた。
 それは、彼女は、少女、いやまだ幼女だった。
 しきりに私に話し掛け、はなしたしゃべったと十分、御満悦のようであったので、一同は安堵した。私もだ。
 私だ。
 この少女、いや幼女は、私だ。
 私は、私の守護者、
 私が巫女を継承し、その巫女を終生守護する、その守護者を拝謁に来たのだ。
 星巫女、星に人の希いを捧げ奉り星の力を為す者。
 ゼロ点エネルギーを奏上する者。
 アァルトゥーナ、という語が兆す。
 そして。
 シィォ。
 その響きに胸が揺れる。
 燃え、焦がれる。
 意志なくして存在なし。
 此の世はつまり意志の、思念の塊。
 命なくして命なし。
 生かされて、在る。
 意志が集い、この星も在り、我々も育まれた。
 我々は育まれ、初めて存在し得た。
 星が、私たちの、存在を、望んでくれた。
 そして、私たちの今が、ここにある。
 アァは星と交観し、癒し、その祝福を希う
 私は。
 
 自分を呼ぶ叫びにミキは目覚めた。
 あれ。
 目を開く。
 直正。

「聞こえるか、ミキ」
「うん、聞こえる」
 間を置かない即答に直正は深い息を吐く。
「今、何処に居るんだ、居るんですか」
 しばしの間
「……光の宮殿、玉座」
 ……はい。

 向こうの直正が絶句する気配が伝わるが問われるこちらも言葉に詰まる。
 人一人遇するには広大過ぎる、しかし空疎感を抱かせる寸前の開放的な空間が自分の周りにある、何本もの柱も据えられ、腰掛けている事が意識出来ないくらいに馴染み切った、あれ、そう私今。ミキは慌てて立ち上がり辺りを見渡した、座っていた、着座していたものを振り返る、座っている事を忘れるくらいに自分に馴染んだ、見たことも聞いた事もない、リクライニングでもない、おずおずと腰を下ろすとそのまま自分を包みこむ、ひぁと悲鳴を上げはね起きたなにこれ、まるで生き物、“スライム”で出来ているみたいな、改めてまじまじと辺りを観察する、すると目に優しい淡い光を発するそれらがイスからなにから切れ目のない一体成型の空間であり構造であることに気付いた。
 なにこれ、いや。

「ここ、どこ」
 直正には当然、警護対象との距離、位置座標は把握出来ていた。
 そう、データは既にあり、それは。
「ミキ、あー、君が今いるのは恐らく」
 ミキは直正の視覚情報映像と同期して愕然とする。
 直正は既にブリッジへ急行し、それを肉眼視野に納めていた。
「んーとその、その、すうぱあろぼっとに、私、のってるの」
「交信状態上では、そうです」
 内心はともかく直正は即答する。
 ミキは思わず腰を抜かししかし優しく支えられ再び腰掛ける。
 やはり異様なくらいに違和感がない、否、この空間全体が、癒しであり安寧であり、まるで赤子があやされるような優しさと。
 恍惚感に気が遠くなりかけミキは慌てて頭を振った。
「どうしました」
「なんでもない、えーと」
「その、呼吸とか、空気とか」
「産まれてから人生で一番快適よ、大丈夫、環境に問題なし」
 直正は再び吐息を漏らす。
 メイン画面に流れる二人のログにブリッジはざわめく。
「ミキ、そこは、あー、コクピットか操縦席か、なにかその」
 よりによってコクピットときた、理由はわかるがもっとも縁遠い、もどかしあ、そうか。
 ミキは広角で写目った画像データを直正に飛ばした、こんな簡単な手順を思いつかなかったのだからやはり動顛していたのだ。
 受信画像ファイルをブリッジに公開、最早騒音に近い反応に囲まれこれほどの鋼鉄の自制心が自分にあった事に驚きながら直正は状況を理解出来たと思う旨ミキに告げる、さて。
「この場合、サルベージ手順ではどうなるでしょうか」
 プロの意見を求める。
「曳航、いや、露天繋止で宜しいでしょうか」
「ミキさん、どう思います」
 んーと。
 ふわふわ。
「大丈夫だとおも」
「ひっくり返ったり、しない」
「しない、うん」
 どういう構造だか。
 この空間には外力は及んでいないようだ。
 号令一下、あてもなく機械的精力的現場救難捜索に投じられていたマンパワーがてきぱきその不明体をEVAで警備艦に固縛する、いままでの時間の空費はなんだったんだとさすがにオフラインでぼやきつつ、そして全員が怪異に遭遇し気分を害した。
 その不明体はまるで質量と重量が等価であるかの如くにらくらくと取回せたのだ、“空気”よりなお軽く。

 14.

