母への応援に感謝

【母の日に 母の命ある奇跡に感謝🙏】

2017年8月15日に母が余命1ヶ月半の全身転移の末期がん宣告を受けてから、もうすぐ2年が経過します。

母の命がどうなるか、目の前が真っ暗な中、母に関する投稿への”いいね”やコメントに、力をいただきました。
また、健康回復に効果ある情報も、投稿を通して沢山いただきました。

本当に本当に、ありがとうございました💖
皆さまのお陰で、母は益々元気になり、相変わらず毎日、9時から19時まで自営のテープセンターに立っています。

3週間毎の、母娘の往復2時間の検査通院ドライブは続いています🚙
この時間が母には、四季折々の景色🌸や街の変化🏘を見て感じる機会になっています(と、運転手の娘は思い、意図的に景色が綺麗な路を走っています)

宣告から8か月後の検査結果で、医師に寛解したと説明を受けた時、私は素直に満面の笑みで「ヤッター🙌」と声を上げて喜びました。
しかし続けて担当医から「全身転移までしている末期がん。例え回復しても、ステージ4の1年半生存率は5パーセント程度だと思っていてください。体力があるうちに、会わせたい人には会わせておいてください。」と言われた時の、厳しい顔が、今でもはっきり目に浮かびます。

そして、2度目の母の日を、元気に迎えられた今日。
母との何気ない会話がいつも以上に有難く、一語一語が鮮明に耳に入って来ました。

医師の予測は外れ、母は益々元気になっています✨
この1年9か月の間に、孫2人の結婚式にも出席でき、その上に曾孫が2人も生まれ、もう走り回っています。そして、来月には、曾孫がもう1人生まれます。

母の病をきっかけに、母を支えるために家族全員が協力することで、家族の和もできました。

一方で、自分のキャリアにおいては、53歳で会社を退職し、母と同居するため茨城の実家に戻るのは、部下上司同僚の皆さんに、沢山ご迷惑もおかけする、キャリアにもリスクある、大きな決断でした。
そして、なるべく母の近くにいるよう、仕事を選び、仕事量を減らすのは、マイナスになることも沢山ありました。

企業の人事部で採用を担当していた自分だから、キャリアダウンが自分の市場価値にどれだけ影響があるのかは、良く理解した上での決断。
介護期間の、家族の命の危機に対峙してきた、心の疲弊が、介護終了後に感じるものなんだということ、再度、身体とマインドを仕事に向けるには、相当なエネルギーがいることも、実感しています。
だからこそ、他の方々には、会社を退職してまで介護する決断をするのは、本当に本当に慎重に!と、実体験を元に、本音でお伝えできるようになりました。

母はまだ10年は大丈夫と、娘の直感✨

シングル54歳の娘は、これから先の自分のワークライフを堅固なものに立て直せるよう、再び活動開始です。

シニアからのキャリア再構築は甘くないのも、多くの事例と共に知る自分。

でも、それ以上に、母のケアができる生活に変えたからこそ、毎日母の顔を見て、言動や様子から、体調の微妙な変化をチェックでき、すぐに対応できる。何気ない会話をし、食事を共にすることができている。
この時間は、永遠には続かないのが分かっているからこそ、プライスレスと心から思えます。

全ては、自分の選択🌏

命には限りがある✨
生きていることは奇跡✨

この、当たり前のことが、母が病気にならなければ、きっとここまで理解することはなかったと思います。頭で、理論的に理解はしていても、心で感じ、日々の言動が変わるまでではなかった。

これ全て、母のお陰❤️

お母ちゃん、生きてることの奇跡を、そして健康の大切さを、周りの方々からの支えや助けの有り難さを、家族みんなに身をもって教えてくれて、ありがとう🙏

残りの人生は、更に更に、生きてることを存分に楽しんでね。人の面倒見るのが生き甲斐なお母ちゃんだから、まだまだ、娘は、甘えさせてもらいますね😊💗

家族の太陽☀️お客様の元気の素😊
母に、改めて感謝🙏