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時計と都合の良さ   また神は殺されるのか

  
  
 時計を思い浮かべて欲しい。考えないで。感じてほしいからじゃねェ 。考えたなら君は、白く都合が良いね 。 
   
      
    
        
  
 時計を見れば、3種類の時計しかあり得ないことを思い出すことをそのことは助けないけど、基礎となってみずからをそう状模かたち造る。電板時計、糸構IKhoo器械の時計、神通の時計、その3種だ。
 
   


一旦は、神通だなんてふざけと眼外にも置いといて貰えばいい。時計の都合の悪さ?違う、キミの都合の悪さを考えよう。もし、ヒトデナシをキミの詞乗きゅぶろくで指すことに虚無のienが似合わないので、無ければ。 
 
  

     ・電子の当たり    


 
 キミはトイレのなかで、自室中で、スマホを見て、圏外の表示をひさびさに味合う。合う味が豫め或るというだけの話で、その意味で、既の味を探さず新しいあじを獲得することの如何を題目的にも表したのが、これにてシンプルなカントの一文となるが、その所在も明かさぬまま、関係ないものを締めるよ。さて、いつからこう、残酷になったものか …‥  ハハ、いつにはじまったことろう。
     
   そこにて時間を見よ。キミはこう思えた筈だ。そう、この時間の正当性を疑ったなら(豫め「まさしさ」がある!しかもその正力は、果たして、どこから根拠を得ているというより、どうしていつから善性なるに唯一の権力の的割れた疑いの主身の大黒柱じみた、いや、それとった。)。この時間は、さてジェットコースターの「楽しさ」向きのようにくるまれている。無味無臭な母体同質に、この時間が戻れるなら、それは如何なる手を歴よう。私に直接的に疑われなくとも、構造的なこそ此其の疑われを、この時間の直接ものも(構造と友に)掛けられたよ。
 
  
 即ち、時間はさてな、否、此の時間はさてな、どう正しかろうな。(や?) 時間を、稻此の時間をメタにメタぇぃに漉してゆくと、鼓しして軸が響きゆくだすんだ。 
   

        ・二つの明かり      


  キミは、トイレか、自室か、どこかの青臭い原っぱなんかで、目前のスマホや、電子仕掛けの腕時計の時間を然と確かめる。その分数ではなく、黒目の達置も体一つさえ動かさない侭、その「:」に区切られた字形数列を眺めながら、其れを成り立たせるに必要の条件の神通(神の必詣今処的象徴を 完全性 と取、らなくともとっても。)の下拵えについてを。
 
 だがその前に、そこに蕩けこむまえに、そのそのものの「成り立つ」とは如何やろう。私は、「有意義/味である」か「意読いどくできる」に思う(解すには早計)。つまり、たとえば06:18、この時間の「意味が分かる」か、それか「読み方が分かる」、このふたわかり双同どちらも一が、06:18=今の此の時間の「正立」の意義そのもの、ということになる。
 