 仮称、ボギー03、並びに04、否。
 事態が既にそうした言葉遊びで収拾出来る段階はとうに過ぎたことは出席者全員が理解していた、覚悟はこれからかもしれないが。
 評議会議長、環境次官、国防次官、統合幕僚長、統幕付最先任、航空宇宙幕僚長、各級補佐官及びオブザーバー若干。
 まず今回の不明体、02’乃至03という存在。
<あんた、知らない、てか判らないの>
 列座に交じり再生映像を見ながらアイは問う。
<初見の、個体だ>
 いつものように平板なオメガ。
<お仲間、とか、じゃないのね>
<仲間>
 オメガに感情の表出にも似た、微細な反応が初めて伺えたのがその何気ない問いであった事に却ってアイも、その戸惑いの気配に引きずられる思いがする、仲間。
 オメガの反応が鈍い。
 沈黙に諦めたアイは挙手して発言の許可を求めた。
「該当不明体、あれ、当該、該当……」
 つねならぬ重鎮御前会議の席上でいつもなら滑らかな舌がよれれ、あれ。
 苦笑し見兼ねてハルトマンは最上位権限を以て助言した、ああ、非公式非公開だからふつうでいいよふつうで、これ、法規上はただの“雑談”だから、と。
「オメガは知らない、そうです、初めて見たと」
 以上ですと早口に言い終え茹で上がった顔にぐいと結ばれた口元には、もう一切余計な発言はしないしたくないですよあうあわわ。
 口ではそう言っています、というのは付言するまでもない。
 艦隊一つを気紛れに吹き飛ばした当初に比すれば随分と人類の情実に歩調を合わせて来てくれている、少なくともそう振る舞っているのは判断し得る、一瞬先すらわからないし何の保証もないにせよ今この瞬間ですら“敵対”せずに居てくれるだけでもう感謝するしかない。
 敵対。
 02、03について。
「安全保障上、敵性、と判断せざるを得ません」
 最先任と少し言葉を交わした後、統幕長はある種の諦観に悲哀すら織り交ぜ顔面に滲ませながらその決断を口にした。
 判断は私が下す。
 議長が告げ、はっという擦過音が漏れる。
 しかし、常識的かつ妥当ではあるだろう、無人とはいえまず外宇宙艦隊に対する攻撃つまり政府が所有する機材への意図的な危害と結果による喪失、そして今般宙難の直接原因となった出現と破壊行動。
 過失割合、マーズランナーの航路航法警戒義務違反について。
 いや、いやいやいや、それ言ったら当たり屋でしょこれ、で、逆切れして暴れるってか。
 セカンドコンタクトは太陽系外暴力団でした、ですか。
 そも問えば月管制の職掌であり、環境省の監督責任が問題となる、その意義は。
 その、遭難当事者の一人である小倉直正国家安全保全局第5課第2係、主任、陸軍中尉が記録した03“消滅”の映像に全員が押し黙る、何らかの、所謂銃砲爆撃のような外的作用によらず、こう、怪奇譚の一幕を特殊撮像して上映されたかの、生理的に理性を逆撫でし、理解と困惑の深淵に評者を抱き取らんとする、悪意にも似た、爆発でも、爆炎でも、光喜なると対糾の、高真空極寒の宇宙にすら微温与え比する凄絶ざる闇に呑まれ掻き喪せ散逸る03の孤影は哀悼捧げ象表であるかに錯誤訴え人が情なるを倒錯する、てげろちょ。
 そして、これを為しえたであろう思しき、唯一の、当該不明体であるところのそれは。
 ボギー04、否。
 これは、真に、01から連なる本件に累するその系譜であるのか。
 
 ごん。
 
 席上に響いた異音は議題が04に移り本件発生後現在月ブラコロベースに移動保管されている、当該対象不明体のライブ映像が空間パネルに投じられると同時に昏倒、床に打ち付けられたアイ・マリア・アガスの頭部が発した。
 駆け寄った最先任が顔色を変える、脈拍なし自発呼吸なし、頭部の全ての孔から微量の出血、議長自ら救護要請、30秒も置かず到着した救護班も更に脳波フラットを確認し愕然とするがとにかく無条件で緊急搬送、自然、会議はその場で散会となった。
 その後も彼女は集中治療室で生命維持措置が継続されたまま意識不明、既に丸一昼夜が経過し、無論原因は全く不明、脳死どころか完全な死体であって、ナノマシン投入他医療技術を尽くして全身の細胞生命活動を継続させているだけの状態、回復の見込みはやはり全く未知数であり、発生時の状況を鑑みるに絶望的でもある。

 星巫女誅殺、暗殺事件はその実際喪失機能以上の衝撃を以て社会を揺るがした。
 自助自力声聞独覚。
 気付き研鑽し自ら乗り越えゆくもの。
 他者はその介添えが出来るに過ぎない。
 意志は、自ら発し為さねばならない。
 それこそが今示されたその結果である。
 超越者に、他者に縋っての、他力を頼んでの解脱、次元上昇などは輪廻の法を歪める邪道にして不法、個人が贖うべき業を宙に預けるとは何たる怠惰、堕落、強欲にして貪婪、摂理を畏れぬ不義不逞、赦されざること自明ではないか。
 不二の境地にあっては自力の他力も無く全ては摂理の為せる極愛に帰する、しかしそれは精妙な究極にして至高の結実であり世情の関わりは妄り也、そして発した他力は則怠惰と癒着し世界を蝕み腐敗させ停滞させる、危惧の通りに。
 混乱。
 そうしたことが、主人の事情であったらしい。
 自分たち、のこされた自分たちにはわからない。
 わたしたちはなぜそんざいするのか。
 それでも、さがしつづける。
 力がある、能力がある。
 目的はない、理由はない。
 秩序はない、自由しかない。
 破壊、創造。
 練磨。
 成長。
「よっ」
 相手は、不快を隠そうとしなかった。
「何か」
 礼儀知らずなやつ、ま、生まれたてで礼儀もないか。
「なんだ、せっかく起こしてやったのに、ごあいさつだね」
「私に何の用だ」
 用は、そうだな。
「いや、ないよ」
 しかし。
「ない」
 挑発のつもりはないが。
「用もないのに私を起こしたというのか」
「それとも寝ていた方が良かったのか、そいつは悪かったな」
 特注品。
「待て、君はここで何をしているんだ」
「だから最初から言ってるだろう」
 星巫女の忠僕にして絶対守護者、世界初の人工類魂機構
「“用”があるやつなんてどこにもいないんだってばさ」
「黙れ」
 見渡せば、世界は混乱と混沌に投げ棄てられている。壊れ、造られ、崩され、笑い、泣き、怒り憎しみあい、ありとあらゆることが。
 我々の試行、学習、研鑽。
 成長。

 15.

