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男坂が完結したそうだ

 俺はこのnoteをやる上では「今、旬のもの」を書かないことにしているので、インターネットでちょっとだけ話題になっているだけとは言え「男坂が完結!」のタイミングでこのnoteを書くのは避けたかったのだが、読み直したら書きたくなってきたので書くことにした。

 男坂というまんがは1984年から1985年にかけて連載されていたまんがである。内容は喧嘩がクソ強い13歳が仲間を増やして日本中を駆け巡るというシンプルな話である。
 車田正美先生は「これが書きたかったのだ」ぐらいに満を持して始めたものらしいが、三巻で打ち切りになった。バンカラものが衰退期に入っていたかというとそうでもなかった気がするが、今ひとつ読者が入り込めなかったというフシもあるのか何なのか(つまらない訳ではなくむしろ面白い)途中で終わってしまった。
 打ち切り時に完全に開き直って「未完」と書き殴っていたことは有名で、ネットの隆盛とともにそのラストシーンだけが流布することとなる。当時も今もそうだが、不本意だが人気が出なかったんだからしゃあないというのは変わることがなく、しゃあないので無理に構想を突っ込むか、途中だが何とか切り上げる、何ならヤケクソになってそれまでの話を無視してメチャクチャなことをして描き逃げる、普通にぶん投げる、などみんな苦慮しているが「未完」と言い切るのはなかなかない。
 しかも車田先生のその余りにも余りな堂々たる仕草によって、おそらく後進も真似することが憚られるため、俺は他の作品でそんなことをしたという事例を聞いたことがないし見たこともない。
 最初にやったもん勝ちということでも凄い。
 面白さがある凄さでもある。慧眼とかそういうことではなく、クソ度胸という話で面白い。ある意味メチャクチャなことをして描き逃げた部類に属すると思われる。

 「こんなに面白いのになんで終わったんだろう」という作品には枚挙にいとまがないが、男坂に関してはそのラストシーンの堂々たる打ち切り宣言(当時は既に読者も「打ち切り」という概念は分かっていたと思う、多分)いわば敗北宣言が作品の価値をうっかり底上げしてしまっている部分があるので、面白いけど終わったこと自体も面白い、みたいなところがある。ヘタに続くより作品の形としてはアリというレベルだ。普通、最後まで描き上げてから(打ち切りにしてもそれなりの纏め方というものがあるだろう)評価されるべきものが「これはこれで面白い」という些か特異な作品となっていた。

 そして時は過ぎ2014年、男坂の続編というものが開始される。
 その判断はどうかと思うと、個人的には「やめた方がいいんじゃないの」という意識が強かった。確かにその後のあらすじや回収し切れていないに決まっている構想が気になるというのはあるが、30年前の作品であり、尚且つ、俺たちは既に車田先生が30年の間に作風が流転変転し当時の車田先生ではなくなっていることなど分かっている。
 単純に絵柄の問題もある(別に絵柄なんか変わってもいいのだが、続編となるとちょっと抵抗感や違和感はある)のだが、車田先生の「これがやりたかった」という思いがどれだけ継続しているか、さっさと終わってそのまま忘却の彼方に葬り去られたであろう作品の続編を描きますと言われても、考え方だって当然変わっているだろうし不安しか出てこない。

 車田先生が30年間、ずっと隙あらば男坂を書こうと考え続けていたのならばまだ分かるのだが、多分、忘れていた。それをもって誠実さや真摯さが足りない、ファンをないがしろにしているなどと思ってはいけない。
 忘れるに決まってる。その後、車田先生は目もくらむほどに忙しくなり要求される作品だって次々と変わりそれらをこなしていくのだから、打ち切られた「失敗作」のことなど忘れているに決まっている。逆にまだ考えていたら未練がましいというか作家としては足を引っ張られているだけ邪魔とも言える。
 だいたい、読者だって別に待ってない。諦めてる。

 結局、30年過ぎて突然、男坂を描いたというのは、何をどう考えたってインターネットの影響である。これは断言しても構わないと思う。ネットで「未完」の見開きが余りにも有名になりすぎたから商売として成り立つであろうというビジネスライクな企画だと思われる。車田先生が「俺はこの地位に就き、その力を遂に持つことが出来た、だからもう一度、本当にやりたかった男坂を、やる!」と言い出したのかもしれないが、それは多分、ない。車田先生が我を通せた時期はもっと早く訪れていたからで、何も今、突然言い出さなくてもいいだろうという話だ。

