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   深遠広緑 祈患

ゲーデルは、「神は主に有用でないので「存在しない」」と解く。

オッサムンは「神衣 大蛇は『神は[こうこう……(〔また、「私」?〕私にはこれの正しさが認められる。)]にて正立概念として消滅し、つまり存在が否定され、た。』と言う。それでも、ならば『神は……消滅し……否定された。』文中の「神」の意味のせいで、其文全体の意味がよく分かりませんね」と話す。

「神」という概念の意味が正立性を常に担保するという偉大な業に包まれながら否定され消滅し何より批判されたのにも関わらず、それを無視したかのように強調的には一切汲み取らず、「神」という語が予め後消滅的で下否定的で既特(有効)批判的なものであるようには、文意として全く扱わぬまま、オッサムンは「神はそれでも失われたのに既に文中に存在しているじゃないか、よくわからない」と書いているようで、それではオッサムン現放的の方が否定的(不賛成)に疑い深いのではないか、という論義については、これはまさにウィトゲンシュタインの「チェスへの冠」という痺性の強い思考実験と、彼も絡む「私的言語」の哲学が必請的かつ本質的に解決に絡む問題の方であると思われる。

チェスの駒に冠を被せてもゲームに参与したことにはならない。神について如何に有効な批判を行なっても、その有効な批判が「私」という揺るがない位置言体によって記憶的かつ普運的担保されるという補償は、ない。この世界には、仮に一人の人のみしか居なくたって、それが「私」なのか、あるいはあり得ることができないがそうではないのか、の2種類の「人数的区別」の余地が残されるほかないからである。

また実用-践的な話に感じられてしまうやもしれぬが、「神」という言葉はその「意味」という言葉感、以上に「イメージ」を持ちすぎた。それでは確かに、オッサムン(汚っさん化老体.)のような「語り味」になり易い。

ゆえ、(創作的新語=)「造語」、がここでは文意の主体に適免(誤った解釈を最終的に生み出すある意味無用で外正立的な議論から抜けた新しくそしてその前とは良さそうな議論文意の主体格に最適)だ。一旦、ゲーデルによっても、神のような有用さから転じて反する必要が「我ら」にゃある。

たとえば神衣 大蛇のもオッサムンのも(生まれた違いとか無論関係ないが、多分神衣 大蛇が先だが。)「神」だがこれ「サキュイ」とかにして意味を曖昧、というか「新人未来(未だ来なかったモノ。人に強引に「意味」意を着せる。)」とする。すらば、より、既正立批判的な「サキュイ」が、【サキュイ】や〈サキュイ〉ではなく「サキュイ」として働く、つまりどの文献を漁っても、まだサキュイ概念/ことば生まれて1年も経っておらずかつ大公ブームしていないのならば、「サキュイ」の意味は「単一的」に紡がれ続ける。そうすれば、チェスのすべての考案者もすべての遊者も時間空間を超越して全員が、「あ、チェスに冠がかけられた」と目前に心得、そこでは何かの種が今度は弾け割れ得ずを得ないのだろう。「単一的」については、例えば永井均は『哲学者なのだから、並列に同じようなことを言うのはこれ当たり前のことであって、偉大な哲学者と肩を並べるなんてすごいね、などと哲学同業者に評価されても、ちっともその凄さに共感できない(あるいはそう取られる文意だこの永井文。)』と述べていたが、これは哲学者とは世代に場階を超越した「単一」なる真理を求める点で数学的な営みをせめて「掲げて」当然な者(ら、たち)だからである、という前提を暗に示す永井喋なのだろう。
さて、ところでこれはほんのわずかな「オッサムン誤疑性」への一部論に過ぎない。「全体」を語るにはまだあるのだ。

オッサムンはどんな雑文でも読み下す「言語知解力」を有すらしいので、『意味がわからない』とは敢えて言われている。何への果敢か。「ここでは、意味がわからなくなるという真実は確かに存在する、又はしうる」とか、「意味がわからなくなることは可能だ」ということである。であって、『可能って言うが現実に則して本当に可能なのかなあ』と放言されても『いやいや、それは哲学者がよく使う論理的可能性の語意であって、論理学的真実についてがひとまず現実的真実についてとは離されて[いや実は前者が後者を内包上括しているのだがね。]論進されておるのだ』と永井が返すのみなのである。

ではでは、論理的可能性として、なぜ神への神衣 大蛇による正立的批判が、こうも紡がれない或いは意味を成されないのか。意味が成されたことに意味がなくなるという問題でこれはあるのか。そもそもオッサムワの文意から独自にも打ち出され得る、チェスの冠や私的言語の思考実験的要素を一切介したり含んだりしないでおけるので有得る、オッサムン当文意義自体の疑いの質性の筋はどのようなもので例えばどのようなとこに嵌まってあり得るのか。


希葵の津連をとめてしまうのもはもったいなひが、シンプルに・問ひ欲し




【夢寄りの寄Tihumposium】