上京した女の話

ある春、ふんわりとした風を抜けて阿佐ヶ谷の喫茶店に着いた。

文芸好きの茶会だ。

しばらくして六人席が埋まった。このような機会は東京に来て初めてだったから、ドキドキする。プロの中堅作家である寺崎さんが参加者の目を見ながら、文学とは何か、自分の思いを語りはじめた。彼の思いは先日活字で伝わっていたが、対面でもその抑制された熱意が伝わってきた。

ここまではよかった。

ここから先が大変だった。ナントカという男が私を値踏みして、私のいうことを咎めはじめた。ほかの女子参加者も咎められたから、彼は女を二級市民と見ているかのように思われた。それだけならよい。文芸にとって差別意識が必要だという人もいるだろう。しかし彼のブログもツイッターも、おおよそ文芸の香りも骨格もないものだった。そうはいっても怒りをあらわすのも憚られ、わたしはタバコの空き箱をクシュっと握りしめた。

それだけならよかった。

会うのが二度目の自称作家志望の男が乗り出してきた。そういえば文学フリマで私は原稿を彼に渡したのだった。彼は「講評」と称して「ラブホの間取りが描けてない」と言いはじめた。そういう、本質的でないところばかり見てきたから東大に合格できなかったのだ、と思いながら私は深呼吸しつつ「気をつけます」と言った。

その後も似たような按配で、文学を語ると称してゴシップを語る会になっていた。

空気が澱んでいた。

これは何かに似ている。そう思って記憶をたどってみると、学生時代の文芸サークルだった。心ある者は黙り、自称事情通が自己顕示欲を満たす。当然、淹れた紅茶は不味い。そのときは、東京に来れば嫌な奴はいないだろうと思っていた。それは残念ながら見込み違いだった。

帰宅した。だが、疲れが抜けない。とはいえせっかく東京に移り住んだのだから次の文芸行事には行きたい。

カレンダーをめくった。そこには丸印して「安吾忌」と書いてあった。そうだ。安吾の日だ。私は最近のバタくさい小説はついていけないが、安吾にはついていける。「堕落論」という言葉ばかりが独り歩きしているが、フランス心理小説を研究した「先生」だ。私は体調を整える秘密スケジュールを立てはじめた。

ついに安吾忌がやってきた。指定されたお店に入ると、老紳士が数名穏やかに語り合っている。「おお、いらっしゃい。さあ、遠慮なくどうぞ」と気をかけてくださり、ありがたく座った。老紳士たちは安吾の生前を知る編集人たちだった。当時のことをなつかしみ、一杯酌み交わす。それは追悼でもあり歓待でもある。私は涙腺が緩むのを自覚しながら話を聞いた。

そのうち、老紳士の一人が「安吾の墓に行ってみないかい」とおっしゃった。畏れ多いと固辞したが、「いや、絶対喜ぶよ」と後押しなさった。

夜半、墓参した。そこには本物の文芸の士の佇まいがあった。私は生者にはあまり縁がないかもしれない。しかし、苦闘を重ねた物故者には気が合うと思う。