 
 さてはその上で、神さまの下拵えの内容の前に外様を濾るだけで、一先ず時間の  ――あくまでもIn 時計の とはなるが ――  構成要素であるふたが浮き判る。
 
  
 考える間も無く?(本はそれ自体動かない、捲られないと、なのに、のをへ?)両双をけてしまうのだが、一方はキミの手、そしにも同じく、「スマホや電動腕時計の此の攫の中で、電力斎映を正常にさせて置かない程の電池切れ希離事が訪れ起て居ないか(の確認)」であろうに。シンプルを超えている。二つ目なら、キミのお題目は?ふむ、「何らかの因由によって目前の表示時間の正当性に疑問を持ったときにおける、その時間の正当性の確かめ仕方の究まった無さの尽全(の周到さ)の齎す攻撃的虚無からこその挫折」、なるほどねぇ、当りやろう。後項の此の具体粘説だと、違う時計や大いなる公言の時計を見て確かめてよし合ってる間違ってる、のジャッジが当然かつ唯一的であったこの世界で、その当然性の方だけにはなるが其の前方性の根拠が未明だったことに気付く築くことそのもの、が当たれそう。また内部訂念だが、今のところ、二つ目の明らいの前部文の「疑い」の箇所が、この種の哲学の手探り法の実況のすべてにおいて必然的=必確要素なのかは、今=2024/06/10 2007-9 のあたしの頭に、定かの事ではないのようだ。ところでしょうむなくもなくむつかしき「とき」の読み名として(今常悟得いつも如く)当然のように示した【 斎 】の字ではあるが、(現時点=2024-06-10 1940 では斎が時と同義で可笑しくないのかは確かめ未済みだし、当分確かめようという気もそんな無い当方均とないという事ありけり。)、此の文字、まずは私ともなりますが🙇‍♀、非常に上手い「象形」に成り、立っておぃる。カントは「新しく知識を得るというその交じりっけなし純真の場合には、その(対)象、それがであれなんであれ、身の元としての的母ア・プリオリな自−身に先立つ《学として全う真当な学》があってこそ、その得る・得た事が成り立っていることにならないか」とこれ又当たり前かのように(意地悪に?さーはて)記しめした。カントにユニークにか、巧く、傚えばこの象形の「意義」が分かるというから驚きか。そう、意義という言葉は便利と言えて、意味のジコチュー性とは違って(意味の場合完成に単直に訴えるものも、ここの差別を考慮したものには益益あるし。)、意義というとどこか「背理と同義語だからこの言葉がつかわれたらある意味背離し拝領になっても許されておる」と解され得もしようよ。斎にはなんと「示す」の字が、つまり、時は示すもの主役、いや示されるもの対対座台でありながら、示される理由もまた自分の名にこそ示していたものでもあるのだ。
 

  ・Big-Question       二りの明かりは溶け合うか   

 
   私が思うに、時間というものは二つの前鉤括弧の明かりの二つともを、自己のメタ=概念的かつ直接=現性当時具体的の両方の性質的な正立の、必要素に予め定められているものだと言える。し、此んなのにも関わることか、時間というものが、この二つのそれぞれ一つづつになんとも「平等」な風に、“もう一方”をいつもちらつかせる義務を待っ当まっとうしながらも、結局は自己優先でしかし“もう一方”の不必要性を論駁し切れなくて、一先ず「パラドックスが“もう一方”と此の一自己方の間に杭歯くいばんでいる。」と落ちどころ 想者に結論つかせるような  ふたあかり  の関係に、 −−しかし恐らくんば、概念の正的理解を臨む者の眼前にだけ−− 孰れも巻き込まれている。     

 
 二つの明かりの溶け込みは思い通りにはいかない、仲は一筋縄に無い。手前の腕時計やスマホの表示時間の正誤について真理愛が涌いた者が、目先のブツの電源が切れていないかを確認している時の、都合の良い無根拠な(のにそれの無自覚こそあっているからこその『都合の良さ』のエクパロゥールォーなのだね。)電源が戻ってそこに調子戻されて戻ってきた表示の数字なら、確実に時間として世界唯一の存在らしく(いつでも)正しい。への頼送・おもい込みが、先に立たれる。
 
  
 順番で行こう。電動時計の電源が戻っても其時計の調子が狂っていたのが完全に戻って来ても、それで「真意が戻ってきた」のかは無根拠なことだ。しかし、そもそも、戻ってくる以前に、そのちょっと(充電が切れてから再び充電される民々に際した時間………人生の壮大さに対しては、そうさ?。)前に失われた筈の、「正しい」時間さえも、それがなぜどう〈電源が非常に正常に点いているからこそ(時間も、)正常〉だと言えるのかも、また明るんでも居ないことではなかったか。
 
 
 なんにも手掛かりが失くなってしまってはあれだから、既にもう一つ抽項的にも散々示してきた、「確認しようのないほど世界の殆ど凡ゆる種の時計が壊れていたら」のSfyIfyをいまに🗄️そう。
 
