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編み物について

編み物にはまっている。
最近台頭しているY2Kファッションにたまに現れる猫耳帽子、あれが編みたいと思ってはじめた。

最初は手元で何が起こっているのかわからず、「今これはなにをしているんだ???」と頭をハテナでいっぱいにしていたが、実際編みまくってみると、ごく単純な動きの積み重ねであることがわかってきて、どんどん楽しくなった。

編み物のいいところは、手元のものに向き合う必要があることだと思う。

これはものづくりには共通することなのかもしれないが、編み物は特に作っているものを観察しながら進めていく必要がある。

たとえば、まず初歩的なこととして「糸を割っていないか」ということ。毛糸はいくつかの毛の糸を束にして成っているので、編む上でその束の中に針を通してしまうと、絡まってしまい思った仕上がりにはならない。なので、常に「どれがどの一本の一部なのか」ということに気をつける必要がある。そのためにも、手元を注視する必要がある。

また、全体の観察も必要だ。編み進めていくとだんだんとモノが成立していくのだが、自分の手の加減によってきつく編まれたりゆるく編まれたりするので、それによって完成品の大きさがかなり左右される。この加減のことを「手がきつい」「手がゆるい」というように言う。手がきついとレシピ通りに編んでも作品が想定より小さくなる。
それ故に、「ゲージを測る」という行為が存在する。大体15センチ四方の量を本番と同じような文様で編み、その中の10センチ四方に何段何目があるかを数えること。きつければ目や段が多くなるので、本番を編んでも小さくなることが想定される。そういうときには、手の加減を意識したりもするが、より大きい針に変えてみることが一番確実だ。
ゲージを測るのが面倒な人は正直飛ばしてもいいと思っている。(私は結構すっとばすときがあるので…)
でも、そうするときは特に編んでいるものを観察して都度工夫や調節をしていく必要があると思う。

まあ、もしそうやって下準備をした上としても、編みながら盛んに全体を観察し、また手元で何が起こっているのかを観察することは編むことの一部なのだと思う。

編み物をしているとき、つまりはその手に持っているもの、作りかけのものを観察し続けることになるが、それを繰り返していると自分の作っているものが愛おしくなってくる。編み方を変えれば、編まれたものから確実に返答がある。これもとても楽しい。

それから、編み物を気にかけている間、編まれるものとの会話に集中している間は、そのときどんなに笑えないような私生活をしていても、そのことを忘れることができる。ある意味無我の境地でありながら、でも確実に何かと会話しているような感覚になる。これがとても楽しく、救いになる。

はじめこそ取っつきにくくはあるけれど、初めるには編み針も毛糸も百均で売っているもので十分。むしろ毛糸に関しては慣れないうちに失敗するためにも百均のもので初めたほうがいい。
編み方にはなんだか仰々しい名前がついていたりもするが、やってることを分解すればごく単純で、でも繰り返していけばいろんな表情がでてくるので、奥深さを感じることができる。

なんとなく手暇な人や、趣味を探している人はぜひ編み物を試してみてほしい。編み物はいいぞ。

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