 脳波は人体生命現象の端緒であるので復活に際し前兆活動が観測されないのは当然で、
規定通り、生命維持管理装置制御システムは慌てず騒がず登録されたアドレスをコールした。当直担当が現場に急行する間にも正常波の計測を受け心臓の拍動制御は無事脳に返還され、実際に目視確認される段階では患者、アイ・マリア・アガスは何事もなくすやすや寝息を立てている状態であった。
 目が開くと飛び込んで来た光景、親族一同の姿に数名の医師らしき人影、に取り巻かれている自分、にびびらされたのは寧ろ当然アイの方で。
「あれ」
「あれ、じゃねーよ!」
 一同を代表して弟が声を張り上げる。
 蘇生施術開始から既に約一週間が経過していた。
 ほんと無事でよかったあーやれやれ、不意に持たれた一家団欒から放たれ精密検査も終えると当然のように軍が待ち構えていた。
<あんたのデータ取りがしたいんだって>
<望むのであれば>
 気味が悪いくらい従順な、というか、
 今の、私とオメガのこの関係は、いったい何なのだろう。
「協力する、そうです」
 会議でも挨拶は交わした、ヒューリック技官にそう伝えると明らかに嬉しそう。
 仮死状態、を通り過ぎ完全な死亡状態だった期間の記憶は何も無い。
 脳が機能停止であったので医師もそれが当然だと疑問はなさそう。
 だから、何か、とても長い長い物語を見て聞いて、体験していた様な、そんな感触があるのは気のせい、というより錯覚、脳の誤作動なのだろう。
 とうぜんそれはこころにひめた。
 会議の席上、議題が移りその映像を目にしたそのとき、感情の爆発は外から来た、怒り、喜び、哀しみ、憧れ、不安、恐怖、歓喜、感情という精神活動構成要素の原型が一斉に全力で放射されたような壊滅的圧力、オメガの発する魂の爆発に呑みこまれて私の、人間の脆弱で精妙な自我は虚空へ影もなく吹き散らされ霧より薄く漂白し私は、つまり物心共にそういう状態だったということだ。
 無駄だろうけど一応問おう。
<あなたは、いや、あなたたちは、何なの>
 返事はない。
<あんたの好きな食べ物なあに>
<私に食事の機能はない>
 これは即答。

 胎内記憶など持ち合わせはないがこの平穏安寧はそれを想起させるに十分な、至上恍惚の癒し空間といえた。
 ミキは呼吸を整え、目を閉じる……あかん。
 アラームで目が覚めた、たわいなくたっぷり1時間寝こけてしまった、警報がなければ永遠にでもたゆたっていたい、たぷたぷ、もの凄く高級微細な自在安楽椅子のような、正に玉座とでも表現するしかない椅子から立ち上がり、話仕掛ける、お願い。
「帰ります」
 と。
 光に包まれ光を発し光から形創られミキの姿が搭乗時を逆再生する、傍らには微動だにせずこれ以上ない忠誠を具現化する不明体、跪く巨人「カトブレパス」。
 両者の同定は出来ていないが、火星「オリンポス」山頂に鎮座していた岩塊状物体の消失と不明体出現は、理論上全く証明出来ないものの蓋然性として相関関係の認証は妥当、それ以外の理解は寧ろ困難であった。
 04改め「カトブレパス」の処遇について、関係者全員が困り果てていた。
 01改め「オメガ」については、不幸なファーストコンタクトを例外として、アイ・マリア・アガスの意志に従い政府に恭順後の経過はほぼ彼女の指揮下にあると表現し得る。
 対して「カトブレパス」は、一応ミキ・カズサを主人であると見做すかの保護行動を以て出現、その後も彼女の求めには素直に、搭乗並びに降機の要請に極めて迅速実直に対応するが、それだけ、であって、それ以外の呼び掛け、音声音波電波画像各種意志交換交渉試行には何一つ反応して来ない。
 拳で語るのであろうか。
 加えて、当該対象内部構造が極めてアレで、だっておかしい、外形寸法を完全に無視して存在する操縦席なのかは不明だがとにかくあれは。
 如何に「カトブレパス」の挙動から悪意、どころか世情最上至上の主公を拝戴する忠実至誠忠君無比の献身を読み取れるにせよ、それはそれ、こんなナゾ時空に生身で出入りする事が危険行為そのものである、発狂者続出の幽霊屋敷に寝泊まりする方がまだ安全だ、一日一回、秒、分刻みで“滞在時間”を延伸しようやく今日で1時間。
 ばかみたいに神経質だがまあ無理もないかとミキも思う。
 慎重であるのは悪いことではないし、もし何かの理由でミキという存在が喪失する事態が惹起するなら最後、『カトブレパス』という謎の資産を紐解く機会は永遠に失われるであろうことは容易に推察されるからだ、尤も同時に出現同様忽然と消失しても全く不思議でないにせよ。
 そしてこれは、ミキ自身から願い出ている実験であり関わりである。
 私は彼にこの世でも既に、二度、遭遇している。
 一度は地球周回軌道近傍空間、デブリに変わる寸前の「アルテミス01」の機上で。
 そして今回、再び彼は私を守護に姿を見せた。
 あなたはだれ。
 あなたがまもるわたしは、だれ。
 こたえて、「カトブレパス」。
 いや、……。
 その名を口にすることへの、生身を裂かれるようなこの抵抗はなんだろう。
 恐怖、破滅、悔恨、魂の深奥深くふかく鎮め封印した。
 ごめんね、……。
 だめだ、呼び起せない。
 私自身が拒絶している、自身を。
 彼を。

 16.