  
  そもそも今見ている時間はどうして正しいのだろうか、と問うとき、既に「正しい時間」をどこか具体-概念的に確定させてしまっている思い込み都合の良さがあろうよな。いまに「正しさ概論」を組み立てる必要もないが、時間を対象に論じている以上、その具体にも概念にも、或いはその両方のみには、触れておくべきだし、触れてきている。ひとつめの明かりは「いま見ている時間は正しくないのかもしれない」という疑いなしに始まり得なさそうな手掛借りであるのもここで重要な事情だ。電子時計が木製や金属製だが電動ではない、より古き時計群に性能でまさるのは紛れようも無き事実でありつづけているが、それを疑うというのだから、余程哲学的な深みか何かがあるに違いない ー ……… ー いや?違うのだ。何もこれは「シンプル」な話で、理由はどうあれ、で良いのだ。疑念の根拠はどうであれ、トイレやら自室やらで何らか目前の電動表示時間への、疑念、こそが必ずスタートさせることになる、その名に以て故意 「(目前の時間って不自然ではなかろうか……いやこの疑念は不自然さそのものが普遍的に起こすものと決まっていたな……=)哲学」、というのがなんなら、単にそういった今のなだらか括弧づけの 思案 を、世間的当然に解決させる簡易まった義理の一つとして、いまこのスマホ/電動腕時計がおかしいのであって、世界の時間自体がおかしくなっているわけではないだろうという手掛借りが出てくる、というだけなのだ。
 
 んむむ?電動腕時計/スマホ自体がおかしいというのなら、それは電流の滞りが真因ということになってくるけど、時計は古代の方々から変わらず、電流を通さない仕組みで成り上がってきた。ちょっと、えれくとろにっく趣味をやめよほよ。この一路から、Kahffin でも繋ぐ摑むために脱争しよう!!!!! 
 
   

 

      ・2's Enemy  ー  元初までもが? 


 
   
 
 器械的な時計という風景を分解して置こう。それは木材が巧妙に組まれていても金属の企則に味を感じる鳴り響きの向こう先にあっても、そういう風らにあり得ている。電動の意味(性能搭載)が積極的にそこへの意義的介入を否定される「時計仕掛けの木塊 - 器械」でそれこそはあるが、そんなワケで木塊及び器械は電動であることの意味であるわけでなくて、じゃあ電動の方意は、電子的且つインターネット配線隔空的な事であることの意味としての、即ちネット性の線が面々方々に繋ぎ組まれるし、  ——— 「亡絶消隔」、のような言い口でも良いが ———  ものごとの方決となる「カラをも、敢えてして元様もとように一個の部屋と見做し、穴を開けてコードが繋げられなければネットを成らせる諸の仲間入りができない壁に囲まれた(事であるになる)其の 部屋 としての一性質のカラ、 遠隔 が遠くでそれが隔たるの口現しに足るというものの意味であるならば、其カラを隔てた( 物量体触的にカラなんて無いのにね! —— ナイから空なのにね! )のであるしなる物事槃杷
 
   
   電動的でないという意味でもある「器械」的な、古風寄りのガチカッチンの空栗絡ら繰りのWatcha は、それぞ「此処に」表示する時間〔の正当性〕を疑うとき、エレクトロ製の斎のよう(未だ −−  2024-06-12  2139.  −− に斎の意を田斬讀蒜していないが。)には、多く深く、いや遠く広くを懷わなくて善し。だって、ただそんな時来には、やはり先ずには目前精巧時計の「精巧器組の衰え」を思わざる ー疑うの他は無ひ。それは5分前まで職人からのプレゼントでもある新・品として6日程度は全く持って私に疑われることなくおおよそ正常に機能してくれた、つまり其の觀す時体の正当性を保ち続けてくれたのだ、がしかし、なぜか二階へ戻っても10分を指しているのに階段を降りるとやはり縒り旧き大時計は27分を刺していて、気になってhour level を確かめると共に6時で、はあったが。そんなとき、しかし世界の半分くらいの人は?、27分だって間違っているのではないか、と思う筈だ。其れ即ちは、家にある二つ(6日前までは今そこまで疑われていないその一つ)しかない其のすべての時計が、表示を誤っているとの、謬点だ。  
   
 
     だが私には、もっと、いやもっとも❔重大なしかし似たような問い、(いや)疑いが生じた。「都合の良さポイント」である。先ず、どうして10分の方が正し  ーー  くて、27分の方が違っている  ーー  いと、つまり明確に何を以てそう思えたのかがきたいのだが、そう思えたのか(まぁ、こんなことを考えている際抽に、これが現実的なことを抽出している、夢のようなものでも無いのであるなら?、うん、もう既に、それらは12分 · 或いは15分と、32分或いは31分と1/4分となっているだろうけど)。だって精確に状況を考えても益々ここは、27分の大時計の方に私なる主人公が「根拠無き時信」を傾けていたことを省みる縡こそがただしき回路みちのりを征く縡だと言う他無いだろうよ。恐らく哲学的に部違っていない反出生しょうせい義者が「生まれ」実概の元々を辿り辿りしアミノ酸やビッグバンなんかに思惟を傾けるように、時間への無勢氣な信頼をメタ認知しようと志した際に謐篳蹕で現わる結局的な根拠の無さの横たわりが、ここにも当然何らかを視て鼻を延ばしてか居た。
 
