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夜半に箒を削る

短歌をつくり始めたのは3年前くらい、大学4年生の時だ。

もともとその前、大学に入学する頃になんとなく短歌集を読むようになり、最初は「桜前線開架宣言」、それから色々となぞるように読んだ。中澤系に衝撃を受けたりもした。

同時期に自分も短歌をやってみたいと思い、大学の短歌サークルの歌会体験に行った。

そのときに提出した短歌については多分探せばどこかにあるのだが正確に残ってはいない。
「なにかあるたびに聞くのが苦しくて聞けない曲が増えていく」みたいな趣旨の短歌だったと思う。

その初めての歌会で、短歌会のある先輩からかなり強めに批判をうけた。これもはっきりと覚えていないのだが、確かに言われたのは
「短歌はあるあるじゃない」
みたいなことだったと思う。
批判の内容は至極真っ当だったと思う。今思えば非常に未熟な短歌だった。でも、そこで「こういう気持ちをうたったものではこのような短歌がある」だとか、「自分だったらこのように作る」とかの提案は(記憶の限りでは)なく、とにかく未熟であることを批判される時間だった。
そんな場になるとは想定していなかったのでぼけーっとしてしまった。
帰りに先輩に「あんなこと言っちゃったけどまた来てね」と言われて、元気よく返事をしたことは覚えている。

結局、その後は歌会に行かず、全く別のサークルを主軸に大学生活を送った。

大学の授業で短歌集についてレポートを書いたりはしたが、本腰をいれて短歌を作ることはなく4年生の夏になった。ちょうどその夏に馬鹿でっかい失恋をした。その恋は、どう考えても私の情緒がおかしいことによってほどけたものだった。マイスリー飲んで暴れてたからだ。

長年の恋を自分で台無しにしてからは、電気のついていないくらい部屋で一日中「さよならを教えて」をプレイしたり、でっかいくまのぬいぐるみをきつく抱いたりして、でもとにかくずっと泣いていた。

ひとしきり悲しんでみたら涙は枯れた。
からっぽになったら、なんとなく自分から何かが出力されそうな雰囲気がでてきたので、出力方法を探った。
その結果が、ギターと歌と、短歌だった。

そこからは、抱えきれないものができるたび、ギターを握り、短歌をつくり、泣いてる自分の自撮りをして、全部ネットの海に放流した。

放流するのは、自分の傷を見せつけるようなものだった。言ってしまえば公開オナニーである。でも、私のオナニーを見てくれる人たちがいた。だから私はやめなかった。

「もう帰らないから じゃあ」と言って実家を飛び出して、今の旦那の家に転がり込み、あーとかうーとか言いながら社会人になり、お互い傷つけたり抱きしめたり、そうやって生きてきた。

でも、ギターも短歌もやめなかった。

もういつだったか記憶が混濁しているが、おそらく去年、ある人にツイッターで声をかけてもらい、短歌のコピー本をつくることになった。

他に大好きな短歌を作っている人を呼んで、その3人で作る予定だったが、最初に声をかけてくれた人は突然姿を消してしまい、急遽助っ人を呼ぶことになった。その助っ人が笹沼君だった。

笹沼君とはよく短歌の話をしたりはしていたが、彼も短歌をがっつり作って発表することは初めてだった(と思う)。彼は超タイトなスケジュールでかっちょいい短歌を作り上げてくれた。

文学フリマの3日前にキンコーズに駆け込み、その場で製本して、はじめての短歌集「ヴィータ」ができた。そもそも私は知り合いのおねえさんのブースで売り子をする予定だったので、そちらに置かせていただいた。

ぜーんぜん売れなかった。

こんなに売れないんだという衝撃はあったし、帰りには色々あって手持ちが500円くらいになって泣いた。
でも、なぜか手応えはあった。自分でヴィータを何回も読んで、「つづきがある」と思ったんだ。

私は短歌をやめなかった。

それから今年の秋の日に、文学フリマで初めてのブースを持って、笹沼君と私のつくった短歌を売った。
思った以上に手に取ってもらうことができて、以前はなかったタイプのフィードバックも返ってきた。他の出店者さんの本もたくさん手に入れた。急に流れ込んできた他者に、私はよろこんだ。私は狭く暗い部屋から出ることができたんだ、とその時は思った。

でも、文学フリマが終わって、短歌がぱったりと作れなくなった。陽の光は不快じゃないのに、どこか白々しくて、怒られてるときの小学生の膝みたいだった。
暗い部屋の中、眠る旦那の横で昭和元禄落語心中を見ていて、私はなぜ短歌を作るのだろうと考えたとき、気がついた。私の短歌は呪いまじないの類だったのだ。


魔女の宅急便のキキは、母にもらった箒に乗って、片田舎の故郷から街へ出た。
そこで様々な人と出会って、「魔女さん」として認めてくれる人もできて、キキの世界は広がってゆく。
でも魔法が使えなくなるときがくる。相棒のジジの声も聞こえなくなる。母の箒でもう一度飛んでみようともするが、飛ぶことはできず箒は折れてしまう。
そして、自分の箒をつくりだす。夜中に一人きりで、木を削る。

誰かが飛ぶとき、その後ろには夜中にただひとり、人知れず木を削る夜がある。

誰かに出会って、身に余るほど愛してしまい苦しくなったり、一周回って憎くなったりして、身をよじり伏す夜は、箒を削る夜だ。

依然として、私の短歌は武器で、刃物で、呪いで、暗い部屋で頭をぐしゃぐしゃに掻いて苦しみ出力される。傷つかないと短歌ができないと誰かが言った。傷つかないと短歌ができない。少なくとも私は。

誰かのことが殺してしまいたいほど憎かったり、殺してしまいたいほど好きだったりすることはありますか?私はたくさんあります。
私の傷を見て、ハラワタを見て、まぶたに焼き付けてほしい。私に呪われてほしい。お前を呪いたい。
それから、私を呪ってほしい。私の一生に傷を刻んでほしい。消えないように深く。
そして、来世があったとしたら、蝿やゴキブリでも、雑菌でもいいから、お前の目の前に現れたい。何度だって。

呪いは「のろい」とも「まじない」とも読む。
祝福も、憎悪も、綺麗な思い出も笑えない出来事も、私の中ではぜんぶ呪いに変換される。
私が短歌を口に出すとき、それは呪いだ。
それには善悪も、綺麗汚いも関係しない。私のものだ。 

クリームソーダは綺麗だし、陽の光は美しい。花がひっそりとひらき、露を垂れる朝がある。そういう世界は好きだ。好きだけれど、私の世界は全部呪い。私を縛るのは他者だけではなく、究極いつも最後にはわたしが縛っているんだ。たくさんの呪いの糸を自分にくくりつけて、引き摺ってもいいから走っていく。

私の呪いを叫びたくって、呪いたくって、短歌を作る。

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