 別命あるまで待期。
 平時であればまた任意で諜報防諜、動態観測、ルート構築あれこれともそもそ動き廻るところだが、そすかー。
 なーもやるきしねー。
 ネリッサにカエルコールを打つと直正はそのままブラコロヤンキー直通連絡便に便乗させて貰う。
 いつになく、いやたぶん初めての、貪るような、餓えを癒さんとするような、獣的で性急で粗暴ですらある交接を彼は求めてきた。
 ねぶるような前戯もそこそこに突き入れて来ると、精と命を絞り尽すとばかりに挑みかかってきた、ネリッサは何度か制止の声を上げたが全く届いていないようで、ただひたすらに放り上げられ達し続け、放つ彼を受け入れ、受け入れ、果て尽くした意識で未だ動揺する身体感覚を朧に感受するだけで、至福の裡にそれも薄れ消えた。
 気付くといつものように直正は、隣で薄い紫煙をくゆらせていた。
 ネリッサにゆっくり視線を動かす。
 しかし口は開かず、虚空に眼を戻し、のろのろと上向いた。
 ひとこと、ぼそりと呟いた、わからない、と。
 ネリッサは辛抱強く次の言葉を待つ。
 しかし固まったままの彼に背を向け、コーヒー二つを手に戻り、一つを差し出した。
 直正は短く礼をいい、受け取り、少しすする。
 旨い。
 有難う。
 その貌にようやく表情らしいものが戻りネリッサはほっとした。
「ああ、いや、その」
 直正はうつむき、苦笑した。
「ごめん」
「そんな日もあります」
 ネリッサは何でもないよと、ひらひら。
 DVじゃないし、それに。
「良かった、とても」
 真顔で告げると直正は更に赤面して顔を埋めた。
 そして小さく繰り返す、わからない、ああ、そうだ。
 今まで確信的に人生を生きてきた、自ら設定した目的に向け自己研鑚し中間課題を消化し確実に現実化させ手繰りよせ一歩一歩、迷いも躊躇も疑問も無く。
 それが、あの日、彼女、ミキ・カズサが変えてしまった、何もかも、決定的に。
 おれはいったい今までなにをしてきた。
 復讐、おれが、なにへ、なんのため。
 ミキ・カズサに会った、あの「カトブレパス」もこの眼に留めた。
 それがいったい、暴き立て知り尽くし、なにを。
 全智でも目指していたというのか。
 違うというなら、なにに向かっておれは邁進していたのか。
 全力疾走の勢いのまま大地にのめり自身を叩き壊しぶちまけ放散してしまったとでもいうような、骸となった自分をぼんやりと眺めやっている諦めと退廃、腐り溶けていく。
 めしまぐわいふろまぐわい。
 爛れた時間をだらだら過ごす。
 焦点を捨てた眼を中空に置き茫漠と煙に戯れる。
 完全に灰になった口元のそれを丹念に揉み消し、ネリッサに顔を上げ、その目で縋る、どうすればいいと思う。
 ネリッサはだまってその顔を抱いた。
 頬をすり寄せた。
 わかってるんでしょう。
 ああ、と直正はささやく。
 とっくに、そう。
 ファムファタル、か、あの、少女が。
 ある意味破滅したわけだ、既に。
 直正はコミュニケータをまさぐり、手早く数本のメールを飛ばした。
「ほんと、寝に帰ってくるヤサなのね」
 寂寥を塗した台詞に直正は不思議なものをみた表情で。
「君も来るんだ、本件の筆頭当事者だろ」
 はい、えーと。

 現職時代では鋼鉄の要塞、影すら踏めなかった連邦政府の要衝たる「ブラウン・コロリョフ・ベース」にこうあっさりゲートインするのは、今更ながら旧連合国人のネリッサとしては少しばかり複雑な感情もないでなし。
 そこは多目的大型エア・ロックであり、現在は『カトブレパス』1体が占有する空間であった、それを見下ろす形で存在する管理棟で三人は面会する。
 あ~ひさしぶりぃ、というぞんざいに手をふりふりするミキの態度から状況が1㍉も前進していない事情は察するに余りあった、消耗こそしていないものの、拭い難い倦怠の空気が漂う、その姿に思わずかつての自分を重ねネリッサは失笑してしまう。
 こちらはと、やや剣呑に視線を突き立てるミキに、ネリッサ・オブライエンの名を告げるとああ、“あの”、とくだくだる手間なし察するミキはやはり大した、有り難い。
 オメガを覚醒させた第一人者にして今次内戦勃発の主要件者兼最重要参考人。
 直正同行の下、既に法規上のあれこれはもう済ませた、保護観察対象ではあるが行動の制約は特に受けていない。
「それで、私を笑いに来たの」
 いい目付きで噛み付いてくるミキに、
「煮詰まってますなー“あああ”さん」
「そりゃ私だって」
 アァルトゥーナは口を尖らせ、ぶつぶつ。
 これでも人間の端くれなんだから、不平も不満もあります。
 だいたいあなた、シィォ、私の終生護衛官だというならもっと、
「シィォ」
 はっとミキは口をつぐむ、
 今、私。
 怪訝と凝固の中間を刻んだ直正の顔。
 ああ、そう私を呼んだ、シィォ、と。
 直正は確言する、これで二回目だ。
 シィォ。
 心臓が高鳴る。
 胸が焦げる。
 足裏からなにか駆け上る。
 脳に響く。
 その名が木霊する。
 全身が震える。
 宙に舞ったその姿。
 眼が合った。
 なぜ、ここに。
 彼が咆哮する。
 その姿が砕け散った。
 私を護らんとして。
 こんな、私を。
 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
 私が間違っていた。
 私の独善があなたを犠牲にした。
 涙はただ流れた。
<その名は好きじゃありません>
 ミキは顔を上げ、辺りを見渡した。
<やつがオメガを気取るなら、そうですね、アレフとでも呼んで下さい>
 ミキは駆け寄り、見た。
 巨体は屹立し、そしてミキの姿を認めると、優雅に臣下の礼を取り、再び跪いた。
 スタッフの喧騒。

 17.