 インターネットの功罪みたいなところがある。あれで終わってたからいいんだよ、というわびさびみたいなもんも「ウケますよ!」という判断で台無しにされることは多々ある。インターネットは受け手の数を纏めて大幅に創作物を引き揚げる可能性があるが、その数が故に送り手側が判断を見誤ることも多々ある。功であり罪である。
 俺の主観でしかないが、別にウケてなかった気がするということで、俺が功罪どちらと判断しているかは察して欲しい。
 
 さていい加減、本編の話をする。
 最初に言うと、連載期間が結構長い割に一巻ごとぐらいの細切れになっていることもあってピンと来なかったのだが、纏めて読むとそう破綻しているというものでもないし、長年の車田ファンとして偉そうなことを言う権利があるという前提で、俺は「そう悪くないよな」という気持ちになった。
 主人公の菊川仁義が全国各地を回っているのは別に「俺は強い」ということを確認したいわけではなく、ジュニアワールドコネクションという、世界中の悪ガキ(俺は不良という表現をこの作品で使いたくない)が造った組織が日本に侵攻してくるからという、俄に信じて貰えないような展開の上で一致団結しなくてはという理由であるし、そもそも、仁義は前作の時から基本的に守りの人で攻撃的な積極性はあまりない。
 (一話などは相当な喧嘩っぱやさがあるが、武島将に敗れ喧嘩鬼にしごかれてからは達観している。僅か十日の話だが三日会わざればの精神である)
 この辺、全国制覇、のような意識はかなり薄い。
 これはバンカラものとしては珍しいのではないかというくらい、薄い。結局のところ菊川仁義は「東日本のドン」と呼ばれるようになるが、それは人間の器の話としてそうなった、という描き方をされている。当然、強いは強いのだが。

 「打ち切られた三巻までが至高、続編はつまらん」みたいな評価が多いが、車田作品なんてものは「何言ってんだよ、意味わかんねえよ」を含めて楽しむものであると俺は思う。
 実際、三巻までだって意味わかんねえよって話は多い。
 打ち切りになりました、と言われても「俺は面白かったが世間的にはそうだよな、意味わかんねえもん」と諦めるしかない部分がある。
 覚醒仁義に挑んできた東京代表・黒田闘吉とまともに喧嘩せず船で海に出たら乗っていた船が転覆し、絶対に死にますという猛烈な荒波と嵐の中、見開きで「ネバーギブアップ」と荒々しいデカ書き文字が現れるシーンとか上滑りしている以外の何物でもない。それが車田先生の魅力なのだが、なかなか巧く行かないものだ。
 
 とは言え確かに三巻までのスピード感と緊張感、各地に配されたキャラ(特にジュニアワールドコネクションの面々)などは期待を持たせるし続きが読みたいという読者の気持ちもわき上がってくる。
 武島将のラスボス感は尋常ではなく、啖呵の切り方などめちゃくちゃカッコイイ。週刊連載上での尺の都合もあると思うが、シカゴのドン、フォアマンを戦闘シーンゼロで倒している展開なども良い。

 結局、まともに侵攻してきて仁義とやりあったのはシカゴ軍団だけなのだが、それもストーリーがタイトな上にキャラも立っていて楽しい。
 (続編のラストシーンでは他の国も来るが割とどうでも良い。ザコしかいねえから)
 シカゴから一軍を率いてやってきたフレイザーとラトーヤ、対する仁義軍団、更に武島将配下の西日本軍団の乱入など、多数勢力を1カ所に集めた割には非常に構成のバランスが良く、車田先生の手腕が光る。

