「世界語制定の運動」『言語学雑誌』1巻5号(1900.6)

『エスペラント便覧』(要文社, 1967)を見ていたら、「日本エスペラント運動年表」(p67-)の1900(明33)年に”「言語学雑誌」15号にエスペラント関係の記事がでる"とあった。日本のエスペラント運動において、1900年というのは注目すべき早い時期と思うが、この記事のことは聞いたことがない(他の運動史の本では触れられていないと思う)。ということで、さっそく探すことにしたが、『言語学雑誌』に「15号」なんてない・・・。結局初号から順にみていき、「1巻5号」(1900.6)の「雑報」内にある「世界語制定の運動」(pp.86-87)という記事に行き着いた。
以下その全文。(読みやすいよう旧漢字、旧仮名遣いはあらためた)

第十七世紀の末に、「ランセロー」「アーノルド」などの「グラムメール、ジエ子ラール」(*1)の運動があってから以来、標準文典(場所の上の意味でいう標準文典で、時代の上ではない)の制定、世界語の統一ということは、代々の学者の夢であつた。欧羅巴の文明国の、過去及現在の言語の基健の上に、「アーチフイシアル、ランゲージ」を作り出し、少くも世界の科学的言語を、之に依て統一しようというのが、即この世界語- ”lingvo internacia” -の運動である、この運動は、或は起き、或は殪れて、まだその成効を見ぬのであるが、鋭意熱心な泰西の学者は、撓まず其成効を夢みて居って、近来はまた「ニュルンベルク」の「シユミット」氏の下に、この主義の会合が組織されて我国などへも同氏からその文典及「スペシメン」などを多く送りこされたのである。今回のは、主として羅甸語の基礎の上に作ったのだということである。この点に於るわれわれの考は、なほ、この運動の歷史を詳にした後にしようと思う。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1537944/1/46
国立国会図書館デジタルコレクション(国立国会図書館内/図書館・個人送信限定)
最終アクセス日:2023.1.10

『言語学雑誌』は明治32(1900)年創刊。明治31(1889)年に上田萬年と彼の弟子を中心に創設された「言語学会」の機関紙で、奥付には編輯人として「藤岡勝二」の名がある。藤岡といえばJEA設立メンバーの一人であるし、この記事を書いたのも藤岡であろうか。ともすると、かなり早い時期からエスペラントを知っていたことになる。

タイトルからすると国際語一般について述べているように思えるが、”lingvo internacia”とあるうえに、”「ニュルンベルク」の「シユミット」氏”(Christian Schmidt。元々ヴォラピュク運動の中心だったニュルンベルク世界語協会の会長であったが、彼の提案により協会は1888年12月にエスペラントに転向。最初のエスペラント新聞『La Esperantisto』を、ザメンホフと共に編集・発行した。『Adresaro』の番号は801。(*2))に言及しているので、主題はエスペラントのことで間違いない。

そのシュミット氏から”文典及「スペシメン」”などを送ってきたとのことだが、「文法書と例文」をひとまとめとして考えると『Unua Libro』(の英訳)ではないだろうか。まあそれはわからないが少なくともエスペラントを学習できるだけの情報を日本人が手にしていたことになる。

"この点に於るわれわれの考は、なほ、この運動の歷史を詳にした後にしようと思う"と締めているが、この後最終号の3巻3号(1902.9)まで確認しても、エスペラント含め国際語に関する記事は残念ながら見つからなかった。単発で終わったこともあり世間に影響を与えることはなかったのだろう。だとしても初期資料としてこの記事の存在が知られていないのはもったいないように思う。

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(*1)Claude Lancelot と Antoine Arnauld による『Grammaire générale et raisonnée ...』(通称:ポール・ロワイヤル文法)

(*2)Vikipedio「Christian Schmidt」参照
https://eo.wikipedia.org/wiki/Christian_Schmidt

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