町田康『ギケイキ 千年の流転』

書評(2016年 記)

 町田康の『ギケイキ 千年の流転』を読み、源義経ってこうだったっけ、と思ったのだった。義経といえば、源平合戦で武勲をたてたのに兄の頼朝に嫌われ、後半生は不幸だった歴史的有名人だ。そんな英雄の生涯をまとめた古典『義経記』を、町田は全四巻の予定でアレンジして書き進めており、『ギケイキ 千年の流転』はその第一巻にあたる。
 本の帯の一文「平家、マジでいってこます」が、作品のノリをあらわしている。義経が語り手であり、「軍事マニュアルを帝から賜って秘蔵してる、って聞いたんですけどマジすか?」などと喋る一方、地の文に「ぼええええっ? と思った」とか出てくる。NHKの大河ドラマでも繰り返し登場した英雄だが、ジャニーズ滝沢秀明の義経も国広富之の義経も「マジすか」、「ぼええええっ」とはいわなかったと思う。義経に限らず『ギケイキ』の人物は、乱暴で行きあたりばったりの言動をしているように感じられる。というか、「マニュアル」ってなんなんだ、平安時代なのに。
『ギケイキ』は、最初の一文から変だ。「かつてハルク・ホーガンという人気レスラーが居たが私など、その名を聞くたびにハルク判官と瞬間的に頭の中で変換してしまう」。一一八九年に死んだ義経が、一九五三年生まれのレスラーを「かつて」と回想するのはおかしい。本の物語の進行にも妙なところがある。義経の幼少期から書き起こし、元服して今でいう成人になった後で武蔵坊弁慶と出会うエピソードが出てくる。乱暴者の弁慶が、自分を打ち負かした義経の一番の家来になったのは、よく知られた出来事だ。でも、そこで義経は稚児と描かれている。若返っているのだ。
 町田は、弁慶が登場する「三」の章の第一段落で「思い出せば語りたくなる」と回想風に書いている。だが、弁慶の生れから語られるこの章を読み通せば、二人の出会い自体は過去ではなく、義経の物語の時間が前へ前へと進むなかにはめこまれていたことがわかる。
『義経記』にあたってみると、成人後に稚児として登場する矛盾は、原典に由来するものだった。それだけではなく『ギケイキ』のエピソードの配列が、『義経記』を踏襲していることがわかった。この古典は、悲劇の英雄だった義経の死後に流布した数々の説話を集め、室町時代に成立した(鎌倉時代説もある)。そのため、物語の一貫性にゆらぎがあるほか、平安時代の人物が無造作に鎌倉時代の和歌を詠むなど不整合な部分がある。
 今読むと『義経記』の主人公は、源氏の血筋を誇り、周囲に傲慢な態度をとっているように感じられる。それを『ギケイキ』が現代語で表現すると「このままブラブラしていても埒があかぬので、女をこましたうえで私の手駒として使い」になったりするわけだ。ここまでくると、英雄ではなく悪漢である。
『義経記』以前には同じ時代を題材にした『平家物語』が成立していたほか、室町時代に能の「安宅」、江戸時代に歌舞伎の『義経千本桜』が作られるなど、義経関連の物語は多い。各ジャンルの手法を使い、各時代の感覚で、義経をめぐる夢想が自由に語られてきたのだ。その伝統をふり返ると、「ファッション」、「スタッフ」といった現代語が平気で口にされる『ギケイキ』は、『義経記』への準拠を創作ルールにしつつ、物語ることの自由を受け継いだ伝統的な作品に思えてくる。
 本書三十八ページには「その十五年後に私は京都ではなく奥州平泉で死んだ」とある。うわ、語り手が第一巻でネタバレかよ、と思う人がいるかもしれないが、いいのである。これは、過去に何度もネタにされてきたお話を、どう語り直すかを楽しむ作品なのだから。とはいえ、『義経記』に依拠していたはずなのに途中からしれっと『平家物語』に乗りかえるとか、義経は平泉で死なずモンゴルに逃げて成吉思汗になったという伝説を採用するとか、ひょっとすると意外な展開が待っているかもしれないが。

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