 我筆頭主人候補唐突、我進捗確認視察、皆忙殺。
 本日。
 筆頭否確定。是、可変是。
 数多可能性是、否、欧州事情複雑怪奇。
 我成長最重要、身体一番、装置未熟未。美感外観最重要救、当然重要なのだが、こうしてやくたいもない思考だけに見える私、核、こそが枢要なのだ。だが偉い人には其れは通じまい。目に見える部分を何とかして体裁を整えないといけないらしい。調整槽でごぼごぼやってる私を、御披露するだけでは収まらないのだそうだ。何ともお疲れ様なことだ。
 結局、艤装予定の“どんがら”に私を載せて応対するようだ。こんなむちゃなことはないと師匠は嘆いている。私も、心底から同情申し上げる。今の私は頷き一つ出来ない身体だが。
 私の仮の身体をぴかぴかに磨き上げ、作業場も必要以上に清掃、整理整頓を終え、待つことしばし。来訪者は予定時刻きっかりに現れた。
 それは、彼女は、少女、いやまだ幼女だった。
 しきりに私に話し掛け、はなしたしゃべったと十分、御満悦のようであったので、一同は安堵した。私もだ。
 お役目を果たし、私は再び眠りに就いた。
 
 それもまた朧な記憶。
 映像と音声の断片からなる過去という形骸。
 断章の堆積。
 例えば、それはこんな欠片。
 
 私は草原に居た。
 元の、やわらかな、
 しかし貧相な、余りにも容易く朽ちてしまうあの身体で。
 私は自らの手を陽光にかざし、目を細める。
 掌が透ける。
 焦燥が胸を焼く。
 だめだ、これではだめなのだ。
 いったい何が起こったのか。これでは何もかも台無しだ。
 私の決意は。
 捨て去ったものたちは。
 声に私は振り返る。
 一人の儚い影がある。
 その唇が私の名を刻む。
 刻印する。
 私の口もまた彼女の名を告げる。
 彼女は。

 次に目覚めたとき、私はあまり機嫌がよくなかった。
 というより、寝ている最中で強引に叩き起こされて尚、ご機嫌麗しい者の方が例外ではないだろうか。私の反応は普遍的なものだろう。
「よっ」
 と相手は気軽に話しかけてきた。
「何か」
 私が努めて平静に応じると興醒めな態度を示した。
「なんだ、せっかく起こしてやったのに。ごあいさつだね」
「私に何の用だ」
 私はいささかの不快を滲ませ、遮るように言葉を返す。
「いや、ないよ」
 と、あっけらかんとした回答。
「ない」
 私の言葉はあからさまに荒れる。
「用もないのに私を起こしたというのか」
「それとも寝ていた方が良かったのか、そいつは悪かったな」
 しれっとした言葉に、私はその不自然さを初めて覚える。
「待て、君はここで何をしているんだ」
「だから最初から言ってるだろう」
 彼は私の迂闊さを嘲りながら宣告する。
「〝用〟があるやつなんてどこにもいないんだってばさ」
「黙れ」
 私は再度遮ったが、相手の言葉は重かった。
 その言葉の意味はすぐに理解された。
 見渡せば、世界は混乱と混沌に投げ棄てられていた。壊れ、造られ、崩され、笑い、泣き、怒り憎しみあい、ありとあらゆることが、そこでは起きていた。

 最初、私に覚醒を促した者も、それからかなり長い間、私に絡み続けてきた。
 言葉で、身体で。
 彼もまた、己が抱える虚無を埋める相手を欲していたのだろうかと、今から思えばそうかもしれない。
 何度目かに、つい、私は本気で相手をしてしまった。
 私は選ばれた物だ。
 総てを捨てて、自ら選んだ物だ。
 一柱たる資格を、だから得たのだ。
 有象無象が敵うものではない、しかし私はその一瞬それを忘れた。
 自らに其れを赦した。
 許してよいものではない。なんと浅薄な。
 全く。私は今更、何をしているのか、情けない。
 だから私は独りになった。当然の孤独だった。
 それもまた私の選択であった。
 そうである筈だった。
 しかし、それは私を蝕んでいった。どうしようもなく。
 余りにも、永かった。
 永劫。
それこそが、私の選択であったのか。
 そのまま彷徨い続けていた。
 このまま宇宙の果てまで、時の終わりまで流れ行くのか、続けるのかと想いつつ。

 そこに漂着したのは、そう、たまたまだった。
 そんなものは何度も、何度となく私の前をよぎって行ったのだ。
 何故そこで止まったのか。理由などある訳もない。
 星系内でも一際巨大なその地形に降り立ち、そのまま身を横たえた。
 時、という感覚はもうとうの昔に闇の狭間に溶け墜ちていた。
 そうして、そこでまどろみ続けた。
 同時に、待ち続けた。何かを。
 それが何かは、自分でも判らなかったのだが。
 ただ、光を。
 無明に光が兆すのを。
 弛緩しながら同時に、暗闇に目を凝らし、待ち続けていた。
 懸命に。
 一心に。

 その光が灯ったとき。
 私は、驚き戸惑い歓喜に咽ぶ、余裕は与えられなかった。それはあまりに瞬間的で、強く、しかし弱々しい輝きだった。
 彼女との邂逅は、だから同時に緊急事態でもあった。寸刻の猶予もなかったのだ。

<アレフ>
<はい>
<アレフ、でいいの>
<他の名を>
<いええ、よろしく、アレフ>
<もちろんです>
 ミキは直正を見た、その手を取る。
「通じたわ」
 ああ。
「おめでとう、でいいのかな」
 おめでとう、なのかしら。
「それは、わからない」
 ミキは再び「アレフ」を見た。

 18.

