同世代を推すこと

推しを推すことが、また辛くなってしまった。
なにかあったわけじゃない。大切なお知らせがあったわけでも、熱愛がでたわけでもない。

今日も推しはお仕事を頑張ってるだろうし、発表されていないお仕事の準備をしてくれてるんだと思う。
今日も頑張ってくれてありがとう。おかげでオタクは幸せだよ。


でも、でもさ。ときどきだけど、心が泣きそうになる。見ていると苦しくなる。辛くなっちゃうんだわ。
頑張っている君たちを見ると、どうしょうもなく自分が惨めになってしまう。

頑張れない自分。
頑張らない選択をした自分。
頑張らないことを正当化してしまう自分。

信じられる?私の推し、私と一歳しか違わないんだよ。
私が高校でだらだらカードゲームしてたころ、みんなの前に立って歌ったり踊ったりしてたんだよ。大人たちの目にさらされて、勝手に評価されて、批判なんかもされてたんだよ。あんなに努力して苦楽を経験してるのに、その頃の私は何をしてた?カードゲームだよ。部室でずっとゲームしてたんだよ。いや、楽しかったよ。めっちゃ楽しくて無限にしてたし、センター試験前日もやってて先生に怒られるくらいハマってたし。あの日々はちゃんと青春だったよ。

でも。

推しが頑張ってるのを見続けると、何も頑張ってきてない自分を自覚してしまい、どうしょうもなく悲しくなる。


なんつーか、泣きそう。

私だって、推しがいたから夢を追いかけて叶えることができましたとか、言いて〜。
言いたかったよ。
でも、推しがいるからって、自分は自分。
推しができて昔より日々が幸せになったけど、過去は変わらないし、頑張ってこなかったことは事実だし。
やっぱり自分の本質はそう簡単には変えられない。

やる気なんてほとんど出ないし、頑張るのは嫌だし、やらなきゃならないことはギリギリまでできないし。
本当に、自分の弱さが悔しい。
辛いよ。


なんてことを考えてしまって、たまに推しを推すのが苦しくなったりもする。
ワンシーズンに一回くらいかな。
あー、今季も推しを推すのが辛くなるターン来たか、ってくらいにはもう慣れた。

きっと、こんな気持ちも、しばらく推しを見てたらどっかに行くんだろう。


推しは私に弱さを突きつけるけど、そこから目を逸らさせる光でもある。



そして私の推してる人の相方は、あることを言ってくれた。

マイナスは消せないかもしれないけど、プラスを増やすことはできる、と。
自分はそういうことがしたい、と。
(超ニュアンス)

もう、そのとおりなんだよな。
過去のマイナスや、今のマイナスは消えないかもしれない。でも、推しからはたくさんプラスをもらった。たくさん楽しい気持ちをもらって、世界一幸せって思える瞬間ももらった。明日が来るのが楽しみになったし、一日一日の活力になってる。たくさん、プラスをもらった。

推しのおかげでがんばれた!って言えるようなオタクじゃなくてごめんねって、ずっと申し訳なく思ってた。でも、これでもいいのかなって。そんなふうに思える言葉を貰って。


ほんと、君たちを好きでいられて、自分は幸せものだよ!

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