 
      もうちょっと詳しくふり返って置くなら、私には、今例示しているケースにこの問いへ、「いやいやそんな問いが逆に( 疑質にはなるが ー )出るか?10分の時計は新品であって信頼度も足りないが、いやしかし職人が創ってたか … と、っそういう実際ごとでなくて哲学的に考えれば、いやしかしやはりそれは無理だ、際考に瀕して、27分の時計は、ずっと自分に遅刻など不利を与えて来なかったのだろうでれふ?」(実際にはみんなこんな俺のいつもの脳内気象のように大神うろたえないだろう笑それにしても実際ごととは文中に残したが、みなの真髄実際ごっこと本音でありそうだ。)という反論が実際みんなに山積みだという性説がある(基本的にそれがある気がする)。応えてゆきたい、が永井均も「みなのみなが〈私〉の哲学をしなくても安寧に暮らせているこの世界だってどんなふうのどの世界でもそういう局具なありがたい性質をしていると言われれば、そんなことを言える確固たる結挙などなくて、言うに難有い」と趣旨るように、その27分の大時計の28年正常であるという大層な歴史の其の正当性に着目した刻の根拠を、〈その大きなノッポの古時計は必ず間違っていない、昔から一度も、とか関わらせちゃ駄目でもまさに現に、その古時計にこまらされ赤っ恥掻かされたことも無しら〉に結ぶのにはわたしゃあ、いや論理ゃあ納得往けない、そうなのである。偶然性というものを哲学す、ごホん、考えるに、真にどこまでも着いてきて役立ってくれるのは、消去法定形の思考法ではなくて可能性の気付きという残酷味の残る現実性が漂うのが昨今のエムエラリニズムの潮向であるが、まさしくここにだって、其の古時計からの災害はすべて君に当たらなかったんかもね、当たらない恵みの分だけ君がとてつもない踏ん張りをかさねてきたから、とふように、そのありがたさは漬けこめる。ところで今にもの鬯行潮向は、伺慎より力の移転にもとも描かれそうである。   
  
 偶然性もなにも、別に27分のフル時計に置く信頼は究極、具体的に此場を観察しつづけた時に易しくあらはれてくる。10分の方の時計は進みが(究極)体感に比して遅く、27分の方は立派に自然な儘だ。これは、世界に通じること(イコール即はちね、電波が悪いの)ではない。そしてそれはどうでもよい。電動か器械的かの違いはどうでもよい。でも、規則性は自然で、違変がない儘の時ほど、実は完全性と同一の性となっている。電動時計を働かせるのはプログラム要素様々だが、器構造を動かす(正常につ)のは神聖なる冷霊の風だ。
 
    
  
  

     ・G(ah)od の定め   


  
   
   勿論、器械を仕組むのに霊媒師の縁下は確要でないし、そうでなかったとしてスマホ大会社の地盤に骨の粉粒Kakelo が一切含まれていないという事の方がやはり非現実性に富む。
 
  
 それでも、器械を作って、つまり機能を作ることが可能であっても、それを正常に動かさせる永与力えいよりょくは、つまり規則をつくるというか己ず職人の手から個別に切り離された人間の子息こそく的存在を立ち放つというかは、人業とはできないよ。(スマホ内部や腕にく)電動時計は「一種」である。あらゆる、インターネット上の端末  ーー  インターネットの者として機能できる人物ひとものわぬ槃て  ーー  の一つだ。対して、器械的で非電動的な時計も、「一種」である訳はナい。電流が唯一的か、器械の神通が唯一かの二択の他にこの世には時計においても無いからである(言い過ぎか。またこういう括弧はアカデミックに開けるからは排斥されるべきであるという風ばかりに当たってきている)。
 