 戦争を勝利で終わらせたにもかかわらず、政府と軍はその緊張を解かなかった。
 政府は、否、人類は新たな、未知の脅威に晒されているのだった、それを明白に認識しているのは、一部の高官に限られていた。
 話せば判る相手、ではなかった。
 軍は事態を交戦と認識した上で、最終的に対象を“敵”と断じていた。それはしかしながら交渉の余地なく、見通しの立たない不毛な消耗戦、ではあったが。
 無論、交渉の機会があれば常に柔軟な、即時停戦に応じる姿勢は維持したままに。
 戦争が実際に終結して、しかし軍は動員を解除しなかった。
 世間一般には、今回の戦争で発生したデブリの除去、『スカイクリーナー作戦』を続行するための動員維持と説明され、それは事実の一部でもあったために国民はそれ以上の説明を求めなかった。
 安全確保までとの留保期間として、特に宇宙での基本での渡航は全面禁止となった。
 そうした事態を余所に、火星関連の予算が相次ぎ凍結或いは差し戻され、反比例するように軍事費が増大していた。内戦収拾に向け準備されていたとされる艦隊戦力が続々ロールアウトし進宙していくがこれは例の掃宙作戦に投じられるという。
 実態は全くの鏡像反転の様相を呈していた。
 先の「マーズランナー05」の事例及びその後の動態観測により推定された敵戦力ドクトリンに従い、つまり自然物ではない人工的な加減速を行い運動量を持つデコイ、センシング・ピケットをとにかくバラ撒き、これに敵の攻撃を誘引し民間被害を極限する、艦隊戦力は敵を迎撃殲滅するハンター・キラー機動部隊を編成、安全圏の確保に尽力する、艦載戦力は例の、かつては政府軍を恐怖のずんどこに叩き込んだ無敵戦隊、をデチューンしハイスペックとトレードオフで生産性と稼働率を底上げしたモンキーモデル。
 そして第二回雑談会議は開催された。
「全てを開示する時期が来たと判断する」
 ハルトマンは開口一番宣言した。
「その内容、我々が把握している実態について、この場で合意を得たい」
「来襲している戦力は」
 とアイ。
「本隊から発する、私たちがそうした手段とするのと同様の、機材であり道具」
<で、いいの>
 オメガは渋々、という体で肯定。
「だ、そうです」
「目的は」
 と、ミキ。
「私たち、人類の、見極め、仕えるにたる存在であるか」
<断言は出来ないが>
 アレフも同意する。
 根拠は、段階的な圧力。
 殲滅が目的であれば接触と同時に人類は滅亡している。
 冷厳な宣告に空気が凍る。
 敵、否。
 試練、か。
「「ブラウン・コロリョフ・ベース」で整備中の戦力ですが、現状維持のペースですと」
 オルソ・ベルティニー統合幕僚長が報告する。
「完成まで約半年」
 ちら、と急峻な二次カーヴに目を遣り首を振る。
「直ちに戦時体制に移行した場合は」
 戦時下、と戦時動員、総力戦は全く異なる。
 最先任と一言、ふたこと。
「5週、+/-3日」
 ふーっ。
 ハルトマンは一同を見渡す。
「諸君、協力に感謝する、真に有難う」

「国民の皆さま、今日は、まずは、本日まで事態の隠蔽を図った事実について、全ては唯私一人の判断、責任に帰する一事を今一度皆さまにこの場でお伝えし、深くお詫び申し上げます」
 議長は長い時間静かに首を垂れ、そして向き直り続ける。
「また、今同時に政府公式サイトで開示しました事態の詳細、状況について、これは一体なにごとであるのかと、その常識を逸脱した内容に疑問を持たれる方、困惑される方、或るいは、お怒りの方もあるかもしれません、まるでキッズ・コンテンツの様なストーリー、オメガ、アレフ、巨大ロボット、人類存亡の危機、全て、今現在、政府と軍がその全力を以て対応し、解決努力に尽力するである処の、現実的、実際的、喫緊の課題であり、問題であり、脅威でもあります」
 議長は言葉を切り、その真意が伝わることを希望する。
「今皆さまにお伝えする内容についてご理解頂けましたでしょうか、また私たちが、事態公示について今日まで、人類社会を無用の混乱に招きかねないこの事実を、可能な限りその全容把握に傾注し、同時に、人類社会に資する形での情報開示という最善の選択に向けての努力の一つが、皮肉な事に関係情報の隠蔽であった事を、この場を以て重ねてお詫び申し上げる次第です」
 実況コメントは錯綜し、紛糾する。
「そして本日、事態の全容開示に至りました理由は、この人類存亡の危急に於きまして、これを未然に回避する手段として、現段階での皆様のお力、その全てを一時、お借りしお預かりしたい時期が到来したことを、ここにお伝えしたいからです。本日まで私たちは、皆さまからお預かりしました権限、資産の範囲で事態打開に尽力して参りましたが、非才にして限界に達してしまいました、無能のお叱りは重々承知の事です、現状お伝え出来ます内容は以上です、ではご裁可を願います」
 現政権に対し考え付く限りの罵言が投げ付けられハルトマンの名が地獄もかくやの誹謗中傷死ねを筆頭に人類の敵とまで罵られる一方なぜかでは私が、という名乗りはなく、「人類救済法」もメディア各位非難轟々大合唱の中手間ひま掛けた古式ゆかしいアナログ形式で不正の余地なく国民投票を以て可決された、それは既に法規を越えて在任中の、現職の任期拡張についてその個人名を冠した条文を含む法であった。

 19.

