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 人生初の一人暮らしを始めた僕の、桜上水の新居に最初にやってきたのは、家族でも恋人でもなくシンヤだった。シンヤは僕よりもひとつ歳下で、僕の知人にしては珍しく大酒呑みでフッ軽な後輩である。所謂陽キャというやつだ。白いコートを身に纏って玄関口に現れたシンヤは、いつの間にか華奢で化粧気のない頃とは似つかないほど綺麗になっていた。最後にシンヤに会ったのはいつだったっけか、との疑問を浮かべながら、僕はシンヤを家に招き入れる。

 「ついに×××××さんも一人暮らしですね!いっぱい泊まりに来ますね!!」

 「なんで君の宿になる前提……まあ、いいか……」

 僕が面倒になってツッコミを諦めると、シンヤは機嫌良さそうに上がり込み、それぞれのドアから家の随所を覗き込んでからダイニングの椅子に収まった。僕はその間に適当なカップを取り出し、淹れておいたミルクティーをカップに注いでシュガーポットと一緒に出す。

 「……? これ、なんですか?」

 「ロイヤルミルクティーだよ。茶葉はあんまり高くないやつだけど、香りはシンヤも好きだと思う。たぶんあんまり甘くないから砂糖は多めでいいよ」

 「ロイヤルミルクティー……!」

 シンヤはひときわ目を輝かせると、砂糖を二杯ほど入れてミルクティーを飲む。どうかな、と訊こうとしたが、その答えはシンヤの表情が先に教えてくれた。お気に召したようでなによりである。

 「ていねいなくらしのあじがします!」

 「どんな味だよ」

 ぴん、と勢いよく左手を挙げて宣言するシンヤに、僕は肩を竦めた。ロイヤルミルクティーは母親の好きな飲み物のひとつで、冬は毎朝これを飲んでいた。寝起きに仕込むには少々面倒な気はしないでもないが、「丁寧な暮らし」と称するほどたいしたものではない。一度覚えてしまえば作り方はかんたんだ。

 「いいなあ、一人暮らし。×××××さん、丁寧な暮らしできる民ですもんね。楽しそう」

 「そうか?」

 「できなさそうです?」

 「……まあ、実践できるできないは別として、『やれなくはない』かもな。母親が丁寧な暮らしガチ勢だし」

 「ほらあ! 素養がある!」

 ぱちぱち、とシンヤは手を叩いた。今日のシンヤは全体的にご機嫌そうだ。僕はまた肩を竦める。

 母親は生来の不安症で、後年振り返った僕が「よく『自然派ママ』に堕ちなかったものだ」と感心するほど飲食品物に対して敏感だった。ペーパータイプの駄菓子からブタメンまで食品添加物を多分に含む菓子類は生活から徹底的に排除され、口にするものは無添加・無農薬のものばかり。当然インスタント食品などが家にあるはずもなく、その環境下で当然のように母親と同程度の調理管理スキルを習得した、食へのこだわりが旺盛な僕なら恐らく、『丁寧に暮らす=連続的手続きのみで生活と娯楽を充足させる』ことは可能だろう。紅茶やコーヒーにもある程度のこだわりがあるし、菓子類も一定までは自作できる。元が読書家というのもあり、デジタルデバイスやインスタント製品のようなショートカットツールを完全に廃した生活も、まあ不可能ではないだろうな、と思う。

 「わたし、丁寧な暮らしはしたいだけでしたことありませんからね〜」

 「おいシンヤ、人のゲーミングチェアで高速回転するな。……まあ、僕の場合丁寧な暮らし以前に物が多いのをなんとかしなきゃだと思うけどな、一人暮らしは」

 ミルクティーを飲み終わって満足したシンヤの暴走を止めつつ、部屋を見渡して溜息をつく。引っ越しでだいぶ荷物を減らし、新たな収納場所を確保して一ヶ月ほど生活しているにもかかわらず、僕の部屋のモノたちは依然キャパオーバーしていた。シンヤが目をパチパチさせる。

 「ほんとに相変わらず物が多いんですね。なんでそんなにいっぱいあるんですか?」

 「普通に生きてたらこうならないか?」

 なりませんねえ、と首を傾げるシンヤに不服な表情をすると、シンヤはけらけらと笑った。シンヤはミニマリストだ。身につけるものを徹底的に選んで、あとのものはほとんど身辺に残さない。そのかわりというか、その身軽さでさまざまな環境を転々としながら他人に世話を焼かれ続けた結果、生活的スキルはほとんど身に付かなかったようだが。

 シンヤが言う。

 「わたしたち、足して二で割れたらいいんですけどねぇ」


 ふと、頭を何かがよぎる。

 ──降り注ぐ雨。茹だるような暑さ。閃光。衝撃。ガラスの、割れる音。そして──?


 「そしたら、うまく暮らせるはずなのに」

 ……絶対に起き得ないとわかっている未来を考えることほど、不毛なことはない。ましてや、「リソースを足して二で割る現実的な方法」についてだなんて。けれどこのとき僕は、確かに『シンヤ』に共感してしまった。

 「そうだねえ」

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