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考察:【AIトレス絵師】ははたして悪か?



大前提

 絵師がしていること=独力での描画を、僕は「フリーハンズ物理演算」だと解釈している。描画という行為を細分化すると、絵師の前にはまず現実があり、描画対象があり、絵師の干渉可能な現実には描画行為による抽出先となる平面のみが存在するからだ。

 しかし当然、このフリーハンズ物理演算は相当量の才能、もしくは訓練を要する。高校時代以降はそれなりに向上心を持って自分の線に向き合ってきた僕だが、この物理演算スキルがあるのはいまだに頭部の描画のみだ。
 だから逆に、僕にスケブを描かせると案外上手い人のそれに匹敵するかに見えるものが出せたりするのだが、閑話休題。

 いわゆるAIトレスは、この「物理演算」パートの大幅な省略を実現化した。元々絵師がしていることは、スキルとしては物理演算(描画対象となる物体の理想比率をフリーハンドで再現)である。この演算部分を人力で行わず、コンピュータに一任しようというのは、近年のAI活用の風潮として、ひとまず方向的には一定の合理性を持つと認識している。


『画力』

 ただし、描画AIが台頭するまでの一般的な創作世界において、いわゆる『画力』に対する賞賛は実質的に以下の事象に対してであることが多い。

・線画のフリーハンズ物理演算精度が高い
・塗りの物理演算能力、および表現能力が高い

 そのため、AIトレスによる創作物が、本人の承認等欲求に寄与することがあるのかどうかは、甚だ疑問が残ると僕は解釈している。
 いまは誰もがAIトレスで絵を描けるようになった世界でこそあるが、それはけっして従来の『高画力』という承認が誰もに下りるようになったわけではない。ただAIの描いた絵をトレスするだけなら、極端な話誰にでもできる。そんな世界で、トレスをしてまで絵を描きたいことがあるのだろうか?


AIトレス有効活用術

 AIトレスが手段として有効となるのは、主に以下の二つの場合だと僕は考えている。

・物理演算能力が低いために、脳内にある理想的な描画対象を抽出することが叶わない場合

・物理演算にかける工数の短縮を目的とする場合

 前者はいわゆる「供給の多くない」界隈でよくお見かけする。『イチから絵を描くのはできないけど、こういう推し/絵を見たいから、AIが作成したボディーをベースに見たい推し/絵を錬成する』というような技法だ。
 この技法の確立は、「フリーハンズ物理演算能力」がなくとも「絵師」として創作物を制作できるという点で、ある意味では既存の絵師のスキルの希少価値を削ったとも言える。しかし、その一方で、理想像を平面に抽出する「絵師」の裾野を「フリーハンズ物理演算能力を持つ人間」から「理想像を脳内に作成できる人間=ほとんど誰でも」というところまで広げてもいる。これまで物理演算能力を鍛えていなかったという一点を理由として、理想像の抽出を諦めなくともよくなったのだ。

 後者は本業が描画でない人物や、描画対象となる理想像のバリエーションを多く持たない人物がこのような利用をしている。
 描画が本業でない絵師は、当然ながら余暇の時間が限られている。物理演算部分を外注してなお描画による抽出に価値がある場合、AIトレスは時間短縮として有効な手段と思われる。
 また、AIのベースとなるライブラリは、人間のそれに比較すればほとんどの場合ほぼ無限と呼んで差し支えないだろう。ある人物の描く理想像がパターン化してしまい、異なるバリエーションのアウトプットを望んだとき、人間の脳に地道にインプットしていくより素早く適解を出す能力がAIにあることは間違いない。


ただし

 上記はあくまで「一枚絵を描画する絵師」という点にのみ着目した考察だ。着眼点を変えると、出てくる問題も変わってくる。

 たとえば、あくまで「フリーハンズ物理演算能力が高い人間」という名目で創作物を評価されている人間がAIトレスをしていた場合。感覚としては食品偽造に近い。
 その創作刺激が完全自筆かトレスを含むかは、鑑賞者が摂取するにあたっての価値はほとんど変わらない。よほど目が利く人でもない限りは気づきもしないだろう。天然物と思って選択していたものが実は養殖だった…というような程度のことだ(庶民にはわからない)。
 ただし、たとえその偽造詐称がごく一部であったとしても、偽造は偽造、詐称はあくまで詐称だ。要は信用の問題である。

 これは個人的な感覚だが、ある創作概念をもつ本家公式(=一次創作者)が「トレスによって作成されたイラスト」を公式のものとして出すことにも忌避感が強くある。
 創作というのは常にまずイデアがあり、それを実体化することによって創作物が世に生まれると僕は考えている。そのため、本家がそのイデアからの抽出作業を外部委託することには些か抵抗があるのだ。
 その外部委託によって本来存在していたはずのイデアの特徴が損なわれてしまえば、それは尚更である。

プラトン哲学はエアプです


結論

 『AIの自動生成で出力されたイラストをトレーシングして作成したイラスト』を「自作」のそれとすることは、そのこと自体が即座にクリエイターとして悪であるとは僕は思わない。
 ただし、技術の進歩によってすでに美少女イラストは【誰にでも描ける絵】となってしまった。AIトレスはあくまでツールである。これから先の時代で支援者の不可欠な創作活動を行う表現者は、AIトレスに限らず、手段が目的化しないようにじゅうぶん留意する必要があるのではないかと考えている。



何の話かわかってる人に少しだけ

 僕がケチをつけているのは、スキルではなくあくまで思想です。
 「あの人の1/100でもマトモなモノを出せるようになってから言えよ」みたいな実力主義ゴリラに詰められるとちいかわになって死んでしまうのでやさしくしてください。うさぎさんのおっしゃる通りです。

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