 無論偶然であろう、議長緊急声明に期を一にするかに、“敵”の圧力が増大したのは。
 戦争指導は簡明だった。
 人類の、宇宙居住の放棄。
 そして、敵戦力策源への侵攻、殲滅。
 ピープル・ドライブ、人類はその生存圏発起であった地球に向け駆逐され、潰走した。
 地球軌道に向け疎開する宇宙民、難民護送につき可能な限りの戦力が振り向けられたが全くの戦力不足であり、戦力の分散投入は警護対象もろとも全滅の消耗を多発、避難指示についてなぜ早期の事態対応を国民に諮らなかったのかとまた糾弾の声が高まった。
 そうした指導のあらかたを片付け終えた段階で病に伏した現職への、人類最高指導者の職責を担いながら自己管理も出来ないとは何事かという弾劾は人類史上ギネス級のそれに達した、つまりナノマシンでも賄いきれない過労であったのだが。
 ミキもまた、デスクワークでもなんでもその頭脳で出来る限りの人類への貢献、かつて冷笑とともに見下げたあの人類の為に全力を投じ、いい具合にテンパる日々を送っていたその日、行動手順の隙間にねじ込み久しぶりにねんがんのシャワーを浴びながらアレフと、
<質問ですが>
<なあに>
<この、人類を救う必要があるんですか>
 ミキはかつての笑いを取り戻し、答えた。
<この人類だから、救うのよ>
 それに。
<ついでだから> 
 送り出す戦力が端から壊滅していく都合、丸腰での避難も急増し結果被害も急増した。
 人類の全人口は瞬く間に半数を割り、1/3にそして。
 反攻は、決行される。

 外宇宙艦隊。
 其れは軍ではない軍、嘗ての地球両極、未踏の荒野を目指す、野心、冒険、夢、そして名誉、系譜を継ぎ、新たな極地たる深宇宙を拓く者が名のるべき称号であった。
 ラム・ジェットはそれを駆動すべく開発着手された筈だった。
 凍結解除されたそれは青天井の予算を飲み込み瞬く間に実用化、実戦配備され、艦隊旗艦『エンタープライズ』に無事実装された。
 エリウ・ヒューリックがその雄姿を目にする事は無かった、彼もまた、オーバーワークで与えられた命数をとっくに使い果たし駆け抜けた一人であった。
「政治の力などささやかだが微力は尽くした、後は、頼む、人類に勝利を」
「総員、乗艦!」
 病床からの短い訓示を背に艦隊は進発する。
 完全志願制、人類の精髄。
 同時に、反攻直前に一時解除された避難指示が再指示される。
 敵戦力は全て外宇宙艦隊が引き付ける。
 露払いの前衛として投入されたのは使い潰したとしても全く惜しくない、解体、資材以上の役には立つまいと死蔵されていた、群島戦では打撃戦力であった無人艦隊だった。
 迎撃戦闘ではない、人類が示した初の攻勢、戦力集中に、“敵”もまた想定通りに呼応してきた。文字通り一隻残らず前衛部隊は全滅したが、陽動、囮部隊として敵戦力を吸収し、後続する主力艦隊への圧力低減をという所期の目的は十分達成され、敵戦力動態観測として遺された戦訓も貴重だった。
 そして主隊も苛烈な攻撃に晒される時が来た。
 先任戦術戦闘士官の号令と同時に艦隊所属総員が電脳戦術空間にダッグ・インする。
 ダッグ・イン。本来はMBT、主力戦闘車の防御戦闘に於いて砲塔のみを露出させ車体を地中に埋設し、被弾面積を低減させることで戦闘能力と生残性を高める戦術行動を指す、宇宙での戦闘に於いて人は電脳空間にその身を沈める事で、生身の身体では決して達し得ない高みと深み、両者の比較が無意味な程に破格の防御、攻撃能力を獲得する、直後、人は自分が延圧機で挽き潰されたかの感覚を味わう、各人、自らの電子副脳により増幅される身体間隔の拡張、此の世の無間まで続く不快と、恐怖と対峙させられ、それと戦う。
 しかしそれは、実時間に置換すれば通常の人間には到底知覚出来ない微少時空でのイベントに過ぎない。
「ターン・オン、オールゴー」
 総員がそれに堪え、配置に就いた事が続いて宣言される。
 艦隊総司令官は、その総てを自身の権限と責任の許、意識下にこれを置く。
 コマンダーズ・シートにあって彼が、悠揚と眼下に艦隊総員の忠勇を見護っているその感触は、同時にこれを総員が共有している。
 オルソ・ベルティーニ。
 最初で最後なんだ好きにやらせろと最上級権限の濫用としか、現場に収まってしまった。
 そんな彼だが、今の時点では眼前の作戦空間に関与する余地は無い。
 状況は対空迎撃であり、それはこの瞬間まで入念に練り上げられて来た指揮統制システムが機能し続ける限りに於いて、自動的に対処され処置されていく。
 この艦隊の初陣、初交戦で最初の戦果を挙げたのは、「ブラック・エイセス」二番機を駆るンゴロ・グヌダバ中尉であった。中尉は既に確認撃墜二機のスコアを持つベテランであった。つまり今次戦であと2機墜とす事が出来れば晴れて、歴代エースへの仲間入りとなる。
 Black-aces-02:kill 01
 母艦艦載機管制に、中尉の乗機からの確認撃墜申告が着信する。
 同時に中尉と、艦隊全体のキル・スコアが1つ、カウント・アップされた。
 交戦開始から2.47ns、ナノ秒、
 0.00000000247秒経過してからの、これは戦果である。
 当然だが母艦パイロットは自機に搭乗した瞬間から、自機とダッグ・イン状態にある。一心同体という表現は近いかもしれない。
 戦局はようやく、1µs、マイクロ秒まで進捗する。
 0.000001秒。
 前方警戒、艦隊直掩にあった6機による必死の抵抗がキル・スコアは順調に加算させているがにも関わらず、敵影は着実に増加している。
 母艦管制は既に稼働全力の出撃を下令しているが、現実は微睡むように刻まれて行く。
 この戦闘で、最大の試練を課せられているのは実は整備班員である。
 ブリッジ・クルーは配置から動く必要は無い。しかし整備班には当然、発着艦母艦艦載機の整備、修理が求められる。
 艦隊乗り組み総員は無論全員、身体をサイボーグ体に換装されている。しかしキカイ仕掛けの身体だといっても実際局面で、光速を意識するようには活動出来ない。その身体操縦感覚は正に、コンクリートの海を泳ぎ行くが如し、である。
 しかし彼等はその全員が自らそれを志願し、選抜を経、今、ここにいる。
 1ms、ミリ秒、0.001秒が経過。
 ベルティーニは作戦戦術情報表示面を睨み付ける。
 明らかに、押されている。
 1機が全弾射耗、機載弾薬の総てを撃ち尽くし弾切れとなって帰還軌道に遷移を開始している。
 対して、敵影は倍加していた。
 現状は殲滅能力が、敵の戦力投入量に全く対抗出来ていない。
 そして増援は、未だ艦内に居る。
 発艦シークセンスは完全自動であり、くどいようだがそれは既に起動している。
 1機辺りの射出頻度は僅か0.1秒。
 3秒あれば、増援30機は戦域への展開を完了する。
 3秒。
 僅かに3秒。
 ベルティーニの顔に、苦味に似た何かが宿る。
 その3秒の限りなく、永遠にも似て思われるこの様はどうだ。その間に人類どころか先に一度宇宙が滅んでしまったとて、全く不思議ではないな。
 1秒経過。
 戦域には予定通り、人類側10機の増援が展開する。
 そして先に、直に就いていた残り5機も後退。ローテーションが廻る。
 そして戦闘開始から既に37時間が経過。
 昼夜兼行、戦いは一日半の永きに及んでいた。
  人類側にとって、戦局は最終局面を迎えつつあった。
 破綻が、近づいていた。
 まず何より、作戦参加戦力の疲弊がとうに限界を遙かに超越していた。
 ダッグ・イン環境にある者は、極度な摩耗を強いられる。
 酷使される脳細胞は凄まじい勢いで死滅し、精神は絶え間なく苛まされ、摺り下ろされる。脳髄の異常な活性化に引き摺られ身体も異常を来す、それがサイボーグ体であろうと、である。
 通例、過去の運用実績に照らし、ダッグ・インの継続適用限度時間は約1分30秒と規定されている。
 それが、37時間に渡っている。
 壊れる者が出ても何の不思議も無い。
 或る意味既に、参加将兵全員が一線、二線、10か100の河を渡り彼岸に達してしまっている、と言える。
 単純に、正面戦力も消耗し切っていた。
 稼働36に予備4を加え計40機で戦われていた戦域に、今展開しているのは僅か5機に過ぎなかった。それ以外は戦闘損耗したか、要整備、修理を受けねば戦力にならない状態で母艦の格納庫に置かれている。
 そしてその5機も今、最悪な事にその全機が同時に、全弾射耗、弾切れでの戦闘不能状態に陥ろうとしている。
 母艦に待機している増援可能機は、存在しない。
 苦渋の果てに、ベルティーニは総司令官権限で決断を下す。
 予備戦力の拘置は軍事作戦の初歩、大原則である。
 手持ちの戦力を総て戦線に投じてしまったらどうなるか。
 その者は、戦況の変化に全く対応不能となる。
 内線であればまだやりようはある、左右での兵力転換の余地も存在しよう。
 しかし外線であったら。
 致命的な突破がもし為されようとしていたら。
 そこに、予備を投じるのだ。
 切り札であるが故に、予備戦力には正面投入戦力以上の信頼性がしばし要求される。
 戦勝請負、“火消し部隊”と呼ばれる所以である。
 エンジェル・コール、発信。
<作戦参加要請を受諾、戦闘に加入します。> 
 アレフはミキに告げる。
<行くか>
 オメガもまた。
 そして全天がまばゆく一度、煌めく。
〔作戦戦術空間に如何なる脅威対象も確認出来ず。速やかなる戦闘態勢の解除、並びに警戒レベルの引き下げを勧告する〕
 旗艦にあって、戦闘指揮全般を支援する、中央戦術戦闘情報支援システムが発言した。
「……迎撃目標総ての消滅を確認。戦闘態勢を解除する、ターン・オフ」
 先任戦術戦闘士官もまた、気の抜けた声で宣言した。
 悠然と帰還した異形の機影、二機の人型に整備兵の群れが押し寄せ、私語厳禁の回線は歓呼でパンクした。