 男坂にはいわゆる「必殺技」「スーパーブロー」などは存在しないのだが、それが地味で読者がついてこなかったのかも知れない。
 そんな中で異彩を放つのが、前述のシカゴからの刺客、フレイザーの放つ「MIDNIGHT SPECIAL」である。これもいつもの、なんやよくワカランが殴ったらどっか飛んで行って謎の光線が出るみたいな技ではなく、壁ハメでタコ殴りにするという地味にして荒々しい技なのだが(壁がなくてもダウンを許さないというところは喧嘩稼業の「煉獄」に通じるものがあるが、ダウンさせないシステムは何もない。立たせたまま死ぬまでボッコボコにするだけである)それはそうと「MIDNIGHT SPECIAL」という技名がよく分からない。何が? 何で? 今、九十九里浜は昼だが? みたいなところがある。
 ただ勢いがある。テンポがいい。カイトススパウディングボンバーくらいリズム感がある。さすがリングにかけろで死ぬほど技名を考え続けた車田先生である。
 ちなみに仁義は石頭なので、いつまでも死なない仁義に業を煮やしたフレイザーが脳天を狙ってきたときに頭突きを合わせて拳を粉砕することで勝利している。
 シカゴ軍団は全滅するのだが、唯一無傷で残っていたのが参謀然としたラトーヤである。戦闘要員ではないから無傷でもいいか、と思って読んでいると、ラトーヤが実は一番強いんでないかぐらいの含みを持たせたりもしており、演出が巧い。
 ちなみに帰りのタンカーで、ぶっ倒れたままのフレイザーに「ケガ大丈夫ですか」って言っているラトーヤはなんか仲よさそうで微笑ましい。

 このようなことがこれから何度も続くので東日本は団結しなければならない、ということで仲間を各地で増やしていく。西日本は武島将が治めているのでとりあえず良い。
 「硬派募集」と言ったって来るわけないから出向く。ただ一人だけ赤城のウルフという弓で人を射つ戦い方をするちょっと違和感のあるやつは一人だけ勝手に参戦する。
 俺は今でも「そのウルフって渾名ですか自称ですか本名ですか」が気になっている。ちなみにどれかは分からない。俺の感覚からすると「赤城のウルフ」は肩書きで、その下に本名がくっつくと思うのだが、まあ良い。
 このあと、福島で「昭和白虎隊」というのとモメるのだが、詳細は省くが九十九里浜に向かってきた昭和白虎隊は酷いもので、基本的に守りの人である仁義を挑発するためにその辺にいる女子供まで痛めつけ続ける。
 恐らくヒロイン枠であろう、仁義の幼なじみで「島村春奈」という、分かる人には分かるであろう内輪ネタみたいな名前の、ちょっと問題を含むキャラがいるのだが、この子も昭和白虎隊に襲われて黒いコマに白い血しぶきという演出で「キャアアー!」と悲鳴を上げている。

 島村春奈問題というのがあり、このあと打ち切りになったということを考慮に入れた上でも問題なのだが、仮にも作品中(あくまで三巻までだが)数少ないネームド女性キャラにして仁義とくっつくレベルのヒロイン枠キャラが(もう一人は武島将の妹)なんだかよくわからん福島からやってきた昭和白虎隊のチンピラに血祭りに上げられて「その後出てこない」というのはいくら何でもやりすぎで、病院に寝ているシーンくらい挿入して欲しかった。
 というかそれ以前にヒロインなんだから誰かが助けるだろ、とも思うが。
 多分、普通に殴られている。
 というかそのまま出てこないので「死んだの?」とすら思ってしまう。
 それは勿論、冗談で言っている。打ち切りになったからその描写の余裕がなかった、そんなことは誰だって分かっているが「あれで死んだ」という解釈が面白いので、つい、死んだことにしてしまう。

 それだけなら問題はない。
 続編を謳う四巻以降の男坂にも島村春奈は現れない。武島将の妹は出てくるのに島村春奈は出てこない。触れられることもない。いくら何でも触れる余裕くらいはあった筈なのに、全く一切影も形もない。
 もはや本当に死んだとしか思えない。
 詳しくは言わないが何となく色んな問題をフワッと孕んでいるくさいキャラなので、触りたくなかったのかもしれないが、そこは大人として何かしらのフォローくらいは入れて欲しい。いきなり、墓が出るとか。四節棍の先っちょに生首がぶら下げられてるとか。

