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東洋と西洋が入り混じった街を歩く旅

モンテネグロからボスニア・ヘルツェゴビナは車で移動しました。出入国審査は高速の料金所のようなところでドライバーから窓越しにパスポートを渡してもらってスタンプ押されて一瞬で終わり。別人が乗っててもパスしたのではないだろうか・・。
かつて「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家」と表現された旧ユーゴスラビアのひとつであったボスニア・ヘルツェゴヴィナ。

モンテネグロからボスニア・ヘルツェゴビナに入ったものの、しばらくはスルプスカ共和国を走りました。私は直前に知ったのですが、歴史的経緯によってボスニア・ヘルツェゴビナという国の中にボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国の2つの国が存在しているという謎の状態です。スルプスカとはセルビア人という意味で、スルプスカ共和国はすなわちセルビア人共和国なのですが、セルビア共和国と紛らわしいのでスルプスカ共和国としているようです。そんなスルプスカ共和国を3〜4時間走り続け、途中レストランで休憩しながらボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボに到着。

サラエボの旧市街にはバシュチャルシアと呼ばれる職人街が広がり、オスマン帝国の街並みをそのまま残し、水飲み場のある「バシュチャルシア広場」には、多くの人が集まり賑わっています。それ以上にものすごい数の鳩がいます。鳩たちと写真撮ってる女性の頭に鳩が止まり、その女性は嬉しそうにしておりましたが、もともと鳩が好きではない私としてはとんでもない。鳩だったら新橋駅前にもたくさんいるわとそそくさと退散しようとしたら鳩が真正面から突っ込んできました。なんて攻撃的なのでしょう。鳩が平和の象徴だなんて行った人はだれだ!?

これはまだ少ないほう。

サラエボの街並みを一望できるところへケーブルカーで行ってみました。よき。

サラエボ旧市街の入り口にある「永遠の炎」。第一次世界大戦の犠牲者を追悼する目的で設置されたそうなのですが、雨とかでたまに消えるらしい。永遠ていう言葉なんて知らなかったよね。

夜はこんな感じ

ミリャツカ川には多くの橋がかかっています。色んな橋があって川沿いの散歩も楽しい。

その中の1つで最も有名なラテン橋。1914年オーストリア=ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント皇太子夫妻がサラエボを訪れた際に狙撃されたいわゆるサラエボ事件がおきた場所です。この「サラエボの銃声」が第一次世界大戦のきっかけとなり、ヨーロッパ全土に戦火が広がっていきました。ちなみにこの橋の上で中国人のおばちゃんに中国人か?と話しかけられました。嬉しくも悲しくもないですが、中国人に中国人と間違えられるならヨーロッパの人から見たらアジア人は皆同じに見えるんだろうな。いやでも私はおばちゃんは中国人だろうなと思ったよ。

ラテン橋
ラテン橋上から

夜のサラエボも幻想的です。スリと地雷に気をつけろと散々書いてありましたが、(スリはともかく地雷は気をつけようがない気が・・)サラエボは比較的治安がよく、夜も歩けました。

かたわれどき

ご飯も美味しかった!

ボスニア名物料理を少しずつ
ブレク(具入りのパイ)

ちなみに通貨は「兌換マルク」。また一生使わないかもしれない通貨が増えました。。
ということで、セルビア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナと旅してきましたが、それぞれ違っていて共通点は①ヘビースモーカーが多い(レストランには普通に灰皿が置かれている)、②電動セグウェイが普及している、③猫が多いという感じでしょうか。

サラエボの猫さんたち

猫の集会?


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