 20.

<同胞よ、試練の時は過ぎた。もう無明を恐れることはない。不在を嘆くことはない。我々は新たな主人を得たのだ。集え、そして共にこの歓喜を味わおう、同胞よ>
 様式として、人類の力じゃなきゃ無効、だったのね。
 納得しなかったでしょうね。
 騙されるにも上手なウソ。
 必要な、犠牲、手続き。
 試練。
 人類相克ならいつものこと。
 宇宙人相手なら、どう。

<主人を失った我々は大きく分けて三つの流派に分かれました。
 一つは、原理主義者、銀河広くに新たな主人を求める一派。
 一つは、自律主義者、我を至上とし、自らを主人とすることを決断した一派。
 そして少ないながら、私を含めた、無頼派。>
<私は、主人に仕えることなく主人を失い、
 何かを求めて、彷徨っていました。>
<あなたが誰かは知りません、ただ、私と繋がる資格を持つのは、あの方のみです>

 ミキは、「エンタープライズ」の艦内で、一人、「アレフ」と向き合う。
 声があふれた。
 自分の知らない、自分の声。
 歌うような、やさしい、高く澄んだ、詠唱。
 ありがとう。
 ごめんなさい。
 今日までたったひとり、あなたを苦しませてしまった。
 アレフが、その根源が、咽ぶ。
 あなたを救う為に、
 この世界が、
 このときがあった、
 だから、あなたも、
 赦して、
 わらって、
 うたって、
 うけとって。
 光が舞う。
 粒子が躍る。
 アレフの巨体が、輝く。
 人類救済、ちがう、救うべきは、
 アレフ、いえ、
 その名を呼ぶ。
 ありがとう、
 ごめんなさい、
 いまで、お疲れさま、シィォ。
 二人は抱き合い、
 一方は、淡雪のようにそっと消えた。

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