 つまり電流は物理的唯一の証号を持っている、それは、電流は「具(質)体である」ということだ。ご想像の通り、神通でも器械的凡用の時計でも、それ(ら)は具体ではない。では何か。そもそも、何故具体であれば唯一的であれるのか、それは先ずにお分かりか。其れなら、先ずなぜ電流は具体なのかから、 ーー勿論それ自体は自明のことで、具体でないという特段のものに対しての変ないい振りなのではあるが、ーー 電流は観測可能だ。ふわふわとれもしようは大くの者知り事也りぬね。だが、神通は、則ちは、見えも触れもできない。規則は物質ではなくて概念だからである。となると、実体(=物質)である電流があるのに対して、実体として規則があることはできない。規則とはそもそも規則(の説明文)的な能力そのものであり、電流とは能力自体其者ではなくあくまで能力の容れ物或いは対象なのである。『規則』(アクリチュールとしてのふた掛けカッコであることに注意してほしい。)がもし実体であり物質なのであり具体性なのであれば、ただ、規則への規則、つまり『規則』ではない〈規則〉が存在する他は無い、『〈規則〉』がある世界には。んで此処ではそう「『〈規則〉』」が一つ前の言語(論理)ゲームにおける「『規則』」の位置に取って変わられるだけで有る。ここに https://note.com/emuchan121/n/n2c63e8bb5fb6 に立てたような「エムエルンド哲学」が、ある。即ち、【最初が存在するならその最初にも親的なる最初があり、最終的な最初は決定できない意味でその文言が否定されるようなパラドックスがある。し、一世界に一宇宙しかなくて一世界/宇宙しか一世界/宇宙のなかには存在できない(そう言う他は無い!!😭)設定の世界がここと仮定した時、宇宙の壁を変えたら何もない筈だが、なにもないはずなところに行って消えてしまうという原理が働かない場合、何もないところに浮かぶ今に自己が在る者がそこに有るが、そことはどこか、と問うときにやはり〈有の世界〉つまり少なくともそんな不可能世界ではなくて宇宙内的世界が必ず存在してしまうゆえ、宇宙の外に出ることは如何なる者も唯概操論理ゲーム的に不可能だ。】が横たわってある。    
  
 
 電流はコツを知れば誰もが証明も掌にすも可能だが、器械時計の規則性、つまり機械作動の正常性=(設定時より)不変性(神通とも表現されてきたもの)、は、コツを知っても証明が不可能だ。それは証明しようにも同時に偶然性が正立してしまうのと、そもそも復元したという証拠の型がどうあろうにもあかせないからだ。神のようだ、見えない、霊のようでも。
 
 だが兎角、神性の霊扇が吹いていようが、そうでなかろうが、変わらず器械時計は「間違っていなければ」正常である。正常に働く、でも、意味が異なるが(おなじで)良い。とどが詰まらず、どうしてあなたは「その時間は正当である=その時計は正義的に働いている」と決める決定権を、どうしてというのは変か、どのようなそれを、有しているのですか。キミは、どうなんや。結局、哲学的イタチゴッコはどこに向かう、【永井均は〈この時間〉としても良かった】の言であろう。そもそも【どれが本当の私なのか】を問う前にどうして君はその正当性を決める権限を有していると、(いつから、)思い込み決めていれたのか。どれが、本当の時間なのか?そもそも、本当の時間ってなんなのか?クイズ。間違い探し。どうして、それらの正当性はコトバ上活きているのやら?大問だ、大問よ。
 
 
  
 この時間を5分という今の正確な時間ではなく、10分にしたら、5分後は10分ではなく、15分、100年後には15分なのが、20分。ただそれだけ。ほんで、それに何の有意義性がある?君は、どうにも固執するな!!カップラーメンを5分後まで食えないとなったら大問題かもしれないが、3分後にキチンと食えるのならば、今が3分であろうが5分であろうが、どうでもよいだろうな。又してさ、3分と5分、どっちが正しいとか間違ってるとか、どうでもいいだろうな。3分間が5分間という名前に変更になってもなりゆきがあるのだからどうでもよい。名前なんかなくても生きることは時間を費やすことで、その意味で体長がある個別時間個体の長さが、少なくとも構造的に変化することは、神にすら不可能なのであるから。
 
  

 ・みんな、お先で済みがせん   ー   ふわふわハート対談

           4限,講義おわり  ……………       

 エムエル  こんな書を書いたよ
 
 ふわハー  どれどれ……
 
 エムエル  まぁ冒頭だけでさ。君の家に時計は何個ある?
 
