村上春樹における数と固有名をめぐって――東浩紀と法月綸太郎

 探偵小説研究会編「CRITICA」15号に「収容所とホテル――東浩紀、笠井潔、森村誠一における人と数の問題」なる一文を寄せた。これは、森村誠一『悪魔の飽食』を語ることから笠井潔の探偵小説論に触れつつ悪に関する考察をおこなった「悪の愚かさについて、あるいは収容所と団地の問題」(「ゲンロン」10)に対し、ミステリ批評の側から応答するべきだろうと謎の義務感にかられ、書いたものだ。『悪魔の飽食』以前の森村に関し、「悪の愚かさについて」の観点からとらえ直すと興味深いのではないか。そういう発想で執筆した内容だった。
 東、笠井、森村の3人に通底しているのは、人が数として扱われる状況への関心である。それを東は、数値化の暴力と呼ぶ。実は数値化の暴力をめぐっては、「CRITICA」寄稿時にもう一つ書いておきたいことがあったが、時間が足らず割愛してしまった。それは、東が先の原稿で触れなかった法月綸太郎についてである。東の議論に対し、法月の議論を補助線に引くと見通しがよくなると私には思われたのだ。どういうことか。順を追って述べてみよう。

 東の「悪の愚かさについて」では、前半で笠井の大戦間探偵小説論(大量死理論)や、七三一部隊に関する森村のノンフィクション『悪魔の飽食』を通して、収容所の大量死や団地の大量生が論じられ、悪に関する考察が深められていく。後半で言及されるのが、村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』だ。村上は、自殺した女性を「三番目」と呼ぶなど、名前や意味を奪うレトリックを多用する作家だった。そのように固有名を忌避し数に還元する態度を、柄谷行人が倫理的に批判したこと(「村上春樹の『風景』」1989年)を東は紹介する。人体実験の対象をマルタと呼び、交換可能な数にした七三一部隊が批判されるのと同種の批判がされたと指摘する。
 柄谷の批判後の1990年代に発表された『ねじまき鳥クロニクル』では、1939年の紛争前年のノモンハンや終戦直前の新京を舞台にしたパートが重要な位置を占める。同作は井戸に潜ることで戦争があった過去とつながる、いわばファンタジー的な内容だった。それについて東は「単純に名前と意味を回復する小説は書かなかった」、「歴史と現実に直面するとはけっして名前と意味を回復することではなく、井戸に潜ることなのだと、そう答えた」とみる。
 阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件をはさんで『ねじまき鳥クロニクル』を発表(第1部・第2部1994年、第3部1995年)したこの時期に、村上はデタッチメントからコミットメントへ態度を変更したとされる。戦争をモチーフとして取りこみ彼の転機となった同作を、大量死、人の数値化、固有名の文脈で着目したのは東浩紀だけではない。法月綸太郎もそうだった。

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