綺麗事で人は救えないが、君が消えるのは悲しい


よく人に相談される 頼られる
悩んでる相手には申し訳ないがその度に私は嬉しくなる
根本的解決作をあげることは出来ないが、思考転換で少しばかり心を解してあげることは出来る。と思っている。

だが、綺麗事で人は救えない

死にたくなるほど苦しんでいる人に死ぬな!というのは果たして美しいのだろうか。
死ね、とは言えないにしろ死ぬなというのは私の死なないで欲しいという押しつけでしかない。

生と死を思考する夜が幾度となくあった。

私自身、何度も死のうとした。死にきれなかった。
救ってくれる人がいた。死なないで、と泣きながらお願いされた。死なせてくれ、殺してくれと思いながらもそう言ってくれる存在は有難いものだった。私を認めてくれる存在がいるうちは生きてみようと思った。

でも、あなたの命はあなただけのもの。
誰かが悲しむから生きていよう。ではなく、どうせ死んでもいいと思う人生なら何も気にせずやりたいこと全部やって幸せになりきってほしい。
そういう、思考の転換を大事にして欲しい。

死にたがりの私だって、生きていられている。
君の世界は自分次第でキラキラするよ。大丈夫。

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