 ふわハー  3つ……やね。
 
 エムエル  ふむ、ではそこまで多過ぎることもない?
 
 ふわハー  うん。
 
 エムエル  うぇいよー | おけ。時計の時間が狂ったことってない?
 
 ふわハー  ちょっと分かんないけど……   
 
 エムエル  なんかさ、時計の時間が狂った時に、直したことあるやろ?今までさ
 
 ふわハー  ある(んや)ね。でも俺は基本やらなくて、親がやってくれてたかな。
 
 エムエル  ほなさ、お父さんとかお母さんは、どうやってその狂った時計を治してたんやろう?
 
 ふわハー  あの、あれやろ、付いてるうしろのネジとかを、回して…… 
 
 エムエル いやま、それはそうなんやけどさ、そうことじゃあなくて。そのネジを回してもさ、適当に回すだけじゃ回す意味はないやろ?回す意味は?「正す」、つまり目前の表示時間が、誤っているから、正しい時刻の位置へ戻してあげるという行為に同等であるからやろ?
 
 ふわハー  ふむむむむ。
 
 エムエル  ほんでさ、その「確かな」、「正しい」時間に戻すための作業って何が当たるやろう
 
 ふわハー  あれとちゃうん、ネジを回して…… 
 
 エムエル  いや、ちゃうちゃう、それはそうなんやけどさ。お父さんかお母さんがさ、家の狂った時計を治す際にさ、どうやって正しい時間という指標の方を確かめるんやろ、いやどうやってHow routeと言うよりさ、その正しい時間がある場所にお父さんかお母さんは向くやん?それは、どこなんやろ?Where route
 
 ふわハー  あー、|違う時《キミは非同一性を見よ 》計か、せやろ
 
 エムエル  そうそう! せやんな   でもさ、なんでその違う時計の時間の方が、正しいと言えるんやろ
 
 ふわハー  あー、えっとなー
 
 OOOosaka's O Initial’n    スマホがあるやん(嘲笑 今哲軽哂
 
 エムエル  っでもさ、スマホも同じなんやで、スマホに表示されている常に正確な筈の時間は、何故正確やと言えるんやろう?
 
 ふわハー  (ポカン)
 
 エムエル  せやろい。スマホにある時間の正確性を担保してくれる者は、スマホの時間の設定者或いは保持機能の出処が参考にし切った(最終的に最も重要と言える OK の表明に踏み切った)、「大元の時間」でしかない。
 
     ~  ここからは強脚色   ~
 
 ふわハー  ふむ。
 
 エムエル  でも大元の時間はなぜ正当と言えるの?結局、ついさっき示したスマホの仕事をしっかりと遂行したと言えるからに過ぎないこととなろうよ。ならばね、その仕事の本質にあった穴欠けっけは、槃ての(=つまり最終的かつ唯一の手段なる最後度と付すのも野暮なる「大元」の時間の)正当性の根拠論にも同一位で潜むことになるわけさ。
 
 ふわハー
 
 エムエル  OOが言うに時間の正当性は俗従でスマホに、つまりスーパー・少なくとも的確なコンピューターに任せられているというのが妥当だ。んで、スマホの中の、いや反映する、時間の正当性、つまり「精確なる器造構1の正当性及び精確なる時間2の正当性」は、何に任せられるのか。兎角、スマホに正当性を与えるものだ。なら、それがAだとして、Aに正当性を与える者はまず居るのか、そして次なる問いは、そんな者は居る必要性がせめて善仁としてるのか。Bがそれ以外自他ともに認めないような者とし在るだろうし、BがAのために必要で、YがXのために求められよう。Zの先にもこの目に映るのいつであれど夢でなければ道が多少明るうく。  ――――――   結局、ハナっからそうだったのか。神殺しの風車( https://note.com/emuchan121/n/n35ca80a45fa9 )やない、ない!( https://note.com/emuchan121/n/ndcec76e53dfb )か【小学生の君にもわかる!】 エムエルンドの ウィトゲンシュタイン解説 〜語り得ないことについては沈黙しなくてはならない、のは、何故か?( https://note.com/emuchan121/n/n2c63e8bb5fb6 )〜で示されたような「最初不在(証明)のパラドックステクスト(表冥)」は、ここに接続できた、時計ならしめならしめられの暖霊 神通  空気に。
 