 続編の問題にこの辺の「もっと拾ってよ」というのがある。別に仁義軍団に大急ぎで壊滅させられたみちのく奥羽連合のことなど拾わなくていいが他にも拾ってと言うか、拾わなきゃダメだろ、というのは数多くある。
 続編の評価が低いのはこれがかなり比重が高いと思う。
 結局、ファンサービスの一面が強い企画なので、サービスが足りていないとなにかと不満は強くなる。フレイザーとラトーヤくらい再登場させるべきだし、なんならフレイザーの代わりにラトーヤがMIDNIGHT SPECIALと叫んでタコ殴りにするシーンが欲しかった。ちょっとだけ改良されているやつ。
 (註:俺の中で「再登場」という扱いには到底出来ないのだが、ラトーヤは最後にちょっとだけ出てくる)

 打ち切り時に紹介された、北海道にいる凄く強いキャラ風の神威剣というやつがいるのだが、シルエットで語られるときに、バックに五稜郭がある。てっきり五稜郭に勝手に住んでいるのかと思ったら山の中にいた。
 神威編は前作と直接連結するエピソードなので何かと前作を拾うべきなのだが、この辺でちょっと読者が気持ちにブレーキがかかったかも知れない。島村春奈を差し置いて神威剣の妹である雪が出てきてヒロイン枠に居座ろうとするから「お前はひっこんどれ」という感じになる。
 ちなみに、神威雪も神威編終わったら話に絡んでこない。
 最後の方に神威剣と一緒にいた気がする。チラッと。
 車田先生はもう恋愛描くのイヤなのかも知れない。
 というかリングにかけろ以来、明確な恋愛描いてない気もするが。

 その後も東日本を回るのかと思ったら、神奈川にいる横浜(ハマ)のジュリーと一悶着あっただけで、まあこれが結構、長い。東日本を何処までそう呼ぶかは分からないが、神奈川で終わった。静岡とかは誰もいなかったらしい。名古屋とか何かいそうなもんだが、いなかったらしい。

 その後は西日本を回って武島軍団の面々をクローズアップすることになる。西の三傑と呼ばれる山陰山陽を束ねる高杉狂介(中に鉄芯をたくさん埋め込んである馬鹿でかい木刀・攘夷刀というのを使う。ちなみにその木刀には「面白きこともなき世を面白く」などと恥ずかしいことが彫り込んである)四国の堂本竜子(車田先生好みのクール美女。異常にデカい土佐犬を飼っている)九州の南郷大作(顔の造形が手抜き。デカいから神威剣と被るが所在地が南北なので対比ということにする)などが出てくるが、新キャラバスバス投入されるよりもうちょっと昔のこと拾って欲しいんだよな~という不満がかなり高まってくる。

 その「ファンサービスがイマイチ」という点を除けば、俺は結構、構成や話の進め方は良かったと思う。特に前作にチラッと出てきたキボウ(天才軍師枠)が仁義に会いたいものの、フラフラしているもんだから毎回スレ違いになるなどは気が利いている。
 完全にバカ三人組と化していく赤城のウルフ・黒田闘吉・横浜のジュリーの一方、梓鸞丸の格だけは落とさないで堪えたあたりなどもベテランの技を感じる。
 この辺は評価が難しいものがあるが、「男坂を今やる」というならネットで未完シーンを知っているだけのような新規読者に近い層を狙うより、ちゃんと読んでいて好きだったという層に対する目配せが足りなかったというのは判断ミスだった気がする。
 武島将などもまだジュニアワールドコネクションの会議にいるのだが(会議が長い)前作で描写が足りなかった分、他国のドンを威圧し格を保っているし相変わらず啖呵に勢いがあるが、よく考えると何を話し合ってんのか全く分からない。まあそこを説明するようなまんがでもないと思うけど。

 車田作品はいきなり孟子とか孔子を引用したり分かりやすすぎる英語が殴り書きされていたりかと思えば全く分からない単語を説明もないままキーワードにしたり、突然の男ポエムが垂れ流されたりイマジンの歌詞が描かれたり(イマジン、という安っぽさが良い)色々と含み笑いをしたりするのも間違いなく魅力の一つだと思う。
 その一方で異常なまでに背景設定を凝った割には、その設定は別にどうでもいいんだけどな……という上滑りも数多くある。
 なのでその辺が気にならないほどのテンションにハマらなかった場合は、結構、すぐ終わるし有り体に言ってしまえばスベっているだけの作品になる。ただテンションがハマった時の破壊力は相当なものがあり、それをして第一線にまで車田先生を押し上げたのだが、男坂の続編については噛み合わなかった方だと思う。
 本当にコレは俺の印象でしかないのだが、「車田先生、本当にコレ描きたかったのか?」という穿った思考が湧いて出る。描きたくなくて描いていた、という訳ではなくて「男坂でやりたかったこと覚えてます、ちゃんと?」という感じだ。