 ふわハー  OO       
 
  
    

 ・時計自体のメタムェテトァ抽解  ーー  くどさとの真っッッッっ向 ?  ーーーー    


 
      これまで時間の想定をスタートさせるに相応しい鵈劬いりぐちなる道具としては、これ「時計」のしか際振さいぶりにあてはまって来なかった。さてま、時間は時計にしか示得ないものだふか。
 
   時計が時間しか示さないのは、分かるがね(そうでなければ、こう無理にも=無勢いに疑うのさ、そこでの役割は、ほんとに時計ですか)。
 
 
     みたいみたーい。そろそろ飽きがきたー。ほしいほしーい。時間を表すのに、時計ではないものフツウにほしーい。そんな声にもこそ  答えよう、にょきぃ〜ーー〜ー? 時計から、時間の表示を奪い取る。今には、第一章点の方(電動さん!!? )にも来てもらえばいい、うん  いいさ。顔がのっぺらぼうで、震えながらものっぺらさんの足元の右の大岩にめをやるとギョギョ!!?👀  目やら眉毛やら  …… 唇に鼻が落ちてるつる。
 
    同じく、電流や神敷たりしゆぶく時計何らよし、あの憧れよの、モニタァにでも撻板にも腕を突っ込んですり抜けた!掴んでガソっとヌルらないメカブきくらげを引っ張り出してさぁ、近くに用意していた白板に貼り付けグリェた ! !!! !   さて、一瞬でそれが見掛け上あの黒板になったので、何のバグがこの世界構造に起きたんだと色々拝み男神ながら慌てたが、そんなことよりも元の探求が気になってキミたちは、さて!!  待つ!っ………………………     バ!  キミもう疲れてんだって。おはよ。もう5それか6時間くらい経ったよ。あっちょっと待って!見ないで!いやさ、見る前に思い出して、キミはどう予想してたっけ?そうそう、いや、そもそもこの黒板?白板?分かんねいや笑 まあこの黒板のさ、  それにキミ自身が貼り付けてたエクリチュール、即つけど何時何分だった?   キミはこう答える。   なるほど、16時3分か、んて君はイマさ?………あ、うん、いやそうそう!分かった!?😃     そうそうそう、ファイナルアンサー?  おけ、21時25分とかね………  デデん!   バックル
 
     16:03であった                   ・ ・   ・   キミは、観てしまったね。そう、時計の概念の本質は、「計」にあったんだと、悟らせるようなことを、、ね?     もし今の時間、21:45であったら、君は、この黒板、或いは元の白板がさ、時計だって認めざるを得ないんだ。
 
   ひとってのは、今の時間意外どうだっていいのさ。君は「かつての時間」を知って感動することもあるだろうけど、「イマ」じゃないよね、そうだよね、それはね…… 。うん、どうする、帰る?うん、帰ろうよ。ねぇ、思わない?神様と時間さんって、じつはおんなじだったんだって。
 
   

     Realy Die'ne     


  
   こうして、神はまた麁舵卑予めの神的な意味(その意味をもっているからこそそれ唯一の事で神認められる主体が、その意味を持っていない事になるということは。)を失った。否、強いて言うなら、失っているというより、予め無かったのであるという「まえ記し」に我々はこのようにして辿りつかざるを得ないと行った方が心持ち良いやもしれなひ。  だがんに 
 
    はて、我々は本当に神なる最大頼地を殺したろうか?殺しちまった悲しみを、ありったけの哲学に傾けてみないのか。
 
  
   時計の裏にひかえていた神霊性。それの神聖も霊性も無いというなら、「無い其の元である神聖なり霊性なりのそもそもなんだった」。?。時間を確かめるにも確かめられる時間が確かめられる必要があるという曾ての構造が戻ってきてから、キミも僕もきっと神聖と霊性の不確かしさへの「謝り」を、つづけているところ。あは、ごめんなさい、あは、ごめんなひゃひ、 都合の良さ?  思えばこれの危険さ、話はもっと壮大になるぞ。宗教にも接続するキミと俺の思惟が、ただしかし今に柔らかに、まばらかに瞼を閉じる