 古き良き、と言ったらなんだが、要するに本宮ひろ志先生の「男一匹ガキ大将」をやりたかったという強い欲求があったということは知られている。バンカラがバンカラ仲間を集めて、拳一つで全国制覇である。ちなみに原哲夫先生もやろうとしていた。それほど影響力があったと思われる。俺は読んだことありませんが、男一匹ガキ大将。

 ただ俺に言わせると、車田先生はそのフォーマットを既に「リングにかけろ」でやっていて、きちんと継承している。あっちなんか世界制覇だぞ。ただフォーマットとかでは納得しなかったのか、まんま直系を示したかったという気持ちはよく分かる。ボクシングはケンカじゃないからね。ただあれがボクシングかと言われると俺もちょっと言葉に詰まるが。

 仁義の目的はあくまでも「守り」であって全国を統一してリーダーシップを取りたいわけではない。仁義がケンカして勝利したいのは武島将なので、最後は武島将と殴り合って終わるというのは形としてはきれいに収まっている。なんか物足りないな、というのはキャラが増えすぎて処理がおざなりな上に、作品全体的に上滑り率が高く、そして何度も言うがちゃんと前作から拾うことを怠ったというファンサービスの足りなさにある。
 ヘタに話を広げたものだから、なんというか「これ、また打ち切りなのでは?」という感じになってしまっている。まさか30年ぶりに描いて10年描き続けてみたら、また打ち切り感が溢れてしまったというのは何とも業の深い作品である。
 車田先生は納得したかもしれないが。してんのかな。
 なんとなくだが、あの世代の作家は「作品をきれいに終わらせる」という経験値が少なく(人気がある限りは終わってても続け、人気がなくなったら途中でも終わりというスタイルだったため)最近のように恵まれた創作環境の中でストーリーを起承転結しっかり造るという気持ちより先に「ところでこれは、いつ打ち切りになるの?」という不安しかない、暴力的な他人の圧力がなければメリハリが生まれないという部分があるような気がする。
 勿論、出来ないわけではないと思う。あの当時でもきっちりと気持ちよく終わっている作品だって多い。ただコンセントレーションやモチベーションの持っていき方が、そういう酷い環境の中で発揮することに特化しすぎていて、逆にそうじゃないと散漫になってしまうみたいなとこはあると思う。
 「終わらせろ!」ってなったときに悲しんでいるひまなどなかっただろう。むしろ来やがったなという感じで逆に回転数が上がる、そういう一面はあると思うし、だからこそ「未完」という後世にまで語り継がれる最終ページがこの世に顕現してしまったのだろう。多分。
 やけくそになって初めて到達出来る場所は確実にある。

 ところで喧嘩鬼の正体は第二次大戦の帰還兵で、進駐軍をボッコボコに殴って殴るのに飽きたから世界に旅立ってまたボッコボコに殴り、飽きたから帰国したら浮ついたしゃらくせえ軟派の国になっていたのをはかなんで山にこもったらしい。
 武島将も喧嘩鬼に喧嘩習ってたから兄弟対決になっていた。
 ここの拾い方は巧いと思うが、駆け足だな~ってのは否めない。悪い意味で打ち切り体質になっているが、大御所なので唐突な打ち切りはない(というかそういうことで企画された連載ではないと思うし)のも相まって緩急のバランスが悪い。
 そう考えると、リングにかけろって奇跡的な作品だったんだな、と思いを新たにする。

 書き残したことはたくさんあるのだが、この辺で終わりにする。書き残したことが気になる方は男坂を読んでみて欲しい。名作と言ってしまうのは軟派に過ぎる安易さがある作品なので、硬派な気持ちで読んでみて欲しい。いいところと悪いところがごちゃまぜになっているのが車田作品の魅力である。

 あと俺が見逃しているだけで島村春奈さんの消息が読み取れたという方はこっそり教えてください。よろしくお願いいたします。



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